八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

通信361号をアップします。

2021年02月14日 | 八障連通信
通信361号をアップします。


八障連通信361号【音声版】はこちらから



ここより通信本文です。


やっと長い梅雨が明け、夏本番。「さあこれから何をしよう!!」と去年は考
えていたように思いますが、今年は年明けしばらくしてからの新型コロナ
問題のこともあり、色々と皆様もご苦労していることと思います。一旦落ち着いたように思えましたが、またここ数週間の間に感染が広がり、皆様の活動にも大きな影響が出ていると思われます。授産活動がままならず、利用者の工賃が払えないとか、利用者が通所することに不安を覚え通所日数が大きく減ったなどの声を聴きます。利用されている方々の身の安全を守りつつ、活動を継続していくことは非常に難しいと思います。でも、利用をしたいという方がいる状況で、施設の活動を止めてしまうこともできない。いったいどうしていけば良いのか、何が正しいのか、判断が難しい状況であると思います。
私自身が所属している事業所でもコロナの影響があり企業様が経営不振になり、作業が無くなってしまいました。逆に長年お付き合いいただいている企業様から新たな作業依頼があり、今後の活路を徐々に開拓していている状
況です。そんな中で、皆さんもよく耳にしていると思いますが「親の職業」による差別があるようです。病院関係者のお子さんが公園で遊んでいると親御さんがどこからともなく現れて、遊んでいるお子さんに対して差別的な扱いをしたり、暴言をかけたりと問題になったと記憶しております。なんとも悲しいことです。親の心配は分かりますが、病院関係者のお子さんが学校再開してから、いじめにつながっていることも少なくないようです。
報道においても、感染源は夜の街関連という報道をよく聞きました。しかし対策を取りきちんと安全に利用できるようにしているお店もあるのです。ひとまとめにして悪者扱いをすることは、何かいじめのような感じを受け、これはあくまでも個人の思いではありますが「悪」を作り何かを正当化しているようにも感じてしまいます。インターネットの普及により情報過多の世の中ではありますが、正しい情報を正しく判断をし、より冷静な対応が必要な時期であると思われます。先ずは、自身がうつすかも知れない、うつされるかも知れないという考えのもと、「手洗い」や「うがい」、人との距離の取り方を考え予防や対策をしていくことが重要だと思います。
話しは変わりますが、9 月に予定されていた福祉フォーラムでの映画上映は、この状況下では安全に開催をすることが難しいという判断のもと仕切り直しをすることとなりました。この場をお借りしてご協力いただいた皆様にお礼
をさせていただき、落ち着いて安全にできる状況になりましたら再度調整をし、開催したいと考えておりますので、ぜひお力をお借り出来ますよう、よろしくお願いいたします。
また、障害福祉サービスに係る方々やサービスを受けている方々に対し、提供場所や提供者による感染を予防、拡大抑制のために PCR 検査の受診をよりスムーズに受けられるように要望書を提出する予定です。詳細は追ってご連絡いたします。(文責/立川)


2020 年 9 月に予定していた福祉フォーラムでの映画上映は、コロナ過の現状により中止といたします。(運営委員会)


外出できない時間がこれほど長くなってくると、普段はあまり考えないよう
なことがいろいろと頭をよぎるようになります。社会人になる直前に、ほんの少しだけ、就労の真似事をしただけの私が、こんなことを言うのもおこがましいんですが...。近ごろ...生産性、という言葉が、なになにつけて頭の隅に引っかかってくるのです。
本当の意味で生産性のある仕事につけている人は、実際どれだけいるのだろうかと、疑問が湧いてきたりします。まず何よりもお金を稼ぐ...日々の生活を支えるために働く人もいますよね。
人が本当の意味で創造性や生産性を発揮していくためには、個人の才能や資
質以外にも、運気や、めぐり合わせ...というような不確定要素も重要です。それに、どんな人でも、自分一人で生産性を上げるのには限界があり...、多かれ少なかれ、誰かの支援や協力を得て初めて、真に生産性がある、と言い切
れるだけの活動が可能になります。
個人他単位の能力や優劣を、まるで機械の性能表を見比べるように比較しても、あまり意味の無い事だと思います。また...障害者のように、個人単位では生産性が低いと見なされてしまうような人たちであっても、周囲の適切な
支援や協力が得られたならば、すごく高い...とまでは言えぬまでも、そこそこの安定した生産性が発揮できるかも知れません。
生産性とは、人と人との交わりや関わりから発生するもので、単なる数値では測れません。
ことさらに生産性の高さ低さを問題にして議論している人たちは...、ま社会に出てず働く人の人間性を軽視しているように、思えてなりません。
これは、半分冗談、半分本気の言葉として読んでいただきたいのですが...。私は...自分という人間の、世の中に対する生産性の無さで言うならば、私こそが一番生産性の低い人間だと思います。これは他の誰にも負けない自信があります。まあこれはあくまで冗談半分ですけれど...
そもそも、『役に立つから偉い』、『役に立たないから偉くない』、『クリエイティブだから偉い』、『クリエイティブじゃないやつはイケてないから偉くない』というものでもない。
たとえ、生産性か低い、とされる人たちであっても、『すでに、もうそこにいるものなのだから、見えてないフリをしないで受け入れてください』 ということなんだと思っています。


八障連通信 361 号をお届けいたします。緊急事態宣言の解除後、「ポストコロナへ移行かな」と思っていたら、あれよあれよという間にまた再びコロナが全国的に拡大して第 2 派とも思わせる展開となっております。2020 年は現在のところコロナの終息が見えない中での八障連活動となっておりますが、会員の皆様方におきましても多様な要望等が出てきていると思われますので、ぜひご意見をお寄せください。(Y)/
さて、コロナ過の話題はさておき、本誌連載も 44 回を数えている『B 型肝炎闘病記』も佳境に入っていますね。今号では「臨死体験」そのものともいえる体験が語られており、こちらも注目していきたいです。小濵さん、次回も期待してますよ。「小濱ワールド」全開でお願いします。(M)


目が見えない私たちは、触ること、音を聞くこと、ほかの人のアドバイスの声などで調理をこなします。もちろん「味見」も重要な手がかりになります。昭和 50 年代ごろからは、盲学校やリハ施設だけでなく、東京都のよう
な自治体でも、視覚障害者を対象とした調理実習の機会が設けられていますが、それらの多くはグループ実習のため、全く見えない人が一つの料理を仕上げられるようにするとか、調理のコツを十分に学ぶことは難しいように思
います。
さて、そのような環境で育った私自身のエピソードを一つ紹介します。それは夫が元気だったころの話なので、少なくとも10 年以上は前のある夏の夕食時のこと。その日は私たちの友達の一人から、かなり太っちょの立派なナスをたくさんいただいたので、早速焼きナスにして食べようということになりました。食いしん坊の私たちは、ナスがたくさんあるのだから、1人で 2 本ずつは食べようということになり、長さ 10 センチ以上で、まるでサツマイモのような太っちょナスのへただけ取り、縦 4 分の 1 に切って、まな板に並べました。そして、フライパンに油を多めに注いで、ナスを焼き始めたのです。
私はガスコンロの温度調節をかなり強めにしたので、顔の付近が熱いのも我慢して、菜箸を手早く動かし、たくさんのナスに平均に焦げ目がつくように努めた(つもりでした)。
ところが、そんな私の様子を脇で見ていた夫から、突然こんな言葉が飛んできました。
「ナスには水分がたくさんあるから、箸をそんなにちょこちょこ動かしては駄目。水分が抜けるまで少し時間を置いたほうがいいんだよ。むしろ、箸でナスをフライパンに軽く押しつけたままにすると、さらに早く水が抜けるよ」と。「焼くっていう調理はね、材料に含まれている水分を抜くこと。水分がほどよく抜けたら、適度な焦げ目がついて、素材が美味しくなるんだよ」とも付け加えて、「焼き方のコツ」を教えてくれたのでした。
フライパンの中のナスを順々に箸で押しつけると、ジュゥッと大きな音がして、ナスに焼き目が付き、香ばしいにおいもしてきます。「もう食べてもいいよ」と、まるでナスのほうから、その出来上がりや食べごろを私たちに知らせてくれているようです。
10 分ぐらいでしょうか、かなり時間をかけてナスを焼き上げ、フライパン一杯の焼きナスを一人分ずつ大皿に取り分けて、アツアツのご飯と一緒に、からし醤油味で、おなか一杯いただいたのです。そのコツを教わったお蔭で、焼きナスが我が家の夏の人気メニューにもなり、うれしかったです。
振り返ってみると、現在に至るまで、私はたくさんの人から調理の基本を教わってきました。家では、ニンジンやキュウリを切るときの包丁の動きを、母の手の動かし方を後ろから触って習いました。また、社会人になってからも、見えない人向けの調理実習を何度も受けたけれど、失明前に長いことコックをしていた夫から、そのときに教わったような焼き方のコツは、ついぞ体得できないまま過ごしてしまったのでした。
夏が来る度に私の頭に浮かぶ思い出は、夕暮れの我が家の居間で、失明前にずっとコックをしていた夫から「焼くこと」の調理法のコツを教わったことと、そのときに食べた、程よく油も吸って、とろけるように甘い焼きナスの美味しい味なのです。


がはっきり見えるくらい近づいて来たが、川向こうの靄は一向に晴れず、ボヤーッとしたままだった。
突然、そのひと固まりの人影らしき集団の中から 3人の人が土手に上がってくるのが見えた。何だろうと思って、羽根を一層振るわせるとドンドン近づいて行った。3 人とも手を上げて振っているようだ。おいで、おいでをしているように感じ、羽根に力を込めた。顔つきが手に取るように分かる処まで近づくと、吃驚した事に彼らは祖父母と母だった。久し振りの再会に嬉しくなり、より急いで近づいて行くと、彼らの腕はおいで、おいでしているのではなく、来るな、来るなと押し返している動作だった。なーぁんだ、久し振りに会えるかと思ったのにと感じた瞬間、覚醒した。こちら側の川岸に着くまでもまだ距離があったので、おふくろたちの表情をしかと見届けたかった。
彼らが亡くなってから何度か夢を見ることはあったが、これ程臨場感を伴ったものは初めてだった。ホントに久し振りに会えるというワクワク感はいつもの夢の世界とは全く違っていた。目が覚めてからも暫くその余韻に浸ったまま目を瞑って過ごした。が、二度と彼らが現れることはなかった。夢なの
か、幻覚なのかよくは分からないが、彼らに会ったという実体験的な記憶としてその後私の脳裡に刻み込まれることになった。
余韻から覚めて、ハッとあれは三途の川だったのではないかと思い浮かんだ。だから、川岸の向こう側、つまり彼岸の世界には靄が掛かっていたのだろう。そして、こちらの側、此岸の世界の何と鮮やかだったことか。あの鮮やかさはこの世のものとは思われないものであり、三途の川をはさむこちら側の一部にだけ展開する特別の世界だったのかもしれない。三途の川を渡りそうになっていた私を、それに気付いた祖父母と母が必死に追い返そうとしていたのだと暫く経ってから分かった。彼らに目が釘付けになり、川そのものが視野に入って来なかったので、三途の川がどんな風だったのかは皆目分
からない。
これが手術後最初に体験した夢のようなものだが、その後も普段見る夢とは一味も二味も違ったものを毎日体験することになった。その殆どはいつもの夢のようにはっきりと中身は思い出せないのだが、いつもの夢の感じとはちょっと違っていてとても臨場感のあるもので、実体験している感覚が覚めて
からも残っていた。このおかしな状態は 7月 13 日の午後まで続いた。
普段誰でも体験している幻覚として、入眠時幻覚というものがある。一般的には「夢うつつ」という言葉があるが、これが該当しようか。漢字では正に「夢現」と書き、夢と現実が混ざった曖昧な状態を指している。床に入ったらものの 2 秒くらいでもう鼾をかいているという羨ましい人達が世の中にはいらっしゃるが、そういう場合には全く出現しないと言うか、自覚する瞬間もないと言った方が良いかもしれない。寝入るのに苦労を伴う人達の多くが体験するのがこの幻覚である。幻覚というのはごく一部の人達しか体験しな
いものと世間では考えられているが、そうではないのである。
眠りに落ち込むと私たちが日常起きている時に自覚している意識というものを失うが、眠りに落ちる前にまだ幾分か意識が残っていて、だから周りの人声や物音がかすかに聞こえている状態で、もうひとつの世界(無意識)が始まり、物語が展開され始まる。この意識と無意識がないまぜになった半々の世界の時に体験する夢のようなものを入眠時幻覚と呼んでいる。夢の始まりと言っても良いかもしれない。でも現実世界からの刺激もほどほどに感じ取れるから、その夢はとても儚い感じではっきりと筋が追えない事がある。興味のある内容だったりして、中身を確かめたくて集中しようとすると覚醒を促し、目が覚めてしまう。折角寝かかっていたのに、起きちまったぜと私はしょっちゅう後悔することがある。私はとても寝るのが下手なのだ。雑駁に言えば、夢と幻覚の違いは現実感の浅さ、濃さと言えば良いか。今回の私の体験はこの入眠時幻覚よりも現実感の強いものだった。その不思議な世界は次回だ!(次号に続く)


通信本文はここまで。

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