つれづれなるままに

恐れ多くも、兼好法師のような文才はありませんが、日常の出来事を「ブログ」に表現できれば幸いです。’05.01.27.大安

★テンペスト(池上栄一)を読み終えて

2011-08-25 09:50:27 | Weblog
                          首里城


池永栄一が500年にわたる王政を謳歌した琉球(沖縄)の命運と黄昏をテンペスト(あらし)にした。
兄の失踪を機に、聡明な少女・真鶴は、宦官・孫寧温と名乗り、性を偽って生きる事を決心。科試に合格し、王府の役人として難題を次々と解決。

琉球を護る為に清国の駐在役人・徐丁垓(宦官)を殺害し、八重島に流刑される。

英国が艦隊を引き連れて、琉球に押し寄せてくるという情報を王府に流す。

その後、マナリアに冒された寧温は、九死に一生を得て、真鶴として王府に戻る機会を得る。その類稀なる美貌と才覚を見初められ、自分の意思とは裏腹に王の側室として王宮へ返り咲くこととなる。平穏な生活は(寧温の予想通り)ペリーの来航により風雲急を告げる。

外交に長けた人物として、八重山にいると思われた孫寧温に対して王府へ戻るよう王命が下り、真鶴は昼間は宦官として、夜は側室として一人二役をこなさなければならなくなる。

薩摩と清国、2つの国の狭間で揺れる琉球に近代化の波が押し寄せる。

気象学上、太平洋上で発生するあらし(台風)は、殆ど沖縄を通過。地政学上も琉球は、王政で繁栄していた当時から、明・清国そして薩摩藩と交流し、領事館を通じて、そのバランスの上に、イギリス、フランス、アメリカなどの開国圧力をかわし、王政を維持してきた。

しかし、16世紀から300年間続いた清国政府(紫禁城)は、アヘン戦争によって英国に香港統治(100年間の契約)を許し、フランス、ドイツ、インド、イタリア、アメリカそして、開国をしたばかりの日本などの圧力で、紫禁城も黄昏を迎えつつあった。

浦賀に入港した黒船(ペリー提督)の開国に屈し、江戸幕府は崩壊。日本政府の富国・強兵政策は、廃藩置県を実施。

先ず琉球を藩として日本国に併合し、その後沖縄県とする。

第2次大戦が、1971年に米国から返還された現在も、地政学上米軍の重要戦略基地として沖縄住民に犠牲を強いている。

本島を中心に数多くの島々からなる、沖縄県が美しい自然を取り戻す日が待たれる。

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