寝苦しい夜になった。 山尾素子が帰ったあとで、布団を延べ、扇風機を首振りにして横になった。深夜になってから、今度は白井薫のほうが恨みごとを言いにやってくるのではないかと嫌な予感がしていた。一人の体のなかに二人の人格がいるというのは、いったいどんな感じなのだろう。ジキル博士とハイド氏みたいに、一方が犯罪者だったらたまらない。 まてよ、と思いあたったことがあった。稲葉峯生氏の文書のなかに、嘘かまことか、幻覚なのか、自分の体の中に一匹のケモノが棲んでいるいるというのがあったのだ。猫だ。身の内に潜んでいた猫が、ある夜のこと本性を現わし、その身も猫に変身して夜の町に走り出ていくというのだ。それはもう、精神の病というよりは、怪奇現象の部類だろう。いや、怪奇幻想小説の世界だ。猫になって夜の町を走りぬけていくときの気分はどんなものなのだろう。もはや人間らしい感覚は消え失せて、猫そのもになって走っていくのだろうか。・・・・そんなことを空想しているうちに、眠ってしまった。浅い眠りのなかで夢を見ていた。 紅花舎の事務所に自分はいる。デスクに明かりがついているが、室内の明かりはすべて消えていた。いつもの泊まり込み仕事と変わりはない。変わりがあるとすれば、デスクの明かりが届かない事務所の隅に誰かが背をむけてうずくまっている。後ろ姿からすると、二十歳かそこらの青年だ。 「そこでなにしてる?」 こちらはイラだって、乱暴に問いかけていた。 「いつからそこにいる?」 相手がなにも言わないので、ますますじれったくなり、次々に質問を発するが、うずくまっている青年は顔をあげようともしない。 「おい!」 とうとうどなり声をあげてしまった。なにかほかのイラだちが、その見知らぬ青年にむかって吐き出されたかんじだった。 すると、青年は、ようやくこちらに気づいたみたいに、クルリと顔をむけた。 「えっ!」 と、驚いて息をのんだ。そんな・・・・。 不安げにこちらをみつめているのは、十年もまえの自分自身だったのだ。