八障連通信359号です。
八障連通信359号【音声版】はこちらから
ここからは通信本文です。
【事務局通信 Vol.69】
御無沙汰をしております。4 年か 5 年前まで八障連の代表を務めていた夛田です。世の中はこの 2 カ月 3カ月、例の新型コロナウイルスのおかげでとんでもない話になっていますが、皆様はどんなご様子で日々をお過ごしでしょうか。自分なども、何万分の一の確立とは言え、もし貰ってしまうと命の方が一発アウトになりかねないと想うと、近所のコンビニへ行くのもおっかなびっくりで、国から言われなくともステイホームになっています。ただ、自分の場合はここ数年ほぼほぼステイホームなので、変わらないと言えば変わらない、ですから国でバラ蒔く 10 万円も「金の出入りに変化のない自分がもらってもなぁ...?」という印象が拭えません。ということで、コロナの件は横へ置いてまたの機会にとして、ここでは自分の近況をお伝えして置きたいと思います。少々手前味噌ではありますが...。
自分は現在、八障連からは顧問の肩書を貰って、主に市の自立支援協議会を初めとした各種委員会の委員として、月に一・二回は市役所へ顔を出し、残りはステイホームで、たまに関わりのある事業所などにひょっこり顔を出す。そんな様子でしょうか。一方で、八障連の会合等へはほとんど顔を出してはいません。一つ想いとしてあるのは、一旦身を引いた者がのこのこ居続けるのは後を託した人たちに甚だ失礼ですし、自分程度の者でも影響はな
い方が良いと考え、なるべく存在自体を消すように心掛けています。同時に、夜の会合はおろか土日の昼間でも、時間の長いイベントに付き合うのも、ここ数年は基礎体力の低下や体調面での問題も様々あり、興味や楽しみよりも辛さの方が先立って来ています。そんな事情もあり、八障連の会合自体もここ数年減っている中で、皆さんと会う機会も自ずと少なくなってしまっている次第です。
思い起こすと 40 年ほど前に、自分と同じ脳性まひの大先輩が「脳性まひ者は 50 を過ぎるとガタガタで、60 過ぎたらあの世に行っているか、動けないかどっちかだぞ。だから今のうちに暴れて置けよ」と、しみじみと言っていました。当時は何となく聞いていた感じでしたが、自分も還暦を少し越えてみて、日々その言葉の重みを実感しているところです。体調面の問題も二次障害・三次障害と、年を重ねる毎に増えていて、ここで挙げていると切りがないので、直近に分かったことを書きますと、3 月後半に主治医の勧めで CT:検査を受けたところ、肺のちょっとした疾患が見つかりました。大きな疾患ではないようですし、何となく予感もあったので特に驚いてもいませんが、「何もコロナのこの時期に判らなくても...」と思いつつ、ここ最近の体力の低下やぜんそくなどの要因がそこにあるとすれば、逆に納得も出来、今後どう戦うかの方へ気持ちを切り替えているところです。
さてさて、やはり手前味噌な内容になってしまいました。せめて皆さんのお知り合いに脳性まひの方がいらっしゃって、少しでも参考になれば幸いですが、どうでしょうか。この辺りで今回は終わりと致します。(了)
自分は現在、八障連からは顧問の肩書を貰って、主に市の自立支援協議会を初めとした各種委員会の委員として、月に一・二回は市役所へ顔を出し、残りはステイホームで、たまに関わりのある事業所などにひょっこり顔を出す。そんな様子でしょうか。一方で、八障連の会合等へはほとんど顔を出してはいません。一つ想いとしてあるのは、一旦身を引いた者がのこのこ居続けるのは後を託した人たちに甚だ失礼ですし、自分程度の者でも影響はな
い方が良いと考え、なるべく存在自体を消すように心掛けています。同時に、夜の会合はおろか土日の昼間でも、時間の長いイベントに付き合うのも、ここ数年は基礎体力の低下や体調面での問題も様々あり、興味や楽しみよりも辛さの方が先立って来ています。そんな事情もあり、八障連の会合自体もここ数年減っている中で、皆さんと会う機会も自ずと少なくなってしまっている次第です。
思い起こすと 40 年ほど前に、自分と同じ脳性まひの大先輩が「脳性まひ者は 50 を過ぎるとガタガタで、60 過ぎたらあの世に行っているか、動けないかどっちかだぞ。だから今のうちに暴れて置けよ」と、しみじみと言っていました。当時は何となく聞いていた感じでしたが、自分も還暦を少し越えてみて、日々その言葉の重みを実感しているところです。体調面の問題も二次障害・三次障害と、年を重ねる毎に増えていて、ここで挙げていると切りがないので、直近に分かったことを書きますと、3 月後半に主治医の勧めで CT:検査を受けたところ、肺のちょっとした疾患が見つかりました。大きな疾患ではないようですし、何となく予感もあったので特に驚いてもいませんが、「何もコロナのこの時期に判らなくても...」と思いつつ、ここ最近の体力の低下やぜんそくなどの要因がそこにあるとすれば、逆に納得も出来、今後どう戦うかの方へ気持ちを切り替えているところです。
さてさて、やはり手前味噌な内容になってしまいました。せめて皆さんのお知り合いに脳性まひの方がいらっしゃって、少しでも参考になれば幸いですが、どうでしょうか。この辺りで今回は終わりと致します。(了)
【お知らせ掲示板】
コロナ過により 2020 年度の八障連総会は 7 月 4 日に開催する運びとなりました。参加は役員のみとし、評決は書面採決となります。
総会議案書および書面採決・委任状は同封しておりますので、お手続きのほどよろしくお願いいたします。(運営委員会)
総会議案書および書面採決・委任状は同封しておりますので、お手続きのほどよろしくお願いいたします。(運営委員会)
【連載コラム 『日々のなかから、』 <怠惰のすすめ> Vol.49 八障連代表 杉浦 貢】
身体障害者...歩行困難者と言っても、いろんな人がいます。よろけたりすることはあっても、何とか歩行が可能な人や、立ったり歩いたりはできないけれど、腕や足で車いすを漕げば移動可能な人。自力ではほとんど動けず、横になったままの人まで様々です。いずれの場合でも、自分の障害をどのように認識し、日常の困難といかに向き合うかはその人次第。個人個人の選択と決定に、いいも悪いもありません。ただ本人だけが、自分の決めたことに納得していれば良いわけであり、そこに他人が口を挟む余地はありません。ただ...傍からとやかく言わぬにしても、私が見ていて...、『この人、しんどい生き方してるなあ』と感じる人はいるものです。それでも口も出せなきゃ手も出せないので、気が付いていないフリをしつつ、静かに見ているしかないのですが...
では...どんな人が『辛そうに見える』のか...というと...、『歩ける』ということや『動ける』ということに、ある種の異様なこだわりがある人たちです。たとえば、『自分は、足が怠くて歩くのがしんどくても、ずっと辛さを我慢してきた。今さら車いすには乗りたくない』だとか、『自分はずっと腕を鍛えて車いすを漕いできたのだから、電動車いすに乗ることで怠けてしまうのがイヤだ』という人たちです。『自力で成し遂げる』ということにこだわりと生きがいを感じるあまりに、より便利な道具、便利な機械に頼ることを是としない人々です。
自分の足で歩ける。自分の腕で車いすを漕げるからと言ったところで、そもそも医学的に障害者である、とされるからには、健常の人たちのようにスイスイと、どこでも動けるわけではありませんから...。どうしても生活の上でどこかに無理は来ます。若い時には、それなりにがんばれるにしても、環境の変化や時間の経過で...だんだんとがんばれなくなります。それに、外出の時に
一番重要なのは...、『どれだけがんばって歩いたか』とか、『どれだけがんばって車いすを漕いだか』というよりも『出かけた先での時間を、どう有意義に過ごすのか』ということであるはずだと思うのです。障害のある人が、自分の足で歩く』、『車いすを漕ぎ続ける』というのは...運動すること自体を、スポーツやレジャーとして楽しむ。あるいは、健康のためのリハビリテーション、トレーニングやエクササイズでもない限り...あまり意味のない事だと思うのです。せっかく目的地に辿りついても...行った先で精魂尽きてバテバテになったのでは...それが仕事にしろ、遊びにしろ、出かけた意味が半減します。
きちんと付き添いの支援者を付ける。ちゃんと車いすに乗る。利便性の高い電動車いすに乗るなど...より便利な道具を使い、支援を受けることで...身体が楽になるだけでなく、何より気持ちの余裕が生まれます。
長い間、日本の福祉制度では...『歩ける人は歩きましょう』『なるべく自力で車いすを漕ぐことをオススメします』『なるべく、人の手を借りずに生活しましょう』というようなことが言われがちでした。
しかし私は、歩行機能がある人が、電動車いすに乗っても構わないと思うし、手動車いすを漕げる体力のある人が、電動車いすに乗ってもいいと思っています。人の身体は消耗品です。無理をさせれば壊れるし、長く使えばガタもきます。『将来を豊かに過ごすために、今できることを、あえてやらない』『胸を張って怠ける』という選択だって、充分に、あって良いと思うのです。
なんなら、福祉制度がどうであれ...全く身体に障害のない人が、手動や電動の車いすに乗っていたっていいと...個人的には、そう思っています。その昔...家庭に洗濯機が普及する前までは『着物は手洗いでなければ情は通わぬ』であるとか言われた時代あるそうです。また、食器洗浄機が普及しつつある現在でも...『皿は手洗いでないと、家事の温もりが伝わらない』という人がいるようです。手仕事に価値を感じ、特別な思い入れがあるなら、ぜひとも、そのようにするべきです。そうしたいなら、そうすればいい。それが正しいと信じて、自分で選んで決めたことなら、日々それを実践すればいいだけです。しかし、文明と道具がもたらした今日の利便性を否定するなら...『家族で使う火は、自分で火起こしした方がいい』、『自分たちで使う水は、自分で井戸掘って組み上げるか川から運んだ方がいい』というところにまで、時代を遡らなければならなくなります。災害時や緊急事態ならば、そのように...『自力で成し遂げる』という古代のスキルも必要になるでしょうが、そんなサバイバル生活も、長く続けば生活の余裕、心のゆとりが失われていく場合があります。
自力で成し遂げる、達成感を得るというのは悪いことではないけれど『足で歩く』ということにこだわれば...いつか歩けなくなった時に、『車いすを漕ぐ』ということにこだわれば...いつか漕げなくなった時に、心に重いダメージが来ます。
こだわること、プライドを持つことは生きる張りあいにもなるけれど、強すぎれば害にもなります。『病んだ自分』『衰えた自分』も...紛れもなく、慈しみ ...労るべき大切な、自分自身であることに違いありません。その時、その時の自分を、無理なくありのまんま受け止められるようになりたいです。
では...どんな人が『辛そうに見える』のか...というと...、『歩ける』ということや『動ける』ということに、ある種の異様なこだわりがある人たちです。たとえば、『自分は、足が怠くて歩くのがしんどくても、ずっと辛さを我慢してきた。今さら車いすには乗りたくない』だとか、『自分はずっと腕を鍛えて車いすを漕いできたのだから、電動車いすに乗ることで怠けてしまうのがイヤだ』という人たちです。『自力で成し遂げる』ということにこだわりと生きがいを感じるあまりに、より便利な道具、便利な機械に頼ることを是としない人々です。
自分の足で歩ける。自分の腕で車いすを漕げるからと言ったところで、そもそも医学的に障害者である、とされるからには、健常の人たちのようにスイスイと、どこでも動けるわけではありませんから...。どうしても生活の上でどこかに無理は来ます。若い時には、それなりにがんばれるにしても、環境の変化や時間の経過で...だんだんとがんばれなくなります。それに、外出の時に
一番重要なのは...、『どれだけがんばって歩いたか』とか、『どれだけがんばって車いすを漕いだか』というよりも『出かけた先での時間を、どう有意義に過ごすのか』ということであるはずだと思うのです。障害のある人が、自分の足で歩く』、『車いすを漕ぎ続ける』というのは...運動すること自体を、スポーツやレジャーとして楽しむ。あるいは、健康のためのリハビリテーション、トレーニングやエクササイズでもない限り...あまり意味のない事だと思うのです。せっかく目的地に辿りついても...行った先で精魂尽きてバテバテになったのでは...それが仕事にしろ、遊びにしろ、出かけた意味が半減します。
きちんと付き添いの支援者を付ける。ちゃんと車いすに乗る。利便性の高い電動車いすに乗るなど...より便利な道具を使い、支援を受けることで...身体が楽になるだけでなく、何より気持ちの余裕が生まれます。
長い間、日本の福祉制度では...『歩ける人は歩きましょう』『なるべく自力で車いすを漕ぐことをオススメします』『なるべく、人の手を借りずに生活しましょう』というようなことが言われがちでした。
しかし私は、歩行機能がある人が、電動車いすに乗っても構わないと思うし、手動車いすを漕げる体力のある人が、電動車いすに乗ってもいいと思っています。人の身体は消耗品です。無理をさせれば壊れるし、長く使えばガタもきます。『将来を豊かに過ごすために、今できることを、あえてやらない』『胸を張って怠ける』という選択だって、充分に、あって良いと思うのです。
なんなら、福祉制度がどうであれ...全く身体に障害のない人が、手動や電動の車いすに乗っていたっていいと...個人的には、そう思っています。その昔...家庭に洗濯機が普及する前までは『着物は手洗いでなければ情は通わぬ』であるとか言われた時代あるそうです。また、食器洗浄機が普及しつつある現在でも...『皿は手洗いでないと、家事の温もりが伝わらない』という人がいるようです。手仕事に価値を感じ、特別な思い入れがあるなら、ぜひとも、そのようにするべきです。そうしたいなら、そうすればいい。それが正しいと信じて、自分で選んで決めたことなら、日々それを実践すればいいだけです。しかし、文明と道具がもたらした今日の利便性を否定するなら...『家族で使う火は、自分で火起こしした方がいい』、『自分たちで使う水は、自分で井戸掘って組み上げるか川から運んだ方がいい』というところにまで、時代を遡らなければならなくなります。災害時や緊急事態ならば、そのように...『自力で成し遂げる』という古代のスキルも必要になるでしょうが、そんなサバイバル生活も、長く続けば生活の余裕、心のゆとりが失われていく場合があります。
自力で成し遂げる、達成感を得るというのは悪いことではないけれど『足で歩く』ということにこだわれば...いつか歩けなくなった時に、『車いすを漕ぐ』ということにこだわれば...いつか漕げなくなった時に、心に重いダメージが来ます。
こだわること、プライドを持つことは生きる張りあいにもなるけれど、強すぎれば害にもなります。『病んだ自分』『衰えた自分』も...紛れもなく、慈しみ ...労るべき大切な、自分自身であることに違いありません。その時、その時の自分を、無理なくありのまんま受け止められるようになりたいです。
【連載コラム 『日々のなかから、』 <ケーキの切れない非行少年たち> Vol.50
八障連代表 杉浦 貢】
八障連代表 杉浦 貢】
先日たまたま、書店をのぞいたおりに...、「『ケーキ』の切れない非行少年たち」という本を購入しました。一回読んで、なるほど納得...という気になりましたので、熟読しようと思い現在 2 周目です。主な内容は...というと、『少年犯罪...それも凶悪事件を起こすような少年たちには、何らかの障害がある』と結論付けたものです。
くれぐれも誤解しないでいただきたいのは『精神障害や発達障害、知的障害の子どもは犯罪者か、もしくはその予備軍であるからして、然るべく処断せねばならぬ!』とは書かれていない。という点です。筆者は、凶悪事件を起こした少年(法律上、未成年の女子も少年と呼びます)を、更生させ、社会復帰を促す仕事をしている人ですが...そういう子どもたちと接する中で、とくに深刻な犯罪を起こした子どもに共通するのが...『他人の話が落ち着いて聞けない。目の前で話されている言葉の意味がわからない』など、そもそも『他人との
協調が出来ない』...などの特徴がある。という点だったそうです。
無論それだけのことで障害のある子どもが犯罪に走るわけでは決してなく...家庭環境や家族関係に深刻な問題を抱え、さらに学校との関わり方も上手くいかず...それが後天性にせよ先天性にせよ...子どもたち自身に何らかの障害があり、深刻な心の病を抱えていたり、知的な発達に大きな課題を抱えているということが、社会の中で放置され、長い間に見過ごしにされてきた結果...子ども当人の道徳感...倫理観の欠如を招き、感情の抑制...自己コントロールの方法も学べていないために、短絡的な怒りや欲望に支配され...結果として犯罪に走る。犯罪をおかして捕まったあとからでしか...本人にも周囲にも、『実は障害があったのだ』ということが理解されていないのだ...としています。
精神や発達に障害があったとしても、幼少期から適切な支援...医療や福祉のバックアップさえあったなら、彼らは犯罪に走らなかったのではないか。筆者はそう投げかけています。
『ケーキの切れない非行少年たち』とは、筆者が『ホールケーキを三等分しなさい』と、少年たちに課題を出した時、まったく正解が出せなかったというエピソードから付けられたタイトルだそうです。誰か他の人とケーキを分け合って食べるような家族習慣もなければ、どのようにケーキを分割すればよいか?という、その学習さえさせて貰えなかった少年たち。という意味です。もちろん、障害があることや、課題の多い複雑な家庭に育ったことが、そのまま問題なのではなく、犯罪に走るのは、子ども本人だけの責任でもなく、社会の支援が必要な子どもたちが見過ごしにされること、助けの手が届かないことが...凶悪犯罪の若年化に繋がっているかもしれない。そんな現状を訴えた内容の本でした。筆者はこの他...課題を抱えた子どもたちの認知機能や理解力をどう伸ばすのか...という点について書いた本も出しているようなのです。機会があれば、そちらも読みたいと思います。
《編集部注》
著者の宮口 幸治氏は児童精神科医。立命館大学の教授。精神科医として特に児童青年期精神医学を専門とし、その中で、非行臨床、性加害の問題、学校コンサルテーション、発達障害・知的障害児への認知的支援などを研究テーマとしています。
くれぐれも誤解しないでいただきたいのは『精神障害や発達障害、知的障害の子どもは犯罪者か、もしくはその予備軍であるからして、然るべく処断せねばならぬ!』とは書かれていない。という点です。筆者は、凶悪事件を起こした少年(法律上、未成年の女子も少年と呼びます)を、更生させ、社会復帰を促す仕事をしている人ですが...そういう子どもたちと接する中で、とくに深刻な犯罪を起こした子どもに共通するのが...『他人の話が落ち着いて聞けない。目の前で話されている言葉の意味がわからない』など、そもそも『他人との
協調が出来ない』...などの特徴がある。という点だったそうです。
無論それだけのことで障害のある子どもが犯罪に走るわけでは決してなく...家庭環境や家族関係に深刻な問題を抱え、さらに学校との関わり方も上手くいかず...それが後天性にせよ先天性にせよ...子どもたち自身に何らかの障害があり、深刻な心の病を抱えていたり、知的な発達に大きな課題を抱えているということが、社会の中で放置され、長い間に見過ごしにされてきた結果...子ども当人の道徳感...倫理観の欠如を招き、感情の抑制...自己コントロールの方法も学べていないために、短絡的な怒りや欲望に支配され...結果として犯罪に走る。犯罪をおかして捕まったあとからでしか...本人にも周囲にも、『実は障害があったのだ』ということが理解されていないのだ...としています。
精神や発達に障害があったとしても、幼少期から適切な支援...医療や福祉のバックアップさえあったなら、彼らは犯罪に走らなかったのではないか。筆者はそう投げかけています。
『ケーキの切れない非行少年たち』とは、筆者が『ホールケーキを三等分しなさい』と、少年たちに課題を出した時、まったく正解が出せなかったというエピソードから付けられたタイトルだそうです。誰か他の人とケーキを分け合って食べるような家族習慣もなければ、どのようにケーキを分割すればよいか?という、その学習さえさせて貰えなかった少年たち。という意味です。もちろん、障害があることや、課題の多い複雑な家庭に育ったことが、そのまま問題なのではなく、犯罪に走るのは、子ども本人だけの責任でもなく、社会の支援が必要な子どもたちが見過ごしにされること、助けの手が届かないことが...凶悪犯罪の若年化に繋がっているかもしれない。そんな現状を訴えた内容の本でした。筆者はこの他...課題を抱えた子どもたちの認知機能や理解力をどう伸ばすのか...という点について書いた本も出しているようなのです。機会があれば、そちらも読みたいと思います。
《編集部注》
著者の宮口 幸治氏は児童精神科医。立命館大学の教授。精神科医として特に児童青年期精神医学を専門とし、その中で、非行臨床、性加害の問題、学校コンサルテーション、発達障害・知的障害児への認知的支援などを研究テーマとしています。
【編集部より】
八障連通信 359 号をお届けいたします。緊急事態宣言も解除され、その後ともった「東京アラート」も 6 月 12日には解除へ向かい、そろりそろりとポストコロナへ歩み始めた感がありますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、今号では、八障連代表の杉浦さんのコラムを 2 本掲載して特集とさせていただきました。また前八障連代表の夛田さんから近況レポートが届きましたので、前号に引き続き、「事務局通信」に掲載いたしました。夛田さん、また通信への原稿お待ちしてま~す。
さて、今号では、八障連代表の杉浦さんのコラムを 2 本掲載して特集とさせていただきました。また前八障連代表の夛田さんから近況レポートが届きましたので、前号に引き続き、「事務局通信」に掲載いたしました。夛田さん、また通信への原稿お待ちしてま~す。
【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 42】
の報いは 7 月 8 日にやって来た。7 日午後 4 時に家人も同席して松田 Dr から手術の説明があった。最初の時(S7)と同じように肝臓の S2 部分を全摘する予定であること、出血加減によっては輸血をすることなど詳しく説明してくれ、同意書へのサインを求められた。手術は予定通り明くる日の午前 9 時から行うとの事だった。
前回の経験もあるので、あれこれ思い惑うことはなく、その夜はぐっすり眠れ、明くる朝は 5 時半頃起き出した。というのも、6 時から腸の中をきれいにするための高圧浣腸があるので、その前に歯磨きと洗顔をしておこうと思ったからだ。
全ての準備が整い、ストレッチャーに乗り手術室へ向かったのは 8 時半頃だったか。ストレッチャーはほぼ肩幅くらいなので、非常に窮屈で、廊下の継ぎ目などの振動が結構頭に響くので乗り心地は良くない。その上、足先を前にして進んで行くので、周りの情景が次々に目に飛び込んで来て瞬く間に後ろに過ぎ去って行く。視界が狭いからか、やたらに速い感じがする。そのスピード感はまるで新幹線のようであり、目が廻るようでもある。ストレッチャーに乗せられた患者の多くが目を瞑っておられるのも頷ける。
手術室のあるフロアーのエレベーターホールに降り立った瞬間、何か映画を観ているような感じに襲われた。ホール全体がモスグリーンのような暗い色で覆われ、照明も暗く、空気は冷々としており、シーンと静まり返っていた。その一面の広い壁面の前に進み、看護師がドアフォン越しに来意を告げると、厳かに大きな扉が左右に開いた。観ているのじゃなく、まるで SF 映画の一場面の中に迷い込んだようで、そのまま何処かの異空間へ連れて行かれるのではないかと感じた。本院の手術室フロアーは分院よりはるかに厳かな作りで、静謐な空間だった。手術室の看護師への引き継ぎが終わり、もう
1 枚の扉が開くとそこは秘密基地の中にいるようだった。入口からすぐ近くの手術室に運び込まれ、順調に準備が整い、間もなく麻酔医が来た。♯あとはおぼろ~、あとはおぼろ~、恍惚のブルースよ♭。
前回の手術では、術後の麻酔覚醒から回復室への移動など細かに覚えていたが、今回はよく覚えていないのだ。気が付けば回復室にいたという感じだった。強力な麻酔薬の余波が残っているし、背中のチューブ(硬膜外麻酔カテーテル)からは痛み止めの局所麻酔薬が持続的に注入されているため、とろとろと微睡み続ける。ふと覚醒した時に、横を向くと回復室の入り口から廊下が見えた。その先に小さな円形劇場風のラウンジが見えた。おかしいなと感じつつ、直ぐに微睡み始めた。2 度目に目覚めた時に、また同じ光景が目に入っ
て来る。はてな?手術前に病院の隅々まで探検し、そんな優雅なスペースがない事を確認していた筈。家人に病室の前に何があるのか訊ねるも、怪訝な顔付きをしている。廊下があるだけとそっけない返事。詳しく説明する気力・体力もなく、また深い闇に飲み込まれて行った。
そうしていると、前回は体験しなかった事だが、傷口の軽い痛みが呼吸と同期して感じられるようになってきた。背中から導入している麻酔薬が切れかかっているのじゃないかと閃き、ナースコールを押して貰うが、なかなかナースが来なーす。軽い痛みは疼きへと進み、激痛へと至った。
思わず「痛~い」と廊下に響き渡るような大声が出た。やっと看護師がやっ
て来たが、その口から発せられた言葉は信じられないものだった。(次号へ続く)
前回の経験もあるので、あれこれ思い惑うことはなく、その夜はぐっすり眠れ、明くる朝は 5 時半頃起き出した。というのも、6 時から腸の中をきれいにするための高圧浣腸があるので、その前に歯磨きと洗顔をしておこうと思ったからだ。
全ての準備が整い、ストレッチャーに乗り手術室へ向かったのは 8 時半頃だったか。ストレッチャーはほぼ肩幅くらいなので、非常に窮屈で、廊下の継ぎ目などの振動が結構頭に響くので乗り心地は良くない。その上、足先を前にして進んで行くので、周りの情景が次々に目に飛び込んで来て瞬く間に後ろに過ぎ去って行く。視界が狭いからか、やたらに速い感じがする。そのスピード感はまるで新幹線のようであり、目が廻るようでもある。ストレッチャーに乗せられた患者の多くが目を瞑っておられるのも頷ける。
手術室のあるフロアーのエレベーターホールに降り立った瞬間、何か映画を観ているような感じに襲われた。ホール全体がモスグリーンのような暗い色で覆われ、照明も暗く、空気は冷々としており、シーンと静まり返っていた。その一面の広い壁面の前に進み、看護師がドアフォン越しに来意を告げると、厳かに大きな扉が左右に開いた。観ているのじゃなく、まるで SF 映画の一場面の中に迷い込んだようで、そのまま何処かの異空間へ連れて行かれるのではないかと感じた。本院の手術室フロアーは分院よりはるかに厳かな作りで、静謐な空間だった。手術室の看護師への引き継ぎが終わり、もう
1 枚の扉が開くとそこは秘密基地の中にいるようだった。入口からすぐ近くの手術室に運び込まれ、順調に準備が整い、間もなく麻酔医が来た。♯あとはおぼろ~、あとはおぼろ~、恍惚のブルースよ♭。
前回の手術では、術後の麻酔覚醒から回復室への移動など細かに覚えていたが、今回はよく覚えていないのだ。気が付けば回復室にいたという感じだった。強力な麻酔薬の余波が残っているし、背中のチューブ(硬膜外麻酔カテーテル)からは痛み止めの局所麻酔薬が持続的に注入されているため、とろとろと微睡み続ける。ふと覚醒した時に、横を向くと回復室の入り口から廊下が見えた。その先に小さな円形劇場風のラウンジが見えた。おかしいなと感じつつ、直ぐに微睡み始めた。2 度目に目覚めた時に、また同じ光景が目に入っ
て来る。はてな?手術前に病院の隅々まで探検し、そんな優雅なスペースがない事を確認していた筈。家人に病室の前に何があるのか訊ねるも、怪訝な顔付きをしている。廊下があるだけとそっけない返事。詳しく説明する気力・体力もなく、また深い闇に飲み込まれて行った。
そうしていると、前回は体験しなかった事だが、傷口の軽い痛みが呼吸と同期して感じられるようになってきた。背中から導入している麻酔薬が切れかかっているのじゃないかと閃き、ナースコールを押して貰うが、なかなかナースが来なーす。軽い痛みは疼きへと進み、激痛へと至った。
思わず「痛~い」と廊下に響き渡るような大声が出た。やっと看護師がやっ
て来たが、その口から発せられた言葉は信じられないものだった。(次号へ続く)
通信本文はここまで。