教育と偏見

2014-11-01 19:08:22 | 日記

 世のなかには 多くの偏見が あるものだ.

私も40年間 教職にあって 数多くの 生徒を 預かってきた.先生というのは

生徒に 知識を 与えれば それで いいというものではない.

いまは,学力中心の時代だが 私たちが 教壇に立ったときは,廃棄と 空腹

の時代だったから そういうわけにも行かなかったし 戦後のことで気風も

すさんだ時代である.

彼等の こころワつかまねば なかなか 授業にならないのだ.

私立だったから 貧困な家庭の子供が多かった.ここでも偏見ワ見た.

代議士が私立学校の視察に来た.私学助成金の問題であろう.

その代議士が言うには「文部省の官僚に言わせると 私立学校に

通わせるくらいの金持ちが多いのですよ.」といってなかなか渋いんです.

という.大体が私学は 国から援助を受けないということで 独特の

教育が可能であった.だから戦時中でも割と自由な教育ができた時代が

あった.しかし助成わ受けると 国の縛りが着いてくる.

公教育に抵抗心を持っていたのか,いつのまにやら 公教育と同じ文部省の

指導要領に準拠するようになってくる.

自由教育か・・・・・はたまた管理教育化・・・・日教組が悪人呼ばわりされるのも

そこらへんに有った.偏見との戦いでもあった.


元をたどれば 落ち武者 の子孫だった.

2014-11-01 18:29:35 | 日記

 人間一人の誕生 なんて とっても 摩訶不思議なものではないか.

単なる 生理的なことではなくして なぜそこに自分が存在しなければならないのか.

創造主の 魂胆は てんで 解らないが 祖母が 時々行っていた言葉 この年になっても 

妙に 心に引っかかる.

「坊も 東京 あたりの 大金持ちの 家に 生まれてくれば よかったのにね.」

「どうして そんな事 言うの.坊は おばあちゃんの ところが 一番いいよ.」

そういうと 祖母はうれしそうに たんすの 引き手に結んでいる 紐を解いて

天上から つるしている 籠ワおろす仕組みになっている.

その籠には 祖母が お茶のみにいつて いただいた お菓子が入っていた.

家の系図をひっぱりタ゜してみると 初代は 天文二年二月十三日 死亡から始まっている.

室町時代からの者ではあるが,肥前蚊ら源平合戦に敗退して 尾多伸びてきたらしい.

途中いろいろ 浮沈 加圧他らしく 途切れたところも あるが 家は200年は他党という

頑丈なものである.

こうしてみると わが先祖 戦に 破れひっそりと暮らしてきたのであろう.

祖母が言うように どこかの お殿様のところに生まれていたら と推理するのもまた一興