ハプニングに富んだ結婚式が終わり、皆が休憩室で休んでいるうちに、式場が披露宴の会場に変わると、珠子は化粧直しをして、薄緑色のスーツに衣替えして、昭二と連れ立って各席をニコヤカニ笑顔を振りまきながら挨拶廻りしていた。
健ちゃんは、隣席に座った永井君の手を堅く握り、感激した面持ちで
「やっぱり、君は頭がずば抜けていいわ、感心したよ」
「それにしても、随分、手の込んだ脚本と演出で、今日の演技はアカデミ~賞ものだよ」
と言って、彼の肩をポンと叩き頭を下げて礼を言った。
永井君は、健ちゃんのお礼に対し、手の掌を顔の前で何度も横に振って、にこやかな笑顔で
「とんでもない。僕こそ先輩にお礼をしたい気持ちで胸が一杯ですよ」
「僕の真意は、ホレッ!。 夏の登山訓練で、健ちゃんから結婚後の大人の生活について色々と教えてもらった頃から、珠子さんは勿論、参列してくださった周囲の人達、それに両親の心を傷つけないで、この場を円満に治めるには、どうすればよいのか、真剣に考えた末のことで、もし、先輩や昭二君が出席されなかったら・・。と、そればかりを朝から心配してましたよ」
「改めて、先輩の機知に富んだ勇気ある行動にお礼を申しあげます」
と言って、立って深々と頭を下げた。
その顔は、目的を完遂し、長い間苦しんでいた問題が、月をかすめる雲の様に静かに流れ去り、明るく穏やかであった。
永井君と入れ替わるようにして、昭二が額に汗して青ざめた顔で、健ちゃんの隣に座り
「健ちゃん、今日は本当に有難う。この恩は、珠子と共に一生忘れないよ」
と感謝して、コップにウイスキーの水割りを作って渡すと、健ちゃんは
「正に、負け試合で迎えた9回2死ノーランナアーの打席で、何とかホームランを打って逆転したようなもんだ」
「これで、俺も監督として責任を果たせてホットしているよ」
「想い起こせば、駅前の食堂で珠子さんとデートさせたとき、見事に三振して、入り口の籠の中のオームにまで、おかしな啼き声で冷やかされたこともあったが、全く人生は”諸行無常””難行苦行”で、お前も辛抱強く頑張ったよ」
と褒めたたえると、昭二は恐縮しながらも
「健ちゃん、ついでに教えてもらいたいんだが、予期しない突然の結婚式で、頭の中が真白で混乱していて判らないんだが、今晩はどうすればいいんだい?」
と聞いたので、健ちゃんも、とっぴな質問に答えるのに戸惑い
「オイオイ、お前、大卒の文学士で女性心理には詳しいんだろう! そんなことまでコーチはできないよ」
「前に居る新婚ホヤホヤの、看護師のマリーに聞け!」
と言って、呆れた顔をすると、六助が身を乗り出すようにして、先輩風を吹かせて
「自然体だよ。自然!。少しは痛がるかもしれないが、珠子さんなら心得ているよ。何とかなるさ・・」
「最も、マリーは泣いたり喚いて五月蝿かったが・・」
と言うと、マリーは、怒りをこめて六助の頬を強く抓り
「コノ ヘタクソ ガ」「余計なことは言わないことっ!」
と言って、昭二の隣に寄って来て小さい声で、看護師らしく、意味ありげに微笑んで
「男女夫々の肉体が、そおゆう知恵を備えているので、心配することないゎ」
と答え、肩を軽く叩いていた。
珠子は、そんなやり取りを聞いて少し顔を赤らめたが、健ちゃんにチラット目を流し、恥ずかしそうに、彼の耳もとで
「コンバンハ ショウジサンニ ウ~ント カワイガッテ イタダクワ」
と囁くと、豪胆な健ちゃんも、流石に返事に窮して「う~ん、参った」と唸って、隣にいる妻の愛子の胸に顔を埋めてしまった。
奈緒は、彼等の話が耳ざわりになり、大助の袖を引いて外に誘い出すと、庭の中ほどにある池の方に手を繋いで散歩に出かけてしまった。
珠子は、抜け出した二人が自分のこと以上に気にかかり、その後ろ姿を窓越から見ていると、二人は人造池のほとりの芝生に並んで腰を降ろし、大助が立て膝にしている奈緒の膝辺りのスカートの裾に手をかけて
「奈緒ちゃんの脛も随分色っぽくなったなぁ」
と、悪戯っぽく笑うと、奈緒は彼の手を叩いて跳ね除けていたが、笑顔を絶やさず、彼等はその後再び手を繋いで散歩に出かけてしまった。
珠子は、二人がハグしてキスを交わすこともなく歩き出した姿を覗き見て、なんかがっかりした気持ちになったが、彼等が自分の願い通りに、仲睦まじくして手を取り合って散歩している姿が微笑ましく見え、自分のこと以上に嬉しくなった。
大助は、池を一回りしたあと、再び、池の端に腰を降ろし、一人ごとの様に
「姉の結婚式も、なにか映画を見ている様で現実離れして、終わってみれば、自然の成り行きで、余り感激が湧いてこなかったなぁ~」
と呟いたあと、心の奥深くに潜んでいた思いを何気なく言葉に出して
「奈緒ちゃんも、いずれ誰かと結婚すると思うが、僕以外の人とのときは、出来れば招待しないでくれよ」
「寂しさと悔しさで、胸がキュンと締め付けられるだろうからなぁ~。若しかして心臓発作が起きるかもしれないよ」
と、何気なく小声で漏らすと、彼女は
「それって、本当の気持ち?」「美代子さんとはどうなっているの?」
「大ちゃんと結婚するなんてこと、とても信じられないゎ。でも、その様に言ってくれるだけでも嬉しいわ」
と返事して、いたずらぽく
「わたし、恋愛ベタで、このまま一生独身で過ごすかもしれないわ」
「この先、大ちゃんみたいに素敵な人なんて、私の前には絶対に現れないと思うの」
と、大助の漏らした問いかけに少し遠慮して答えた。
二人は、互いに握りあった手を大きく振って、再び歩るき続けた。
奈緒は、珠子が今迄とおり自分の身近にいるとゆう、ただ、それだけのことだけで、彼女なりに安心して笑顔が絶えなかった。
そんな会話の中でも、大助は心の中で、姉が気心の知れた昭二さんと結婚してくれたので、昭二さんの境遇から、いずれは家に入ってくれ、家督を相続してくれるであろう。と、勝手に想像した。
そして、これで、美代子さんが気に止めて悩んでいた、自分達の間に立ちはだかる、長男長女であるための難問も、一つクリアしたかな。と、秘かに思った。
柿の実が黄色く色ずきはじめ、朝晩の冷気に秋の気配を感じるころ。
美代子は母親のキャサリンと祖母のグレンの三人で、懐かしい里の香りが漂う、飯豊山麓の静かな街にある、実家の診療所にイギリスから秘かに帰って、新潟市の大学に転校して日々を過ごしていた。
彼女は、大助に対する思慕から、日夜、悩んで生活の張りを失いかけていたが、祖父である老医師からは、日頃から、彼の勉学に迷惑になるからとの理由で、連絡することを堅く禁じられていた。
珠子の結婚式に招待された、山上節子と理恵子の親子も、大助に対し挨拶を交わしたほかは、美代子のことについて話を触れることを避けたのは、情において忍びなかったが、老医師の大助を思う心情をおもんばかって、一言も触れず
「紅葉の色ずくころ、また、里山の景色を見に遊びに来てくださいね」
「お爺さんも口にこそ出さないが、君が来ることを心待ちしているゎ」
と、それとなく誘いの言葉をかけておいた。 (完)
後編 (続)山と河にて