アンデルセン童話との出会い再び
アンデルセンの童話に再び出会う際に、作者自身の生涯やその個性をすこしでも知ることにより、また、一見悲観的な救いのない残酷なメルヒェンのなかに彼の生涯が深く刻まれ投影していることを知ると、また新たな感慨を持って味わうことができるのではないか? ほとんどの童話作品を、その息づかいを感じながら翻訳していいると、ハンス・クリスティアン・アンデルセンの霊が、いや魂がいとおしくなってくるのは、わたしだけであるだろうか? 彼、アンデルセンは現世でなく、魂の救済を求め続けた稀有な作家ではなかったのだろうか。わたしは、彼の多くの作品の中に、人生にあってなにものかになり、なにごとかを成したいという震える魂をかんずるのである。
天沼 春樹
H.C.アンデルセンの言葉から
わたしの生涯は波瀾にとんだ、そしてまた幸福な一生でした。それは、さながら1編の美しいメルヒェンのようでした。貧しい少年だったわたしが、たった1人で世の中に乗りだした当時、運命の女神があらわれて、「さあ、あなたの進みたいと思う道と志を選びなさい。そうすれば、あなたの魂が成長するにしたがって、この世の道理にかなうように、あなたをまもりみちびいてあげましょう」と、いわれたとしても、わたしの運命はこれほど幸運に、賢明に、そしてたくみにみちびかれはしなかったにちがいありのません。わたしの身の上話は、世の中がわたしに語ってくれたことを、ただ語ろうとしているだけなのです。------この世には、慈悲深い神様がいらして、すべてのことを、できるだけよいようにとみちびきなされるものなのです。
das Märchen meines Lebens 1846年より
父のハンス・アンデルセンは、なんでもわたしの思いどおりにしてくれました。わたしは、父の愛をひとりじめしていました。父はわたしのために生きていたようなものです!父は日曜日など、ひまさえあれば、わたしに玩具を作ってくれたり、絵を描いてくれました。夜には、ときどきわたしたちのために、大きな声でラ・フォンテーヌの『寓話』やホルペーアの『千一夜物語』を読んでくれましたるそういうふうに、本を読んでいるときだけは、笑っていたのを覚えています。父は職人としての人生を、少しも幸福に感じたことがなかったからです。・・・・わたしがまだ幼かった頃、ある日、ラテン語学校の生徒が家に靴の注文にやってきて、そのついでに、教科書をみせながら、学校でならったことをあれこれ話していったことがありました。そのときです。わたしは、父の眼に涙が浮かんでいるのを見ました。「おれだって、ああした道をいけたんだがなあ!」そういって、父はわたしを抱きしめ、強くキスをしました。そして、その晩はひどく沈みこんでいたものです。
わたしは、風変わりな空想的な子どもでした。歩くときなど、いつも眼をつぶってあるくクセがあったので、とうとう、わたしの視力が弱いのではないかと思われてしまったほどです。わたしは視力にかぎっては、その頃もいまも、すこぶる良いのですが。
以下、詳細は12.15講演にて............