昭和40年代を「革命が起こりそうだった時代」と思っている方がいますが、それは幻想です。私が子供だった1970年代、日本にそんな雰囲気はありませんでした。自民党はロッキード事件等で、議席を減らしましたが、それでもずっと政権与党でした。その後もほぼずっと与党です。高度成長に浮かれていた時代です。むしろ資本主義バンザイという時代だったのです。
ただ60年代は分かりません。その頃の運動家である吉本隆明氏の文章などを読むと「明日にでも革命を起こそう」というノリで書かれいます。
実際は「戦後」と「貧富の差が究極の拡大を見せた昭和初期」の方が、ずっと社会主義革命の可能性は高かったようにも思いますが、実際の「雰囲気」は、生まれていないので分かりません。
社会主義革命とは別に、「昭和維新」とかいう右翼の方々もいました。これはちょっと怖かったですね。少年だった私は「頭のおかしい暴力的集団」だと思ってました。今でも「維新」とかいう人間は、反社会的な感じがして、到底好きになれません。昭和維新なんて226の青年将校が好んで使った言葉です。
今は老人の一歩手前ですから「革命なんぞ起きては年金がもらえなくなる」と思いますし、革命はおろか、台風だって来て欲しくありません。そういう「大変動」には、体がもう、ついていきません。
だから私は「革命好き」でも「革命好きの左翼のシンパ」でもありません。それに左翼の方々であっても、暴力的な革命など支持する人が今の日本にどれほどいるでしょうか。ほぼ0でしょう。「革命は好みじゃない」。それでも「承久の乱」は、日本が経験した数少ない「革命の一つ」だと思います。
「承久の乱は革命ではない」というのが、一部の学者において「一種のブーム」になっています。「平家も、鎌倉幕府も、貴族と同じで荘園を基礎にしたのだから、同じ穴のむじなで、革命勢力でもなんでもない」というわけです。
そんなこと言っても「荘園は当時の経済活動の基礎」ですから、革命が起きようと政権が変わろうと、「基礎にするしかない」のです。「生産様式の改革こそが革命だ」という「マルクス主義的革命理論」からすれば「革命じゃない」かもしれません。でも「革命」とは政権や王朝の交代を含む社会の大変動という意味です。少なくとも「易姓革命」とはそういう事態です。「マルクス的革命」でもないし、「生産様式の根本的改革」でもありません。中国では何度も「易姓革命」が起きていますが、戦後の共産主義革命を除くなら、別に「生産様式の根本的改革」などは起きていません。
つまり近代以前の「革命」とは、「政権交代ぐらいの意味」で、政権が「朝廷から鎌倉幕府に移ったのだから」、「承久の乱は十分に革命だ」と私は言いたいわけです。
もちろん「政権は朝廷から鎌倉幕府になぞ移っていない」と言う人たちの存在は知っています。でもやっぱり「そうかなー」と思うのです。別に「革命とは素晴らしい事態であり、社会がいい方向に改善した」と言いたいわけでないのです。「変化した」と言いたいのみなのです。「進化論」は退化も進化とみなします。そういう認識です。ただし江戸幕府の存在を考えるなら、結果としては「いい方向に変化した。あのまま貴族政治が続いていたらたまったものではない」とは思います。
話少し変わって
「易姓革命が起きないから日本は素晴らしいのだ」と「江戸時代の国学者」は言いました。しかし鎌倉初期の慈円(藤原摂関家出身)は、「易姓革命も起きないし、朝廷はただ衰退するのみだ。となれば、武士が政権をとったのも道理なんだろうな。嘆かわしいけど」と言いました。「易姓革命」は「王朝に徳がなくなった時、新しい徳がある王朝が誕生する」ことです。
鎌倉幕府は以仁王の令旨を思想的基盤として成立しました。あの令旨、「今のニセ王朝を倒して俺が天皇になる。壬申の乱で新王朝を開いた天武天皇に俺はなる。」と言っているのです。明確な革命の宣言です。以仁王は後白河院の息子ですが、天皇になる可能性は1ミリもありませんでした。で「武力で俺がなる」と思ったのです。鎌倉幕府はそういう思想的雰囲気のもとで成立しました。
明治になって幕府は倒れましたが、同時に朝廷もこの世からなくなっています。あれも易姓革命の一種でしょう。王朝の姓は全く変わっていないにせよ。
戦後になって「民主主義革命」が、アメリカ主導で起こり、天皇家の在り方もガラリと変わります。全く新しい象徴天皇になるわけです。「血筋」こそ断絶しませんが、根本的な変革であり、あれも「一種の易姓革命」と私には思えます。
日本に易姓革命が起きなかったわけじゃない。鎌倉幕府の開府で、政権主の「血筋」は変更された。やがて明治維新で立憲君主はもとの「天皇家の血筋」にもどり、でも近代化の矛盾でそれが限界を迎え、戦争が起きて崩壊した。戦後、天皇家の血筋は残ったものの、根本的な変更が起きた。まさに「革命」ではないか。そう考えれば「承久の乱が革命であることに疑いはない。革命とはマルクス的革命だけではない」と私個人は思っているのです。人にもそう思え、などという気はさらさらありません。
ただ60年代は分かりません。その頃の運動家である吉本隆明氏の文章などを読むと「明日にでも革命を起こそう」というノリで書かれいます。
実際は「戦後」と「貧富の差が究極の拡大を見せた昭和初期」の方が、ずっと社会主義革命の可能性は高かったようにも思いますが、実際の「雰囲気」は、生まれていないので分かりません。
社会主義革命とは別に、「昭和維新」とかいう右翼の方々もいました。これはちょっと怖かったですね。少年だった私は「頭のおかしい暴力的集団」だと思ってました。今でも「維新」とかいう人間は、反社会的な感じがして、到底好きになれません。昭和維新なんて226の青年将校が好んで使った言葉です。
今は老人の一歩手前ですから「革命なんぞ起きては年金がもらえなくなる」と思いますし、革命はおろか、台風だって来て欲しくありません。そういう「大変動」には、体がもう、ついていきません。
だから私は「革命好き」でも「革命好きの左翼のシンパ」でもありません。それに左翼の方々であっても、暴力的な革命など支持する人が今の日本にどれほどいるでしょうか。ほぼ0でしょう。「革命は好みじゃない」。それでも「承久の乱」は、日本が経験した数少ない「革命の一つ」だと思います。
「承久の乱は革命ではない」というのが、一部の学者において「一種のブーム」になっています。「平家も、鎌倉幕府も、貴族と同じで荘園を基礎にしたのだから、同じ穴のむじなで、革命勢力でもなんでもない」というわけです。
そんなこと言っても「荘園は当時の経済活動の基礎」ですから、革命が起きようと政権が変わろうと、「基礎にするしかない」のです。「生産様式の改革こそが革命だ」という「マルクス主義的革命理論」からすれば「革命じゃない」かもしれません。でも「革命」とは政権や王朝の交代を含む社会の大変動という意味です。少なくとも「易姓革命」とはそういう事態です。「マルクス的革命」でもないし、「生産様式の根本的改革」でもありません。中国では何度も「易姓革命」が起きていますが、戦後の共産主義革命を除くなら、別に「生産様式の根本的改革」などは起きていません。
つまり近代以前の「革命」とは、「政権交代ぐらいの意味」で、政権が「朝廷から鎌倉幕府に移ったのだから」、「承久の乱は十分に革命だ」と私は言いたいわけです。
もちろん「政権は朝廷から鎌倉幕府になぞ移っていない」と言う人たちの存在は知っています。でもやっぱり「そうかなー」と思うのです。別に「革命とは素晴らしい事態であり、社会がいい方向に改善した」と言いたいわけでないのです。「変化した」と言いたいのみなのです。「進化論」は退化も進化とみなします。そういう認識です。ただし江戸幕府の存在を考えるなら、結果としては「いい方向に変化した。あのまま貴族政治が続いていたらたまったものではない」とは思います。
話少し変わって
「易姓革命が起きないから日本は素晴らしいのだ」と「江戸時代の国学者」は言いました。しかし鎌倉初期の慈円(藤原摂関家出身)は、「易姓革命も起きないし、朝廷はただ衰退するのみだ。となれば、武士が政権をとったのも道理なんだろうな。嘆かわしいけど」と言いました。「易姓革命」は「王朝に徳がなくなった時、新しい徳がある王朝が誕生する」ことです。
鎌倉幕府は以仁王の令旨を思想的基盤として成立しました。あの令旨、「今のニセ王朝を倒して俺が天皇になる。壬申の乱で新王朝を開いた天武天皇に俺はなる。」と言っているのです。明確な革命の宣言です。以仁王は後白河院の息子ですが、天皇になる可能性は1ミリもありませんでした。で「武力で俺がなる」と思ったのです。鎌倉幕府はそういう思想的雰囲気のもとで成立しました。
明治になって幕府は倒れましたが、同時に朝廷もこの世からなくなっています。あれも易姓革命の一種でしょう。王朝の姓は全く変わっていないにせよ。
戦後になって「民主主義革命」が、アメリカ主導で起こり、天皇家の在り方もガラリと変わります。全く新しい象徴天皇になるわけです。「血筋」こそ断絶しませんが、根本的な変革であり、あれも「一種の易姓革命」と私には思えます。
日本に易姓革命が起きなかったわけじゃない。鎌倉幕府の開府で、政権主の「血筋」は変更された。やがて明治維新で立憲君主はもとの「天皇家の血筋」にもどり、でも近代化の矛盾でそれが限界を迎え、戦争が起きて崩壊した。戦後、天皇家の血筋は残ったものの、根本的な変更が起きた。まさに「革命」ではないか。そう考えれば「承久の乱が革命であることに疑いはない。革命とはマルクス的革命だけではない」と私個人は思っているのです。人にもそう思え、などという気はさらさらありません。