夕食後。理恵子と珠子は、涼風にのって流れてくる祭囃子の笛や太鼓の音に心を誘われて、節子が用意しておいてくれた浴衣で身を装い、大助は持参の浴衣を着て、三人は小砂利混じりの土の道を下駄で歩く感触を懐かしく感じながら、盆踊りの会場準備をしている鎮守様の境内へと散歩に出かけた。 勿論、愛犬のポチもお供していた。
理恵子達の浴衣は、薄い青地に小さい赤や白の花柄模様の入った、節子がお気に入りの布地で作ったもので、自分も模様の色は違うが同じものを用意したと言っていた。
大助については、背丈がどれ位伸びているか判らず、丈を計ってから珠子と相談して着地を見つけ、帰るまでに用意すると言っていたが、彼は浴衣に余り興味がないのか、持参した浴衣に袖を通し
「小母さん、僕、これで結構ですよ」「昨年、小母さんが作ってくれた、この豆絞りの浴衣が気に入ってますので・・」
と、別に気にも留めず笑っていた。 彼のモノに拘らないところが、案外、人に好かれているのかも知れない。
小川に沿った会場への近道である農道を、ポチを先頭にして鎮守様の境内に近ずくと、織田君の指図で彼の後輩達が提灯の配線や櫓を囲む紅白の幕の取り付け作業等を汗を流しながら懸命にしていた。
健太郎は、笛や太鼓との音合わせに、中・高生やOBの混じった吹奏楽の指導に夢中になっていた。
一方、老医師は、浴衣に鉢巻姿で教師らしき中年の女性と二人で、小中学生の女子10名位に、神前の舞台で奉納する神楽踊りを丁寧に教えていた。
なにしろ、今年の祭礼は、近郷から大勢集まるとゆう噂があり、実行委員長の老医師も張り切っていた。
この時期。盆踊りは村を離れて都会に出た若い人達が久し振りに帰郷して来て、夫々にコミニュケーションを図る唯一の機会である。 正月は豪雪のため、皆が一同に集まるのは困難なので、誰しもが旧盆の祭礼を楽しみにしている。
老人達も、鮭が生まれ育った川に帰って来るように、孫や子が一回り成長した姿で帰るのを心待ちしているのは言うまでもない。
健太郎は、理恵子を見つけると
「理恵子も、仲間になり一緒に練習しなさい」
と言うと、大助が
「理恵姉さん、去年までやっていたのでしょう、仲間になりなさいよ」
と後押しして、遠慮気味の彼女を無理矢理仲間のところに連れて行ってしまった。
美代子は得意のフルートを吹いていたが、大助を見つけるとフルートの吹奏をやめて立ち上がり、自分の位置を教えるように手を振っていた。 大助もそれを見つけると手拭を頭上で回してこたえた。
練習中の生徒達は、理恵子とは皆顔馴染みなのでワイワイはしゃいで雑談をはじめ、健太郎もその心情を充分に察しており、彼等を纏めるのに汗を流し一苦労していた。
皆が、準備や練習を一通り終えて、輪になって地べたに腰を降ろし、冷えた缶ジュースやビールを飲みながら、笑い声を発っしながら雑談に花を咲かせていた。 傍らで彼等を見ていた大助も、名も知らぬ若い衆に誘われて仲間の輪に入り、笑顔でなにやら楽しそうにお喋りしていた。
老医師は、神楽舞台の上から大助を目ざとく見つけると、舞いの指導を女教師に任せ、彼に近寄り手を引いて若衆の群れから離して、薄暗い神前の裏に誘いだし、大助の両肩に手を乗せて
「昨日は、美代子と遊んでくれて有難う」
「美代子が、あんなに機嫌よく遊んでいる姿を見たことは今までになく、それなのに、君が帰ったあと急に泣きよって、わしが訳を聞いたら、こっぴどく、ワシに当り散らし、いやぁ~往生したよ」
と、笑顔で話したあと
「彼女も、成長して女心が芽生え君に初恋を覚えたのかなぁ」「イヤイヤ これはワシの勝手な想像で、君には迷惑かも知れんが・・」
と、老医師までもやや興奮して話したあと、
「君に、お土産を用意しなくて済まんことをした」
「その代わりに、わしの気持ちとして、明日の夜に着る法被と股引や足袋等を準備しておいたので、それを着て思う存分踊って、田舎の盆踊りを多いに楽しんでくれたまえ」
と、予期もしないことを知らされ、彼も嬉しくなって
「お爺さん、有難う」
と、にこやかに笑って答え、早速、珠子のところに行き教えると、彼女も
「そうなの、それは良かったわネ」
「わたし、駅からいきなり美代子さんと一緒に行くので、内心ハラハラしていたが、来る前に充分注意しておいたので、多分間違いは起こさないだろうと思っていたヮ」
「なにをして遊んだかわからないが、お爺さんにまで気にいられて良かったゎ」
「まさかキスはしなかったでしょうね。手を握ることくらいはいいが・・」
と素直に喜んでくれたが、大助は
「また、そんなバカなことを言う、指一本触れてないわ」「姉ちゃんと違うゎ」
と答えたが、顔は少し赤らんでいた。 珠子は、彼の表情を見てとり「わたしが、どうしたと言うのよ」と返事したが、内心では或いはと思った。
二人揃って神楽殿に向かい、老医師のお爺さんに何度も頭を下げてお礼の挨拶をしていた。
理恵子は、休憩中の織田君を連れ出して、少し離れた人の目に触れない杉の大木の近くで
「今朝、着いたの?」「何故、私に電話をしてくれなかったのョ」
「あんたは、何時も、わたしが気に掛けていることを、ちっとも理解してくれようとしないんだから イジワル ダワ」
と、お腹の辺りを指でつっきながら不満そうに愚痴を言うと、彼は疲れた表情で
「また、そんな子供ぽいことを言うのか。帰る前にちゃんと連絡しておいたろう」
「帰ったあと、お袋は仏壇の清掃で忙しく、すぐに手伝いの人とお店の大掃除をして、お得意さんに出前をしたりして休まずに仕事をこなし、アット言う間に時間が過ぎてしまったよ」
「そして夕方は、御覧の通りで、別にイジワルなんてしてないつもりだがなぁ~」
と言ったあと、彼女の感情を無視するかの様に話題を変えて
「この分だと、明日も快晴で暑くなると思うが、区長の了解を得て、村の発動機付きの船を借りることにしておいたが、珠子さん達と君も川に泳ぎに来るかい」
「沢蟹やカジカを採って、都会では味わえない遊びを珠子さんや大助君に教えてあげればいいさ」
と、彼らしく先々と考えていることを知らされて、彼女も彼の気配りのよさに押されて、自分の我侭や勝手な甘えを言ったことが恥ずかしくなり
「そうなの、貴方らしいわネ 有難う。勿論、珠子さんや大助君も、おお喜びすると思うゎ」
「それにネ、多分、診療所の娘さんも、きっと一緒に行くと思うゎ。詳しい理由は知らないが、急に二人が親しいお友達になって、わたしや珠子さんもビックリしたゎ」
「あなたも、青い目の人の水着姿を近くで見れて目の保養になるんでないの?」「ヘンナ キョウミヲ モタナイデョ」
「彼女は、美代子さんと言って診療所の娘さんで、昨日駅迄迎えに来ていて、大助君は彼女の家で半日も遊んで来たのヨ。大助君は、田舎に来ても人にすかれるのよネ」
と、教えると、彼はムッとした顔つきで
「なにをつまらんことを言っているんだい。愚痴の照れ隠しか?」「俺は、お前の水着姿を拝ませて貰えるだけで充分満足だよ」
「青臭いオンナノコには興味はないわ」
「それよりか、東京での僕達のことを両親に話してはいないだろうね」
と聞くので、理恵子は
「あの夜のわたしの態度から、珠子さんは気付いているらしいヮ」
「勿論、両親に話すことでもないでしょう」「もしもョ、 わたし、なにかの弾みで知られたとしても、平気だゎ」
「わたしが、貴方の心を確かめたくて、貴方に全てをお任せしたことでもあるし・・」
「子供扱いしないでぇ~」
と俯いて小声で答えた。
彼にしてみれば、彼女の心があの日以来随分と大人らしくなって、変われば変わるもんだなと、女心の不思議さに思いをめぐらせ安堵した。