松岩寺伝道掲示板から 今月のことば(blog版)

ホームページ(shoganji.or.jp)では書ききれない「今月のことば」の背景です。一ヶ月にひとつの言葉を紹介します

善に大小無く、ただ久しく長きを貴ぶ

2012-11-06 | インポート
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善に大小無く、ただ久しく長きを貴ぶ。日日これを増し、月月これを累(かさね)る。善多きは即ち行(おこな)い広く、行い広いは即ち福崇なり

2012年11月のことばは、中国明代の僧・雲棲祩宏(ウンセイシュコウ)です。雲棲については畏敬する野口善敬博士のご専門だからそちらをご参考ください。「そちら」といわれてもどこだかわからないけれど……。
10月の言葉は月刊誌からの孫引きでまことに恥ずかしい限りでした。今月はというと、これが原典に目を通していてみつけた言葉なのです。というと、分厚い大蔵経をめくりながら思索する学僧の姿を私に重ねる方がおられて、まとこに好ましいのですが、やはり違うのです。ちょっと安直なのです。
どうしたかというと、理由があって(どんなワケかは書けないけれど)、「久」の字がつく熟語で、仏教経典にある言葉を調べたかったわけです。そんな時、どうするか。以前だったら、「以前」といっても、つい5年ほど前までは、気が遠くなるような作業というか、ほとんど不可能な事だったのではないでしょうか。
それが今では、パソコンのディスプレーの前で検索ができる。http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/。あるいは、http://www.cbeta.org/
最近、上記のサイトの使い方を教えられたのですが、これがすごいんだなぁー。膨大な仏教経典のデータ化進んでいるのは知っていたけれど、虫食い状態にデータ化されていて使い勝手が悪かった。それが、いつの間にか仏教経典の決定版全集(『大正新修大藏經』)すべてをデータするという大事業が完成していた。
ということはどういうことかというと、「久」を検索すれば、瞬間に大藏経中の何百何千という「久」に関する熟語とその前後の一節がてでくるわけ。びっくりしたなぁー。というわけで、今月のことばは電子仏典検索引きなわけです。
行為は安易でも、出会った言葉は珠玉です。「一日一善」なんていわれると拒絶反応を示すけれど、「善に大小無く、ただ久しく長きを貴ぶ。日日これを増し、月月これを累(かさね)る。善多きは即ち行(おこな)い広く、行い広いは即ち福崇なり(善無大小。惟貴。日日增之。月月累之。善多則行廣。行廣則福崇矣)」なんて読むと、なんだかスッキリして良い気分になってこないですか。特に「行い広し」という表現がいいです。
故柳田聖山先生の著書に「文学的天才は常に宗教的天才ではないけれど、宗教的天才は常に文学的天才である」という一節があったのを思い出します。
雲棲祩宏(ウンセイシュコウ)もまた、宗教的天才で文学的天才だったにちがいありません。


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人間一生は誠に俄にわずかの事也

2012-11-06 | インポート

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人間一生は誠に俄にわずかの事也。好いた事をして暮らすべき也。夢の間の世の中に、好かぬ事ばかりして、苦を見て暮らすは愚かなること也。

10月のことばは、『葉隠』の編集者・山本常朝=つねとも(1659~1719)の言葉です。『葉隠』は山本常朝が口で述べたものを、文字にしたもの。今で言えば、口述筆記というのでしょうか。
例の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という一節で有名な書物です。というか、それしか知らない。もちろん、全体を読んだことなどない。というはわけで恥ずかしながら、孫引きです。
何からの引用かというと、羞恥心もなく明かしてしまえば、『日経おとなのOFF』の2012年8月号「座右の銘の見つけ方」という特集号からの孫引きです。
掲示板に使えるものがあるだろうと買っておいたのですが……。使えるには使えるのですが……。羞恥心はないと書きましたが、やっぱしねぇー。いくらなんでも安直すぎる。が、9月末まで続く異常な残暑にまけて、つい安易に手を出してしまったわけです。
さて、この言葉を座右の銘の候補としてあげたのは、作家の晴山陽一氏。氏はこう解説します。(好きなことをして暮らすべきである、などという嬉しくなるような言葉が)武士の心得を説いた『葉隠』だと思うとなおさら、気持ちが楽になる。もっとも、この後は「わろく聞いては害になること故、若き衆などには終に語らぬ奥の手也」と続く。大前提に武士としての厳格な倫理観があることをお忘れなく、と。
誰の言葉だったかは忘れたけれど、「文の要約ほど無意味なものはない」というフレーズを「名言辞典」で見たことがあります。名言隻語は、その前後が省略されたダイジェスト版であることを忘れてはならない。ということを教えてくれる座右の銘でした。


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