ブラタモリをTVで見て、なんと三〇年ぶりに白浜に行ってみたくなった。
巡ったコースは、はじめに京大白浜水族館、次に南方熊楠記念館と見て、最後に三段壁にやってきた。
一三〇〇円の入場料(高っ!)を払い、エレベーターで水際まで降りる。
いきなりの記念写真には、驚いた。一五〇〇円なり。(買わず。)
なんと期せずして、ここが瀬戸鉛山鉱山の一部を形成しているとは・・・。
以前、どなたからか瀬戸鉛山鉱山のサンプル品を頂いたのを思い出した。(その時は、あまり気にもしなかったが。)
白浜空港の西の「湯崎」地区あたりで江戸時代あたりから竪堀で鉛鉱石を主に採集していたらしい。
看板の後ろのズリ石には、金属気配がまったくない。看板の後ろがひょっとすると立坑になっているのかな。(ならばよく掘ったものだ。)
立坑は、もう埋められていると思うが、この地点を含む300か所近く存在していたようだ。鉛は、戦国時代に鉄砲の玉として需要が高かったようだ。
この洞窟自体が、鉱山跡穴なのか。(おそらくそうだろう。)洞窟の壁の一部は金属が風化したような色合いの箇所も見られたことから、確かに鉛などの金属鉱脈は三段壁の一部にあるのだと
推測される。
今回、気分転換の旅行にはなりました。
巡ったコースは、はじめに京大白浜水族館、次に南方熊楠記念館と見て、最後に三段壁にやってきた。
一三〇〇円の入場料(高っ!)を払い、エレベーターで水際まで降りる。
いきなりの記念写真には、驚いた。一五〇〇円なり。(買わず。)
なんと期せずして、ここが瀬戸鉛山鉱山の一部を形成しているとは・・・。
以前、どなたからか瀬戸鉛山鉱山のサンプル品を頂いたのを思い出した。(その時は、あまり気にもしなかったが。)
白浜空港の西の「湯崎」地区あたりで江戸時代あたりから竪堀で鉛鉱石を主に採集していたらしい。
看板の後ろのズリ石には、金属気配がまったくない。看板の後ろがひょっとすると立坑になっているのかな。(ならばよく掘ったものだ。)
立坑は、もう埋められていると思うが、この地点を含む300か所近く存在していたようだ。鉛は、戦国時代に鉄砲の玉として需要が高かったようだ。
この洞窟自体が、鉱山跡穴なのか。(おそらくそうだろう。)洞窟の壁の一部は金属が風化したような色合いの箇所も見られたことから、確かに鉛などの金属鉱脈は三段壁の一部にあるのだと
推測される。
今回、気分転換の旅行にはなりました。