皆が、お喋りしながら賑やかな昼食を終えると、マリーは六助をせきたてて仲良く手を繋いで池のほうに駆けていったが、健ちゃんは
「お~ぃ! 池に近ずくなよっ!」「はまったら、底なしの無限地獄だからなぁ~」
と声をかけると、六助は振り返って
「脅かすなよぅ~」
と真顔で返事をし、興味深そうに覗いているマリーの手を引っぱって、水溜りの周辺から離して崖の方に駆けていった。
皆が、健ちゃんの言葉にビックリしていると、教師をしている直子が、珠子達に対し
「健ちゃんは、二人を冷やかして言ったのょ」
「ポツポツとある池は、”池塘”と言って、ホラッ、尾瀬や火打山でも見られるゎ。高い湿原地帯に出来る、雪解け水等が泥炭層に溜まった沼なのょ」
と説明したところ、皆は、納得して安心していたが、健ちゃんは
「あの二人、単なる仲良しか、恋愛中なのか、よぅ~判らんわぁ。まぁ、仲良きことは良いことだ」
と言って笑っていた。
皆が、南側の崖のほうに景色を見に行こうと立ちあがったとき、健ちゃんは
「永井君。一寸、残ってくれないか。君に折り入って話があるんだ」
と彼を呼びとめたが、珠子と直子に大助と奈緒の四人は、六助達の後を追うように南側の崖に向かって歩き出した。
珠子達は、見晴らしの良い崖のところに来ると、職業柄話好きな、直子が
「遠くのほうに雲に霞んで富士山の白い峰が見えるでしょう。お天気がよいので青い空と区別がつかないが、下の方は雲に隠れているゎ。左側に見える山は赤城山よ。わたしの故郷はあの麓なのょ。だから、わたし、カカア殿下予備軍ょ」
と言ってフフッと笑って皆を笑わせたあと、直子は続けて
「今度は右側を見てょ。微かに噴煙を上げているのが見えるでしょう、あの山は浅間山だゎ。そして眼下に広がる平野が関東平野で、こうやって上から見ると随分広いことが改めてわかるわねぇ~。雲の切れ間にキラキラッと光って見える一筋の河が利根川だゎ」
と、指を差しながら説明していた。
彼等は、直子の説明にいちいち感心して声も出さずに聞き入り遠景を眺望していた。
皆が、直子の説明に頷き、景観に感嘆して話し合っているとき、大助は一人で反対側の崖に向かい歩き出し、北側の遠景を腕組みして見ていた。
彼は、遥か彼方の空に霞んで浮かぶ様に見える奥羽山脈らしき青い山並みを見ていて
大学入学前の春休み、あの山脈の中にある飯豊山の麓の街で、美代子と二人で、自転車で裏山を走り廻って牧場の乳牛を撫でたり、白樺林の小径を、彼女が長い金髪をそよ風に揺らしながら、自転車を降りて並んで日頃のことを話しながら歩んだこと。 更に、裏山の木陰で草花を摘みながら、互いの進路について話あったことや、街を縦断して流れる河のほとりで、無邪気に戯れて遊んで過ごしたことなど、二人が記した美しき青春の暦の数々を想い出していた。
勿論、大学進学後、彼女に突然呼ばれ最後に訪れて、家庭の事情でイギリスに旅立つことを知らされた日の夜。彼女を初めて抱きしめたことも鮮明に想い出していた。
彼女は家庭内の複雑な問題など悩みを抱えながらも、そんな苦悩を微塵も表情に出さず、彼女が描く未来の夢に向かって、ひたすら純真に自分を慕い、情熱を滾らせて夢を実現しようとする目的意識の強さ、そのためには肌を許すことを厭わなかった、その夜の出来事が頭をよぎり、別れて一層愛しさが募った。
普段は、強気で積極的に行動するが、時折、薄青く澄んだ瞳を涙で潤ませ、哀愁の表情を漂わせることもあったが、そんな率直な感情の起伏も、万事に控えめな奈緒と異なり、やはり、アングロサクソン系の血統かとも考えていた。
そんな彼女も、今頃、何をしているのかなぁ~。と、少し感傷的な気持ちで、懐かしく偲んでいた。
そして、行けるものなら飛んでいって逢ってやりたいと、涼風にそよぐ草の葉の様に心が揺らいだ。
大助が、賑やかな話声が聞こえる後ろを振り向くと、珠子達三人が自分の方に、手を繋ぎ合って楽しそうに話合いながら歩いて来るのが見えた。
彼女等は上着を腰に巻いて揃って白いシャツに首に色とりどりののスカーフを巻いていて、まるで、航空会社のカウンターに並ぶ受付嬢を連想させた。
彼は、何時も自分に対し喧しく文句を言いながらも面倒を見てくれた姉も、永井君のお嫁さんになるのか。と、彼にしては昭二さんと結婚するものと思っていただけに、その意外性に呆然として見とれていたが、彼女等が傍に来ると、珠子は奈緒が傍にいるのもかまわずに、大助に対しいきなり
「大助っ!。奈緒ちゃんを連れてこないで、何をしていたの?。可哀想じゃない」
「姉さんには、あんたの胸の中が透き通るように見えるゎ」「でも、駄目なものは駄目なのよ」
「美代子さんとは条件が絶対に合わないことは判るでしょう。長男と長女同士だし、職業は勿論のこと、全ての面で無理だわ」
と少し険しい顔つきで話しだしたので、大助は
「姉ちゃん達女性軍が楽しそうにしていたので、僕は遠慮してここにきたのさ」
と咄嗟の思いつきで答え、ついでに
「こんな素晴らしい天空の世界で、勝手な想像をするなよ。美女の香りがプンプンと漂うので避難して来たんだよ」
と話題をそらそうと冷やかし気味に話題をそらそうと答えたが、珠子はなおも執拗に追及の手を緩めず
「お世辞は言わなで・・。奈緒ちゃんと一緒になってくれれば、わたし、家や母さんのことを心配せずに、安心してお嫁に行けるのだが、あんたが煮え切れないので、ただそれだけが気がかりだゎ」
「ねぇ~、真剣に考えてょ。母さんも良く聞いてきてきなさい言っていたゎ」
と問い詰めると、大助は今度は真面目に
「それこそ、姉ちゃん、自分中心の勝手な言い分だよ」
「その話はマダズ~ト先の遠い話しだし・・。それに、美代ちゃんはイギリスに行ってしまったし、どうなるかわかんないや」
「それに、奈緒ちゃんだって、自分の人生を選択する自由があるんだよ」
と答えると、珠子は
「あんた、奈緒ちゃんの気持ちがわからないのかね。何時も大事な話しになると掴みどころのないことを言うので、全く、じれったくなるゎ」
と痺れを切らして聞くので、大助は
「姉ちゃん、この様なところで話すことではないが、姉ちゃんがしつこく話すので、僕も意見を言わせてもらうが、僕は結婚はお互いの意志の合意でするもので、相手の家柄や職業それに相手の両親と一緒になるもでなく、それなのに嫁いだ後は自分の親より先方の親の面倒を見るなんて・・。そんな古臭い風習、僕には理解できないわ」
「美代ちゃんの祖父や母親のキャサリンは、家業や自分達の老後のことは考えずに、二人が良く考えて自分達の人生を考えなさい。と、口が酸っぱくなるくらい言い続けているよ」
「僕も、外国の人はやっぱり広い目で若い人達を見つめているなぁ。と、感心しているんだ」
「だからといって、両方の親を面倒見ないといっている訳ではないんだから誤解しないでくれよ」
と言い合っていると、奈緒は珠子の説得を聞きかねたのか、珠子の袖を引いて
「珠子姉さん、もう、そのお話やめてくれない」
「わたしのことを思ってくださることは、本当に嬉しいんですが、大ちゃんの言うとおりだし、それに、わたし、もう、心に決めたことがあるの」
と姉弟の会話を、少し寂しそうな表情をして、静かな口調でやめさせた。
珠子の話を引き継ぐ様に、直子が
「珠子さんのお話も最もだが、わたしが、アラサーに近いからといって、珠子さんの結婚に嫉妬する訳ではなが、今は価値感が大きく変わり、”断捨離”とか、威張らず・頼らず・手に職の”三低”とか言って、昔の”三高”と違い、結婚の条件も様変わりして、人生の可能性を自由に追求する時代になったと思うゎ」
「勿論、自己責任でねっ!」
と言って、珠子に気兼ねしつつ大助を庇い話を引き取った。
珠子は、感情の高ぶりと家や母親を思う焦りから場所を弁えず、大助を説得したことを悔やみ、健ちゃんが傍に居てくれれば、大助の未熟な理屈をなんとか押し返してくれると思うと、自分が情け無くなって、それ以上話すのをやめてしまった。
大助は、遥か遠くに霞む青い山脈に向かって深呼吸をすると両腕を広げて大声でオ~イッと声を張り上げて叫んで、解決の見えないモヤモヤとした気分を鎮めた。