「今日も収穫ゼロ・・・か」
溜息混じりにそんな言葉を呟いた男は、軽く頭を横に振ってからパソコンの電源を落とすと、落胆した表情を浮かべながらソファに横たわった。
牧野つくしが死亡した。
当時、そんな報告を受けたのたが、にわかには信じられなかった。
いや、厳密に言えば、未だに信じてはいない。
何故なら、己の目で亡骸を確かめた訳ではないからだ。
「あれから10年も経つのか。ま、何年何十年経とうが、俺は信じやしねぇけどな」
左目を失明し、見舞金を持ち逃げして失踪した家族に絶望し、将来を悲観して自ら命を絶った。
つくしを荼毘に付した美作夫妻からそう聞かされても、にわかには信じられなかった。
赤札による壮絶なイジメを受けても、それを跳ね返して闘い抜くような女だ。
そんな女が、自らの命を絶つとは到底思えなかった。
だから咄嗟に、美作夫妻が何かを隠し、嘘を吐いているのだと総二郎は考えたのだ。
「戸籍上、牧野は死亡した事になってる。だが、そんなモンはどうとでも改竄(かいざん)出来るしな」
日本でも海外でも、指折りの大企業として名を馳せる美作商事の社長なら、戸籍をいじるくらいの事は簡単にやってのけるだろう。
それが出来る程の力と人脈が、美作商事の社長にはある。
「あきらの父ちゃんは何で、そこまでして牧野の存在を徹底して消したんだ?」
赤札による執拗なイジメからつくしを守る為か、それとも他に理由があるのか。
他に理由があるなら、それは何なのか。
総二郎には分からない事だらけだ。
「分からないと言えば、どうして俺はこんなに必死になって、牧野の行方を探してるんだろうな」
意固地なだけなのか、強情なだけなのか、単なる興味本位なだけなのか。
しかし、それらの感情だけで10年もつくしの行方に執心するほど、総二郎もヒマではない。
まだ若宗匠を名乗っていないとはいえ、それに見合った仕事が沢山舞い込んでくるのだ。
なので、つくしの行方を追う事ばかりに時間を割いてはいられない。
「ホント、何でこんなに牧野が気になるんだろうな」
つくしに対する感情が何なのか、分かりそうで分からない、分かっているけど分かりたくない。
それが総二郎の本音だ。
気付いてしまえばきっと、後戻りは出来ないから。
今歩いている道を、はみ出さねばならなくなるから。
自分を抑える事が出来なくなるから。
だから敢えて目をそらし、直視しない様にしている。
例えそれが、逃げてるだけだとしても・・・だ。
そんな事をソファに横たわりながら、つらつら考えていた総二郎の耳に、この部屋を訪うノックの音が届いた。
「誰だ?」
「私です。今、宜しいかしら」
「えっ!?あ、はい」
予想だにしなかった家元夫人である母親の声に、総二郎は面喰らいながらもソファから身を起こし、部屋の扉を開けた。
「何かありましたか?」
「・・・中に入れてもらえるかしら」
「はっ?」
「お話があります」
常にない空気を身にまとい、有無を言わさぬ圧をかけてくる家元夫人に、総二郎は何か込み入った話があるんだなと察しをつけ、素直に中に入れた。
「お休みになるところだったかしら?」
「あ、いや、まあ・・・はい」
「それは申し訳ない事をしました。でしたら、前置きはなしにして本題に入りましょう」
そう言いながらソファに座した家元夫人は、怪訝そうに自分を見やる総二郎を一瞥すると、懐から何やら紙切れを取り出し、それをローテーブルの上に置いた。
「それは?」
「平家琵琶の演奏会のチケットです。この演奏会、私と一緒に行って頂きます」
「・・・はっ?」
「そして、総二郎さんの目で確認してほしいのです」
「確認?・・・って、何をですか」
「琵琶奏者が、牧野つくしさんであるかどうかを」
「っ!!?」
予期せぬ人物の口から出た名前に、総二郎は思わず狼狽した。
今まで一度たりとも牧野つくしに対し、関心も興味も示さなかった家元夫人だ。
その家元夫人が何故、今頃になってつくしの名を口にしたのか、総二郎には理解出来なかった。
「何を仰ってるのか私には分かりません」
「総二郎さん?」
「牧野は10年前に死んだはず」
「表向きはそうです」
「表向きは・・・ね」
どういう意図があって、つくしの名を出したのか。
どうして家元夫人は、つくしにこだわるのか。
それには何か深い意味があるのか。
返答如何(いかん)では、賽(さい)の目が大きく変わる。
ここは慎重に受け答えしないとなと気を引き締め直した総二郎は、心の動揺を見せないよう家元夫人に接した。
「世の中には、自分によく似た人物が三人いると言います。恐らくその琵琶奏者も、そのうちの一人なのではないですか?」
「ですからそれを、総二郎さんに確認してもらいたいのです」
「何故?」
もし、その琵琶奏者が牧野つくしだったらどうするつもりか。
そこまでつくしに執着するのは何故か。
家元夫人の腹積もりが分からぬだけに、下手な事は言えない。
そんな総二郎の心境に気付いた家元夫人は、ふっと表情を和らげながら口を開いた。
「時間の無駄ですから、腹を割って話しましょう。牧野さんに関する情報は、家元によって全て握り潰されておりました。ですから、牧野さんが左目を失明し入院していた事も、家元が入院先にお邪魔して暴言を吐いたであろう事も、私は全く知りませんでした」
「・・・本当ですか?」
「ええ。それどころか、牧野さんが英徳学園に在籍していた事すらも知りませんでした。私の耳に牧野さんの情報が入らない様、家元が裏で手を回していたのです」
「家元が?」
あの父親なら遣りそうだなと思う一方、何で神経質なまでに、つくしの情報を家元夫人の耳に入らないようしていたのか、それが総二郎には分からなかった。
「どうして家元は、そこまで徹底的に牧野の情報を握り潰していたんですか?私にはそこのところが分かりません」
「・・・それを話す前に一つ、総二郎さんに窺(うかが)いたい事があります」
「何でしょう?」
「牧野さんに対して、恋心を抱いておりますか?」
「・・・はぁ!?」
「もし、少なからず牧野さんを想われてらっしゃるのなら、総二郎さんに協力します」
「・・・」
「ですが、これといって特別な感情がないと言うのなら、この話は忘れなさい。演奏会には私一人で伺います」
「何で急にそんな事・・・」
「総二郎さんがずっと、牧野さんの行方を追っていると知ったからです」
そう言いながら、まるで真意を探るかのように、家元夫人は総二郎の表情に注視した。
それは総二郎も同様で、家元夫人の狙いがどこにあるのか、それを探るべく凝視した。
「私が牧野の行方を追っている事を知ったという事は、家元夫人も牧野の行方を追っていたと解釈しても宜しいので!?」
「そうです」
「家元夫人が牧野の行方を追っていたのは、徹底的に西門から排除する為なのでは?」
「西門と言っても総二郎さんからではなく、西門流から遠ざける為かしらね」
西門流は、魔窟と言っても過言ではありません。
権謀術数が渦巻く、汚い世界です。
そんな世界に、牧野さんを巻き込みたくない。
そもそも、私が牧野さんに害意を加える訳ないでしょう。
そう続けて言葉を放った家元夫人は、軽く頭を左右に振りながら総二郎の考えを否定した。
「これだけは言っておきます。私と家元は一生涯、相容れない関係です。子である総二郎さんには酷な話でしょうが・・・」
「いえ、お二人の仲が良くないのは分かっております。お気遣いは無用です」
「そう・・・ごめんなさいね、総二郎さん。子供である貴方にそんな事を言わせてしまって」
「いえ、構いません。で?」
「ですから、私と家元の考えが同じではないと知ってほしいのです」
「・・・」
今までのやり取りでただ一つだけ分かるのは、家元夫人はつくしに対して悪い感情は抱いていないという事だ。
いや、悪い感情というよりはむしろ、愛情に近いものを抱いている。
それだけはハッキリしていた。
だから総二郎も、正直な気持ちを家元夫人に吐露しようと覚悟を決めた。
〈あとがき〉
書けば書くほど、泥沼化になっていく。
当初と違ってきているぞ!?話の展開が。
重たい流れになっちゃったなぁ。
長篇になりそうな予感・・・。