八障連通信345号をアップします。
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八障連通信345号【音声版はこちらから】
・事務局通信 Vol.57【音声版はこちらから】
・編集後記【音声版はこちらから】
・ネウボラ事業の中にぜひ不活化ポリオワクチンの就学前追加接種を 八王子ポリオの会 鈴木房子【音声版はこちらから】
・連載コラム vol.20 『交通信号機に合理的配慮を!』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子【音声版はこちらから】
・連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 30【音声版はこちらから】
ここからは通信本文です。
・【事務局通信 Vol.57】
春が近づき、出掛けやすい日が増えてきています(私は花粉症のためこの時期からはきついのですが...)。そんな中、気になる学習会等あり、どれに行こうか迷っていたのですが、やはり自身の活動している地域の学習会や報告会を優先しようと思い、「地域包括ケアシステムについての学習会」兼「障害者地域生活支援拠点事業報告会」に参加してきました。
地域包括ケアシステムについて厚生労働省の菊池氏から説明がありました。まず考え方の根本は、高齢者福祉の分野から派生したものであるということは皆さんご存知だとは思います。 障害の分野で取り組むのはどのような目的なのかということについても説明がありました。私なりの解釈としては保健・福祉・介護・リハビリテーション・医療の分野において専門性を生かし、その分野のみの「点の支援」ではなく、必要と思われる各分野や地域の力も活用し、「つながりのある支援・継続性のある支援」を構築していくためのシステムつくりだと私は感じました。地域包括ケアシステムを構築し、その先の共生社会に繋げていきたいということもよく分かった気がいたします。「地域共生社会」については色々なご意見があること思います。中には「お金がないから地域
での体制つくりだろ」という声も聴きますが、現在提供されていないサービスを各分野で協力することにより、新たなサービスを作っていけるのも現実。障害の重度化や高齢化が進んでいる中、このようなサービス分野、障害の違いもありますが、連携してつながりのある支援体制は欠かせないものになっていくのではないかと思います。障害者地域生活支援拠点事業報告会については以前も参加し、この通信にも掲載していただきましたが、今回も参加して改めて担当される事業所さんの大変なことや、このような取り組みがないといけないということを知ることができました。
地域の体制つくりや先に記載した地域包括ケアシステムと同じで、各分野の連携、支援を受けたい、受けようか迷っている方々に対し、それぞれに合った支援の連携・体制つくり。それに加え、サービスの利用が必要な状況にあるが、自身でそこまでつながれていない人への支援(アウトリーチ)。こういったことに対し、現在は 5 つの支援センターが役割を担っている。自分がかかわっていないから知らないということではなく、分野ごとの専門団体として、私たち各事業所も意識して取り組まないとならないのではないかと思いました。こういったことも八障連では話し合い、場合によっては市へ意見として出したりとしています。このような活動にかかわることによって、事業所の職員の経験値にもつながっていくと思います。是非各事業所の皆様の中で、ご興味のある方は会議等に参加していただき、八障連の活動にご協力をいただければと思います。(事務局 立川)
・【編集後記】
通信 345 号をお届けいたします。今号は、「八王子ポリオの会」の鈴木さんが保健福祉センター運営委員会に運営委員として出席しており、そこでの提案を原稿にまとめていただきましたので、特集記事として掲載いたしました。八王子ポリオの会の鈴木さん、お忙しいところ原稿ありがとうございました。/さる 2 月のある日、みんなで考えよう! 障害者自立支援機器 「シーズ・ニーズマッチング交流会 2018」が有明コンベンションホールにて開催されていたので参加してみた。最近話題の AI を搭載した福祉機器などが展示され興味深かったが、そこにポリオの会も出店しており鈴木さん夫妻が参加されていた。
毎年出店しているとのことでご活躍されていました。とりあえずの報告でした。(M)
・【ネウボラ事業の中にぜひ不活化ポリオワクチンの就学前追加接種を 八王子ポリオの会 鈴木房子】
この 2 月 7 日に東浅川保健福祉センターに於(お)いて、平成 30 年度第 3 回八王子市保健福祉センター運営協議会が開催され、出席して参りました。その際、「住み慣れた地域で元気に暮らし続けるために保健福祉センターができること」というテーマで、一人 3 分以内での意見交換の時間が設けられていました。そこで八王子版ネウボラは皆さんの努力で定着しつつありますが、それをもっと充実させるために私が日頃から気になっていることを提案して参りました。
障連の推薦を受けて 3 期目になりますポリオの会八王子の鈴木房子と申します。ポリオに罹患(りかん)した当事者の立場からお話しします。それはネウボラ事業の中にぜひ不活化ポリオワクチンの就学前追加接種を加えていただきたいという事です。
ポリオという病気は多くは抵抗力の弱い子どもたちがかかる病気で、予防接種でしか抑えることができないのです。運悪くかかってしまった場合、未だに治
療法がありません。ひどい場合には命を落とすこともあります。助かっても四肢麻痺など後遺症として身体に機能障害(私のように)が残りますし、さらにポストポリオ症候群を発症するともっと機能障害がひどくなります。万が一にもポリオにかかってしまった人は、一生困難な生活をする事になってしまうのです。
1961年に緊急輸入というかたちで生ワクチンが一斉投与され、劇的に大流行が終息し野生株由来のポリオ発生はなくなりましたが、その後もわずかであっても生ワクチン由来のポリオが発生しておりました。2012年9月から我が国でもやっとポリオ生ワクチンからポリオ不活化ワクチンに切り替わり、良かったと思っていたのですが、今の接種方法だとワクチンの抗体価がだんだん減ってくるのだそうです。そこでポリオ不活化ワクチンの就学前追加接種をすることが、接種漏(も)れも防げて、さらにポリオの抗体価を維持でき望ましいといわれています。海外ではまだポリオは根絶されていません。生ワクチン由来のポリオも発生しています。
2020年にはオリンピック・パラリンピックがあり海外から多くの人がどんどん日本にやってきます。当然ポリオウイルス保菌者も入って来ることになります。いや、もう、入っています。成田空港にやって来る飛行機のトイレのタンクの中からポリオウイルスがしょっちゅう検出されているとか、富山県では下水からポリオウイルスが何回も見つかっているということです。今まではたまたまポリオにかかっていないというだけなのです。世界的なワクチンの標準接種回数から見ても、抗体価を維持するには日本の不活化ワクチン接種回数は少ないのです。八王子市でも、就学時前の不活化ポリオワクチン5回目の追加接種を一日も早く実施できるよう望みます。ご検討よろしくお願いいたします。ありがとうございました。ちなみに不活化ポリオワクチンの就学前追加接種を公費負担、助成している自治体青森県藤崎町 全額町費千葉県いすみ市と石川県かほく市は公費助成されています。
Neuvola (ネウボラ)とは、フィンランド語で「アドバイスの場」を意味する支援制度です。八王子市では子育てしやすいまちナンバーワンを目指し、フィンランドでの身近な地域の相談拠点である「ネウボラ」での妊娠期からの切れ目のない子育て支援のしくみをモデルに、「八王子版ネウボラ」のしくみづくりに取り組んでいます。平成 28 年 4 月から八王子版ネウボラの拠点として市内 3 か所にある保健福祉センターの保健師等が、妊娠された方おひとりおひとりと面談を行い、体調や心配事をお伺いすることで安心して子育てをスタートできるようお手伝いをします。(八王子 HP より抜粋)
・【連載コラム vol.20 『交通信号機に合理的配慮を!』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子】
私が盲導犬のアーサと街を歩いていて最も緊張する場面は、電車の踏切を渡るとき、そして、5 叉路とか 7 叉路などと、いろいろな方向に行き交う車がいて、歩いている私も、途中で止まって、進むべき方向を換えなくてはならない、そんな変則的な道路を横断するときである。電車の踏切に近づくと、踏切を渡る途中で咄嗟のハプニングに対応できなくなったら、どうしよう!という恐怖感に恐われて、私の心臓はドキドキと早打ちするほどである。そんなときはすぐに、そばを歩いている通行人に助けを求めて、一緒にそこを渡ってもらうことにしている。
他方、車の走行スピードは電車の数分の 1 なので、恐怖感もそれなりに少ない。しかし、補助装置が全くなく、車の走行音だけを頼りにして道路を渡るのは冒険技(ボウケンワザ)である。いつか八王子警察署に問い合わせたところ、市内の交通信号機約 470 機のうち、目が見えなくても使える音響式信号機の数は 80 数カ所、全体の約 2 割だという回答があった。しかし、その設置場所は「利用度」が多く見込まれる駅周辺や、視覚障害関連施設のあるところに限られる。広い八王子市内には、音楽や鳥の声が出る信号機がなく、日々恐い思いをしながら過ごしている人が何人もいることになるのだ。音響式信号機について、市内の視覚障害者が問題だと感じていることの一つは、その設置数が足りないこと、もう一つは、信号機の運用時間が制限されていることである。
設置数の点で言えば、全体の 2 割というのは、いかにも少なすぎる。交通信号機は、人と車の通行のし方を整理して、相互の安全性を確保するために作られた社会の仕組みである。道路交通法という法律で、車も人もその信号に従うことを求められているのである。
さて、現在の交通信号機では「進め」と「止まれ」を青・黄・赤という色の変化で示すことになっている。しかし、色覚がない視覚障害者には「色」の変化は全くわからないので無意味。犬も然(しか)りである。そこで、歌のメロディーや鳥の鳴き声、場所によっては機械を振動させてその違いを知らせる「音響式信号機」を付けることになるのだが、それが別ものなので、設置費用がかさみ、その数はなかなか増えないのが現状である。いまの段階で最も望ましい解決策は、市民の協力を得ること。「青になりましたので渡れますよ」とか「もうすぐ赤になるので待ちましょう」などと信号を渡るタイミングを教えてもらい、安全に渡れるように手伝ってもらうこと、いわば駅の声かけ運動の街中版を実現することであろう。学校訪問のとき、目が見えない私がいちばん困ることの一つとして子どもたちに伝えるのも、この思いである。見えない人の不便さを助ける習慣を、子どもたちに自然に身につけてほしいと願うからである。
音響式信号機について、市内の視覚障害者たちが懸念しているもう一つの問題は、信号機の稼働時間の問題である。音や声が響くと近隣の人の生活に迷惑を及ぼすという考え方から、夜間から早朝には音響式信号機を止められてしまう。しかし、その音は視覚障害者が道路を安全に横断するために不可欠な手がかりであり、地域住民には、雑音や騒音とは違うものだと考えていただきたい。もしその音を止めたら、目が見えない人たちは「命がけ」で道路を横断するハメに陥(おちい)るのだ。昨年暮れのある日の早朝に、まさに「命がけ」の行動を強いられた一人の全盲男性が大切な命を落とすという残念な事故が現実に起きてしまった。そして、それは私たちのまちにも起こり得ること、他人事ではないのである。音響式信号機の大元の電源は切らずに、視覚障害者が道路を横断するときにボタンを押して使えるようにする、いわば「交通安全上の合理的配慮」をしていただきたい、このまちの多くの視覚障害者が、そのことを切に願っている。そして、ゆくゆくは全ての人が安全に道路を横断できる、ユニバーサルデザインの交通信号の仕組みが一刻も早く構築されることを願う者の一人である。
・【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 30】
1994 年 10 月 5 日の 9 時過ぎには梶ヶ谷(川崎市)にある虎の門病院分院に着き、その日の午後、6 日の午前と 2 度エコー検査、12日は CT 検査と生検(病理検査)、14 日に前回書いた魔のアンギオ(血管造影検査)と立て続けに検査をした結果、腫瘍が間違いなく悪性であることが確認された。良性であれば、話はまた違った。あと 10 年の命と覚悟して 3 年ほどが過ぎ、残るは 7年(推定)という処で癌が発生してしまった。肝癌など経験せずに、肝硬変から肝不全に至り亡くなる方の方が圧倒的に多いのに、何故神は此処においてもより多難な試練を私に与えようというのか?そのまま放置すれば、7 年を待たず人生の幕が下りることになるだろう。叔父の最後を看取(みと)ったので、肝臓癌の末期の凄絶(そうぜつ)さも分かっている。肝臓癌で死ぬことだけは避けたい。より良く生き延びるには何らかの処置が必要だが、治療には幾つかの選択肢があった。中でも手術は最も過酷な手段であり、痛い思いも覚悟しなきゃならない。元より怖がりでもある。痛い思いをしないで穏便に乗り切れないものかと、持ち込んでいたいろいろな文献を読み漁(あさ)った。あれやこれや心が揺れ、手術の決断がつかないまま 17 日になった。頭の中は堂々巡り、心の中は右へ左への大騒動。その様は恰(あたか)も胸中を鼠が暴れ廻っている如し。猫の手も借りたい心境だった。
その朝、部長回診があり決断を迫られた。部長の後ろから顔を出した熊田 Dr に「貴方ならどうする?」と単刀直入に投げかけた処、「僕なら手術をする」と何の躊躇(ちゅうちょ)もせず即答したので、「分かった。じゃあ、手術をしましょう。ただ、此処での治療実績のレポートをみせて欲しい」と頼んだ。虎の門病院の実績論文を読んだところでどうなるものでもないが、藁(わら)をも掴(つか)むと言った有り様。直ぐにアメリカの学会に発表された 20 年間位の治療実績(手術時)の論文が届いた。専門用語が幾つもあるので、全部を直ぐには理解できなかったが、グラフを見ると 5年後に半分、10 年後に生存している割合は 30%を少し切っていた。
元々10 年後は想定外。5 年後に半分なら悪くはない選択かもしれない。子供がまだ小さかったので少しでも命を長らえればという期待には応えてくれるかもしれない。決断を下してから手術までの 16 日間は嫌に長く感じた。表面は平静に振る舞っていたが、内心は穏やかならぬものがあった。痛いだろうなという恐怖心が巡り、耐えられるだろうかと逡巡もした。病院を抜け出し(許可あり)、たまプラーザまで讃岐うどんを食べに行ったり気を紛らせていた。
一旦下した決断を翻(ひるがえ)すのはみっともないなとも考え、生き続けられる可能性に賭け、新しい人生経験を積めると前向きに考えることにした。冒険旅行のような感覚と言えば良いか。私の周り(パオは除いて)には一度も入院した事がないという人がチラホラいらっしゃる。チラホラどころか、入院経験のない人の方が多いのだ。ましてや大きな手術の経験者は少ない。当時の手帳を繰ってみると、11 月 2 日の手術日まで睡眠導入剤を飲みながらも、なかなか寝付けず、不眠(中途覚醒し、浅い眠り)との記載が続いている。10 月 24 日には手術担当の渡辺 Dr が麻酔医も同伴し、挨拶に来られた。手術概要の説明をするので、カンファランス室へ来て欲しいとの事。家族も同席して詳しい説明を受けた。想像を超える大手術に心中の虫は暴れ出し始め、アドレナリンがふつふつと湧き出した。まな板の上の鯉が跳(は)ねている感じか。「げかのおじさんと、けんかして、うみににげこんだのさ」。
通信本文はここまで。
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・ネウボラ事業の中にぜひ不活化ポリオワクチンの就学前追加接種を 八王子ポリオの会 鈴木房子【音声版はこちらから】
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ここからは通信本文です。
・【事務局通信 Vol.57】
春が近づき、出掛けやすい日が増えてきています(私は花粉症のためこの時期からはきついのですが...)。そんな中、気になる学習会等あり、どれに行こうか迷っていたのですが、やはり自身の活動している地域の学習会や報告会を優先しようと思い、「地域包括ケアシステムについての学習会」兼「障害者地域生活支援拠点事業報告会」に参加してきました。
地域包括ケアシステムについて厚生労働省の菊池氏から説明がありました。まず考え方の根本は、高齢者福祉の分野から派生したものであるということは皆さんご存知だとは思います。 障害の分野で取り組むのはどのような目的なのかということについても説明がありました。私なりの解釈としては保健・福祉・介護・リハビリテーション・医療の分野において専門性を生かし、その分野のみの「点の支援」ではなく、必要と思われる各分野や地域の力も活用し、「つながりのある支援・継続性のある支援」を構築していくためのシステムつくりだと私は感じました。地域包括ケアシステムを構築し、その先の共生社会に繋げていきたいということもよく分かった気がいたします。「地域共生社会」については色々なご意見があること思います。中には「お金がないから地域
での体制つくりだろ」という声も聴きますが、現在提供されていないサービスを各分野で協力することにより、新たなサービスを作っていけるのも現実。障害の重度化や高齢化が進んでいる中、このようなサービス分野、障害の違いもありますが、連携してつながりのある支援体制は欠かせないものになっていくのではないかと思います。障害者地域生活支援拠点事業報告会については以前も参加し、この通信にも掲載していただきましたが、今回も参加して改めて担当される事業所さんの大変なことや、このような取り組みがないといけないということを知ることができました。
地域の体制つくりや先に記載した地域包括ケアシステムと同じで、各分野の連携、支援を受けたい、受けようか迷っている方々に対し、それぞれに合った支援の連携・体制つくり。それに加え、サービスの利用が必要な状況にあるが、自身でそこまでつながれていない人への支援(アウトリーチ)。こういったことに対し、現在は 5 つの支援センターが役割を担っている。自分がかかわっていないから知らないということではなく、分野ごとの専門団体として、私たち各事業所も意識して取り組まないとならないのではないかと思いました。こういったことも八障連では話し合い、場合によっては市へ意見として出したりとしています。このような活動にかかわることによって、事業所の職員の経験値にもつながっていくと思います。是非各事業所の皆様の中で、ご興味のある方は会議等に参加していただき、八障連の活動にご協力をいただければと思います。(事務局 立川)
・【編集後記】
通信 345 号をお届けいたします。今号は、「八王子ポリオの会」の鈴木さんが保健福祉センター運営委員会に運営委員として出席しており、そこでの提案を原稿にまとめていただきましたので、特集記事として掲載いたしました。八王子ポリオの会の鈴木さん、お忙しいところ原稿ありがとうございました。/さる 2 月のある日、みんなで考えよう! 障害者自立支援機器 「シーズ・ニーズマッチング交流会 2018」が有明コンベンションホールにて開催されていたので参加してみた。最近話題の AI を搭載した福祉機器などが展示され興味深かったが、そこにポリオの会も出店しており鈴木さん夫妻が参加されていた。
毎年出店しているとのことでご活躍されていました。とりあえずの報告でした。(M)
・【ネウボラ事業の中にぜひ不活化ポリオワクチンの就学前追加接種を 八王子ポリオの会 鈴木房子】
この 2 月 7 日に東浅川保健福祉センターに於(お)いて、平成 30 年度第 3 回八王子市保健福祉センター運営協議会が開催され、出席して参りました。その際、「住み慣れた地域で元気に暮らし続けるために保健福祉センターができること」というテーマで、一人 3 分以内での意見交換の時間が設けられていました。そこで八王子版ネウボラは皆さんの努力で定着しつつありますが、それをもっと充実させるために私が日頃から気になっていることを提案して参りました。
障連の推薦を受けて 3 期目になりますポリオの会八王子の鈴木房子と申します。ポリオに罹患(りかん)した当事者の立場からお話しします。それはネウボラ事業の中にぜひ不活化ポリオワクチンの就学前追加接種を加えていただきたいという事です。
ポリオという病気は多くは抵抗力の弱い子どもたちがかかる病気で、予防接種でしか抑えることができないのです。運悪くかかってしまった場合、未だに治
療法がありません。ひどい場合には命を落とすこともあります。助かっても四肢麻痺など後遺症として身体に機能障害(私のように)が残りますし、さらにポストポリオ症候群を発症するともっと機能障害がひどくなります。万が一にもポリオにかかってしまった人は、一生困難な生活をする事になってしまうのです。
1961年に緊急輸入というかたちで生ワクチンが一斉投与され、劇的に大流行が終息し野生株由来のポリオ発生はなくなりましたが、その後もわずかであっても生ワクチン由来のポリオが発生しておりました。2012年9月から我が国でもやっとポリオ生ワクチンからポリオ不活化ワクチンに切り替わり、良かったと思っていたのですが、今の接種方法だとワクチンの抗体価がだんだん減ってくるのだそうです。そこでポリオ不活化ワクチンの就学前追加接種をすることが、接種漏(も)れも防げて、さらにポリオの抗体価を維持でき望ましいといわれています。海外ではまだポリオは根絶されていません。生ワクチン由来のポリオも発生しています。
2020年にはオリンピック・パラリンピックがあり海外から多くの人がどんどん日本にやってきます。当然ポリオウイルス保菌者も入って来ることになります。いや、もう、入っています。成田空港にやって来る飛行機のトイレのタンクの中からポリオウイルスがしょっちゅう検出されているとか、富山県では下水からポリオウイルスが何回も見つかっているということです。今まではたまたまポリオにかかっていないというだけなのです。世界的なワクチンの標準接種回数から見ても、抗体価を維持するには日本の不活化ワクチン接種回数は少ないのです。八王子市でも、就学時前の不活化ポリオワクチン5回目の追加接種を一日も早く実施できるよう望みます。ご検討よろしくお願いいたします。ありがとうございました。ちなみに不活化ポリオワクチンの就学前追加接種を公費負担、助成している自治体青森県藤崎町 全額町費千葉県いすみ市と石川県かほく市は公費助成されています。
Neuvola (ネウボラ)とは、フィンランド語で「アドバイスの場」を意味する支援制度です。八王子市では子育てしやすいまちナンバーワンを目指し、フィンランドでの身近な地域の相談拠点である「ネウボラ」での妊娠期からの切れ目のない子育て支援のしくみをモデルに、「八王子版ネウボラ」のしくみづくりに取り組んでいます。平成 28 年 4 月から八王子版ネウボラの拠点として市内 3 か所にある保健福祉センターの保健師等が、妊娠された方おひとりおひとりと面談を行い、体調や心配事をお伺いすることで安心して子育てをスタートできるようお手伝いをします。(八王子 HP より抜粋)
・【連載コラム vol.20 『交通信号機に合理的配慮を!』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子】
私が盲導犬のアーサと街を歩いていて最も緊張する場面は、電車の踏切を渡るとき、そして、5 叉路とか 7 叉路などと、いろいろな方向に行き交う車がいて、歩いている私も、途中で止まって、進むべき方向を換えなくてはならない、そんな変則的な道路を横断するときである。電車の踏切に近づくと、踏切を渡る途中で咄嗟のハプニングに対応できなくなったら、どうしよう!という恐怖感に恐われて、私の心臓はドキドキと早打ちするほどである。そんなときはすぐに、そばを歩いている通行人に助けを求めて、一緒にそこを渡ってもらうことにしている。
他方、車の走行スピードは電車の数分の 1 なので、恐怖感もそれなりに少ない。しかし、補助装置が全くなく、車の走行音だけを頼りにして道路を渡るのは冒険技(ボウケンワザ)である。いつか八王子警察署に問い合わせたところ、市内の交通信号機約 470 機のうち、目が見えなくても使える音響式信号機の数は 80 数カ所、全体の約 2 割だという回答があった。しかし、その設置場所は「利用度」が多く見込まれる駅周辺や、視覚障害関連施設のあるところに限られる。広い八王子市内には、音楽や鳥の声が出る信号機がなく、日々恐い思いをしながら過ごしている人が何人もいることになるのだ。音響式信号機について、市内の視覚障害者が問題だと感じていることの一つは、その設置数が足りないこと、もう一つは、信号機の運用時間が制限されていることである。
設置数の点で言えば、全体の 2 割というのは、いかにも少なすぎる。交通信号機は、人と車の通行のし方を整理して、相互の安全性を確保するために作られた社会の仕組みである。道路交通法という法律で、車も人もその信号に従うことを求められているのである。
さて、現在の交通信号機では「進め」と「止まれ」を青・黄・赤という色の変化で示すことになっている。しかし、色覚がない視覚障害者には「色」の変化は全くわからないので無意味。犬も然(しか)りである。そこで、歌のメロディーや鳥の鳴き声、場所によっては機械を振動させてその違いを知らせる「音響式信号機」を付けることになるのだが、それが別ものなので、設置費用がかさみ、その数はなかなか増えないのが現状である。いまの段階で最も望ましい解決策は、市民の協力を得ること。「青になりましたので渡れますよ」とか「もうすぐ赤になるので待ちましょう」などと信号を渡るタイミングを教えてもらい、安全に渡れるように手伝ってもらうこと、いわば駅の声かけ運動の街中版を実現することであろう。学校訪問のとき、目が見えない私がいちばん困ることの一つとして子どもたちに伝えるのも、この思いである。見えない人の不便さを助ける習慣を、子どもたちに自然に身につけてほしいと願うからである。
音響式信号機について、市内の視覚障害者たちが懸念しているもう一つの問題は、信号機の稼働時間の問題である。音や声が響くと近隣の人の生活に迷惑を及ぼすという考え方から、夜間から早朝には音響式信号機を止められてしまう。しかし、その音は視覚障害者が道路を安全に横断するために不可欠な手がかりであり、地域住民には、雑音や騒音とは違うものだと考えていただきたい。もしその音を止めたら、目が見えない人たちは「命がけ」で道路を横断するハメに陥(おちい)るのだ。昨年暮れのある日の早朝に、まさに「命がけ」の行動を強いられた一人の全盲男性が大切な命を落とすという残念な事故が現実に起きてしまった。そして、それは私たちのまちにも起こり得ること、他人事ではないのである。音響式信号機の大元の電源は切らずに、視覚障害者が道路を横断するときにボタンを押して使えるようにする、いわば「交通安全上の合理的配慮」をしていただきたい、このまちの多くの視覚障害者が、そのことを切に願っている。そして、ゆくゆくは全ての人が安全に道路を横断できる、ユニバーサルデザインの交通信号の仕組みが一刻も早く構築されることを願う者の一人である。
・【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 闘病史 その 30】
1994 年 10 月 5 日の 9 時過ぎには梶ヶ谷(川崎市)にある虎の門病院分院に着き、その日の午後、6 日の午前と 2 度エコー検査、12日は CT 検査と生検(病理検査)、14 日に前回書いた魔のアンギオ(血管造影検査)と立て続けに検査をした結果、腫瘍が間違いなく悪性であることが確認された。良性であれば、話はまた違った。あと 10 年の命と覚悟して 3 年ほどが過ぎ、残るは 7年(推定)という処で癌が発生してしまった。肝癌など経験せずに、肝硬変から肝不全に至り亡くなる方の方が圧倒的に多いのに、何故神は此処においてもより多難な試練を私に与えようというのか?そのまま放置すれば、7 年を待たず人生の幕が下りることになるだろう。叔父の最後を看取(みと)ったので、肝臓癌の末期の凄絶(そうぜつ)さも分かっている。肝臓癌で死ぬことだけは避けたい。より良く生き延びるには何らかの処置が必要だが、治療には幾つかの選択肢があった。中でも手術は最も過酷な手段であり、痛い思いも覚悟しなきゃならない。元より怖がりでもある。痛い思いをしないで穏便に乗り切れないものかと、持ち込んでいたいろいろな文献を読み漁(あさ)った。あれやこれや心が揺れ、手術の決断がつかないまま 17 日になった。頭の中は堂々巡り、心の中は右へ左への大騒動。その様は恰(あたか)も胸中を鼠が暴れ廻っている如し。猫の手も借りたい心境だった。
その朝、部長回診があり決断を迫られた。部長の後ろから顔を出した熊田 Dr に「貴方ならどうする?」と単刀直入に投げかけた処、「僕なら手術をする」と何の躊躇(ちゅうちょ)もせず即答したので、「分かった。じゃあ、手術をしましょう。ただ、此処での治療実績のレポートをみせて欲しい」と頼んだ。虎の門病院の実績論文を読んだところでどうなるものでもないが、藁(わら)をも掴(つか)むと言った有り様。直ぐにアメリカの学会に発表された 20 年間位の治療実績(手術時)の論文が届いた。専門用語が幾つもあるので、全部を直ぐには理解できなかったが、グラフを見ると 5年後に半分、10 年後に生存している割合は 30%を少し切っていた。
元々10 年後は想定外。5 年後に半分なら悪くはない選択かもしれない。子供がまだ小さかったので少しでも命を長らえればという期待には応えてくれるかもしれない。決断を下してから手術までの 16 日間は嫌に長く感じた。表面は平静に振る舞っていたが、内心は穏やかならぬものがあった。痛いだろうなという恐怖心が巡り、耐えられるだろうかと逡巡もした。病院を抜け出し(許可あり)、たまプラーザまで讃岐うどんを食べに行ったり気を紛らせていた。
一旦下した決断を翻(ひるがえ)すのはみっともないなとも考え、生き続けられる可能性に賭け、新しい人生経験を積めると前向きに考えることにした。冒険旅行のような感覚と言えば良いか。私の周り(パオは除いて)には一度も入院した事がないという人がチラホラいらっしゃる。チラホラどころか、入院経験のない人の方が多いのだ。ましてや大きな手術の経験者は少ない。当時の手帳を繰ってみると、11 月 2 日の手術日まで睡眠導入剤を飲みながらも、なかなか寝付けず、不眠(中途覚醒し、浅い眠り)との記載が続いている。10 月 24 日には手術担当の渡辺 Dr が麻酔医も同伴し、挨拶に来られた。手術概要の説明をするので、カンファランス室へ来て欲しいとの事。家族も同席して詳しい説明を受けた。想像を超える大手術に心中の虫は暴れ出し始め、アドレナリンがふつふつと湧き出した。まな板の上の鯉が跳(は)ねている感じか。「げかのおじさんと、けんかして、うみににげこんだのさ」。
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