桜の下で はじましてと言い 若葉の下で おはようと会う 紅葉の下で がんばろうと誓い
梅の下で さよならと言う ひさしぶりと言える日が来るまで 長い道を行くだろう 中学3年生M
撮影 千田完治
読売新聞の今年2月8日「こどもの詩」欄に掲載されていた中学3年生Mさんの詩です。詩欄には本名と思われる名前がのっていたけれどMさんにしておきます。今どきのキラキラネームで男女がわからないのだけれども、多分女性徒だと思う。
作家であり評論家であつた丸谷才一氏が国語教科書批判(『日本語のために』新潮社・所収)の冒頭で「子供に詩をつくらせるな」と書いています。今から45年も前の文章をどう思うかはそれぞれにして、すこしばかり引用してみます。
子供たちに詩の作り方など教へる必要はない。もちろん文章がきちんと書ける子供なら、優れた詩をたくさん読ませれぽ、ごく自然に、詩の眞似ごとのやうなものを書くことはあり得る。それはそれで結構である。そのなかには本ものの詩を書く子供もごくまれに出るかもしれない。まことに結構な話だ。しかし百万人に一人の天才を得るために、日本中のあらゆる子供に対し、インチキきはまる詩の作り方を教へねばならぬ道理があらうか。わたしにはこれが、時間と労力のまったくの無駄づかひのやうにしか思へない。これを礼儀正しく言へば、今の日本の国語教育は文学趣味に毒されてゐるといふことにならうか。文学的、あまりに文学的といふことにならうか。(『日本語のために』新潮社)
文芸評論家がいっているのは、小学生について言っているのだろうと思う。中学3年になればよいかな。ただし、内村鑑三に次のような文があります。引用します。
春の枝に花あり/夏の枝に葉あり/秋の枝に果あり/冬の枝に慰めあり
思い出しました。道元さんにも有名な道歌がありますね。
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて涼しかりけり
またまた、思い出しました。芹洋子の「四季の歌」
春を愛する人は 心清き人 夏を愛する人は 心強き人
これ以上、引用するとJASRACに怒られるから、このあたりで。
いろいろと思うけれど、お寺の掲示版にMさんの詩を拝借しました。