「無理が通れば 道理が 引っ込む。」または
「石が流れて 木の葉が 沈む。」とか 先人の教えるところである。
しかし、思うに いまの日本の姿が 僧なのである。
政府が そうであるから 国のあらゆる機関や組織が 勝手なことをするようになる。
私たちは その様子を 目前に見てた。
安保関連法が参議院委員会通貨の瞬間である。議長席がいっせいに与党議員によって
占拠された。鴻池委員長の 声もかき消されてしまった。
そのとき の速記録は「聴取不能」とかかれていた。
それが委員長職権で 記録が追加訂正されて 裁決された。
こうしたことは 憲政史上 なかったことである。このようなときに使用されるのが表記の
故事である。マスコミは即時に激しく 抵抗しなければならないことである。
でも、マスコミは公共放送として 映像を流していたNHKですら なんらの疑問も投げかけ
なかった。まさに『石が流れて木の葉が沈んでいったのである。」
司法が総がかりで 罪に落とそうとしていた 「保険金ほしさの子供殺し」事件も
検察の脅迫自白調書の採用で 20年の判決が下り 冤罪のまま 20の刑に服していた。
最高裁が下した判決である。・このときもマスコミは唯々諾々と司法判断を承認した。
弁護士の努力とそれを再審に取り上げた大阪高裁の良心によって 冤罪事件は
一応再審を迎えることができた。さて、このことについて 司法の最高裁の正式談話もない。
また、政府の警察庁の弁明見ない。法務大臣の弁明もない。もっとも再審が終わり冤罪が
明白にならないからだろう。
しかし、この事件日本社会では 無罪の後も日本人は「ほんとかなあ。」と疑問視する。
げにも怖い国なのである。象徴的なのは 辺野古問題である。国策に賛成する
市町村には 国が直接 特別補助金か 交付金がを支給する。
悪魔だよ。菅官房長官の顔が悪魔に見える。こんなことを国民は黙ってみているのである。
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