日々の便り

男女を問わず中高年者で、暇つぶしに、居住地の四季の移り変わりや、趣味等を語りあえたら・・と。

蒼い影(6)

2024年03月04日 04時27分10秒 | Weblog

 晩春の麦畑は蒼さをまし、日中は初夏を思わせるような陽気になり、、遠く飯豊連峰の峰が透き通るような青空に白銀を輝かせ、思わず神秘的な虚空の世界にいざなわれる様な明るい気分になる。
 温暖な日和は、人々も外に出て田畑の耕作や家屋周辺の清掃補修などの仕事に励み、永い雪の世界から開放された雪国ならではの味わえない充実した幸福感を人々に与えてくれる。

そんな或る晴れた日の午後。 街の公民館で青年会と老人会が合同で慰安会が開催され、併せて、遥か昔に、卒業した高校(男女共学以前の旧制中学)の同窓会が、隔年おきの今年も開かれた。
 開催のたびに、大先輩の懐かしき姿が、集う仲間から一人二人と欠けてゆくことに、”諸行無常”の寂寞感を禁じえないのは、口に出さないまでも皆同じ思いと察しられた。

 老いたりとわいえ70歳を過ぎた現在も、診療所の医師として日々和やかな態度で患者に接し、精神的にも肉体的にも益々元気旺盛な雄弁家の田崎会長さんの、ユーモア溢れる開会の挨拶のあと、会員の経営する街の料理屋から取り寄せた料理や、婦人会員の手造り料理を前に、近況報告を交りあえながら宴会がはじまり雑談の花でにぎあった。
 健太郎は聞くとはなしに耳に入る話題の中心は、60台以上は健康に関することが多く、それ以下の若い世代は、年代により世相を反映して経済問題が、一番若い世代は旅行やフアッションといった話題が中心になり、健太郎には新聞・テレビだけでは知りえない現実的な問題意識が非常に参考になった。

 宴もすすみ、座興が出るころになると、健太郎にはなじみの無い、青年達の最近のヒット曲のカラオケに続き、あらかじめ用意されていた琴・尺八などで、愛好家による厳かな純日本的な音曲の合奏が始まった。
 勿論、中心は会長さんで、彼は機知に富んだ裕福な資産家で、話にユーモアがあり、明るいおおらかな性格から、旧中学生時代から戦後においても仲間の面倒見がよく、いまでも、老若男女に人気抜群で尊敬を集めている。
 村の祭りや慶事にも招かれて、好きな尺八を吹いて場を盛り上げ、街にとっては貴重な人物でもある。
 琴の演奏は中年の御婦人3名で、よく練習されているとみえ、手捌きは軽く流れるようであり、心地よく演奏されたが、合奏した会長さんの尺八吹奏は暫く振りのためか、はたまた、揃って黒を基調の花柄模様の和服で美しく着飾った御婦人に、老いたりといえども男性特有の本能が反応したのか、日頃の名調子がさっぱりふるわず、難しい顔をして一生懸命に吹いているが、なかなか思うように音が出ず、首をむやみに振り舌で唄口をペロペロ嘗め回し、きまり悪るそうに懸命に吹くが肝腎の音が出てこない。たまに出ても琴に合わない調子はずれで、会長さんもひどく焦って、そのうちにやめてしまった。

 琴の演奏が一通り終わるや、会長さんは
 「いや~、皆さん。 会場の雰囲気に飲み込まれ、お聞き苦しいところをお見せして失礼いたしました」
 「暫くやつておらないので、自分の目を疑うような綺麗に着飾った御婦人達のお邪魔をしましたが・・」
と、ユーモア交じりに弁解したが、一同から慰めのアンコールを催促されるや、再び元気を取り戻し、ニコリと笑ったあと独奏で、いきなり「炭坑節」を吹かれたが、今度は音色や調子も良く、みんなが手拍子でこれに合わせ、中には調子外れだが声だけは大きく歌う人がいて大笑いとなった。 会長さんも機嫌よく、小鼻をヒクヒクさせて満悦の態にみえた。
 続いて、副会長さんを中心に社交ダンスに余興が移ったが、副会長さんは若いころ船員として、外国航路に乗船していたため、ダンスは本格的で上手だが、今日は酒の勢いも手伝い、この種の余興には場慣れしていて、生来の快活さもあり、和服の腰の裾を巻くりあげて帯にはさみ、鉢巻をして御婦人相手に踊りだしたが、よる年波のせいか、やや腰が曲がってはいるが、ステップは確かで、若い人達からも次々に相手を申しこまれ、”芸は身を助ける”を、見事に実現させて会員を喜ばせてくれた。

 節子さんも、秋子さんに無理矢理呼ばれて秋田から出て来て出席していたが、健太郎は理恵子に留守番を頼んでおいたので、体調をも考慮して皆さんの了承を得て少し早めに退席させてもらったが、帰り際に秋子さんが
 「明日は、店がお休みですし、わたしが無理にお呼びして節子さんも出席してくれたので、今晩は私の家で泊って貰うことにしたので、後で遊びに来てくださいね」
と言ったので、健太郎は節子さんが来ているとゆうことで、にわかに心が浮き立ち
 「それなら、理恵ちゃんも留守居しているし、私のところで皆で夕飯をしましょう。料理は仕出し屋さんに頼んでおくから」
と答えて会場を後にした。

 秋子さんは、南秋田出身で地元の高校を卒業すると、新潟の美容学校に入り、研修後、山形県境に近いこの街で美容院を開業していた。
 何故か、その頃、南秋田や山形地方から新潟の実業学校に通う子供が多く、秋子さんもその一人で、その頃の流行で、単に手に職をつけたいとゆう理由で学校の寮に入り修業した。
 たまたま、この街は健太郎の実家もあり、彼が教師を退職後は実家の跡を継ぎ、同じ街に住む様になったが、彼と縁があるとすれば、彼が最初に奉職した高校の卒業生であり、節子さんの3年先輩とゆうことである。
 彼女は、見知らぬ土地で店を開業するくらいであるから、性格は独立心が強いが人の面倒見も良く、お客さんからも信頼されていた。
 彼女は、理恵子が2歳のとき、夫の不倫が原因で協議離婚したが、健太郎は彼女に頼まれ、そのとき証人となってやった。
 健太郎の妻律子が生前のときは、姉妹の様に親しく交際していたので、彼は証人となることに何の躊躇いもなかった。
 彼女は、健太郎が妻を亡くしてからは、暇をみては娘の理恵子を連れて彼の家を訪ねては、色々と相談しているが、気性が勝っているだけに、彼に対し愚痴や小言も多く、来るたびに部屋の掃除や繕いものに炊事など家事を積極的にこなし、側から見ると、まるで夫婦の様でもあり、彼も随分と生活を助けられていた。

 


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