●上野山のシンボル・西郷隆盛銅像(上野の山でもっとも知られた名所)
待ち合わせなどにも利用される、上野のシンボルとしておなじみの銅像。作者は明治の著名な彫刻家・高村光雲。明治31年(1898)、西郷さんが連れている犬の名前は「つん」紀州犬のメス。犬は光雲の弟子の作といわれる。寛永寺に謹慎した徳川慶喜守護の目的で旧幕臣たちが上野に結集、これが彰義隊となった。しかし、慶喜が寛永寺を出て水戸に移転した後も上野にたてこもる。これが新政府は「反乱軍」として数時間で鎮圧。ゆわゆる「上野戦争」である。明治新政府軍に敗れた彰義隊の戦死者は放置され、付近の住職が荼毘に付したとされる彰義隊墓所を遮る様に、西郷隆盛銅像は建てられている。
●東叡山・寛永寺(東の比叡山・徳川二代将軍秀忠、三代将軍家光が保護した)
山号は東叡山。比叡山延暦寺にちなんで、天台宗の一大拠点を江戸に開こうと言う意図の下に建てられた。そのために、延暦寺や京都周辺を模したものが数多くある。その一つが清水観音堂である。この観音堂から見下ろす不忍池は比叡山のふもとの琵琶湖になぞらえ、池に浮かぶ弁財天は琵琶湖の竹生島を模している。
上野山案内図
上野東照宮から望む東照宮五重塔
「花の雲、鐘は上野か浅草か」。花吹雪の舞う頃、深川の芭蕉庵で鐘の音を聞きながら、寛永寺だろうか?だろうか浅草寺だろうか?ともの思いにふけっている句にでてくる鐘。
東照宮参道の南側、植え込みの中に巨大な石灯篭(高さ6メートル)が見える。俗に「お化け灯篭」と呼ばれ、熱田神宮(名古屋)、南禅寺(京都)と併せて日本3大灯篭といわれる。
徳川慶喜が水戸に移るまで蟄居していた住居。
お化け灯篭のすぐ南側に小高い丘がある。これが大仏山。関東大震災で被災して大仏を見ることは出来ないが、ミヤンマーやタイ風の搭パゴタが建ち、その傍らに大仏の顔だけをはめ込んだモニュメントがある。
花園稲荷神社と珍しい穴稲荷。お稲荷さんのご利益は奉納される赤い鳥居の数で決まるそうす。
根本中堂
厄除・両大師:寛永寺の開祖である天海僧正(慈眼大師)と天台宗の名僧で座主でもあった良源僧正(慈恵大師)を祭るので両大師と呼ばれている。
旧徳川家霊廟勅額門(れいびょうちょくがくもん):寛永寺の墓地には、徳川4代将軍家綱,5代綱吉、8代吉宗、10代家治、11代家斎、13代家定の霊廟がある。
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