日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

山と河にて (16)

2023年09月19日 02時02分29秒 | Weblog

 大助は、隣室の広い座敷にある豪華な仏壇の前で、お爺さんが朝の勤行である読経の際に鐘を打つ音で目を覚ましたが、隣に寝ていたと思っていた美代子がおらず、枕もとの水を一口飲んで、そのまま、再び腕枕をして仰向けになり、桜の小枝を巧みに張り巡らした天井を見つめているうちに、昨夜のことを想い出し、その余韻の残った頭に、もしやと一抹の不安がよぎった。

 お爺さんの読経が終わると、美代子が薄青色のカーデガンと黒のロングスカートに白いエプロンをまとった姿で襖を開いて入って来て、枕元に膝をついて布団の襟元に手をおくと、少しハニカミながらも明るく爽やかな笑顔で
 「目が覚めているの?。そろそろ起きてよ。お爺さんも待っているゎ」
と言いながら
 「ハイッ! 下着を着替えてね。ズボンもアイロンをしておいたゎ」
と言って、何の屈託もなく差し出したので、大助も「ヨシッ 起きようか」と自分に号令をかけるように立ち上がって、彼女に背を向けて寝巻き姿で立ち上がり着替えしようとしたら、彼女がフフッと小声を漏らし
 「ワザワザ わたしに背を向けることないでしょうに・・」
と、寝巻きの裾を引張ったが、彼はその手を払いのけて素早く着替え終わると、彼女の後について洗面場に行った。

 洗顔後、鏡を覗いて頬髭を撫でていると、彼女が素早く剃刀を用意してくれたので、彼は彼女の顔を見てニコット笑って受け取り剃り始めたところ、彼女が
 「大ちゃんの頬髭は濃くて凄く似合うわ」
と言いながら、傍らでタオルを手にして立っていたが、大助の表情が冴えない様に見えたので
 「どうかしたの?。何んだか浮かぬ顔をしているゎ」
と言ったが、彼は「別に・・。傍についていなくてもいいよ」と言って髭剃りを終わってタオルを手にすると、彼女が声を落として
 「大ちゃんも、いざとなると、お別れが名残り惜しいの?」 「わたしは、やっと心の整理が出来たゎ」
と普段の強気な彼女の返事に、彼は「判ってないなぁ。君は心配にならない?」と、小声で自信なさそうに尋ねたので、彼女は
 「なにがよ。見た通りで普段となにも変わりないゎ」
と答えたので、彼は大人びいた直接的な表現に躊躇い、一寸思案し間を置いて、以前、姉の珠子が居間に置き忘れた婦人雑誌で興味深く見た時に覚えのある英単語で
 「まさか、pregnancy(妊娠)することは無いだろうなぁ」
と、不安そうに言うと、彼女は大助の横顔をシゲシゲと見つめて
 「朝からなに言っているのよぅ」 「そんなこと、わかるはず無いでしょう。神様に聞いてょ」
と答えたあと、落ち着いた態度で恥ずかしそうに小声で
 「ワタシ ソウナッテモ ヘイキヨ」
と澄ました顔をしてエプロンをいじりながら小さい声で答えると、大助の心配を気にもかけず
 「もしもょ。恵まれたら、髪や瞳の色が黒い、大ちゃんに似ます様にと、マリア様にお祈りするゎ」
 「そして、イギリスで大学を休学してママと大事に育てるの」
 「きっと、祖母やママも祝福してくれ、楽しい日の連続で寂しさを紛らわせると思うけれど、そんな、お伽噺みたいな夢は訪れないと思うけれど・・」
と言ったあと、現実的な彼女に戻り
 「だから、大ちゃんは、そんな心配をしないで、一生懸命に勉強に励んでね」
と言いながらニコット笑ってクリームを用意してタオルを差し出した。
 大助は、彼女が澄ました顔で平然と答えたので、彼は
 「その様にならないことを願っているが、もしものときは連絡してくれょ」
と答え、更に
 「君は日本のサッチャーだなぁ。その意志の強さは、まるで鉄の女だわ」
と言うと、彼女は
 「違うゎ。わたしは、れっきとした大和撫子だゎ」
 「万が一、その様なことになっても、連絡はしないゎ」
 「だって、君の勉強が疎かになり、それに珠子姉さんに叱られてしまうゎ・・」
 「君が大学を卒業して、わたしと正式に婚約したときに会わせてあげるゎ」「楽しみにしていてね」
とフフッと笑って言ったあと
 「朝からこの様なお話は相応しくないゎ。やめましょうょ」
と返事をしたので、大助は言うべきことは言ったし、彼女の陽気で茶目っ気な返事に呆れて、不安な気分も吹き飛んでしまい、彼女の返事に攣られて「アッ!と、驚く為五郎か・・」と冗談を言って二人でキッチンに向かった。

 朝食後、お茶を飲みながら、お爺さんが機嫌の良い笑顔で
  「大助君、この度の休暇は、我が家の恥を聞かされて不快な思いをさせて済まんかったな」
  「昨晩は、美代子が我侭を言って困らせなかったかね」
  「この子も、出生の秘密から始まって兄弟もなく、可哀想な子なんだよ」
  「そのため、君が見えると内弁慶が爆発して、人が変わった様にはしゃぐからなぁ~」
と言ってお茶をひと口含んだあと、更に
  「お陰様で、ワシは責任の幾分かは果たせたと勝手に思ってひと安心したよ」
  「君の返事を聞いて、人生最後の努力目標ができたよ。老人は、目標があれば益々元気になるもんだ」
と謝辞に続いて、美代子に将来を託した覚悟のほどを示すように
  「美代子が、君にとって相応しい嫁さんになる様に、ワシが全責任を持って、今後の教育と環境作りをするから、君も勉強に励んでくれたまえ」
  「但し、このことは、当分の間、君とワシそれにキャサリンだけの事にして胸に秘めておいてくれ給え」
と話していた。 
 美代子は神妙な顔をして二人の会話を聞いていたが、その表情には満ち足りた幸せが漲り、お茶を注ぎ足しながらも彼の気持ちをきずかっていた。

 お爺さんの話が終わった頃、前の晩にお爺さんから大助を駅まで送ってくれるようにと頼まれていたた寅太が車で迎えに来てくれ、玄関先で皆に挨拶をしたあと
  「美代ちゃんは、僕と一緒に駅の見える裏山で、大助君を見送ろうよ」
  「大助君。 君を駅に送ったあと裏山に行き、僕は習ったばかりの手旗信号で、美代ちゃんは目立つように赤い傘を振るから、汽車の窓から見ていてくれ」
と、予め考えてきた計画を言ったら、美代子は「わたしも、駅まで行くわ」と言いだしたが、お爺さんが
  「寅太や。 是非、その様にしてくれ」
  「何しろ、駅でメソメソされては、みっともないし、大助君も後味悪いだろうしな」
と、美代子の心の動揺を見透かして、寅太の思いがけない名案に賛成し、険しい顔つきで決めてしまった。
 美代子は、恨めしそうに寅太の脇腹を指でこずいていたが、大助に
 「海苔巻きと稲荷寿司のお弁当を用意しておいたわ」
と言って、お爺さんが用意してくれた旅費と
 <君の真実の愛を確かめられて舞い上がるほど嬉しかったゎ。それに、これからの生活に勇気ずけられたゎ>
と、朝、家事の合間に大急ぎで書いたラブレターの入った白い封書を一緒に渡して、手を握ると
 「寂しいけれど、仕方ないわね。でも、君から今度こそは本当の勇気を貰い頑張るわ」「お体だけは注意してよ」
と言って俯いていた。
 寅太は、駅に向かう途中、大助に
 「健ちゃんには、年賀状しか出してないが、宜しく伝えてくれよ」
 「夏になったら、皆で、渓流釣りに行くことを楽しみに待っているよ」
 「美代ちゃんも、何時ものことだが、君が帰ると急にしよげかってしまい、見ていて可哀想だが、まぁ同級生だし精一杯面倒を見るから心配しないでくれなぁ」
 「それにしても、遠距離恋愛は大変だなぁ。現在の僕には全然関係のないことだが・・」
と、大助に同情する様に、自分の商売話に絡めて、にこやかに喋っていた。

 寅太は、駅から帰って来ると、美代子に
 「さぁ~、山に行こうぜ。前もって頼んでおくが、絶対に泣かないでくれよ」
 「美代ちゃんに泣かれると、若し、街の人達に会ったとき、あの悪餓鬼がいじめたのかと勘違いされても困るので・・」
と、中学時代の評判を気にして冗談を言っていたが、美代子は不機嫌そうな顔をして
 「君が、突然、予想もしないことを言うから、お爺さんもその気になってしまい、もし、涙が零れたら君のせいよ」
と、半ば悔しそうな表情で答えていた。

 皐月晴れで、清々しいそよ風が吹いている裏山で、寅太は
 「大助君も頬髭を伸ばして、如何にも防衛大生らしくなって恰好よくなったなぁ~」
 「早く、婿さんに貰えよ」「美代ちゃんの父親は医者どんで、神経が細かく僕は苦手だが、大助君なら上手く操縦すると思うよ」
 「僕は、応援を惜しまないから・・」
と、美代子が、近いうちに家庭の事情でイギリスに行くことも知らず、勝手な想像をして彼女の気持ちを振るい立たせていた。

 寅太は、芝生に座り小さい草花を摘んで美代子と取りとめもない話をしている間も、遥か丘陵の下の方の駅に目をそらさずにいたが、列車が駅に近ずくと「アッ! 来た来たっ!」と、声を張り上げて立ち上がり、用意してきた手旗で「バイ・バイ」と一発送ったあと、続けて「ナ・イ・テ・ナ・イ」と懸命に何度も同じ信号を送っていた。 
 美代子も寅太に攣られて赤い傘を広げて頭上で横に何度も振っていたが、寅太は気合が乗ってきて草叢を掻き分けて前に進むと、手旗信号がもどかしくなったのか、聞こえるはずもない遥か遠くの駅に向って思わず
 「お~い、泣いていないから心配するなぁ~」「俺も、東京サ行きたいよぅ~」
と、この場の禁句を思わず大声で叫んでしまった。 
 美代子は、寅太の叫び声に誘発されたのか、それまで精一杯堪えていた涙で目を潤ませて「イワナイデェ~」と背後で叫ぶと、寅太は
 「俺が泣いていないと叫んだんだよ」
と、苦し紛れな弁解をしたが、美代子は顔をタオルで隠して、その場にしゃがみ込んでしまった。
 彼も、咄嗟の出来事に狼狽し、この場の扱いに慣れてなく弱り果て、ボソボソとした太い声で
 「ちゃんと、見送ったし、良かったじゃないか。泣くなんて、約束違反だぜ」
 「やっぱり、駅に行かないで正解だったなぁ~」
と言いながら、八つ当たり気味に周りの草叢を手旗でなぎ倒していたら、蜂の巣を突っいてしまい
 「シマッタ! 蜂ダッ!逃げろっ!」
と叫んで、彼女の手を咄嗟に握って引張り、そのまま、好機とばかり、人目を避けるように神経を張り巡らせて、やっとの思いで診療所に連れ帰った。

 春の日差しは眩しいほど照り輝き、丘陵の萌える草原の明るさとは反対に、寅太も美代子の感情に感化されたのか、美代子と別れたあと診療所を出ると、友を見送った心の虚しさから妙な寂しさがしてならなかった。

 

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