天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

水に棲む猫 2章-2

2012年04月29日 03時51分51秒 | 文芸

                                       *

 その年の四月の最後の週から五月にかけて、ぼくたちは正式な〈儀式〉から遠ざかることになった。儀式そのものは続いていたが、ほとんどが変則的なものだった。ぼくたちは策をめぐらせて密偵を四方に放ったのだ。

 と、いっても八人のなかでそれにあてることができるのは半分がいいとこで、本当に四方にしか放てなかった。密偵の任務のひとつは、よその少年たちのグループに紛れ込み、彼らの儀式を妨害することだった。早い話が、彼らが捕らえてきた猫を過失を装って逃がしてしまうのだ。さらに相手が小人数の弱小グループのときは、祭司をのぞくぼくたち七人で急襲し、猫を奪取してしまうのだ。密偵はそこいらの工作を巧みにせねばならなかった。

 密偵のなかでめざましい働ききをしたのは、追従屋のヒロシとヒロシが嫌っているうすのろのタツオだった。ヒロシはいくつものグループといつのまにか接触してしまい、彼らの集会場を正確につかんできた。そればかりか、それぞれのグループの大将にとりいって、新参のくせにすぐにはばをきかせるようになった。ヒロシがよその連中と歩いているのを見ると、どこまで彼の忠誠心がつづくか疑わしかった。

 タツオには誰でも無警戒だった。タツオはどこのグループでも疎んぜられながら、それでもどこまでもついていって、決定的な瞬間に彼の任務を果たし終えた。猫はタツオの手からいともたやすく逃れ、タツオは放心したように仲間の非難を浴びて立ち尽くしたものだ。果たしてあれは演技だったのだろうか。自分にもほんのすこしでいいから猫にさわらせてくれと申し出て、爪をたてられて猫を逃がしてしまう。そんな失敗はぼくたちの儀式でも二度ばかりあったからだ。いったいにタツオはどういうつもりでこの儀式に加わっていたのかわからないところがある。儀式のために自分の猫のすべてをさしだしたくせに、よその猫だとひどく悲しそうな顔をして、最後に触らせてくれなどと未練がましいことをいう。あげくの果てに猫に逃げられてしまい、その償いのために倍の数の猫を捕らえてこなくてはならなかった。

 その日、ぼくと弟は学校帰りにすこしばかり寄り道をして、公園の池を見にいくことにした。緑色の大きな亀がいると弟がいうのだった。亀なんてそう珍しいものではなかったが、甲羅の直径が三十センチといわれては見にいかなくてはならない。

  公園の池のなかにいたのは、亀ではなくてタツオだった。池のまわりに、<馬>の手下の少年たちが嘲るような顔をして立っていた。

「おい、早くしろったら。いないのか?」

 立っていた少年のひとりがじれったそうに池にむかって声をかけた。

「もうすこし深いところじゃないか」

 別の少年が指図した。タツオはアオミドロのような藻でびっしり覆われた池の水をかき回し、底をさらって何かをさがしているようだった。

「いないよ」

 と、タツオは情けなさそうな声をあげた。

「いるったら。もっとしっかりさがせよ」

 さっきから盛んに命令している生意気そうな少年が言い放った。

「いないよ」

 もういちど、タツオは泣きそうな声で呟いた。タツオのズボンは水草や藻でどろどろになっていた。水のなかに突っ込んでいる二の腕あたりまでアマゾンの半魚人のようになっている。また、猫を逃がしたのか、一番損な役まわりをさせられているのかわからなかったが、タツオが〈馬〉のグループに紛れこんでいるとは知らなかった。

〈亀だよね。亀を捕まえるんだ〉

 ぼくのほうを見上げた弟の眼がそういっていた。しかし、ぼくのコブシがきつく握り込まれているのを見て、すこしおびえたような顔になった。彼の兄がそういうコブシをつくるときは、たいてい良くないことが起こるということを知っているからだ。タツオは池の半ばにある大岩のあたりにそろそろと移動していっている。火山岩のようにぼつぼつ孔があいている岩だ。その岩に手をつこうとしたとき、なにかを踏んで、ずるりと滑った。尻餅をつくまではいかなかったが不自然によろけている。「もうよせ」と、ぼくは思った。そして、ぼくがそう声に出していおうとしたとき、なにを思ったかタツオは池からはいあがってきた。

 池の周りにいた少年たちも仕事を放棄してあがってくるタツオを非難しようとしていたらしかったが、ようすが変なので気味悪そうにみつめている。わけはすぐにわかった。タツオが右のくるぶしから鮮血を流しながら上がってきたからだ。池のなかに投げ込まれていたガラス壜のするどい破片がつきささったらしい。少年たちが、わっ、といって後じさりした。かなり深く切ったようで、手に負えないくらいどくどくと出血していた。

「知らねえよ。自分でやったんだからな」

 さきほどまでうるさく指図していた少年が、そういった。タツオはどうしていいのかわからぬように、呆然と立っていた。タツオはこのまま死ぬかもしれない。誰か大人を呼ばなければ手に負えない。

 つぎの瞬間、〈馬〉の手下たちはタツオを置き去りにして、わっと逃げ出した。するともうひとり、別の方角に走りだした者がいた。弟だった。弟は公園の管理人の事務所へ走っていったのだ。チビのくせにそういうところは機転がきく。

 ぼくはタツオに声をかけて動くなといった。タツオは初めてぼくに気がついたらしく、「ああ」と力なく返事をした。その返事にすべてをこめているようだった。ボーイ・スカウトの連中が教えてくれた止血の方法をまねて、自分のベルトを足首にきつく結んでやった。止血のポイントを知らないのであとでそれが役にたたなかったことを知ったが、タツオは感謝するような眼でぼくを見ていた。

「痛いかい」

「わからないな。シビレてる」

 タツオは足が痺れていることを盛んに訴えたが、出血のせいか長時間水につかっていたせいかはわからなかった。

 遠くで大人の声がした。管理人らしい男が、どうした、と怒鳴りながら走ってくる。その後ろを弟がちょこちょこ追ってくるのが見えた。

「こりゃあ、ひどいな。医者へいって縫ってもらったほうがいいぞ」

 管理人が落ち着い口調でいったので気持ちがらくになった。

「どこの子だ。友だちか?」

 ぼくはその男の不精髭をみつめながら、いきさつを簡単に説明した。止血のやりかたをこれじゃあだめだといって直しながら、管理人の男は逃げていった連中のことを「ひどいやつらだな」と呟いた。「軍隊でもそんなやつはいたよ」

 男が父親と同じくらいの年格好だった。父親はときおり、陸軍の内務班での経験を譬えに持ち出すことがあったからだ。たいていは、「そんなことでは、軍隊じゃ勤まらないぞ」という意味だった。それはすなわち父親がひどいめにあったということだ。

「近くの診療所へ行こう。それにしても汚いな、まず水で洗ったほうがいい」

 管理人の男は傷ついた半魚人を背負って歩きだした。弟はそばについてタツオの傷を覗き込んでいる。止血が効いているのか出血はさきほどよりおさまっていたが、タツオの足首から下は蝋のように白くなっていた。そして、まるで儀式に連れていかれる猫のようにタツオは大人しく運ばれていくのだった。

 タツオの傷は三針縫って、それでかたがついた。包帯を厚く巻かれて、診療所から出て来たタツオはこんなに病院で治療してもらうのは初めてだと感慨深げにいった。よく包帯を取り替えて傷口を清潔にしておくようにといわれたらしいが、彼の包帯はたちまちゲートルのような色になってしまった。

  ともかく、ぼくたちの密偵はよくその職務を果たした。二週間もすると、あちこちにあったエセ教団に衰亡の兆しが見えはじめたのだから。もともと遊び半分の彼らがこの儀式に倦みはじめる時期ではあった。ひとつの流行が終われば、子どもたちはまた新しいはやりごとにむかって駆けだしていくのだ。ぼくたちはその時期に彼らの補給路を絶つことで決定的な打撃を与えたことになる。そしてこの工作活動はぼくたちにも教訓を残した。つまり、人の連帯というものがいかにモロイものであるかということだ。一匹の猫が逃げただけで仲間割れをおこした少年たちもいた。宿題の多い日には人数が集まらないグループもあった。ぼくたちのグループからはあの追従屋のヒロシがいつのまにか抜けていた。ヒロシは通りひとつむこうの町内の子どもたちを手なづけてそこの大将におさまってしまったのだ。祭司はそのことについては何もいわなかったし、ぼくたちもガレージのアジトに何故七人しか集まらないのか話題にしなかった。ただ、どこかの辻でヒロシのグループとゆきあうとき、ヒロシの瞳に浮かんでいる卑屈な光を見るのは嫌だった。よく事情がわからない弟はヒロシの名を呼んだりしたが、ヒロシは聞こえぬように手下の少年を連れて立ち去ってしまう。追従屋から親分になったヒロシは少しも愉しそうではなく、不機嫌で、子分たちに難題を押し付けるばかりだという噂を聞いたことがある。分に余る地位に就くことはかえってその者の苦痛の種になる、というのもぼくたちが新しく学んだ教訓だった。


水に棲む猫 2章-1

2012年04月29日 00時35分42秒 | 文芸

II.秘密結社/密偵たちはよくその使命を果たした

 その年の春。一九六四年の三月から四月にかけて、ぼくたちはほとんど毎日のように儀式をくりかえした。たくさんの猫たちが水に帰っていった。猫たちはいともたやすくぼくたちの手に落ちてきた。まさにぼくたちと猫の密月であったわけだ。猫の意見はこの際別にしても。

 ぼくたちの仲間は八人、そのうちのひとりはちっぽけな鼓手の、いわば員数外の弟だ。それ以上仲間が増えることはなかった。ぼくたちはたいていその八人でほとんどの休日をすごしたものだ。家が近いわけでもなく、とりたてて気があうというわけでもなかったのに、ぼくたちは祭司の少年を囲んで寄り集まった。そして、他にも話はあろうものを、ただ猫と儀式のことばかり喋ってすごした。誰もがそれぞれの猫の物語を持っていて、たくさん知っている者が仲間たちのなかで、はばをきかせたものだ。

 ぼくたちの結束は固く、祭司の気分は猫の目のように変わりはしたが、儀式は堕落せずにつづいていた。それはもうひとつの秘密結社といってよかった。町にはまだ少年たちのグループがいくつかあって、力の強い上級生が大将におさまって互いに牽制しあっていたものだが、そういうグループがみな同じ地区の子どもたちでなんとなくできあがっていたのに、ぼくたちの仲間は町内も学年もクラスもまちまちで、普通なら一緒に遊ぶこともないような顔ぶれだった。ひとりの仲間がもうひとりの仲間を連れてきて、気がつくと八人だったのだ。その八人で〈儀式〉の意味について話し合ったことはなかったけれど、暗黙のうちにひとつの不可解な教義をつくりだしていた。すなわち「猫は再び水の国で生きる」というそれだ。子どもっぽいまやかしの言説のようにも思えるが、その教義のもとにぼくたちは猫を集め、河に運んだ。

 そして、あの哀れな黒猫とエセ教団の事件がもちあがった。あちこちの少年のグループが亜流の結社よろしく、まがいものの儀式を愉しみはじめた。早い話が、彼らも生贄遊びを始めたのだ。気にいらぬことには、彼らはまるで〈教義〉というものもなしに単なる虐待に走っているのだ。邪教の信徒たちは、猫を神としてではなく、もっぱら虐待のためだけに追いまわしていた。路上で身柄を拘束された猫は近くの空地に連行され、そのときどきの思いつきによる刑罰を受けた。(猫に罪があるというなら刑罰と呼べるはずだが、そんなことは問題ではなかった)

 猫婆と呼ばれていた愛猫家の老婆の飼い猫の一匹が、ある晩杭に縛りつけられ、地面に磔りつけにされた。足の悪いその老婆は戻ってこないその猫の名を呼びつづけていたという。その黒猫の名前がニューギニアの戦地にいったまま行方不明になっていた老婆の息子と同じ名前だったとは、後で大人たちがしていた噂だ。

 猫はひと晩そのまま星を仰いでいた。翌朝、猫は喉笛をくいちぎられた無残な姿で死んでいた。野犬かなにかが夜のうちに襲ったらしかった。近くの家の者が深夜に気味の悪い獣の唸り声を聞いたという。

「猫を殺すと祟られるぞ」

 大人たちは空地に集まってきた子どもの誰かれとなくつかまえて忠告していた。悪い遊びが流行っているのに大人たちも気がついたらしかった。

 ぼくたちがその空地に行ったときには、もう惨劇の跡はなく、代わりに真新しい土慢頭がひとつできていた。死骸を埋めたのか、ただ土をかけただけなのかわからなかったが、積み上げられた泥に混じって猫の毛の切れ端のようなものが見えていたので相当無残にやられていたのがわかる。

 情報通の少年が、この事件の首謀者にちがいない連中の名をあげた。顔の長い、大きな鼻と分厚い唇した少年に率いられているグループだ。他の地区の子どもたちから〈馬〉というあだなで呼ばれているその少年は、ぬきんでた体格を利してたくさんの手下たちをつくり、彼になびかない子どもたちに露骨な嫌がらせをして恐れられていた。しかし、その立派な体格は、音楽教師の目にとまるところとなり、鼓笛隊の大太鼓を拝領するにいたった。手下どもの尊敬の念がいや増すことになったのはいうまでもない。

「俺はまえにあいつに殴られたんだ」

 〈馬〉の旧悪を暴いて今度のエセ儀式の犯人であると決めつける少年もいた。

 だが、ぼくたちの仲間がいちばん関心を持っていたのは、人の寝静まった夜更けに、屈辱的な私刑を受けている猫に密かに近づいて、かれに引導を渡した者のことだ。黒猫の喉笛を食いちぎった刺客は、いったいどこから来たのかという推理こそぼくたちの領分ではないか。

 猫族に恨みを持つ鼠のテロ行為。猫にかっての職分を奪われたけイタチの残党の復讐。(かつて武蔵野の原野を駆けていたイタチも学校の理科教室に剥製となって鎮座まします時代だったけれど)通りがかりの野犬の衝動的犯行とも考えられるし、或は野犬の仕業にみせかけた変質者の犯行かもしれない。時折、妙な念仏を唱えながら町をうろついている頭のおかしな浮浪者や、自分の家の裏庭でやたらと鶏をつぶしては食べている近所の金物屋の親父なら、夜更けに猫一匹殺すくらいのことはやりそうだ。ぼくたちは自分たちの行状はたなにあげてあれこれと思いめぐらしたものだ。

 なかでもいちばん仲間の支持を集めたのは、猫たちによる猫殺しという空想だった。空地で磔刑をうけている黒猫のまわりに、猫屋敷の仲間たちが寄り集まってきて、彼らの決定を告げる。

 

  オマエニハ、死ンデモラワネバナラヌ。今ヤ救イヨウモナク恥辱ニマミレタオマエ  トオマエノ眷族デアル我々ノ誇リヲ回復スルタメニ、人間タチニ警告ヲ与エルタメ   ニ、オマエハコノ地ニ死骸ヲ曝サネバナラヌノダ。 

 

 長老の猫が諭すように告げたあと、一匹の逞しい若猫が走りでて、哀れな仲間の喉にかぶりついたに違いない。その若猫は、以前からその主人の寵愛めでたい猫を妬んでいて、大義名文を得たそのとき、情け容赦なく彼の喉笛を食いちぎったはずだ。処刑された猫は傷口からとくとくと血を滴らせながら恨みをのんで死んでいったろう。やがて、この空地にも黄色い南瓜の花が咲くのだ。

 黒猫の弔問を済ませたぼくたちは、声をかけあって秘密の集会所に集まった。仲間のひとり、自動車修理工場のトオルが荷物置場になっているガレージの二階をアジトとして提供していた。古タイヤやサスペンションのバネ、グリースの空き缶、埃をかぶったラジエターが雑然と積まれたそのアジトのなかにそれぞれの坐る場所をみつけて、ぼくたちは次の儀式の段取りをつけるのがきまりだった。

 トオルには弟と妹が四人もいて、さらにもうひとり生まれる予定の彼の母親は、トオルの姿をみかけると必ずそのうちの何人かをあてがって子守りをさせた。その弟妹がガレージの二階でたびたび粗相をするので、ただでさえ油臭いアジトはねっとりとした豚小屋も顔負けの悪臭が漂っていた。トオルは誰よりも先に物置に飛び込んで、ひとつしかない窓を開けはなす。そして、もういいぞ、とでもいいたげに、切れ長な眼に小さな光を浮かべてぼくたちを招きいれた。彼も彼の弟妹たちもあまり風呂に入らないらしく垢じみて薄汚れていた。だが、アジトを提供しているという一事が、彼の仲間うちでの地位を不動なものにしていた。本人のまえではあからさまにはいわなかったが、それにしてもあいつの妹はキタネエナ、と仲間たちは呆れたように陰で言っていた。今日はあの二番目の女の子が来なければいい、と誰もが内心思っているはずだ。

 祭司の少年はみんなより遅れてやってきた。例の空地には行かなかったらしい。すぐに空地での一部始終を誰かが声を落として報告している。あれは追従屋のヒロシだ。

 祭司のほうは耳を傾けながらもなにか居心地が悪そうに何度もあたりを見まわしていた。祭司はこのアジトがあまり気にいっていない様子だった。父親どおしが酒をのんで大喧華したことがあったからだ。一町内を震憾させた殴り合いの原因は誰もが知っていた。祭司の妹を轢いたのは、この修理工場のトラックだったのだ。

 祭司は足音をさせずに床を歩きまわる。いつも階下に注意を払っている。工場の主人が若い工員を怒鳴りつけながらガレージの周りをうろついているようなときは、決してアジトに近づかないし、ふいに下で声がしたりすると、ひとつしかない窓からいつのまにか姿をくらましてしまう。彼の父親の言いつけか、彼自身が嫌っているのか、ともかく祭司は妹を死なせた男と顔を合わせたがらなかった。

 仲間たちがみんなガレージの二階に集まったとき、トオルの父は遠くの検査場で依頼主と声高にやりとりしていた。工場の騒音のなかでは、大きな犬が吠えているようにも聞こえた。

「うちの親父もこの一件じゃ怒っているんだ」

 妹を膝に乗せた少年が口を開いた。

「猫屋敷の婆さんにみんな同情してるんだ。あんな殺されかたってないよね」

 仲間たちは祭司の顔色を窺った。祭司の父親の噂を思いだしているのだ。

「いままで猫屋敷から連れてきた猫はいなかったのに」

「あそこの猫はあの家が気にいっているのさ。婆さんを親猫か猫の大将だとでも思っているんだ」

「婆さんが死んだらあの家の猫どうするかな」

「もう死んじまっているのかもしれないぜ。化猫が手下と一緒に棲んでいるって話を聞いたことがあるよ。あの家の床板をあげてみな。婆さんの骨が散らばっているから」

「それにしても〈馬〉のやつふざけてやがる。この前は子犬を川にたたきこんでいたよ。それから病気の兎。毛がすっかり抜けているやつだ。祭りの日に買ってきたヒヨコとか、なんでもかんでもさ」

「子犬?それじゃあ、自転車屋で生まれた三匹かい。あれはぼくが欲しかったのに」

「犬は泳いで逃げちまった。今頃はとなり町をうろついているさ」

「兎も逃げたの?」

「この間、赤間川の水門のところに浮いていたのがそうだよ。あれじゃ兎に見えないけどな。生き物が水を吸うとあんなにふくれるものかな」

 どれも芳しくない噂だ。町のあちこちでゆるしがたい生贄遊びが行われているようだった。ぼくたちはたがいに顔を見あわせた。

「やめさせよう」

 祭司が独り言のようにそういった。それでぼくたちは一斉に祭司の表情を窺った。何か手段を講じるならば、早いうちでなければならない。大人たちが気づき、学校が〈禁止令〉を布告するまえに、邪教徒たちの芽を摘まねばならない。祭司は本気で結社の危機を憂えているようだった。とはいえ、八人しかいない、おまけにそのうちの一人は鼓手志望の痩せっぽちの弟である。そんなぼくたちが雨後の笥のようにあちこちに生まれたエセ結社にどんな打撃を与えることができるだろう。あの〈馬〉が率いる集団のような多人数にむかって喧華をしかけていくほどぼくたちはむこうみずでも、勇敢でもなかった。ただ、ぼくたちは、あの河へむかって意気揚々と行進する午後を失いたくなかったのだ。弟はまだ太鼓をたたきたらなかったし、町には水に帰すべき猫がたくさんいたのだ。このままではいけない、と祭司はいう。猫は汚されてしまう。ぼくたちと邪教徒たちと見分けられなくなってしまう。彼らはもはやらくらくとぼくたちの手に落ちてはこない。

 ぼくたちは祭司の言葉をかみしめながらあれこれと想像をめぐらし、よくわからない感情に突き動かされて、儀式の安泰を願っていた。鼓手の打ち鳴らす出発の太鼓。河へむかう行進。猫神様はダンボール箱のなかで憩うておられる。石油罐の太鼓は叫ぶ。猫が水の国に帰る、と。ぼくたちはその時間を失いたくなかったのだ。そして、やわらかな毛並みのしたで静かに息をしているあのしなやかないけにえとの親密な関係も。

 


水に棲む猫 1章末

2012年04月29日 00時32分35秒 | 文芸

 ぼくたちの行進は続く。

 猫の崇りだって?そんなものは先を歩いている祭司が祠ってくれるか、全部引き受けてくれるはずだ。儀式が始まると、ぼくたちは一切猫には触れてはならない。祭司がそれを禁じているのだ。祭司はあらゆる猫の崇りに通じていて、儀式のできぬ雨の日などに語ってきかせた。そのときだけ祭司は寡黙な少年ではなくなるのだ。 

 あの化猫南瓜の話を知っているだろうか。

 飼い猫が主人の膳から魚を盗みとったので、怒った主人が薪でその猫をたたき殺した。死骸を埋めておくと、翌年その場所から南瓜が芽を出し、やがて大きな実をつけた。それを煮て家中の者で食べると、みなひどい下痢を起こした。医者に診せてもよくわからない。もしやと思って地面を掘ると、猫の頭蓋の眼が光り、そこから南瓜の蔓が生えていた。猫の骸を土に埋めるとそこから毒草が生える。だから猫の死骸は河に流すのだ、と祭司の少年は真顔でいったものだ。

 ぼくは地中で次第に腐乱していく猫の死骸を想いうかべた。あの柔らかい猫毛が抜け落ちて、ぶよぶよの皮膚が露出する。皮を破って青緑色に腐った肉が舌をだす。やがて肉も内蔵もどろりとした黒い液体になって腹のほうにたまってくる。液体は露わになった骨格に抱かれ青光りし始めるのだ。そのとき、猫が呑みこんでいた植物の種が芽をふく。根のほうは白い蛇のように腐った腹綿のなかに伸びていき、芽はすばらしい速さで地面へはいのぼっていく。そうして、とある晩に、怪しげな双葉が開くのだ。腐った猫の養分を吸い上げて蔓はどんどん虚空へ伸びていき、やがて、誰もいない夜の畑で、その蔓草は月の出を待ってぽっかりと黄色い花を咲かせる。花は月の雫を浴びて猫の目のように光るだろう。熟して地に墜ちた実は猫の息のように生臭い。

 化猫南瓜の話は、その年の夏じゅう南瓜を食べない弟の口実になった。

 その南瓜を食べない弟は行進の先頭で石油罐の太鼓をひっきりなしにたたいている。あの太鼓に皮をはってやったらと思う。学校の鼓笛隊の太鼓には上等な皮が使われているが、ぼくらの太鼓には猫の皮を張ってやったらどうだろうか。猫皮の太鼓だ。どんな音色がでることやら。三味線のように艶っぽい音をたてるかしら。それとも、ごろごろと喉を鳴らすようなまやかしの音だろうか。ぼくらの町内の病院の裏の空き地に棲みついていた喘息持ちの黒猫の皮はどうだろう。冬のあいだじゅうあいつは奇妙な咳をして、空き地の日だまりに寝そべっていた。あの絶え間のない咳の試練にたえた胸の皮はさぞかし丈夫だろう。が、あいつは春になってぼくたちの儀式が始まると、どこかへ姿をくらましてしまった。空地にはよぼよぼした灰色猫が後がまで棲みついたていたが、そいつはとっくに水に帰してしまった。

 猫たちはいつもちがう川に連れていかれた。それがなぜか、祭司の少年はいわなかたし、ぼくたちもたずねなかった。儀式の場所はその日その日で様々にかわった。祭司が東へむかうとき、ぼくたちは遠く農村地帯を流れる荒川の河川敷きを期待したし、西にむかえば入間川の広い土手があった。どちらもぼくたちの町の外縁を流れている。そのほか大小の支流が、その日の気分によって選ばれたものだ。

 しかし、あの赤間川と呼ばれる子供たちが汚い川の代名詞として口にするドブ川での儀式は完全に不首尾に終わった。その川は市街の下水溝を水源に、郊外の処理場にながれていたのだ。ぼくたちはその川筋を歩きはしたが、ついその行き着く先を見ずに終わった。 野菜クズが流れてくる。男物の革靴の片方が浅瀬の泥の上に座礁している。しがらみには水を吸ってふくれあがった鼠の死骸がひっかかっていたり、中身の知れぬ怪しげなダンボール箱がプカプカ浮いていたりした。

 仲間に家が汲取り業をしている少年がいた。ある夜、でかけようとしている父親の新型のバキューム・カーの助手席にとび乗った。夜のドライブを愉しもうというわけだ。しばらく走ってふと気がつくと、車は淋しい川っぷちに止まっていた。父親は車のライトを消し、川にバキュームの太いホースをズルズルと下ろし、タンク一杯の汚穢を放出しはじめた。少年は初めて父親の仕事を理解した。そして、冷汗をじっとりかいた。その川は昼間アメリカザリガニを採って遊んでいた川だったのだ。仲間のなかには釣り上げたザリガニを焚火の火で焙って食べてみせる連中がいて、彼も一度は味見してみたいと思っていた。それ以来彼はザリガニ釣りに加わろうとはしなかったし、父親の車にも乗らなかった。そして、新学期に行われる回虫検査の検便を恐れた。(検便には当初マッチ箱が使われていたが、いつの間にか丸い金属製の容器に変わった。母親が割り箸で詰めてくれたものだが、それが嫌で自分の家の犬の糞を詰めてきて叱られた子もいた。)

 ともあれ、そんなドブ川で神に捧げられる猫は災難だ。だが、儀式は行われたのだ。 祭司の少年は黒ぶちの若い雄猫を、頭上高くもちあげると、深く切れこんでいる堀割りのなかへ投げ落とした。猫は回転しながら水面にぶつかっていった。水音というよりも、ドブンと泥が跳ねる音がした。流れは浅く、ドブ泥が深く積もっていたのだ。猫は泥に呑みこまれてしまった。

 しかし、すぐに川のなかほどで泥の塊が立ちあがった。その塊は狂暴な大ナマズかなにかのように、無茶苦茶としかいいようのない勢いで対岸へ移動していった。大ナマズは向こう岸にとりつくと、はじめてすがたらしきものを現した。堤のコンクリートに爪をたて、気が狂ったようにはいのぼっていく。ようやくにして堤防の上にたどりつくと、こんどは激しいくしゃみがはじまった。鼻につまった泥を吐き出しているのだ。泥水もたっぷり呑んだに違いない。しゃっくりもはじまった。それに加えて体を振るって水気を振り落とそうともしているので、見ているぼくたちには猫が完全に発狂しているとしか思えなかった。

 そこでぼくたちは歓声をあげたのだ。

 猫はひどい目に逢わせた子どもたちを対岸にみとめると、はじかれたように堤防のうえを走りだした。逃げろ、逃げろ。人間の子どもはなにをするかわからない。

 ぼくたちが逃げていく猫を大喜びではやしていたとき、祭司の少年はつまらなそうに唇をとがらせ、猫が這いあがっていったコンクリートの斜面を眺めていた。斜面にはこわれた筆で描いたような泥の筋が半乾きで残っているだけだった。祭司の様子でぼくたちは儀式が失敗したことに思いいたるのだ。ぼくたちは猫を水の国に送りそこなったのだ。