八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

通信363号をアップします。

2021年02月14日 | 八障連通信
通信363号をアップします。


通信363号【音声版】はこちらから


ここからは通信本文です。


暑い暑いといって、マスクの暑さ等々対策をとる日々から一転して過ごしや
すくなりました。朝晩は寒さを感じることもあり、季節の移り変わりを感じる時期となりました。新型コロナの感染状況においては相変わらずなのですが、今後何らかの対策もできてくると思われるので、感染拡大防止に引き続き取り組んでいきたいと思いますし、皆様も気を付けていただきたいと思います。
話は変わりますが、先月市からの各施設への調査で防災に関するアンケー
トがあったと思います。防災訓練については、「密を避ける」ということでなかなかできていないというのが現状だと思います。しかし、住居や施設周辺のあらゆる災害の履歴はご存知でしょうか。そんなことを書いている私自身は正直言えば、水害対策の計画を立てた時、初めて自身の自宅や職場の水害の記録を市のハザードマップやそれに関するインターネット情報を通して、確認したのです。それらの記録をみて驚きました。私の記憶では、幼少のころ排水設備もあまり良くない中、自宅付近では 2~30 センチくらいの水が上がった記憶はあったのですが、それ以上の記憶はありません。しかし、私の勤めている並木町周辺(甲州街道沿い)では過去には 1 メートルを超える水害があったことを知りました。また、自宅付近でも同じ状況で 1 メートルを超える水害がありました。川から離れていて大丈夫などと思っていましたが、本当に他人事ではないことを資料を通して感じました。昨年水害に遭われた施設や住民の方々は大変な思いをされたと思います。そのため対策等沢山検討され取り組まれていると聞いております。
「この付近ではそのような災害に遭ったことがないから大丈夫」と言える状況ではないと思いますので、今一度災害に関してもできる限りの対策をとるために活動エリアの状況の把握をし、可能な限り近隣での助け合いのネットワークを作っていくことが必要だと思います。希薄化と言われる近所の関係ですが、やはり人は人同士の「つながり」がいざというとき重要になります。公助のみを当てにするのではなく、自助、共助も考え対策を考えなければと考えさせられました。また、日々活動場所を提供されている方々に置かれましても、BCP(事業継続計画)など作られていると思われます。活動場所におかれましては、災害時だからこそ必要な場所になると思われますので、日頃からの対策など考えていかなければと思います。利用することを必要とされる方々が安心して集まれる場所にするためには考えなければならないことだと思います。
色々とイベントなど行うのが難しい状況ですが、八障連としては昨年同様「市との話し合い」や「市議会議員との話し合い」など行っていく予定です。皆様のご意見希望等も伝えていきたいと思いますので、八障連まで皆様の声をお聞かせください。よろしくお願いいたします。(文責/事務局立川)


2020 年度議案書の中で八王子市住宅マスタープラン策定懇談会委員のお名前に間違いがありましたので訂正いたします。正しくは中平順子氏が委員となります。大変申し訳ありませんでした。(事務局)


八障連通信 363号をお届けします。今号では、ヒューマンケア協会の中平均氏からの防災についての投稿がありましたので、特集記事として掲載させていただきました。中平様、お忙しい中の記事投稿ありがとうございます。/さて、2020 年もあと 2 か月、振り返るとコロナ・コロナに振り回された(まだ振り回されているけど...)感のある年となってますね。八障連活動も「密」を避けるため、福祉フォーラム・各種懇談会の開催もままならない状況が続いております。しかしコロナに負けることなく年度後半に向けて順次活動を再開していきますのでよろしくお願いいたします。(編集部)


以前よりも災害リスクが身近に迫待っている昨今です。私が防災対策について経験しましたことをお話しします。最初に私が参加しました防災セミナーについてです。「自分で作る安心防災帳」というキットを使います。主催は独立行政法人自動車事故対策機構、開発は国立障害者リハビリテーションセンター研究所福祉機器開発です。
このキットを完成させるには、以下の 1 から 4 番のページに記入やシールを貼って、現在の身体・生活状況と必要な備えや不足しているものについてを導き出していきます。
1 わたしの身体...自分の生活機能の確認です。どんな障害かを具体的に書き込んでいきます。歩けるか。腕や指に支障はないか。排泄は。視力は。聴力は。体温調節は。常備薬は...、家族構成、家の構造は。我が家のように娘二人に犬などのペットはいるか...など。
2 わたしの生活...一週間の活動を時間割りにして明らかにしていきます。就寝は何時から何時まで。食事は。入浴は。排泄は。外出は。車椅子・電動車いす使用時間は。介助者はいつ...。電動ベッドを使用しているか。就寝開始は。起床は。食事はなど。
3 現在の備え...上記の(1.わたしの身体)と、(2 わたしの生活)を参考にして、現在の状況を別紙の備えシールから一つ一つ、(3 現在の備え)に移動して貼り付けていきます。備えシールは、例えば一般的な備え(現金・電池・お風呂の水・発電機...)、人的サービス(主治医との連携・町会との連携...)、情報収集(モパイル端末・避難所の事前チェック・防災マップの確認...)、移動(電動車いす・移送サービス...)、健康(食料・歯ブラシ・携帯トイレ・カテーテル...)、避建所(障害者スペース・身障者用トイレ...)など数多く用意されています。貼り付け終わったシールには充分(○)・不充分(△)・不足(×)の印を付けていきます。
4 必要な備え...具体的にこれからの備えが明らかになります。(3 現在の備え)で不充分(△)・不足(×)と判断したシールをここに移動します。これら一つ一つに、その課題をメモしていきます。
☆備えシールについて
一般的な備え・人的サービス・移動・飲食...など。具体的なシールが用恵されています。貼り付け終わって最後に残るのは、自分には必要ないと思われるものがここに残ります。別に無地のシールがありますので、貼り終わったも
の以外で、それぞれに必要なタイトルを記入してもらうためになります。文面ではあまり上手く伝えることができませんが、興味がある方は取り揃えてください。このキットの内容を書かれている文字を、多く使わせてもらいましたが、災害にあったときの備えの一助になればと思い紹介させていただきました。なお、キットは一般社団法人 EFC に防災介護トイレのパリアフリーとして同サイトに紹介されています。ご疹考になれば幸いです。
次に、昨年の台風 19 号が過ぎ去ってまもなく防災グッズ体験フェアーに参加してきました。内容は非常食を試食したり、防災グッズを体験してみることです。非常食としては、固形食(スーパーバランス)・パン(パンですよ)・フリーズドライ(永谷園)・アレルギー対応レトルト(にんべん)・アルファ米のおかゆ・野菜たっぷりスープなどを、食材を分けてそれぞれに数種類を試食しました。食べやすさや障害当事者として購入の必要性などを判断していきます。充分に日常食として耐えうるものや、味に不満があるものや、同じものでも味の種類不足を感じるものなどを体験できました。
防災グッズとしては、災害用トイレ・照明器具・水電池(災害時非常用ライト〕・エアマット・アルミシート・冷却材・発電機などです。参考になった商品を一つ紹介します。よかレットジェルタイプ(株式会社エクセルシア製)です。ベット上での排便などで消臭処理勧果のある凝固剤です。トイレが使えないときや便器にビニール袋をセットして使用します。残念だったのは発電機(ホンダエネボ 100 ボルト)です。充電対策として考えていたのですが、カセットガスポンベ 2 本で 2 時聞くらい、連続稼働時間や騒音や排気ガスの聞題がありました。
地震体験をしてきました。場所は立川市役所を目安に東京消防庁立川防災施設である立川防災館です。施設の 1 階に地震体験室があり、車いすに乗ったまま起震震台で震度の体験ができます。私は震度 5 で手すりを持ち、介助者に支えてもらいその場から動けませんでした。震度 7 まで体験できますが転倒の危険があるでしょう。それでも、対策の重要性を痛感しました。
防災対策には自助・共助・公助と言われます。自助について頻繁なチェックは続けていきたいものです。共助は地域の防災訓練にも参加してみます。さて、公助について八王子市総合防災ガイドマップを参考にしてみます。
例えば、第 1 版では八王子市役所は浸水区域に入っていませんでしたが、元本郷町は水深ランク 1 から 3 に変更されています。我が家も O.5 から 1m 地区になります。疑問点が残り、配慮が必要な方の避難順序について防災課に説明してもらいました。防災情報メール・八王子市ホームページ・八王子市ツイッターやフェイスブック・ラジオ・東京都防災アプリ・NHK のデータ放送・防災行政無線で自動音声(電話:042-620-7397)などでも災害の警戒レベルが伝えられます。災害発生の危険度と避難所への移動は警戒レベル 3(避難準備・高齢者等避難開始)になります。近くの一次避難所開設についても同時に公表され、市職員などが待機します。自分自身や介助協力者に手伝ってもらい一次避難所に向かいます。一次避難所では配慮が必要と判断された場合は二次避難所(福祉避難所)に案内されます。二次避難所への移動については確認していませんが、その時点で決定するでしょう。ですが、最近の台風での避難行動の報道を見ておりますと避難所不足が叫ばれています。八王子の二次避難所も同じです。
さて、前半でご紹介しました防災フェアの二つには、障害者を持つ家族・本人が参加対象でした。最後の質疑応答で皆さん共通して強調されていましたのは、自助努力で備えを行い、自宅に留まるというご意見でした。私もできうる範囲で自助努力で自宅待機を進めていきます。災害は一生に一度の時代から、年間に数度の時代に変わってきました。対岸の火事ではなく、そこにある危機になってきました。一にも二にも準備準備の時代と思っています。


2003 年 7 月 14 日からは一日中起きていられるようになった。15 日には朝のうちに尿道管を抜いて貰ってすっきりし、午後には硬膜外麻酔の管も抜いて貰った。松田 Dr がやって下さったのだが、「危なかったね」と声を掛けられ、そういう状態に私が陥っていたのかと改めて認識した。確かに、三途の川と言い、いろんな幻覚と言いこれまでにない経験をした。またひとつ命拾いをしたのかもしれないと感じた。
内臓の手術をした時に手術部位から出血した血液、浸出液などを体外に排出する為に装着してあるドレーンも 16、17 日と少しずつ引き出され、その後の回復は順調だった。
17 日から 21 日まで毎日誰かがお見舞いに来て下さった。
都心の虎ノ門ゆえの行きやすさというのもあったのだろう。さすがに手術後故、お見舞客に空振りを食らわせることはなかった。21 日に抜糸をして、22 日朝食後分院へ戻っている。
その日から術後のチェックの為にエコー、CT、MRI と毎日検査が続き、28 日には本院にて CT をやり外科医の最終チェックを終え、31 日午後に無事退院している。
手術を伴った 51 日間の入院生活ではやはり疲れが溜まり、退院後の 2 日間は一日中ゴロゴロしていた。しかし、8 月3 日には夏休み中の子供サービスと自分のリフレッシュとを兼ねて、平塚港に釣りに出掛けた。早朝からの出発は体力的に叶わず、お昼に到着して暗くなるまで防波堤で過ごしたが、釣果は殆どなかった。
5 日にも再び平塚港へ向かうが、信号待ちしている途中でエンジンが止まり、バッテリーが上がってしまった。バッテリー自体は古くなかったのだが、端子部分の接触不良でうまく充電がされていなかったようだ。JAF を要請するも、忙しくてなかなか来てもらえず、結局平塚港へ着いたのは、15 時前
になってしまった。遅く到着したこともあり、1 匹も釣れずに終わったので、帰りに子供達が好きな焼き肉屋に行って夕食を摂(と)った。釣って帰ってから捌(さば)いて料理まですると結構疲れるので、病後の身の上としては「坊主バンザイ!」私は海を見ているだけでも充分なのだ。
悪い事は続くと言うが、バッテリートラブルはその後 7、8 日と続いた。7 日に 2 度ある事は 3 度あると言うなぁと思ったのがイケなかったか。因みに 7 日は私、8 日は息子の原付だった。馴染みのバイク屋さんのトラックを借り
て、原付を連日運搬したのは初めてだし、その後もない。空前絶後だ。
♭これっきり、これっきり、これっきりですか~♭(「横須賀ストーリー」)何という言い様だ?いい加減にせんかい!こちとら、一回こっきりで充分だぜ!
原付なら、ひとりで軽トラに積むことができるようになったのはいつ頃からだっけか。お陰で馴染みのバイク屋さんがタダでトラックを使わせてくれるようになった。地元のライオンズクラブに所属し、福祉部会の世話役をやっていらっしゃったようで、たまに頼みごとをされ、いろいろな障害者団体を紹介したりしてきた。ライオンズとは関係なく、ご自身では視覚障害者の支援を長くしておられた。年齢は殆ど同じ位だろうか。2019 年末で店を閉められた。寂しい気もするが、一所懸命仕事をしていらしたので、ゆっくり休んで楽しい老後を送って下さることを願っている。彼のお兄さんが私と同じ B 型肝炎で 50 歳過ぎに引退したといつか仰っていたっけ。
私が入院している間に愛犬「舞」にも癌があることが分かり、私が退院するまでの延命策として抗癌剤の投与を受けていたようだ。途中子供が舞を抱っこしながら、車で見舞いに来てくれたことがあった。かなり痩せこけ元気がなかったが、私の退院を待ち、ついに 9 月 3 日に亡くなった。享年 7 歳半。若すぎる死だった。諸事情でこの闘病記には書けないいろんな出来事があり、家族がバラバラになりかけた時もあった。しかし、舞が我が家の紐帯(ちゅうたい)としてしっかり役割を取ってくれ、皆どれだけ癒された事だろう。我が家が大変だった頃、介助犬協会を介して来てくれた救世主でもあった。彼女の遺骨は合祀墓に納骨したが、一部を分骨して持ち帰り、私の枕元にいつも居る。なんマイだ~。(続く)

通信本文はここまで。

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