令和2年1月25日(土)
名古屋鉄道主催 2020年ウィンター 名鉄のハイキング
「❹鉄とランとトマトのまち・東海市を歩く!
”トマトで健康ウォーク”と東海フラワーショウ」の続きです。
平洲記念館、展示室へ入ります。
細井平洲の書や絵が展示されています。
細井平洲
江戸時代の儒学者。
今の東海市(尾張国知多郡平島村)出身です。
この方、赤ずきんは、上杉鷹山の本を読んで知りました。
江戸時代屈指の名君、上杉鷹山が幼少の頃、学問を教わったのが
細井平洲でした。
平洲無くして、鷹山は無かったかもです。
平洲先生の描かれた風景と書。
手前の林には粗末な家が二軒あり、橋が架かっています。
湖のむこうには遠くの山々が描かれています。
こうした山水画とよばれる絵は、中国の絵を参考にして描かれ、
このような静かなところで暮らしたいなという思いが込められています。
そして、平洲先生の詠んだ漢詩がそえられています。
平洲絵巻
細井平洲を知ってもらうために、絵巻五十五枚の一部をご紹介します。
天明七年、門人で久留米藩の儒学者である樺島石梁を伴って郷里平島村を訪れ舟遊びに興ずる。
平洲の晩年ですね。
寛政八年9月、六十九歳。米沢藩の招きを受け、三たび米沢を訪ねる。
上杉鷹山公は米沢郊外関根の地まで恩師、平洲先生を出迎えた。
現在、敬師の里としてその名を残す。
四十六歳の鷹山公は、恩師との十二年ぶりの再会を喜び、
新築なった関根の普門院に師の手を取って入り、積もる話をした。
普門院の境内に記念の椿を植えた。
今も平洲先生お手植えの椿として青々と繁っている。
寛政九年、七十歳の祝宴が開かれ、上杉鷹山公はじめ、
東西の名士大家からお祝いの詩誌が寄せられた。
享和元年、六月二十九日、細井平洲没す。
享年七十四。江戸浅草浄土宗天獄院にて葬られる。
平洲先生誕生地、東海市荒尾町神明社境内にある平洲先生、
旧里碑前で毎年五月二十九日、平洲祭が行われる。
伊勢の海を望む
「平洲と大仏を訪ねる花の道」の公園内に
若き日の平洲像は建つ。
「勇なるかな 勇なるかな、勇にあらずして何を以て行わんや」
(何をやるにしてもまず勇気が必要である)
平洲が、米沢藩主になろうとする上杉鷹山に送った言葉です。
平洲記念館。
他にも平洲の書や本がたくさん展示されていました。
このあと、平洲ホールの方へ行ってみます。
続きはまたにします。