立法府の優先をみとめるのであると思う。
其れを前提にして思うなら 国会壇上で 嘘を着いたらいけないということは 子供でも
わかることだ。
「私や妻が 森友学園に 関わっているというのであれば 私は総理はもちろん 議員
もやめなければならない。」
昭恵夫人が森友学園の小学校の校長であったことは事実、その成り行きがどうであったか、
それをいかにして断ち切ったか それは問題ではない。
校長を引き受けていた機関が存在下こと画問題である。しかもそれを総理がごぞんじだつた
それも事実であった。
其れは通常政治の世界に限らず 一般社会においても 関係を保っていたときも
あったとみる。
「そうじゃないと 仰せでも 僧である。」この事実は曲げられない。
まず国会から 理は理、非は非としなければ 法が成り立ちません。
もう、今どきは 阿部さんは 失職して 自宅で犬と戯れているころだろう。
何故野党は逃がしたのか。千慮の一失だったのか。そこまで血が回らなかったのか。
悔しい限りである。
私が教職にあった時 上司である校長から 喧しく言われたことは
教育とは徹底することである。」と教えられた。一強というふとどきものを 教育するには
徹底しなければならない。野党から一人選んで その一人に質問の時間を全部集中して
総理が悲鳴を上げるまで徹底的に攻撃しなければ たるんだ国会になってしまう。なぜそこまで
という人がいたら まだ事の重大性が理解されていない。