八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信350号をあっぷします。

2019年10月06日 | 八障連通信
八障連通信350号です。
※このブログでアップされている音声データはすべて「南大沢音訳の会こだま」さんのご協力をいただき掲載しております。

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ここより通信本文となります。
【事務局通信Vol.62】
今回は、書籍の紹介をさせていただきたいと思います。『わたしが障害者じゃなくなる日 〜難病で動けなくてもふつうに生きられる世の中のつくりかた』(海老原宏美 著 旬報社)2019 年 6 月 1 日発行です。海老原さんは人工呼吸器ユーザーの日常を描いたドキュメンタリー『風は生きよという』(宍戸大裕監督)に出演。八障連の福祉フォーラムでも上映会を開かせていただき、お世話になりました。
著書『まぁ、空気でも吸って』(現代書館)。NHK E テレ『ハートネット TV』などメディア出演多数に出演。2016 年度東京都女性活躍推進大賞を受賞。
「私は「価値のある人間と価値のない人間」という区別や優劣、順位があるとは思
いません。価値は、人が創り上げるもの、見出すものだと信じているのです。樹齢千
年の縄文杉を見て、ただの木でしかないのに感動したり、真冬、青い空に映える真っ
白な富士山を見て、ただの盛り上がった土の塊にすぎないのに清々しい気持ちになれたりと、価値を創り出しているのは人の心です。これは、唯一人間にのみ与えられた能力だと思います。そう考えるとき、呼吸器で呼吸をし、管で栄養を摂り、ただ目
の前に存在しているだけの人間をも、ちゃんと人間として受け入れ、その尊厳に向き
合い、守っていくことも、人間だからこそできるはずです』と都知事に手紙を書き、話
題になりました。たまたまの偶然ですが...私の実家のある東大和市で『自立生活セ
ンター東大和』の理事長を務めておられます。また、これもたまたまなのですが、電
動車いすの保守点検をお願いしている業者さんも同じでした。
そんなこんなのご縁もあって、インターネットの SNS(Social Networking Service=ソーシャル・ネットワーキング・サービス。インターネットや携帯回線を通じてオンライン上で不特定多数の人が交流をはかるサイトの事)に友人申請を出させていただき、時折、お互いの情報を交換したりしています。この本のことも、SNS 上の告知でお知らせをいただきました。
この本は、子ども向けとして書かれたものであり、全体に簡便平易な言葉で書かれてはいるものの...『わたしは生まれつき、脊髄性筋萎縮症という、とてもむずかしい名前の病気にかかっています。どんな病気なのか、かんたんに言うと、体の筋肉がだんだんおとろえていく病気です。みんなが当たり前のようにしている、かけっこも、ボール投げも、リコーダーを吹くことも、そう、呼吸をすることだって、ぜんぶ、筋肉がないとできません。その筋肉がだんだんなくなっていく病気です。
だから、みんなができることが、わたしにはできません。小さなころは自分の足で立って歩けたけど、今は車いすを使わないと動けません。本のページをめくるのだって、だれかの助けがないとむずかしい。息をすることも、人工呼 吸器という機械を使わないと、できないのです。
わたしは、重度障害者と呼ばれています。重い、障害のある、人。たしかにそうかもしれません。でもね、じつは、わたしに障害があるのは、あなたのせいなのです。
そう言ったら、おどろきますか?
それはそうだよね。あなたはきっとわたしのことを知らない。わたしもあなたのことを知らない。なのに、自分のせいだなんて。でもね、本当にそうかもしれないんだよ。わたしが病気であることと、「障害がある」ことは、別のこと。わたしの生き
づらさをつくりだしているのは、この世の中、この社会なのです。
わたしのような障害者でも、楽しくて、もっと生きやすい世の中って、つくれないのかな。それはきっと、障害のない人だって生きやすい世の中なんじゃないかな。わたしは、そんな社会をつくりたいと思っています。そのために、目の前にいるたったひとりのあなたに、わたしは語りかけたいのです。あなたが変われば、わたしの障害をなくすことも、できるはず。たったひとりのあなたが、たくさんふえて、みんなになれば、いつか社会は変わるはず。その未来を信じて、わたしはこの本をとどけます。』 (以上、本文より抜粋。[注]:編集の都合で「段落」を変更してます。)
というように...社会モデルの考え方に基づく合理的配慮の概念について、実に的確に言い表しています。小さなお子さんはもとより、大人の方々にもぜひ手にとっていただきたい一冊です。(文責/杉浦)

【砂永美んさんからのお便り】
お元気ですか? 残暑も和らいで来た近頃いかがお過ごしです
か?
《活動報告です》
ドルフィン福祉会 (福嶋裕美子理事長)のイベント、夜の岡山放送 2 社で8 月 10 日(https://ksb.co.jp/newsweb/index/14434) ネット記事にも載ってます。「みんなで考えよう!発達障がい 講演会」挨拶は加藤衆議院議員令夫人加藤周子様、障害者 1000 人雇用 片岡総社市長が、冒頭挨拶。フードバンクの飲料提供もありました。
《今後の活動予定です》

◎10 月下旬埼玉県 上尾市 飯能市 周辺 百貨店販売会予定です。近隣の施設 、協力販売、ご連絡ください 紹介推薦大歓迎です。
◎国会議員会館のセブンイレブンの販売も順調に、6 年目に入ります。関係施設も重要な売り上げと頑張ってくれています。
◎渋谷区区庁舎の、お土産プロジェクトも半年で、初月 20 万越え 、現在も 10 万円を継続して売り上げています。
(意味は渋谷区の障害者施設のお仕事が切れ目なくある証拠です) 以前は、1 万円も売れたら、ビックリだった場所でした。全国の博物館からの 商品も継続しています。インバウンド効果で 沢山売れてます。
◎7 月に出来た オタクミュージアムも、外国人観光客が突然予約なしで入ってきたりと、少しずつ人気出てます。今回このメール返事いただいた 5 名先着で 、無料で入場チケット差し上げます(www.otaku-museum.com)
◎知的障害者の若者に大学教育を! 長谷川さんの本 2200 円。代理でボランティア販売しています。世界中 8 カ国の知的障害者の大学スタイルの取材結果を本にしています。
◎私の 7 月発売の本 既に 2000 冊を完売。ありがとうござます!企業と障害福祉の SDGS 的 5 人の働き方改革。欲しい方は、「SDGS 欲しい」とメールください。住所 携帯番号お願いします。2200 円です。
最近料理教室やってないので またやりたいです。パラリンピック応援に、一緒に行ってくれる人募集中。毎日、皆さまのおかげで 、働ける事に感謝です。よろしくお願いします。
www.arigatoshop.jp 一般社団法人 ありがとうショップ 砂長美ん
Facebook sunanaga bin 検索 https://m.youtube.com/watch?v=YgLawavYcPY
151ー0053 東京都渋谷区代々木 3-1-16 090-8454-2409

9 月 8 日(日) 印西市 中央駅前講演会 ユタカカレッジ長谷川社長と私の講演会「知的障害者の大学進学と発達障害の働くについて」
9 月 23 日(月) 徳島県徳島市 障害者の働くイベントで、講演会
9 月 24 日(火) 徳島県セルプセンター 工賃アップと障害者施設の商品開発セミナー講師
10 月 10 日(木) 沖縄県中小企業同友会 講演会
10 月 12 日(土) 宮古島のみやこ福祉会 訪問


【アサーションって何だ!?自分も相手も大切にする人間関係を結ぶために 杉山 成子】
「アサーション」という言葉を初めて聞く人が多いと思います。
これは、自分も相手も大切にしながら自分の意見や考え、気持ちをきちんと伝えるコミュニケーション術、人間関係の結び方を学ぶものです。
これがアメリカから日本に入ってきたのは15年くらい前。該当する日本語がなくて、「適切な自己表現」などと訳されていました。精神疾患をもつ人は、疾患の原因としても、疾患の結果としても、人とのコミュニケーション、人間関係がうまくいかない場合が多いため、最初は、精神科のデイケアやカウンセリングで率先して取り組まれました。
その後、日本社会全体に広がり、企業の人材・新人研修などでも、アサーション講座がもたれることがとても増えました。訳語も、より、アサーションの意味を正確に表現するものとして、いまでは「自分も相手も大切にする自己表現法」「さわやかな自己表現法」などに変化してきています。
自分が自分の考えを正しいのと思う同じ重さで、相手も自分の考えを正しいと思っている...。自己表現をするとき、このことに配慮して周りの空気を凍らせたり、相手の心を傷つけたりしないようにするにはどうしたらいいのか。言い出しづらい環境のとき、どんな風に自分の意見や気持ちを語ったらいいのか。そんなことを学びあっていきます。
初回は、まずは、各自にアサーション度を調べる簡単なアンケートをします。筆記用具だけ、ご用意ください。2回目以降は、ロールプレイングといって、場面設定をして、順番に役を演じて、「自分だったら、どう言うか」と考え、即興で会話をします。そして、それを見ての感想をみんなで話し合い、アサーションを学びあっていきます。 職員も極力仕事の都合をつけて参加の予定。ぜひ、あなたも!! (杉山 成子)


【お知らせ掲示板】
八障連運営委員会 9 月 17 日(火) 18:30~20:30 クリエイトホール

【編集部より】
八障連通信 350 号をお届けいたします。今号では、ほっとスペース八王子 で当事者職員として勤務されている杉山 成子さんが、会員に呼びかけた「アサーションってなんだ」を本人の許可のもと、掲載しました。杉山様、今後とも通信原稿の執筆、よろしくお願いいたします。/砂長美んさんからも「夏のお便り」が届きました。いつも
全国展開のご活躍に敬服です。今後のますますのご活躍を期待しております。(Y)


【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 35】
私の人生最大の危機は実はこの肝臓癌の手術ではなく、まだ 1 歳にもならない時期に遡(さかのぼ)る。戦後の混乱と物資の不足、医療環境も整っていなかった時期に掛かり付け医の誤診から幾つかの病気を併発し、見放されたところを、大阪大学大学院で医学博士を取る為の研究をしていた大叔父にやっとの事で救われたのだった。救われなきゃ良かったのにだって?そんな声は 2 年前にも聞いたっけか。憎まれっ子世に憚(はばか)る~。
生きて来た年代順に言えば、人生 2 番目の危機が肝癌だった。当時は今のように生存率がまだ高くなかったし、虎の門病院での肝臓癌の生存率のデータも 5 年後は 3 分の 1 以下だったように思う。生存率のグラフの何処に自分がプロットされるのかは神のみぞ知る世界である。
そういう状況に置かれ、考え直したことがある。一日一日、一瞬一瞬を大切にして生きるという、仏教で言われる本来の「刹那主義」だった。心理学や精神医学の世界で「いま、ここ(here and now)」が大切と言われ、クライエントさんにもそう伝えてきたが、自分自身は夢追い人であり、時に前のめりになりながら走ってもいたとの自覚はある。大学時代には周りの人から生き急いでいるとよく言われたものだが、急ぐも何も、もう先がありませんといつ言われるかもしれないという事態に陥ってしまった。癌にまつわるドラマや小説に、手術後もう来年の桜は見られないかもしれないと花見に行き、花の鮮やかさに感動するという話がよく出てくる。ありきたりの話で申し訳ないが、1995 年 3 月に百草園まで出かけて見た梅の光景は昨日のように鮮やかに残っている。高ぶった感情がドーパミンを多量に排出し、見えるものを輝かせるのだろうか。
虫の知らせというのか、1993 年から 1994 年にかけて幾つかの非常勤職と公職を辞していたので、癌治療に専念できたのは勿怪(もっけ)の幸いであった。勿論いろんな人たちの助けがあってこそ可能であった入院生活であり、ありがたさをしみじみと感じた。その恩返しと言うか、退院後 2 日目のアースデイには馳せ参じている。
1995 年から 1996 年にかけて、八障連や精神医療改革運動など夜の活動がなくなった分、夜は家に居ることが多くなったが、手帳を繰(めく)っていると、しばしば「しんどい」「だるい」「不眠」などの走り書きが認められる。
1995 年 10 月の外来受診で肝臓癌マーカーであるAFP が上昇していた。11 月 25 日の夜に夢を見て、熊田 Dr から「もう治療不能だね」と宣告され、寝汗をびっしょりかいて夜中に目を覚ましている。
翌 1996 年 3 月のエコー検査で肝臓に腫瘤影が認められるとのことで、即入院命令が下された。5 月 10日から 2週間入院し、あらゆる検査を受けた。あの一番辛い検査であるアンギオ(血管造影検査)を 14 日に受け、夜に肝臓あたりに軽い痛みを感じている。前回にはなかったことだ。17 日にはエコーを見ながらの肝生検も行った。この頃脂漏性皮膚炎も抱えていて、その痒みも伴って 2 週間の間、まともに眠れた夜はなく、21 日は珍しく 1 日中ベッド上でゴロゴロして過ごしていた。
ただ、この時の担当医が可愛くて聡明な感じのシャキッとした 30 代の女医さん(前原 Dr)だった。毎日のようにベッドサイドに来てくれるのを楽しみにしていた。いろ
んな話もできた。専門は心臓外科医で、肝臓の勉強に来ているとの事だった。アンギオも担当してくれ、見事な手さばきに感心した。手術台の上に設置された大きなモニターにカテーテルの切っ先の動きがはっきり見え、じっと眺めていた。その不思議さを伝え、できれば道具を見たいと言うと、数日後その道具を持ってベッドサイドまで来て、見せてくれた。今頃はベテランの心臓外科医として何処 か で 活躍されてい
る だ ろ うか?
「 ま い ば ら~、まいばら」半世紀前のこだま号 が よ みがえってきた。(次号に続く)


通信本文はここまで。

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