八障連通信358号をアップします。
八障連通信358号【音声版】はこちらから
ここからは通信本文です
【事務局通信 Vol.68】
ご無沙汰をしております。4 年か 5 年前まで八障連の代表を務めていた夛田です。世の中はこの 2 カ月 3 カ月、例の新型コロナウイルスのおかげでとんでもない話になっていますが、皆様はどんなご様子で日々をお過ごしでしょうか。自分なども、何万分の一の確率とは言え、もし貰ってしまうと命の方
が一発アウトになりかねないと想うと、近所のコンビニへ行くのもおっかなびっくりで、国から言われなくともステイホームになっています。
さて、今回は八障連の会員と関係者の皆さんに重要かつ切実なご相談があり、このペ―ジをお借りすることとしました。
障害者地域自立支援協議会(以下=自支協)という組織が八王子市にもあることは、福祉に携わる皆さんには当然ご存知と思います。とりわけ事業所関係の皆さんには、昨年度から事業者部会も動き始めているので、より身近に感じられているのではないでしょうか。
この自支協の一部会として「権利擁護部会」があり、昨年度まで八障連から肢体障害当事者を代表して自分が参画していました。しかし、自分も年齢的な体力低下や度重なる体調不良から参画が厳しくなってきたので、昨年度の任期をもって退任したい旨を伝えました。八障連事務局で検討してもらいましたが、結果的に担える人材が見つからないということから、杉浦代表が引き受けることになったと、報告は聞きました。
しかし、自分もそうですが、杉浦代表は他にも四つ五つの様々な委員を兼務しており、当然所属する団体の活動もある上に、個人として引き受けている活動もあるので、あまりにも負担が大きくなっています。さらに、市の直接的な委員会の委員は基本三つ以上の兼務は NG という制約もあります。一般的には若い年代とは言え電動車いすに乗る重い障害があり、四十代も後半に来ているので、無理だけは禁物とも考えられます。
但し、これもコロナの影響で自支協を初め様々な会議が現在足止め状態になっており、新年度再開の目処が立たない非常事態が続いています。どう見積もっても超早くて7月、下手をすると秋以降になるかの状態ですので、この機会を寧ろ好機と捉えて、皆さんに現状をお伝えし、ご相談とお願いをすることとしました。
権利擁護部会の役割としては、各種研修会の企画準備やいちょう祭りなどでの広報活動が主な活動で、委員の条件としては肢体障害の当事者(視覚・聴覚障害の代表は別に出ています)の方で、最低月に一回の会議に参加できること。人との付き合いやイベント事が得意な方なら打って付けの役割かと思います。八障連に加盟する団体に所属する方、あるいは何らかの関わりのある方であれば、八障連としての推薦は可能です。心当たりの方がおりましたら、ぜひ事務局までお知らせ下さい。人材難の八障連を助けて下さい。
宜しくお願い致します。(文責/夛田)
が一発アウトになりかねないと想うと、近所のコンビニへ行くのもおっかなびっくりで、国から言われなくともステイホームになっています。
さて、今回は八障連の会員と関係者の皆さんに重要かつ切実なご相談があり、このペ―ジをお借りすることとしました。
障害者地域自立支援協議会(以下=自支協)という組織が八王子市にもあることは、福祉に携わる皆さんには当然ご存知と思います。とりわけ事業所関係の皆さんには、昨年度から事業者部会も動き始めているので、より身近に感じられているのではないでしょうか。
この自支協の一部会として「権利擁護部会」があり、昨年度まで八障連から肢体障害当事者を代表して自分が参画していました。しかし、自分も年齢的な体力低下や度重なる体調不良から参画が厳しくなってきたので、昨年度の任期をもって退任したい旨を伝えました。八障連事務局で検討してもらいましたが、結果的に担える人材が見つからないということから、杉浦代表が引き受けることになったと、報告は聞きました。
しかし、自分もそうですが、杉浦代表は他にも四つ五つの様々な委員を兼務しており、当然所属する団体の活動もある上に、個人として引き受けている活動もあるので、あまりにも負担が大きくなっています。さらに、市の直接的な委員会の委員は基本三つ以上の兼務は NG という制約もあります。一般的には若い年代とは言え電動車いすに乗る重い障害があり、四十代も後半に来ているので、無理だけは禁物とも考えられます。
但し、これもコロナの影響で自支協を初め様々な会議が現在足止め状態になっており、新年度再開の目処が立たない非常事態が続いています。どう見積もっても超早くて7月、下手をすると秋以降になるかの状態ですので、この機会を寧ろ好機と捉えて、皆さんに現状をお伝えし、ご相談とお願いをすることとしました。
権利擁護部会の役割としては、各種研修会の企画準備やいちょう祭りなどでの広報活動が主な活動で、委員の条件としては肢体障害の当事者(視覚・聴覚障害の代表は別に出ています)の方で、最低月に一回の会議に参加できること。人との付き合いやイベント事が得意な方なら打って付けの役割かと思います。八障連に加盟する団体に所属する方、あるいは何らかの関わりのある方であれば、八障連としての推薦は可能です。心当たりの方がおりましたら、ぜひ事務局までお知らせ下さい。人材難の八障連を助けて下さい。
宜しくお願い致します。(文責/夛田)
【編集部より】
八障連通信 358 号をお届けいたします。新型コロナウイルスの感染拡大は、ついに「緊急事態宣言」が 5 月末まで延長される事態となりましたが、皆さま、いかがお過ごしでしょうか。本号では前号に引き続き、砂長美んさんからの寄稿(その 2)を特集として掲載しました。また、前八障連代表の夛田さんからの寄稿を事務局通信に掲載いたしました(夛田さん、お忙しい中の原稿寄稿ありがとうございます)。/さて、コロナの早期の終息を祈るばかりの状況ですが、そんな中でも情報の共有を図りながら困難を一歩一歩克服して前進していきましょう。(編集部)
【砂永美さんからのお便り】
新型コロナウイルスの緊急事態宣言が 5 月末まで延長されましたが、皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。前号に引き続き砂長美んさんのいつも元気なレポートの「パート 2」を掲載いたします。(編集部)
こんにちは。砂長美んです。前号のつづきです。以下は、今挑戦中の署名サイトについてです。
『5 円ください』運動! 障害者施設で働く人に障害者の賃金を正当な対価に変えたい? 1 工程 5 円を補償する制度の制定を?
2017 年に一度やって、約 500 人まで集めて、心が折れてやめちゃったので再チャレンジ?? 今回は、既に 10 社以上の応援企業も出来ました。全国の働く障害者のボトムアップの為に立ち上がりました。皆様には 1 分で出来る、無料で最大の協力です。よろしくお願いします。↓シェア歓迎です。〇
WEB リンク WEB 署名は こちら発起人 砂長美ん chenge org の サ イ ト で す 。http://bit.ly/38qGgNf ← わかりにくくてすみません。
【障害者には最低賃金が無い!?】障害者の賃金を正当な対価に変えたい ~1 工程 5 円を補償する制度の制定を~私は全国の障害者施設で作られる製品の企画・販売をする仕事をしています。私自身、読み書き障害がある発達障害当事者で、これまでに 12 以上の企業をクビになりました。その後、今の仕事を始めてから 7 年になります。この仕事をする中で、ずっとおかしいと感じてきたことがあります。それは、障害者の賃金(工賃)があまりに安すぎるということです。この実情に一石を投じ、現実を変えていくために障害者の作業に対する最低額を補償する制度制定に向けた指針を作りたいのです。
障害者就労移行支援事業所(一般企業への就職を目指す障害のある方(65 歳未満)を対象に就職に必要な知識やスキル向上のためのサポートをする事業所※参考( https://works.litalico.jp/syuro_shien/ )では、平成 30 年度の平均工賃・賃金は B 型事業所の工賃が月額平均 16118 円、A 型事業所(雇用契約を結ぶ)が 76887 円となっています(厚生労働省発表)。また、これはあくまで平均の額であり、実質 0 円というところも少なくありません。
これと比較して、日本の最低賃金は地域によって異なりますが、790~1013 円(令和元年 10 月発効)です。もちろん、一律に比較することはできませんが、実際に障害者施設でのお話を聞いていると、「それはあまりに安すぎる」と感じる場面が往々にしてあります。実際にあった例をご紹介します。ある事業所がボールペンを組み立てる作業を企業から依頼されました。組み立てには、5つの工程が必要です。作業に従事しているのは言語でのコミュニケーションが難しい、重度知的障害者ですが、この工程をスムーズに作業することができます。そこではこんなやりとりがありました。(良い障害者施設も沢山みています)
事業所職員:「いつもご依頼いただき、ありがとうございます。お仕事をいただけて本当に助かっています!利用者さんの励みになります。」
企業担当者:「これ、100 本お願いできる?いつも通り、全部で 100 円でいいかな?」
事業所職員:「ありがとうございます!100 円で大丈夫ですよ。」
この金額を工程で考えると、1 工程が数銭の作業になってしまいます。このように、一般の取引ではありえないような金額設定で、交渉もなく 10 年来同じように取引されている、というところは決して少なくないのです。
★さらにこの闇を深くしているのが、企業、事業所、両者とも善意の人である場合が多いということです。
企業にとっては、障害のある方に仕事を生み出している、良いことをしているという思いがあり、事業所の方でも、利用者さんの作業を確保しながら、安価な労働力を提供することで企業や社会に貢献できていると感じているのです。
しかしこれは本当に Win-Win の関係なのでしょうか?私は、利用者(障害者当事者)が置き去りになっているように感じています。「お金の価値がわからないから。」「使い道がないから。」「作業があるだけありがたいんじゃないか。」そんなふうに周囲が勝手に判断していいのでしょうか?当事者は声を上げられません。そのような中で、こういった状況が慣例となっているのです。そこで私は、時給設定で最低ラインを設けるのではなく、1 工程当たりの最低金額を設定することを提案します。1 工程の最低金額を 5 円とすれば、1 工程を 30 秒で行えば時給にすると 600 円。1 分かかっても300 円にはなります。障害者が作業する、または働くことへの正当な対価を支払い、その権利を保障することは、彼らの自立にもつながっていくことであり、社会全体にとってメリットになります。
最後に、障害のある人はお金がほしいなんて思わないんじゃない?と思っている方へ。先日ある障害者施設の職員さん、利用者さんとお話したときのこと。
施設職員が「うちの施設は、そんなに工賃欲しい方は来ないんです。」というので、隣にいた利用者の方に、「今より 2 万円お給料上がったら、何をしたいですか?」と聞いてみました。
当事者の利用者さんは「美味しい物が食べたい。中華が食べたい。」と。中華の何を食べたいのかを伺うと、エビチリが食べたいと言うので、私は「エビチリは中華の中でも少し高いですからね。」とお答えしました。すると、利用者さんはこう言ったのです。
「いつも母にご馳走してもらってるから。」働く事の意義は、お金だけじゃない。だけど、エビチリを、自分の稼いだお金で、誰に遠慮もせず食べられたら。その言葉に尽きると思います。同じ人間で、仕事をして、給料向上を求めない人は、あまり居ないでしょう。そういう人として当たり前の権利を障害があるからと言って保障されないのはおかしいと思うのです。
障害者の賃金(工賃)を正当な対価に。「1 工程当たりの最低金額 5 円以上」の制度の制定に向けて、応援・ご署名をお願いいたします。
※参考記事
・Challenge LAB
『5 円ください』運動! 障害者施設で働く人に障害者の賃金を正当な対価に変えたい? 1 工程 5 円を補償する制度の制定を?
2017 年に一度やって、約 500 人まで集めて、心が折れてやめちゃったので再チャレンジ?? 今回は、既に 10 社以上の応援企業も出来ました。全国の働く障害者のボトムアップの為に立ち上がりました。皆様には 1 分で出来る、無料で最大の協力です。よろしくお願いします。↓シェア歓迎です。〇
WEB リンク WEB 署名は こちら発起人 砂長美ん chenge org の サ イ ト で す 。http://bit.ly/38qGgNf ← わかりにくくてすみません。
【障害者には最低賃金が無い!?】障害者の賃金を正当な対価に変えたい ~1 工程 5 円を補償する制度の制定を~私は全国の障害者施設で作られる製品の企画・販売をする仕事をしています。私自身、読み書き障害がある発達障害当事者で、これまでに 12 以上の企業をクビになりました。その後、今の仕事を始めてから 7 年になります。この仕事をする中で、ずっとおかしいと感じてきたことがあります。それは、障害者の賃金(工賃)があまりに安すぎるということです。この実情に一石を投じ、現実を変えていくために障害者の作業に対する最低額を補償する制度制定に向けた指針を作りたいのです。
障害者就労移行支援事業所(一般企業への就職を目指す障害のある方(65 歳未満)を対象に就職に必要な知識やスキル向上のためのサポートをする事業所※参考( https://works.litalico.jp/syuro_shien/ )では、平成 30 年度の平均工賃・賃金は B 型事業所の工賃が月額平均 16118 円、A 型事業所(雇用契約を結ぶ)が 76887 円となっています(厚生労働省発表)。また、これはあくまで平均の額であり、実質 0 円というところも少なくありません。
これと比較して、日本の最低賃金は地域によって異なりますが、790~1013 円(令和元年 10 月発効)です。もちろん、一律に比較することはできませんが、実際に障害者施設でのお話を聞いていると、「それはあまりに安すぎる」と感じる場面が往々にしてあります。実際にあった例をご紹介します。ある事業所がボールペンを組み立てる作業を企業から依頼されました。組み立てには、5つの工程が必要です。作業に従事しているのは言語でのコミュニケーションが難しい、重度知的障害者ですが、この工程をスムーズに作業することができます。そこではこんなやりとりがありました。(良い障害者施設も沢山みています)
事業所職員:「いつもご依頼いただき、ありがとうございます。お仕事をいただけて本当に助かっています!利用者さんの励みになります。」
企業担当者:「これ、100 本お願いできる?いつも通り、全部で 100 円でいいかな?」
事業所職員:「ありがとうございます!100 円で大丈夫ですよ。」
この金額を工程で考えると、1 工程が数銭の作業になってしまいます。このように、一般の取引ではありえないような金額設定で、交渉もなく 10 年来同じように取引されている、というところは決して少なくないのです。
★さらにこの闇を深くしているのが、企業、事業所、両者とも善意の人である場合が多いということです。
企業にとっては、障害のある方に仕事を生み出している、良いことをしているという思いがあり、事業所の方でも、利用者さんの作業を確保しながら、安価な労働力を提供することで企業や社会に貢献できていると感じているのです。
しかしこれは本当に Win-Win の関係なのでしょうか?私は、利用者(障害者当事者)が置き去りになっているように感じています。「お金の価値がわからないから。」「使い道がないから。」「作業があるだけありがたいんじゃないか。」そんなふうに周囲が勝手に判断していいのでしょうか?当事者は声を上げられません。そのような中で、こういった状況が慣例となっているのです。そこで私は、時給設定で最低ラインを設けるのではなく、1 工程当たりの最低金額を設定することを提案します。1 工程の最低金額を 5 円とすれば、1 工程を 30 秒で行えば時給にすると 600 円。1 分かかっても300 円にはなります。障害者が作業する、または働くことへの正当な対価を支払い、その権利を保障することは、彼らの自立にもつながっていくことであり、社会全体にとってメリットになります。
最後に、障害のある人はお金がほしいなんて思わないんじゃない?と思っている方へ。先日ある障害者施設の職員さん、利用者さんとお話したときのこと。
施設職員が「うちの施設は、そんなに工賃欲しい方は来ないんです。」というので、隣にいた利用者の方に、「今より 2 万円お給料上がったら、何をしたいですか?」と聞いてみました。
当事者の利用者さんは「美味しい物が食べたい。中華が食べたい。」と。中華の何を食べたいのかを伺うと、エビチリが食べたいと言うので、私は「エビチリは中華の中でも少し高いですからね。」とお答えしました。すると、利用者さんはこう言ったのです。
「いつも母にご馳走してもらってるから。」働く事の意義は、お金だけじゃない。だけど、エビチリを、自分の稼いだお金で、誰に遠慮もせず食べられたら。その言葉に尽きると思います。同じ人間で、仕事をして、給料向上を求めない人は、あまり居ないでしょう。そういう人として当たり前の権利を障害があるからと言って保障されないのはおかしいと思うのです。
障害者の賃金(工賃)を正当な対価に。「1 工程当たりの最低金額 5 円以上」の制度の制定に向けて、応援・ご署名をお願いいたします。
※参考記事
・Challenge LAB
https://challenge.persol-group.co.jp/lab/fundamental/recruit/recruit008/
・LITALICO 仕事ナビ https://snabi.jp/article/222
・厚生労働省 平成 30 年度工賃(賃金)の実績について
https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000571834.pdf
・LITALICO 仕事ナビ https://snabi.jp/article/222
・厚生労働省 平成 30 年度工賃(賃金)の実績について
https://www.mhlw.go.jp/content/12200000/000571834.pdf
☆こんな意見も寄せられています☆
●知的障がい者や精神障がい者が、社会に参加できるような体制、支援をもっと広げる。待遇を改善していけば、彼らの社会参加はより一層進むのではないか。知的障がい者だから、精神に障害があるといった理由で、単純な作業しかやらせてもらえないとか、スキルアップの機会が乏しいといったようなことを改善してほしい。(S.O)
●私の息子にも自閉があり、将来彼が楽しく働きがいを持って社会の中で生きていけるような日本を作っていきたいです。賛同します。(C.A)
【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 41】
2003 年 5 月 28 日にルーティーンとなっているエコー検査があったのだが、怪しい影が見つかったので、直ぐ入院するようにと 6 月 6 日に熊田 Dr より直接電話を貰い、11 日に入院した。熊田 Dr から直接電話を貰ったことも、こんなに待ったなしの入院も初めてだった。
疑いをかけられたのは S2(肝臓は 7 つの部位からなり、それぞれ S1~S7 と言う)という部分で、入院後再度のエコー、CT、MRI、血管造影、生検とあらゆる検査をやってみたが、結果的に S2 は良性だった。何というくたびれ儲けと思いきや、別の処 S5 に 2 cm大の腫瘤があることが判明し、7 月 8 日に急遽手術と相成った。
5 月 28 日のエコーで S2 の影が見落とされていたら、結果的に S5 の腫瘤の発見はかなり大きくなってからになっていた訳で、恐らく今の私はなかっただろう。術後の組織検査の結果、S5 の腫瘤は悪性であることが確かめられ
た。血管造影で初めて発見できたことだった。余りにもきつい検査なので、好きじゃないのだが、その威力を思い知らされた。
1994 年の 1 回目の手術は分院でやれたのだが、今回は本院(港区虎ノ門)でしかできないとの事で、7 月 1日に本院へ転院し、8 日に手術と決まった。6 月 26 日に1 時間に 1 本出ている病院の連絡バスに乗って本院までエコーを受けに行った処、松田 Dr が今回も執刀という事で、部位の確認をして下さった。2 回目ですねと言ったら、当院には 80 歳代で 5 回目の手術をした横綱(肝臓
癌)がいて、ピンピンしているから、大丈夫ですよと安心させて下さった。初回の手術が予想外に楽に済んだので、不安を抱いてはいなかった。が、できれば避けたい事ではあった。分院には何回も入院し、勝手知ったる他人の家という状態だったし、入院病棟の看護師やクラークの中には冗談の一言二言交わし合える馴染みの人もいる。彼らからすると私はお馴染みさんだったのである。鬱屈してくれば、広い庭へ逃げ出して、寛ぐこともできる極めて開放的な病棟だ。
だが、本院は勝手が違う。そもそもがビル街の中にある。本院へ通院した時期もあったが、入院したことはなかった。入院してみると、病室は分院より狭くて窮屈だった。
逃げ出す庭もなければ、冗談を言い合う相手も見つけられなかった。窓から見えるのはビルばかり。1~2 階は外来診療で込み合っており、Dr を呼び出す放送が入院病棟まで流れてくることも多く、全体的に落ち着かず、何とな
くざわざわとした感じが漂っていた。でもひとつだけ良い事があった。それは夜になると煌々と照らされた赤い東京タワーが間近に見える事だった。スカイツリーといい、エッフェル塔といい、高いタワーは何故ああも人を惹きつけるのだろうか?励みにもなったし、心も和ませて貰った。
手術までの 1 週間は読書に飽きると、本院の隅々まで院内探検に出掛け、何もない時間を見計らって病院を抜け出し、道路の向かい側にあるスターバックスへ駆け込んだ。ホントは外出許可を貰わないとできない行為なので、
恐る恐るの冒険だったが、病室へ戻ると小濱さんを呼び出す院内放送が何度もなっていたよと隣の人から言われてしまった事がある。院内にいないのがバレバレじゃんと冷汗が流れた。また、「お待ちしていましたが、姿が見当たらないので、帰ります」という書き置きがあったこともあった。
入院ずれした不良患者の目に余る行為が咎められることは一度もなかった
が、今回の手術でとんでもない目に遭うことになったのはその報いかもしれない。それは次回のお楽しみ。(次号に続く)
疑いをかけられたのは S2(肝臓は 7 つの部位からなり、それぞれ S1~S7 と言う)という部分で、入院後再度のエコー、CT、MRI、血管造影、生検とあらゆる検査をやってみたが、結果的に S2 は良性だった。何というくたびれ儲けと思いきや、別の処 S5 に 2 cm大の腫瘤があることが判明し、7 月 8 日に急遽手術と相成った。
5 月 28 日のエコーで S2 の影が見落とされていたら、結果的に S5 の腫瘤の発見はかなり大きくなってからになっていた訳で、恐らく今の私はなかっただろう。術後の組織検査の結果、S5 の腫瘤は悪性であることが確かめられ
た。血管造影で初めて発見できたことだった。余りにもきつい検査なので、好きじゃないのだが、その威力を思い知らされた。
1994 年の 1 回目の手術は分院でやれたのだが、今回は本院(港区虎ノ門)でしかできないとの事で、7 月 1日に本院へ転院し、8 日に手術と決まった。6 月 26 日に1 時間に 1 本出ている病院の連絡バスに乗って本院までエコーを受けに行った処、松田 Dr が今回も執刀という事で、部位の確認をして下さった。2 回目ですねと言ったら、当院には 80 歳代で 5 回目の手術をした横綱(肝臓
癌)がいて、ピンピンしているから、大丈夫ですよと安心させて下さった。初回の手術が予想外に楽に済んだので、不安を抱いてはいなかった。が、できれば避けたい事ではあった。分院には何回も入院し、勝手知ったる他人の家という状態だったし、入院病棟の看護師やクラークの中には冗談の一言二言交わし合える馴染みの人もいる。彼らからすると私はお馴染みさんだったのである。鬱屈してくれば、広い庭へ逃げ出して、寛ぐこともできる極めて開放的な病棟だ。
だが、本院は勝手が違う。そもそもがビル街の中にある。本院へ通院した時期もあったが、入院したことはなかった。入院してみると、病室は分院より狭くて窮屈だった。
逃げ出す庭もなければ、冗談を言い合う相手も見つけられなかった。窓から見えるのはビルばかり。1~2 階は外来診療で込み合っており、Dr を呼び出す放送が入院病棟まで流れてくることも多く、全体的に落ち着かず、何とな
くざわざわとした感じが漂っていた。でもひとつだけ良い事があった。それは夜になると煌々と照らされた赤い東京タワーが間近に見える事だった。スカイツリーといい、エッフェル塔といい、高いタワーは何故ああも人を惹きつけるのだろうか?励みにもなったし、心も和ませて貰った。
手術までの 1 週間は読書に飽きると、本院の隅々まで院内探検に出掛け、何もない時間を見計らって病院を抜け出し、道路の向かい側にあるスターバックスへ駆け込んだ。ホントは外出許可を貰わないとできない行為なので、
恐る恐るの冒険だったが、病室へ戻ると小濱さんを呼び出す院内放送が何度もなっていたよと隣の人から言われてしまった事がある。院内にいないのがバレバレじゃんと冷汗が流れた。また、「お待ちしていましたが、姿が見当たらないので、帰ります」という書き置きがあったこともあった。
入院ずれした不良患者の目に余る行為が咎められることは一度もなかった
が、今回の手術でとんでもない目に遭うことになったのはその報いかもしれない。それは次回のお楽しみ。(次号に続く)
通信本文はここまで。