さあて、庚申研修会かあ・・・たしか神奈川の住所だったよなあ」
と、つぶやく。神奈川の電話帳はなかったので、ちょうど蒲田に集金にでかける用事があるから、そのとき電話ボックスで調べてみようかと思う。ともかく、十万円の経費ぶんの仕事はしたかった。まず、なんとしても赤塚さんに会ってからだ。、旦那への報告は本人の意向を聞いてからでないと、恨まれるかもしれない。赤塚さんと秘密を共有しているのは確かなのだから。たいした秘密でもない気がしたけれど。それでも、一晩泊めてもらったアブナイ一夜があったわけだし、半分はこちらも共犯との意識もないではなかった。
社主の大曲泰造も消息がわからない。ミドリちゃんもいつ帰ってくるかわからない。赤塚さんの失踪の理由もまだはっきりしない。『猫文書』の著者、稲葉峯生氏も音信がプツリと途絶えている。自分の周囲から、次々に人が消えていく。他人というものは、こうもたやすく目の前から消えていくものなのだろうか。それとも、消えた人はそれぞれが、探してほしいというサインを残しているのだろうか。
自分はグズグズと紅花舎の社屋にくすぶっていて、熱心な捜索をはじめようとはしない。それぞれの足どりを追いかけているうちに、とてつもない迷路にふみこみそうな嫌な予感がする。こんなことが、ずっと以前にもあったような気がしてならないのだ。やはり夏の夜であったような気がする。しかし、記憶をたどろうとすると、ふいになにかの幕がおりるように、記憶がぼやけてくるのだった。
「明日、蒲田の奥をさがしてみよう」
と、つぶやいていた。よりによって、いちばんなじみの薄い人物の消息からはじめようというのだ。稲葉峯生氏はどこへ消えたのか。消極的な選択にはちがいないが、最後にきた手紙のことが妙に気になっていたのだ。霊媒師。自分のまえに口をひろげている迷宮にふみこむまえに、なにかしらアリアドネの糸のようなものをつかんで出かけたかったのかもわからない。糸口の連想からそんなことを考えてみただけだったが、果たしてどのような霊媒師が待っているのか、いないのか。すくなくとも、あやしげな宗教団体にふみこむよりはましなような気がした。
それに、シラネアキラの依頼もある。神官のなりをした少年。しつこく父親をさがせと懇請してくる子ども。彼はいったい何者なのだろう。
出口のみつからない迷路だとて、ふみこまねばならないときもある。あえて戻ってこようとも思わなければ、おそれることもない。
独りでいるうちに、いよいよおかしな覚悟のようなものがわいてきた。母親が死に、世間にたった一人で投げだされたときから、だいたいそんなふうにして世の中を渡ってきたようなものだ。いずれ、仮の住処も追い出されるようにして出なくてはならないはずだ。あらたに部屋を借りるほどの蓄えもない。
この夏、一匹の野良猫のようにあの町この町をあるきまわるというのも、なにか自分にふさわしいことなのかもしれない。
「かまやしないさ。いけるところまではいくだけだ」
声にはださなかったが、ことあるごとに心の中でつぶやいてきたいつもの言葉が、出発の合図だったような気がする。
それでも、それからふみこんだ迷路というのが、まるでおもいがけない方角に自分をひきずりこむものだったとは、このときは、まだ予感すらできなかった。いや、正しくいうなら、引きもどされ、そのあとで、またぞろズブズブと引きずりこまれたとでもいうべきだろうか。
いずれにせよ、長くて暑い夏になったのだ。。
『猫迷宮』上巻了