「あなたが教えられた 明治維新は 誤りであった。」というショッキングなテーマで始まる
明治維新 裏物語である。私は13歳で故郷を出て 鹿児島の中学に入学した。
当時、中学生は電車通学とかバスをりようした通学は認められていなかった。
家から学校まで夕に4K以上はあったはずである。その土地夕に西郷終焉の地岩崎谷
画あり 西郷の銅像があり 西郷の生家があり そういうなかを 雨の紐風邪の
杉の下駄を踏みつぶしながら通学していた。
また当時の校長さんが東大の文学部の教授で 島津家の歴史編纂委員ということもあって
終身の時間は 講堂で一年生全員授業で 「明治維新と島津家」のことについての講義を
受けた。海軍に入隊するとき退職されていた先生の自宅を訪ねて 斉彬公のに関する自著をいただ
いてきたことがあった。だから私の中には「明治維新」について一点の疑いもなかった。
祖父が西南の役に参戦し、水俣口から本体に合流したが どうにか命ながら得て帰省したもののも
その後官軍に捕縛され一年くらい仙台刑務所に収容されていたらしい。そんな話を聞くにつれても
裏で志士たちが操られていたとは おもいたくもなかったし 何を狙っての子とか皆目意図がつか
めない。金銭的なもんだいからそんなお金誰が用立てたという説がある。説得力があるのだ。
今どきの人には。でも私たちが名古屋から鹿児島に帰るときなぞは 三泊四日食べる金もなく
野宿し水を飲みながら帰り着いたものだ。昔はそういうことはごく普通だ。生活様式も違うし
物価も違う。戦争の仕方までちがっていたから、幕府が田舎の藩の寄せ合いにまるはずがないという発想はそうだなと思う人は思うだろうよ。
日米戦争は誤りだったといわれても 現実に何もかも灰燼に帰して、白旗上げたのは日本なんだから事実は動かせない。維新は日本の近代化に貢献したことは間違いないと思う。
其れより今の政治と隠しても 当時は貧してながら夢に満ちていたのではないか。
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