つれづれなるままに

恐れ多くも、兼好法師のような文才はありませんが、日常の出来事を「ブログ」に表現できれば幸いです。’05.01.27.大安

★沖縄復帰40年が語る

2012-05-17 21:56:26 | Weblog
1972年5月15日、戦後27年間米国の支配下にあった沖縄が返還された。

この日、記念式典の壇上に立った屋良沖縄知事は、「米軍基地などいろいろな問題があり、これらを持ち込んで復帰したわけです。これからも厳しさが続き、新しい困難に直面するかもしれません」と喜びの中にも不安を隠さなかった。

その日から40年になる。

「核抜き、本土並み」とは、施政権を完全に日本に移し、日米安全保障条約も本土と同じように適用するという意味だった。

復帰から40年、果たして沖縄は本土と同じになっただろうか。


去る15日宜野湾市で「沖縄復帰40年」の記念式典があった。

明治に入って、琉球王国が崩壊し沖縄県が誕生。第二次大戦では、本土決戦の砦として悲惨を極め、敗戦後は米軍基地として、1975年5月15日まで米国(軍)が統治してきた。

返還後も、米軍基地はなんら変わらなく存在し、政争の具にされ、期待された民主党が約束した「県外移設」も実行されず、沖縄県民とっては今回も不本意な「記念式典」となった。

県民1人当りの所得は全国平均の7割強にとどまり、完全失業率は最も高く、高校進学率は最下位。近年観光で注目されるも、経済的自立はなお遠い。

米軍による事故や犯罪も依然発生し、県民を護るべき「日米地位協定」は一度も改定されていない。

こうした沖縄の厳しい現状を、本土は理解しているのだろうか。

日米安全保障条約の下で、米国に抗弁できない日本政府。

本土と沖縄の溝は益々深まっている。

3.11大震災による原発事故が、特定地域に負担を負わせる構図を改める契機になればと強く思う。

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