歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

麒麟がくる・光秀チョップは水平空手チョップなのか。

2021-02-01 | 麒麟がくる

昨日の「光秀チョップ」は実に素晴らしい演出でした。ハセヒロさんの発案だそうです。もっと早くに「怒りの鉄拳」を繰り出していれば、喧嘩の末に分かりあえていたかも知れません。悲しい話です。

ついでに「経絡秘孔」もあの「手刀」で突いてやればいいとも思いました。「大人になる秘孔」「承認欲求を除去する秘孔」「重たい愛を取り去る秘孔」などです。私は信長ファンですが、この信長は大人にならないといけません(笑)。

考えてみると、この光秀チョップを期待して、これを見るために、延々と42話まで見てきたのかも知れません。それも録画して繰り返し何度も。史実と違うとかギャーギャー文句を言いながら。

以下はどうでもいい話です。読んでも時間の無駄だとご注意はしておきます。普段はもうちょっと「真面目」に書いています。他の記事をご覧ください。ほぼ麒麟がくるのことだけです。

信長に足蹴にされた光秀が「光秀チョップ」を空に向かって繰り出します。無論これは「樹を切る=斬る」動作です。夢でみた信長の「命の樹」を斬るポーズです。

「水平空手チョップだ」と思いました。で、寝て起きて、今日が次の日。「あれ水平じゃないな」と思ったのです。そもそも水平空手チョップってなんだ?と思ったのです。

ビデオで確認すると、動作はわずか一回です。夢のシーンがあるので、何度も繰り出した印象が残るだけです。そして方向はほぼ「水平」です。やはり「水平空手チョップ」でした。

空手チョップの正式名称は「手刀打ち」です。空手用語としては「手刀打ち」、プロレス用語としては「空手チョップ」です。

チョップは切る、斬るという意味の英語です。英語用法としては「ジュウドーチョップ」のようです。空手と柔道の違いなぞ気にしていないのです。

ここまでも相当「どうでもいい話」ですが、以下は「もっとどうでもいい話」です。

プロレスを見たのは子供の頃の「一瞬」で、猪木と馬場の時代でした。両名とも力道山の弟子ですが、猪木は非エリート、馬場は可愛がられたエリートでした。空手チョップは力道山の代名詞ですが、猪木はほとんど使わないと思います。力道山を継承したのは馬場で、馬場はよく「空手チョップ」を使いました。斜めに振り下ろすチョップは「空手チョップ」、水平に手を動かす「光秀チョップ」は「水平空手チョップ」、そして頭の上に向かって垂直に手をおろすと「脳天唐竹割り」になります。手のひらが「下」で水平だと「逆水平」という情報もありました。

いずれもグーに比べて威力は劣るようですが、プロレスではグーは禁止なのかな?グーで殴ると相手が死ぬ場合があるし、殴った方の拳が砕ける場合もあるようです。

それにしても「脳天唐竹割り」、ネーミングも強烈ですが、威力も強烈です。小学校の時、プロレスごっごで一回だけ食らったことがありますが、痛いし首にきます。子供同士の遊びでも禁止技だった気がします。「唐竹割とエルボーはなしな」と言った記憶があります。アメリカのある州ではプロレスでも唐竹割りは禁止のようです。ちなみにエルボーは肘打ちで、私の得意技でした。筋力が発達していた私のエルボーは強烈だったようで、先生にひどく怒られ「禁止技」にされました。むろん遊びです。子供だってバカじゃないし遊びなんだから「手加減」はみんなします。私だってしてました。相手のふともも以外は狙いませんでした。それでも泣かれてしまい、先生にこっぴどく怒られました。「喧嘩じゃなければ何やってもいいというわけじゃないぞ」、、、その通りです。

脳天唐竹割りは誰が名付けたのか。ざっとした「検索」では分かりませんでした。さらに凄い技に「真空飛びひざ蹴り」があります。膝で相手の顔を打つのです。下手にやれば本当に死にます。「真空」には特に意味はないようです。こっちの方はネーミングの過程が比較的明らかになっています。以上、どうでもいい話でした。

「麒麟がくる」・第四十三回・「闇に光る樹」・足蹴シーンのみの感想

2021-01-31 | 麒麟がくる
ドラマそのものの感想というより、信長についての雑感です。

本日の回の最後、地獄の宴と言うようです。「膳がどうしたこうした」で、信長が光秀を叩き、さらに蘭丸が食ってかかってました。

おなじみのシーンながら、背景が違います。まず信長の嫉妬。それから「樹を切る」=信長の命を絶つという光秀のリアクション。同じシーンでも、背景や意味合いが全く違うものです。

私はよく知らなかったのですが、このシーンは一次史料にはないようです。フロイスの叙述も伝聞体のようです。でも比較的近い時代の二次史料には出てくる。実際にあったかも知れないし、実際はなかったが、説得力を持つため二次史料によく使われたのか。そこはよく分かりません。しかしこうして印象的に映像化されると、謀反の「決め手」としての説得力はあるなと感じます。

さて、信長はどう「因縁をつけた」のか。「1の膳が間違っている」ということでした。フルコースのうちの「1の膳」になんらかの間違いがあったと、因縁をつけたわけです。いつもは鯛が腐っているとか言う因縁なのですが、本日は膳のあり方でした。

最近読んだ本に、「信長以降、膳のあり方が簡略化された」と書いてありました。有りていに言うなら「面倒なことはやめよ」ということです。天下人がそんな感じなんで、随分とフルコースのあり方が変わったということでした。

「面倒なことはやだな」というのは信長の大きな特徴のように思います。「やれるけどやらない」という信長のあり方を表している気がします。

よく指摘されるのは斎藤道三との会見です。いつもの服でやってきて正装に着替え、道三を驚かせるわけです。「正装なんてできるよ、でもやりたくない」という信長の特徴を示しているとされます。

「儀式を見ると、荘厳と感じるより、可笑しくなってしまう」、、、実は私にもそういう傾向があるのですが、信長もそういう傾向が強かったように思います。

朝廷との付き合い方などもそうです。学者さんが「信長は紙の使い方ひとつでも、当時の礼法を立派に守っていて、実は保守的だ」とか言うわけです。保守的でも構わないのですが、それって「信長の性格じゃないでしょ。やればできるからやってるだけは」とは思います。「やれないわけではない」ので、「朝廷や幕府の礼法なんて、知識持った者に命令すればできるよ」というところは見せるわけです。でも本音では「メンドくさいな」と思っていたふしがあります。実際に信長がやったのは「まあ田舎者とバカにされないように、相手に合わせて上質な紙を使っておけ。喜ばせておけばいい。」という命令ぐらいでしょう。

官位なぞもそうですね。左大臣になってくれと言ってもなんだかんだ言って断ります。なったら儀式があります。習えばできます。でも「習うのも面倒だな」と思っていたのではないか。官位問題はこんな理由だけで片付きませんが、1%ぐらいそういう理由だったのではないか。よく真面目な顔してあんな面倒なことできるよな、アホかと感じていたのではないか。

これと違って秀吉などは「習う」のですね。いくら独裁関白といっても礼法はあります。みっともないことはできない。だから熱心に習うのです。信長はさほど「熱心には」習った感じがしません。「膳のあり方」が簡略化されたのは、要するに面倒くさいからで、その信長のあり方は他でも見られる気がするのです。

「お前たちが大事に思っている礼法なんて、お前達にしてからが人に習ったものであり、習えば誰にでもできるけれど、あまり意味はないよな」という信長の声が聞こえてきそうな気がします。

この文章、なんの根拠もなく、ただ思い付きで書き散らかしているので、あとで反省して削除するかも知れません。

最後に一つだけ真面目なことを書くと、こういう面倒くさい礼法を取り入れることで、徳川幕府は長く存続しました。信長も政権を作っていたら、好き嫌いに関係なく、取り入れたかも知れません。

明智光秀のハッピーエンド・光秀の死とともに一つの時代が終わる

2021-01-31 | 麒麟がくる
光秀の死とともに、ひとつの時代が終わる。戦国と呼ばれ、乱世と呼ばれた時代、一介の油商人山崎屋庄九朗が、美濃一国の主、斉藤道三となりえた時代、尾張のうつけと呼ばれた悪童が、天下の権を握りえた時代、人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織り成した時代は、ここに終わりをつげる。そして歴史は中世の破壊から近世の建設へと、新しき秩序を作る人々を迎え入れようとしていた。

大河「国盗り物語」、最後のナレーション

「光秀の死とともに一つの時代が終わる」という言葉に「感動」したのは、総集編のVHSビデオを見た時です。特に感動したのは「人が力と知恵の限りを尽くし、国盗りの夢と野望を色鮮やかに織りなした」の部分でした。

小説の「国盗り物語」の方は小学6年で初めて読んだと思います。原作には上記のような言葉はでてきません。それでも「光秀以前と光秀以後で時代が変わるのだ」とは思っていました。つまり明智光秀は小学生の私にとって「一つの時代を終わらせた凄い武将」だったのです。だからその後の大河ドラマを見ながら、光秀の扱いがあまりに酷いことをずっと悔しく思っていました。ブログにも「国盗り物語がリメイクされたら、光秀の評価は一変する」と書いたこともあります。そしてリメイクされ、それは特に後半、国盗り物語とは全く違う作品にはなりましたが、光秀の評価が一変した、ことは間違いないと思います。

それをもってハッピーエンドとは言えませんが、これで未来の大河脚本家は、光秀を軽んじることはできなくなったとは思います。(実際そうなるかはわかりませんが)

私は今も昔も司馬遼太郎さんのファンです。信長のファンで、かつ光秀も好きです。しかし司馬さんファンだからと言って「信長は革命児だ」という気はありません。信長の魅力はそんなところではないのです。ただ小声で「合理主義者だぞ」とは言いたくなります。しかし合理的でない面も信長は多大に持っている気もしてきています。変な人です。
ちなみに司馬さんは信長があまり好きではない。「国盗り物語信長編」は出版社の依頼でいやいや書いたものです。だから視点人物が十兵衛になることが多い。ご本人も作中で「気が緩むと光秀の話ばかりになってしまう」と「いう趣旨のこと」を書いています。

信長については随分と学者さんの本を読み、ある程度の史実はわかっている「つもり」です。そして史実が分かればわかるほど、司馬さんの「描こうとした」ことがよく理解できるようになりました。史実を知るほど、小説の魅力もまた高まるのです。蛇足ですが、史実か否かより実は「文章の格調とか韻律」と言ったものに私は惹かれます。あの文体は真似できません。

私は研究家でも学者でもないので「研究に終わりはない」とか言う資格はありません。あえて言うなら「趣味に終わりはない」というところです。光秀はあまりに史料がないため、よく分からない武将ですが、信長も「知れば知るほどわからなくなる武将」です。「何を考えているのだ、そもそも考えているのか」という点が多々あるのです。例えば政権構想です。あのまま信長が生きて、信忠の後見として政権を作ったとして、どんなものになるのかほぼ分かりません。秀吉の方向に行ったかも知れないし、結局は足利幕府と同じ体制になった可能性もあります。歴史は一人の英雄が作るものではないとすれば、民衆の集合意思と商業経済の発展によって、江戸体制に近いものとなった可能性もあるでしょう。この点についてもっとも「踏み込んでいる」のは藤田達生さんで、ご本を読みながら「思考中」ですが、何かを書くほどの段階には私自身はありません。

分からないから考える。それが楽しいわけです。「麒麟がくる」によって、私の中ではますます光秀も信長も「わからなく」なりました。ただ知識だけが多少増えていくだけで、まとまらないのです。だから楽しい。しかも2023年には「どうする家康」があります。また考える時間がある。なんと楽しいことかな、と思います。

豊臣秀吉や徳川家康のように「近世を確立させた」わけでもないのに、あんなに人を殺したのに、信長は日本における大スターです。幸福な武将といえるでしょう。光秀が今後どうなっていくのかは分かりませんが、「光秀の気持ちは分かる」という人間は確実に増えていく気がします。うまくまとまりませんが、光秀も運のいい武将です。

「麒麟がくる」・第三十九回・「本願寺を叩け」・感想

2021-01-03 | 麒麟がくる
朝の4K放送を見ての感想ですので、ネタバレに気をつけてください。

1,天王寺の戦い

1576年、天正4年の本願寺の戦いですね。本能寺は1582年です。あと6年。でも回数はあと5回。

さて、染谷信長の一層狂気に磨きがかかってきます。帝とも「毛利を助けるなら知らないよ」と冷たくなっています。また目の光が消えています。
天王寺方面での本願寺攻めがはかどらないことに怒り狂います。それで雑賀鉄砲隊の前に身をさらす。酒でも飲んだらまるで上杉謙信です。
結局足に玉を受けます。それを十兵衛が救いますが、十兵衛も過労?で倒れてしまいます。丹波攻略の最中も、あちこちに転戦しているのです。
信長の暴走にだんだん人々が離れていくような演出でした。

史実は、まるで違います。信長は少ない兵を持って本願寺勢を追い詰めていく。信長が主人公なら「信長の晴れ舞台」になるような出来事です。足に負傷は本当です。
この時点でも信長は先頭に立って、相手にきりこんでいくのです。

2,十兵衛の病

危篤になりますが、ひろ子の願掛け行為で回復します。駒も東庵も活躍します。あ、これはひろ子さん死ぬなと思ったら、最後に亡くなってしまいました。

3,信長、光秀を見舞う。

信長は九鬼水軍で毛利を叩けば、本願寺が窮すると言います。「たま」とも出会います。結婚の仲介をしてやろうと言います。芦田愛菜さんです。恐ろしくたぬき顔の「たま」です。
信長も「たぬき顔」です。安土城が話題になります。
秀吉は光秀に「殿も少しはこりただろう」とか言っています。

4,徳川家の事情の説明

徳姫が徳川に嫁いでいること。織田はあまり徳川に関心がないことなどが「説明」されます。
築山殿が「織田様は本願寺を叩くなど、またしても神仏を恐れない」とか普通のことを言っています。
菊丸が織田家は家中一体ではない、頼るべきは十兵衛と言います。

5,病のひろ子さん

左馬之助と駒がいろは太夫を招いて、太夫はいませんが、慰労をしています。

来週は「松永久秀の平蜘蛛」、、帰蝶が出ます。

あと6年で、5回、しかも来週は松永久秀が主役。私としては戦闘シーンはなくてもいいから、もうちょいと戦いの説明が必要と思います。
ナレーションが「天下静謐」と言ったり「天下布武の印のもと」と言ったりしているのが面白いと思いました。小和田さんは「天下布武」でしょう。
しかし「天下の静謐」も使わないと「新しい感じ」が出ない。数年後、きちんと「天下平定」で「the信長」をやってほしいと思います。

「麒麟がくる」・第三十八回・「丹波攻略命令」・感想

2020-12-27 | 麒麟がくる
4Kを見ての朝の感想です。ネタバレに注意してください。



1,三淵の切腹、ガラシャ、芦田愛菜の登場

助命を求めるという十兵衛の言葉を断って、三淵が切腹します。その前に、芦田愛菜、ガラシャと花を活けたりしています。ガラシャ、小さい。それに圧倒的に子供だ。

2,斎藤利三のこと

天正2年、秋のようです。河内での三好、一向一揆との戦いが数秒流れ、斎藤利三が稲葉から逃げてきます。馬で争ったとか、草履を顔に投げられたとか、私怨です。
十兵衛を頼った理由は「延暦寺で女子供を助けたから」、、、うーん、美化が過ぎるかと。

3,バテレンと信長と光秀

信長はバテレンと会っています。数秒のシーンです。
稲葉に斎藤利三を返せという信長、十兵衛は断ります。さほど怒っていません。
そして丹波攻略を命じます。何年かかってもかまわないと。十兵衛にコンペイトウをやったりします。

4,朝廷と誠仁親王、譲位を願う正親町天皇

誠仁親王が登場します。今日は登場ぐらいです。

譲位して上皇になることを願ったのは正親町天皇という設定です。信長は金を出す役割、ただ今ちょっと苦しいとも言います。基本的には譲位してほしいという感じです。

二条関白が譲位を利用して信長と近づいている、となっています。ちょっと理解ができないかな。

「関白と近づいては足利と同じだ」と天皇は言います。譲位したいのかしたくないのか、はっきりしません。二条関白にどんな得があるのか。はっきりしません。
とにかく、二条が悪者みたいです。でもどうして悪者となのかよく理解できません。

5.近衛前久は丹波にいる

近衛前久なら二条関白を抑えされると太夫は言います。だからどうして関白が悪者なのか。何を抑えるのか。
十兵衛は菊丸とともに丹波に向かいます。
近衛前久は本当は信長が好きだと言います。ということで本当に対立しているのは「近衛前久VS二条」ということになります。これはまあ史実です。

でもどうしてその対立に天皇や三条西が乗っかって、暗躍するのか、、、どうもわかりません。

加筆しますが、とりあえず以上です。

「麒麟がくる」・第三十七回・「信長公と蘭奢待(らんじゃたい)」・感想

2020-12-21 | 麒麟がくる

1、足利義昭あっけなく追放、秀吉は江戸時代の奉行様か

旧二条城に籠った三淵も、槙島城に籠った足利義昭も、あっけなく敗れます。足利義昭追放の担当は秀吉です。「引ったてい」と言います。江戸時代の奉行様か?

さすがに「引ったてい」をやった大河はありませんでした。「信長KING OF ZIPANGU」では「一同が深く礼」をするなか義昭退場です。「黄金の日日」でも「はかなげな演出」があります。「国盗り物語」では信長が「もはや将軍などは無用の特権と思し召し、余生を風雅の中にお暮しなされ」と言います。

いずれも「丁重」です。「引ったてい」は「すごいな、掟破りだ」と感じました。秀吉が少しかわいそうでした。どこまでも悪役です。

2、朝倉義景の最期・切腹

最期と言っても「わしは朝倉宗家なるぞ」と言って「おしまい」です。それなりに威厳を保ちましたが、これももうちょっと「丁重に」できなかったかと。裏切った朝倉景鏡、ベロ出してました。どういう演出意図だろ?

3、駒と義昭の会話

「あくまであきらめない義昭」を描いていました。史実でもあくまであきらめません。この将軍は金に汚いと信長に非難されました。その非難の「つじつま」を合わせるため無料診療所を作りたい設定にしたわけですが、その後無料診療所は全く発展しなかったと思います。

4、蘭奢待の切り取り

正親町帝を後白河法皇のような「大天狗」として描くのじゃないかと予想していました。「小天狗」ぐらいには描いていたようです。どっちも史実とはかけ離れますが。
信長は「蘭奢待を切り取って送れば天皇が喜ぶ」と考えますが、正親町帝は「関白に送って毛利にやってしまえ」と言います。史実としては九条稙通に「おすそわけ」しています。

史実としてはさほど怒ってはいなかった。ただ開封の手順を巡っては、関白二条さんに怒ったとされます。ちなみに毛利はこの時期織田家とは良好なので、敵に送ったことにはなりません。

ドラマの正親町帝はこのあたりから「あれ」と思うようです。信長と齟齬が生じる。信長は誠仁親王を帝位につけようとするのか。個人的には「蘭奢待」より「義昭追放時に京都を焼いた。内裏にも火が迫った。」ほうが正親町帝にとってはずっとショックというか、危機感を感じたと思います。信長はそれなりに朝廷を尊重していたのは史実ですが、この「上京焼き討ち」を重く見るなら、フロイスに言ったという「内裏、天皇より幕府より私の意見が最優先される」という言葉も、フロイスの嘘とまでは言えない気がします。信長はキリシタン追放の正親町帝の綸旨は無視しています。ドラマと史実は違います。当たり前の話ですが。蘭奢待についての詳しい内容は以下をご覧ください。蘭奢待(らんじゃたい)と信長と三条西実澄・信長と正親町天皇の関係は「対立」なのか「協調」なのか。

最終回の予想はこちら。麒麟がくる」・第44回・最終回・あらすじ・予想・加筆前提
以上。

蘭奢待(らんじゃたい)と信長と三条西実澄・信長と正親町天皇の関係は「対立」なのか「協調」なのか。

2020-12-15 | 麒麟がくる
蘭奢待(らんじゃたい)というのは、東大寺正倉院に伝わる香木です。正式には「黄熟香」です。植物名は沈香です。ジンチョウゲ科。156センチあるそうです。

1574年、天正2年3月28日、織田信長の要請によって「切り取られ」ます。信長の前に切り取ったのは8代将軍足利義政です。信長の切り取りは110年ぶりぐらいのことです。

切り取るには「手続き」がいります。東大寺の別当(長官)に天皇が勅命を出すのです。しかし、東大寺別当は空席でした。それやこれやで色々混乱が起きます。この時「聖武天皇の憤りが思われ、天道に照らして恐ろしきこと」という文章を正親町天皇が書いたとされ、信長と天皇に「対立があった」ことの「一つの例」とされてきました。聖武天皇は正倉院の御物を残した、大仏で有名な人です。

信長と天皇が対立していたという説は、一見すると信長の優位性を示すように受け取られるかも知れません。しかしこの説が力点を置くのは「対立していたが正親町帝が勝った」「正親町凄いぞ」ということ(が多いの)です。朝廷には信長と「対立可能な」十分な実力(権威や文化の力・天皇の力)があるというわけです。それに対して「協調していた」という説は、朝廷や天皇の力を過大評価しません。むろん「論者によって様々」で「この法則に当てはまらない方もいます」が、基本的には「協調していた」の方が「朝廷、天皇は弱かった」という説になっていく「場合が多い」のです。この文章の最後の部分にちょっと図式化して「注」を載せておきます。

しかし上記の文章は確かに存在するのです。それを正親町帝が「案」を書いたとすると、「少なくとも不快に思っていた」とは言えるわけです。しかし東大の金子拓さんは「これは正親町が案を書いた文章ではなく、三条西実澄が案を書いた文章だ」とし、その見解は支持を得ているようです。なお金子さんの説を引用する時は「織田信長天下人の実像」2014年を参照しています。三条西さんは、麒麟がくるの「おじいちゃん公家」です。

どうして誰が「案を」書いた分からないかというと、宛先がないからです。文章の性格としては「内奏状案」です。わかりにくい。ずっと正親町帝が案を書いたと思われてきたが、よくよく検討すると、三条西さんが案を書いたとしか思えないとなったわけです。

では正親町帝もしくは三条西さんは何と言っているのか。問題の文章の現代語訳を少し書きます。訳は金子さんの訳を私が「意訳」したものです。金子さんの「原文」ではありません。
長いので写すのが大変なんです。だから「あらすじ」を書きます。内奏状案の原文そのものも読みましたが、ひらがなばかりで、活字でも読みにくいこと限りありません。

1、蘭奢待の開封は、長者宣のはからいに属するものではありません。(藤原の長者、二条晴良の判断に任せていいものではない)
2,女房奉書も思いもしない文言である。(こんな文章では駄目だ)
3,信長の申し出は前例がないことであるが、もうちょっと勅許の出し方を考えたほうがいい。
4,(ご意思表明につき)ご談合もなかったから、どのようにも沙汰ありたいようになさったらどうか(相談なしなのだから、好きにすればいいけどね)
5,公家一統がはじまったのに、先が思いやられる(院政が実現しそうなのに、または朝廷がやっとまとまったのに、困ったもんだ)
6,あきれて言葉もでない。
7,勅命と勅使が必要なのに、藤原氏の氏寺である興福寺の扱いとしているでしょ
8,天皇家の寺に対してなさったことは、聖武天皇の憤りが思われ、天道恐ろしきことです。(聖武天皇の憤り、天道恐ろしきこと)

私の「意訳」です。私が間違っている可能性はありますが、故意に改変はしていません。カッコ内は完全に私の読み方です。

「なるほど」です。「天皇に対して言っている」ように見えます。金子さんの見解では、三条西さんが正親町帝に怒っているらしいのです。中頃の「好きにすればいい」とかかなり強烈です。このお二人、たしかばあちゃんが姉妹です。朝廷内の「手順の問題」ということになるのでしょうか。

ただ私がもう一人、よく参照させていただく、公武結合王権論の堀新さんは、「現代思想」2020年1月で「正親町天皇の怒りの対象は信長ではなく、関白二条晴良だった」と書いています。すると文章の主はあくまで正親町帝となるのか。「ああそうもとれるな」と思います。成立するようにも思います。ただ困るのはこれを金子さんの説として紹介していることです。金子氏が2015年の学者さん向けの書物で見解を変えたのかも知れませんが、また調べて加筆します。ということで、2015年の金子拓さんの「織田信長権力論」を見ましたが、論は変えていません。「筆跡」も三条西さんということです。

いずれにせよ信長への怒りではないということは変わりません。

こんな風に「筋を通せ」と言っている(可能性がある)三条西さんですが、堀新さんによると(信長徹底解読、2020年)、この後、勅命は東大寺別当に下すものだ、東大寺別当は今いない、だったら私の子供(小さい子みたいです)を東大寺別当にしろと言っていて、実際そうなります。「お手盛り人事」と指摘しています。

さて信長から離れました。信長はこの時、慎重に手順を踏んでいる、らしいのです。奈良で切り取ったのですが、3000人の兵を連れて、治安も守り、強制、強要のたぐいはないそうです。対立はないというのが、私がよく参照させていただく学者さんの見解です。

蛇足、私見
でもどうなんでしょう。そもそも「見たい、切りたい、かいでみたい」という要請が「当時の朝廷の意識では前例なきこと」なわけです。手順を踏めば何やってもいいということではないでしょう。
しかも当日でしょうか。3000人も兵を連れています。「治安維持名目の示威的軍隊出動」って、今でもよくあることで、いくらお行儀が良くても、示威行動と感じる人もいるでしょう。
そして正親町帝がそれを不満に思っても。その不満を外に示すことはできないでしょう。ただし、奈良ですから、松永久秀の本拠で、実際治安はよくなかったとは思われます。
この時期の信長は「将軍追放直後」で、将軍並の威光が必要でした。足利義政のやった蘭奢待開封をやることに意義を感じたのかも知れません。晩年にはない官位上昇志向もあったようです。官位上昇志向は、義昭を「ちょっと追い抜いた」時点で止まるようです。

私は「無理やり対立構造を作ろう」としているわけでもなく、まして「対立があって正親町帝が、または信長が勝った」と言いたいわけでもないのです。
ただ「対立はなかった。あっても本質的ではなかった」という考えが、すんなりと心に入ってこないのです。何十年も「そこそこ対立だろ」と思っていたのです。
堀新さんの公武結合王権論はとても魅力的だと思っています。読んでいて気持ちがいい。金子さんの篤実な実証も尊敬すべきものです。感嘆すべきと言ってもいい。ホント、死ぬほど大変な作業だと思います。私なんぞ「参考にしまくり」です。でもだからと言って「はい、そうですか」とはなりません。「考え中」です。素人なので「考え中」の方が楽しいのです。

注 単純に図式化すると
1,協調していた、朝廷の力は弱かった
2,協調していた、朝廷の力は強かった
3,対立していた、正親町、朝廷が最後は勝った
4,対立していた、信長が勝っていた、ただし信長は朝廷を尊重していた
5,対立していた、信長が勝っていた、信長は朝廷を軽んじ、朝廷は途絶える可能性があった

「麒麟がくる」・第三十六回・「訣別(けつべつ)」・感想

2020-12-13 | 麒麟がくる
今回は良かったと思います。文句書きません。

1、帝と十兵衛の対面

荘厳すぎて「疲れました」が、この程度の「抑制のきいた描き方」はいいと思います。ただ疲れるので、やっぱり関白ぐらいが天皇の意志を代弁してくれたほうが助かります。あっ、関白二条はコヤブさんか。関白は松重豊さんぐらいのベテラン俳優がよかったかと。

2、藤吉郎の気になる言葉

「柴田様、佐久間様は、信長の殿におもねりすぎ」、、、おもねる、、機嫌を取って追従を言うこと、、、藤吉郎が言うのか、、、秀吉黒幕説だけはやめてほしい。黒幕説は明智光秀への冒涜。「光秀ごときに単独行動ができるか」という考え。いやな予感がします。でもでもでも。
でもおそらく「信長と秀吉は違った存在」という最近の論を受けてのことだとは思います。「秀吉は信長の遺志を継いだわけでなく、オリジナル性の高い政治家である」ということでしょう。そっちだろうと思います。「かつての明るく陽気で人たらし」だった藤吉郎が、ドラマの上でどんどん不気味な男になっていく。

3、将軍様に剣の指南

長い尺です。回想シーンまで含みます。「なんだこの長い尺は」と思いつつ見ました。「義昭と十兵衛の絆が回復する」ととりました。訣別しても絆は消えないと解釈しました。あんなに身をかわさなくても、せめて剣を受けてやればいいのに。

4、煕子との坂本城でのシーン

ほのぼのシーンも必要です。十兵衛には「友達も一人もいない」、細川でてこない。側近も出てこない。相談相手がいない。煕子さんしかいないのです。コロナでみんないなくなってしまいました。

5、反省する信長

信長にも迷いがあったことは史実なので、「鳥」でそこを表現したかったのかも。最後まで迷ったのは確かなようです。追放後も帰京交渉とかあるのですが、義昭さんが条件だすから、藤吉郎がNOを突きつけます。それで本当の訣別。ここから織田側の窓口は藤吉郎でした。でも義昭さん、追放ぐらいで「めげる」人じゃありません(史実では)
考えてみるとすごいバイタリティー。「殺されはしないご身分」だから、何でもできる。鞆は描くのかな。

6、義昭との涙の別れ

義昭が後醍醐で、十兵衛が足利尊氏でしょうか。これでやっと物語が動いていく。長いよ元亀年間が!でも十兵衛、あまり泣いてばかりではダメだ。へたするとずっと涙を見せられることになります。頑張ろう、十兵衛!

今回はやや安心して見られました。この数回、私は文句ばっかり言ってきたけど、このまま「いい感じ」でテンポよく進めてほしいと思います。「蘭奢待」はどっちの説でいくのか。正親町プンプン説かなと予想しています。三条西さんも信長に怒るのでしょうね。史実では怒りの対象は違う(らしい)のですが。

「麒麟がくる」・第44回・最終回・あらすじ・予想

2020-12-12 | 麒麟がくる
「麒麟がくる」の最終回はどこにも載っていません。従って「完全に私の予想」ですが、史実を含めてネタバレがあるので、気を付けてください。徐々に加筆します。
最終版の予想はここにあります。麒麟がくる・最終回・第四十四話「本能寺の変」・あらすじ・予想・多少ネタバレ・最終版

間をおきます。予想は12月12日にしたものです。「義昭、迷いの中で」が放送された段階です。

当然ながら、史実ではありません。ただ一部は史実です。

天正10年=1582年6月2日が本能寺の変の日付です。

1582年 本能寺の年

光秀は55歳となって疲れています。というのも信長は京都の政治には興味がなく、全てを十兵衛に任せているからです。土地をめぐる訴訟で、十兵衛は多忙を極めています。(史実としては京都代官は村井さん)
織田家の京都における筆頭者は信長の息子の信忠です。

1、十兵衛は信長に不満を持っていました。「義昭追放」「松永討伐」など、思い出すだに「自分が不甲斐ない」と思う日々です。

2、信長は正親町帝にも不遜な態度をとることが多くなっています。帝への挨拶など「信忠がやっていればそれでいい」という事です。関白の近衛などにも「大きな態度」で上から臨んでいます。

3、信長は天皇に「ほめらること」にも飽き、ただ「戦争をして勝つ、相手を滅ぼす」ことに夢中になっています。帰蝶もそれを止められません。

4、四国、長曾我部との「仲介」は光秀でした。しかし信長は約束を反故にして四国討伐を決めます。それもただ「息子の信孝に武功を上げさせたい」というだけの理由です。十兵衛は反対しましたが、頭ごなしに怒鳴られ、却下されます。(本能寺の原因1)

5、信長のこうした態度の後ろには藤吉郎の影が見え隠れします。藤吉郎の色眼鏡でみた情報を、信長に流しているようです。

6、「たま」とのひと時が光秀の心の支えでした。光秀はもう自分は引退し、たまの婿である細川忠興ら、若い者が国を担うべきかなとも考えます。

7、そんな中、信長は「暦の問題」にまで口を出すようになります。「暦」は「時の支配者」としての「天皇の大権」でした。「天皇の大権」にまで介入してきたことに十兵衛は衝撃を受けます。(本能寺の原因2)

8、この年、ついに武田勝頼を滅ぼします。十兵衛は信長に従軍して甲斐へ向かいます。そこで衝撃的な事件が起きました。信長が「武田勝頼の首」を面罵した上、足で蹴飛ばしたのです。武士の誇りを平気で傷つける信長を見て、十兵衛の中で打倒信長の決意が芽生えてきます。(本能寺の原因3)

9、十兵衛家臣の斎藤利三は稲葉のもとから出奔してきた男です。稲葉からは返せという要求が信長に伝わっています。一度は解決した問題でしたが、稲葉の要求で、信長はまた返せと十兵衛に命じます。返したら斎藤利三は殺されます。「6月中に返せ」というのが信長の命令です。いよいよ十兵衛は追い詰められます。(本能寺の原因4)

10、十兵衛はそれでも信長を見捨てられません。最後の願いとして「幕府を開く」ことを要望します。「武士は幕府なしでは生きられない」、しかし信長はそれを否定します。朝廷や征夷大将軍とは関わりのない、スペイン王のような「専制君主」を信長は目指していました。拠点は安土です。宣教師からその知識を得ていたのです。朝廷をつぶしたりはしない、帝は京でただ祈っていればいい、と信長は言います。そして今の帝に変えて、お気に入りの誠仁親王を帝にするつもりだと言います。(本能寺の原因5)

11、十兵衛の気持ちなど知らず、信長は「上洛した徳川家康の接待」を命じます。家康と深く話をした十兵衛は、家康もまた「武士の誇りを守るため幕府を開くべきだ」と考えていることを知ります。「幕府は武士のためにあると思っていたが、帝を守り、殺戮を避け、日本を平和に統治する仕組みなのだ」と十兵衛は気が付きます。自分の謀反が失敗した場合、後継者は家康だと十兵衛は思います。この接待の場では信長による光秀への暴力があったと書く二次史料があります。これも採用されるでしょう。

12、5月末、信長と信忠が京に逗留することを知った十兵衛は、謀反を決意します。気になるのは帰蝶です。しかし当日帰蝶は本能寺にいないことを確かめます。

13、十兵衛は「駒だけに」、この計画を漏らします。「十兵衛様がやりたいようにするのが正しい」と駒は言います。

14、6月2日、早朝、光秀は本能寺の変を起こします。ところがいないと思っていた帰蝶が本能寺にいることを知ります。燃え盛る炎の中、十兵衛は叫びます。「帰蝶さま、信長さま!」、本能寺には駒の姿もありました。帰蝶の死は光秀の心に気がついていた帰蝶なりの責任のとり方でした。(この展開はあまりに悲しいので、やめてほしいと思っています)

15、十兵衛は「自分が征夷大将軍になって朝廷と日本と武士と民を守る」つもりでした。朝廷も十兵衛の行為を認めます。またはある程度時間をおいてから信忠を推すつもりだったが、信忠が頑強に抵抗したため、心ならず討ち取ったという展開もありえます。

16、堺にいる家康は十兵衛から文を受け取ります。伊賀を越えよ。明智の兵は決して襲わないと書いてありました。家康は十兵衛を信じてみようと思います。

17、本能寺を知った秀吉が、中国方面から「大返し」をしてきます。決戦地は山崎でした。細川藤孝は信長の恩を理由に味方になることを拒みました。それも仕方なしと十兵衛は考えます。

18、十兵衛は破れ、坂本に向かいます。OPと同じ映像が流れます。やがて小栗栖の里で農民の竹やりによって致命傷を追います。最期をみとったのは菊丸でした。十兵衛は言います。「家康殿にあとは任せた。家康なら必ず麒麟がくる世を作れる」。菊丸は深くうなづきます。

19、時は移って、1615年。大阪の陣が終わります。駒と菊丸は十兵衛の思い出を語ります。「これでやっと十兵衛さまが描いた麒麟がくる世がやってくる」、二人は笑顔でした。

20,光秀は亡くなりました。帝も、公家も、細川も、家康も表立って光秀を支持することはできません。しかしあの秀吉ですら、「心の底では」、光秀が新しい時代を開いたことがよくわかっていました。ナレーションが入ります「十兵衛光秀は死なない。世の平穏を願った光秀は今も生きている。生き続けている」。

以上。わたしが書いた、光秀天海説に基づいて「みんなを生かしてしまう小説」もありますので、よかったらどうぞ。

麒麟がくる・スピンオフ・「天海光秀、信長と再会す」・「明日を捜せ!」

蛇足
1、駒と帰蝶の運命は全く分かりません。完全に私の創作です。光秀が炎の中で叫んでいるのは「帰蝶さまー」だろうと考えたわけです。
2、四国問題、「ただ信孝に武功をあげさせたい」なんて史料はありません。
3、暦問題、天皇大権を犯していないと、最近はよく言われます。時代考証の小和田さんは「それは多少疑問だ」としています。
4、信長が正親町帝に礼を欠いた、ということはなさそうです。そもそも「正式には」一回も信長は参内していません。嘘みたいだけど本当らしいのです。さらに官を辞してからは、任官は避けており、朝廷とは距離があったように私は感じています。蘭奢待で多少信長と天皇は齟齬を生じたという設定みたいです。でも「朝廷」がやるのはせいぜい本能寺の「教唆」でしょう。なぜなら「大河は黒幕論を採用したことが過去にほぼない」からです。「おんな城主直虎」ぐらいか。「利家とまつ」も「秀吉が知っていた感じ」にしてました。それぐらいでしょう。黒幕論と大河は相性が悪いのです。
5、斎藤利三を「6月中に稲葉に返せ」、、、そんな史料はありません。
6、関白近衛への無礼は甲陽軍鑑です。昔は俗書でしたが、今の扱いはちょっと違います。
7、勝頼の首を蹴飛ばした、史料は細川家の「綿考輯録」(めんこうしゅうろく)です。私のネタ元は小和田さんです。
8、スペイン王のような専制君主、、、ネタ元はありません。神になるという自己神格化そのものは描かず、それに近い皇帝願望を描くと想像しました。これはないでしょうね。
9、どうして十兵衛が幕府再興にそこまでこだわるのか。私にはよく分かりません。ただ小和田さんはそう書いています。これから考えます。
10、平氏の信長が将軍になることを阻止しようとした、小和田さんはそう書いていますが、採用されないと考えました。
11、誠仁親王を天皇にする。正親町帝に譲位をせまる。一般には「上皇になれるので、正親町帝は大歓迎」とされます。
13、細川藤孝の「理由」をどう設定するのか。面白いところだと思います。
14,言わずもがなですが、「伊賀を越えよ」なんて手紙あるわけありません。

NHK「大戦国史」・織田信長の「自己神格化」・日本側に史料がないのは当然のこと

2020-09-27 | 麒麟がくる
NHKの「大戦国史」、私はどんな史料からも、一次でも二次でも、戦国遺跡でも、フロイスの「日本史」でも、あらゆる史料から真実を掘り出すのが当然だと思っているので、大変面白く思いました。

「織田信長の自己神格化」については、日本側に史料がないこと、宣教師の叙述に「偏見」があること、天皇とのかねあいがややこしくなること、そもそもフロイスの日本史を原語で読める人など滅多にいないこと、などが理由でしょうか。否定的な見方をされてきたわけです。

それに対してNHKは「検討すべきだ」と訴えているように感じ、その態度自体は適当なものだと思います。私はクリスチャンじゃないですよ。

日本側に史料がないのは当然で、日本人にとって神となることなど「たいした問題ではない」からです。信長以前には菅原道真、崇徳天皇、平将門などまあ「そこそこ」いますし、徳川家康も豊臣秀吉も死後神になりました。光秀を「祀る」神社もあります。「まつる」という次元で考えれば、神になった人間などウヨウヨいます。

だから信長が神になっても、しかもそれが生前でも、たいした問題ではない。「あっそう」ぐらいの事態です。特に書き残すべき事態でもなかったでしょう。と予想します。

後述しますが、神になったからと言って、日本では「人が支配できる」わけではない。神の代理人、司祭や使徒とは違うのです。実際、天皇はこの時代、神だったかも知れませんが、「人を支配」はしていません。「人を支配する神」かどうかが非常に大きな問題です。

西洋人にとって自ら神になることは、唯一神への挑戦です。驚天動地の出来事です。ところが日本人にとっては、たいした問題じゃありません。そもそも日本では死ねば仏になるのです。神仏習合なら、死ねば神になるということになります。

信長は無神論者ではない、なんて言い方もされますが、それも当然で、当時の西洋人にとって「無神論者」であることはキリストやヤハウェへの挑戦です。いや社会への挑戦と言ってもいい。

しかしキリスト教国でなく、多神教の国である、しかも「神も仏も同じ」(神仏習合)という国である日本には、「無神論者は存在できない」というか「無神論者かどうかなんて問い自体が成立しない」のです。

日本の代表的キリスト教神学者である加藤隆さんは「西洋、キリスト教国家権力、人間集団」の本質を「人による人の支配」だと考察します。キリスト教国家は「神による人の支配を目指したが、結果として出来上がったものは神の代理人である人が、人を支配する社会であった」と。

これは特殊な用語で、いわば主人と隷属者の社会を表します。「強い支配」という意味で使われます。一部の者が特権(例えば多額の金銭)を持ち、多くが特権者に奉仕するような形で存在する。日本社会にはかつては、ある一時期を除いては、なじまなかったものです。グローバル化以後、徐々に日本でも「人による人の支配」が強まっているように感じます。そのことへの漠然とした違和感が「上級国民・下級国民」という言葉を生み出したのかも知れません。

さて信長は、キリシタンにはなりませんでしたが、キリスト教へは強い興味を持ちました。当然、キリスト教国家の政体、支配形態について聞くこともあったでしょう。そして「人による人の支配」、「神の代理人による支配」について何か感じることもあったかも知れません。そして自己神格化へ興味を持った。全くありえないこととも思いません。そもそも宗教への関心が高い人です。安土宗論なんぞもやっている。宗教をいかに「政治に利用するか」について、かなりの関心を持っていた人間だと思います。

強引に「まとめる」と、

人々にとって信長が神になることは、ああそうぐらいの問題であった。「生き神様か、ありがたや」程度のこと。しかし信長は西洋的=キリスト教国家的な意味、つまり「人が人を支配する」原理としての神格化を考えていたのかなと。

後半は全て「かも知れません」と書いているのでお分かりでしょうが、この意見を人に押し付ける気はありません。まだ思考中の問題であり、私が考えてみたい。ただそれだけです。フロイスの「日本史」は極めて具体的な記述に満ちており、信長公記のそっけない記述とは比べるべくもありません。しかも後輩の為に、後輩の布教の「たし」になるよう書かれたものです。そこに故意に嘘を書くでしょうか。困るのは後輩です。もちろん変な記述はありますが、それなら信長や秀吉の手紙だって、武威を誇るために「ホラばかり」書いています。ということで、予約しておいた「完訳フロイス日本史」が図書館に届いているようなので、あとで取りにいこうと思います。図書館が林立する東京のわが区にしてからが、所蔵図書館が1つしかないという現状。フロイスさん、許してね。