天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

猫迷宮  93 

2011年04月23日 11時38分02秒 | 文芸

 まず、だれをヨソオウカ? これは赤塚さんのまえの勤め先の者といえばいい。会社からかけていることにしておく。なんの調べか? 離職票とか年金手続き、または健康保険のことでとかを口実にしてみよう。なんで、さがしているのか?  本人が最近転居したために、連絡先がわからない。おかしくはないよな、と自問してみねる。赤塚さんから依頼があったのに、連絡がないのでとかなんとかで誤魔化す。メモ用紙に考えられるだけの口実を書き連ねてみた。すべて、ウソともいえるし、本人の居場所をつきとめるための方便ともいえる。あんまり期待はできないが、こういう調査をしてみたという実績が大事だ。あとはもあの《庚申研修会》なる団体の筋だろう。そちらは、なんだか厄介な筋のようなので後まわしだ。

 デスクの電話機をひきよせて、電話帳からひろいだした生保の営業所の番号をまわしはじめた。千代田区と文京区だ。赤塚さんの住居に近いところははずした。六月の雨の午後、赤塚さんは、紅花舎を経由してどこかへでかけていったのだ。本郷、水道橋から神田方面にちがいない。と、ただの推理だけれど。

 探してみると、それらしい生保の営業所は五つほどだった。大手が二か所、聞いたことのない社名のところもあった。

 いちばんマイナーっぽい生保会社からにした。

 しばらく呼び出し音がつづいた。もう終業時ちかかったので、ダメかとも思う。

 よし、次だと思った瞬間、電話口に人がでた。

 

「はい、お電話ありがとうございます。*保険です」

 若い女の声だ。

「あの、つかぬことを、おたずねいたしますが、そちらの社員の方で、アカツカ ヨリコ様という方は御在籍でしょうか?」

 そういうと、きゅうに不審そうな応対になった。

「アカツカ様が以前に勤めていた会社の経理部の者です。ハイ、御転職先が生保だとうかがっていたもので・・・・」

「少々お待ちください」

 女はだれか同僚か上司とやりとりしている。そのやりとりがまる聞こえだった。なんだか、脈がありそうな、心当たりがありそうな会話だ。一発目でアタリなのだろうか。

「はい、モシモシ、エー、電話変わりました。人事のサトウと申します。どういった御用件でしょう?」

 年配の男の声だ。すかさず、考えていた書類送付の件を伝える。本人が最近転居したらしく、電話が通じない。新しい就職先が千代田区の生保だとは聞いていたので、オタクあたりではないかと・・・・。あらましそんなことを説明した。

「はあ、そうなんですか」と、人事の男は一応は納得した。女の事務員のつぎにすぐに人事の男が出てくるくらいだから、ワンフロアーの小さな事務所なのだろう。それに人事なんていっているが、どうせ支店長だ。

「アカツカは赤い塚で、ヨリコは信頼の下の字、頼朝のヨリです」

 わざとクドクいってやる。これは交番の巡査のマネだ。

「赤塚頼子ですよね」と、むこうが復唱した。頭に漢字を浮かべたような発音だ。「はい、確かに六月から契約社員になって、試用期間で勤めていただいてましたけど」

 アタリだった。でも、興奮しないようにしながら、落ち着いて返す。

「そうでしたか。で、いまも御在籍ですか。二か月前からですよね」

「いえ、本人の御希望で、七月二十日に契約を切らせていただきましたよ」

 赤塚さんはひと月半でヤメたのだ。

「わかりました。お手数をおかけしました。あとはこちらで調べてみますので、お邪魔いたしました」

 いかにもこのての照会電話に慣れているといった物言いで、礼を言って電話を切った。それにしても、ショボそうな生保に勤めていたわけだ。自分のカンがピタリと当たっても嬉しくはなかった。アシドリの一部がみつかっただけだ。赤塚さんはすぐに辞めていたのだから。それでも、聴き取った情報をすべて書き留めておく。電話帳に記載してあるその生保会社の所番地と電話番号、人事のサトウ、これは佐藤でまちがいないだろうが、すべて書き出す。短期だが契約して働いていた期間と本人希望により退職の事実も。電話一本で得た情報だったが、都内を歩きまわってようやくそこまでつきとめたようにも見える。アコギな興信所なら、都内全域をくまなく聞き込み調査した結果云々と但し書きを添えるところだ。それだけ経費がかかっていることをにおわせる作文だ。でも、そんな虚飾はいらないだろう。今度、旦那から電話があったときに話してやれる材料がひとつでもできたのにホッとしただけだった。どこに勤めていようが、砂土原町のマンションか、あの神楽坂奥の隠れ家かにもどっていなければ意味のないことなのだけれど。

「さあて、庚申研修会かあ・・・たしか神奈川の住所だったよなあ」

 と、つぶやく。神奈川の電話帳はなかったので、ちょうど蒲田に集金にでかける用事があるから、そのとき電話ボックスで調べてみようかと思う。ともかく、十万円の経費ぶんの仕事はしたかった。まず、なんとしても赤塚さんに会ってからだ。、旦那への報告は本人の意向を聞いてからでないと、恨まれるかもしれない。赤塚さんと秘密を共有しているのは確かなのだから。たいした秘密でもない気がしたけれど。それでも、一晩泊めてもらったアブナイ一夜があったわけだし。赤塚さんの二重生活のことも知っているのだ。