八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

通信366号をアップしました。

2021年02月14日 | 八障連通信
通信366号をアップします。


通信366号【音声版】はこちらから



ここらかは通信本文です。


皆様、あけましておめでとうございます。昨年は新型コロナウイルスによって、生活環境は大きく変わり、衛生管理のことや体調管理についても多き変化をもたらしました。2021 年にはいり早々、第 3 派により緊急事態宣言が出
され、事態は予断を許さない状況となりつつありますので、さらに「うつらない・うつさない」ための予防をとって頂きたいと思います。
さて、今年は、市福祉課との懇談会や市議会との懇談会が予定されております。すでにご案内のとおり、ご意見を送っていただいておりますが、まだ若干質問項目を増やせそうなので、なるべく早めにご意見をお聞かせいただければ、内容に盛り込めそうです。来年度に関しては、安定化基金の変更などあり皆様の事業所でも今後のことでいろいろと意見交換などされていると思います。その点についてもご意見等あればお聞かせください。今年は新型コロナの関係で今までにない状況が続いております。社会全体での問題があり色々と情報も錯綜していると思いますので、是非正しい情報を得ていただきたいと思います。些細なことでも構いません。何かあれば事務局お問い合わせください。(文責/立川)


けましておめでとうございます。一般社団法人 ありがとうショップ 砂長美んです。今年もどうぞよろしくお願いいたします。本当、昨年は、まいったなあー! というのが本音の気持ちです。実際の自分の事業スタイルの反省もしました。障害者の方々の作った商品をお土産物と言う、付加価値で、国会議員会館内をはじめ、刀剣博物館、忍者、等々、進めていましたが、今回のコロナ禍の影響で、売り上げは、半分以下に落ち込みました。同時に、堅調に切れ目なく、発注していた、障害者施設への注文も止まってしまい、働く障害者の方々のお給料にも、影響は、少なからず出てしまった事でした。今回の事は、誰も予期できない事でしたが、ビジネスモデルとして、販売先の偏(かたよ)りのリスクマネジメントをしていなかった事。反省と同時に、今新しく、切れ目ない、働く障害者の仕事を考えています。もちろん、アイディア提案も歓迎します。(^ ^)
茨城県つくば市は、わたしの出身地でもあり、今回のコロナ禍で、地元の人口増加を受け、何か障害を持つ人たちの働く場所を作りたいと思いました。口と頭の中で考えるのは、簡単です。実際に、少しずつ色々調べています。
2021 年の新年早々緊急事態宣言が出されましたが、まだどう動いて良いか素直のところ戸惑いながら、新型コロナの早期の終息を祈るばかりです。しかしながら、昨年を振り返るといいこと、気付きも沢山ありました。
YouTube チャンネルを始めました!Bin sunanaga 検索してみてください。障害を持つ人達に関わる人のインタビューです。zoom のオンラインも、年間契約して、活用を始めました。(^ ^)。
実家で、家庭菜園に挑戦しました。トマト、きゅうりができました。皆様にとってよりご多幸の多い 2021 年になります様に心からお祈り申し上げます。
一般社団法人 ありがとうショップ
〒151-0053 東京都渋谷区代々木 3-1-16 グリーンハイツ 201
砂長美ん 090-8454-2409 Binsunanaga@gmail.com


新年、明けましておめでとうございます』『今年が良い年でありますように』...とは、年頭のご挨拶によく用いられる、ごく当たり前の文言ですね。
これを書いているのは 2020 年の暮れですが... 今回の年末ほど...
明くる年がよい年であるように。と心の底から祈ったのは、東日本の震災があったとき以来、久しぶりのことです。
今年一年をざっと振り返ってみますと...。私一人に限らず、おそらく人間誰しもが...、日々の予定に追われ、刻々と時間に追われているときは《静かなところで過ごしたい》とか《もう少し毎日にゆとりがほしい》とかいうことを考えてしまうものだと思います。
しかし、コロナのせいで予定していたイベントが中止になったり延期になったり...
友人知人に会うはずの日程がどんどんキャンセルされ...せっかくカレンダー書き込まれた予定に上から修正の線を引く...というのも、なんだか寂しくなりますね。
それが一回二回ならまだしも、三回そして四回と同じことを続けていくとなると、さすがにため息がこぼれてきます。
忙しい時には、すこしでも時間がほしい。ゆとりがほしいと願っていても、自分の望まない形で『どこにも行けない』『何もできない』という無意味な時間が増えてしまうのも困ったものですね。
相次ぐ新型コロナウイルス感染拡大を受け、4 月に緊急事態宣言が出されたあたりから『不要不急の外出を避ける』『密を避ける』ということで...生活に直結する買い物等の外出は特に制限されないものの...余暇活動としての外出は控えられるようになりました。ただその日を生きるだけ、その時をやり過ごすだけならば、それで問題ないとしても... 人間生活の真の営みは、様々な場所に出向いて、様々なふれあいの中で多くの人が同じ場を共に過ごし、互いに語らうことから始まります。こんな非日常の光景が、いつまでも続いて良いはずがないのです。八障連の取り組みとしても、ワークセンターと連名により「すべての障害当事者及び難病者、入通所施設やヘルパー事業所、訪問看護等の当事者を取り巻く社会資源や、そのような社会資源を活用し生活されている方々に対し、PCR検査の希望があれば何度でも無料で受けられるようにしていただきたい」ということで、8月31日に八王子市の障害福祉課へ要望書を提出してきました。
回答に関しては管轄しているところの違いもあり、時間をもらいたいとの説明がありました。このたびのコロナ渦のなか、加盟団体の各事業所としても、閉所するのか継続して開所をしていくのかの判断ができず、悩まれていた所もかなり多かったと聞きおよんでおります。本当に大変な年でした。ひとまずはお疲れ様でございました。
寒さが増すにつれて感染者数も増え...まだまだ不安な日々が続きますが...八障連加盟団体、関係団体および、日頃ご支援ご協力をいただいているみなさまにおかれましては... くれぐれもご自愛の上、体調の変化にお気を付けくださいませ。遠からぬ日に、みなさまと笑顔でお目にかかれる日を願いつつ、新年のご挨拶とさせていただきます。
2021 年...明くる年こそは、前年の鬱屈が吹き飛ぶような、素晴らしい一年となりますように!


2021 年 1 月 8 日、私の盲導犬アーサは、そのお仕事から引退しました。その日、(NPO)八王子視覚障害者福祉協会の事務所で小さな卒業式を行い、私を誘導するために、ずっと付けていたハーネスをアーサの背中から私が外し、盲導犬としての役割を解いたのでした。犬の寿命は 10 歳から 15 歳と言われていますが、アーサの盲導犬生活は 11 年余り。あるときは盲導犬として、あるときは愛犬、そしてセラピー犬として、その人生、ではなくて「犬生」を我が家で費やしてくれたのです。
アーサの引退について、私は数年来ずっと悩み続けてきました。一般的に盲導犬のユーザーは、盲導犬が10 歳を迎えるころに、どなたかに託し、若い新たな盲導犬に、その役割をバトンタッチしてもらいます。しかし、私の場合、9 年前に病死した夫との間で、愛娘さながらのアーサを、ずっと元気に育てるという約束をしていました。そのような経緯もあって、アーサが 12 歳を過ぎた今日まで、周りの方に助けてもらいながら過ごしてきました。
しかし 1 年ぐらい前から、後ろ足がもつれて、階段を降りるのがつらそう、おなかをこわしやすい等の現象が出てきました。犬のアーサも生き物。私たち人間もそうであるように、年をとって、体の機能が徐々に衰えると、不
都合と言うか、不具合と言うか、さまざまな症状が出てくるのです。私もいろいろ考えて、食事のこと、トイレのこと、健康維持のこと・・・。老いていくアーサが快適に過ごすための様々なケアを、目が見えない私一人の力でこなすのは難しいという結論に至りました。それに、私が見えないために、アーサの重大な体の変化を見落とすことさえ考えられるのです。
私はしばらく前から、盲導犬引退後のアーサを愛しつつお世話してくださ
る方はいないだろうかと探していたところ、数組の家族が声をあげてくださ
いました。結局、犬が大好きで、これまでに何頭も飼ったことがあるという、やさしいご家族にアーサを託すことができました。
1 月 8 日の卒業式のあと、アーサは、八視協の職員に見送られて、車で八王子を出発し、新たな住まいとなる Y 家にお引っ越ししました。アーサはこれから、そのご家族と、その方々を取り巻くたくさんの人たちに囲まれて、楽しく、ゆったりした時間を送ることができるのです。そして私も、引退犬のアーサを心良く引き受けてくださる Y さんご夫婦に心からの感謝を伝え、アーサにも最大級の「ありがとう」を言って、お別れしたのでした。


明けましておめでとうございます。通信 366 号をお届けいたします。さて、2021年早々コロナ過の第 3 波により1都 3 県 1/8~2/7(31 日間)の緊急事態宣言が出されましたが、その後大阪、京都、兵庫、愛知、岐阜、栃木、福岡の 7 府県が追加されました。今のところ感染対策を徹底して行っていく以外にありません。昨年と同様我慢を強いられることも多々あると思いますが、なんとか乗り切っていきましょう。今年も八障連通信のご愛読よろしくお願いいたします。寄稿・投稿大歓迎! (編集部)


回目の癌手術ともなると、矢張り先行きの事が心配になる。黄泉の国へ向かう片道切符を手にする確率は格段に上がっているに違いない。確かに、今回は三途の川の縁まで行ってご先祖様に追い返されたのだった。自分自身の死への不安というのはこれまでも殆ど感じたことがなかったが、まだ学齢期の子供達の行く末が気に掛かる。しかし、心配しようが不安になろうが、お迎えには逆らえない。いつ何時に行くからねと予告してくれればまだ準備のしようもあるが、死は突然訪れる。
突然の来襲という事では、コロナウイルスが 2020 年 3 月29 日に志村けんさん、4 月 23 日には岡江久美子さんを彼岸へ連れ去った。陽性反応が出た後の急劇な悪化は食い止めようがなかったようだ。一部ではサイトカインストームが起こったのではないかと考えられている。痛ましい交通事故死が相次いだ時期もあった。私にとって一番印象的なのは、日航ジャンボ機墜落事故だ。一度に沢山の人が亡くなる衝撃は相当なものだった。同時に何人亡くなろうと、死はひとりひとりのものでしかないのだが。
明日がある、未来があると考えることで、我々は死の恐怖から目をそらし、希望という灯りを頼りに日々生を紡いでいる。薄明の灯りの許で、黒か白か、善か悪かなどと両極を見据えながら、グレーゾーンを右往左往しながら舟を漕いでいるのだ。そういう意味では、真っ黒もなければ真っ白もなく、
絶対善もなければ絶対悪もない相対の世界を我々は彷徨っている。生きるとは揺らぎそのものであり、白黒をはっきりさせるというのは本来の姿ではない。茫漠とした日々の生活に、いきなり「死」という冷徹な絶対的事象が降りかかってくる。行き来がかなわず、隔絶されたふたつの世界は時として
人々を絶望という深淵に落とし込む。無常感や虚無感に足をすくわれると、人はオロオロし立ち竦(すく)んでしまう。
ちょっと筆が走り過ぎたようだ。元へ戻ろう。
癌になるまでは殆ど家に居ないような生活だった。病院を辞めてからは日雇い専門職労働者という不安定な身分で、酷い時には午前、午後、夜間と違う場所で中身の違う仕事をしていたこともある。専門家としての生業は同じなのだが、対象や専門知識の使い方がそれぞれで違う。時間単位のたたき売りのようでもあり、神経も磨り減る。
一時期芝居もやり、その上何かと言えば、お金にもならない頼まれ事を引き受けてしまう貧乏性、それゆえの貧乏暇なしだった。
2002 年4月からは臨床心理学会の事務局を引き受けてしまった。敬愛する
仲間たちが集まる学会の消滅を危惧したからである。財産がある訳でもなく、稼ぎが良い訳でもなく、父親としての役割も殆ど果たせていなかった。それが、癌になったお陰で、残り少ないかもしれない時間を子供達と一緒にいることに使おうと転換できた。元をただせば、ウイルスのお陰である。いろんな体験をさせてあげたいというのが一番。体験は大人になってから大きな財産になる。
2003 年の前半はボーリング、後半は海釣り、川釣り、卓球と時間を見つけては子供達を連れ出した。8 月 22 日から 25 日までは青木湖(長野県)に行ってボート釣り(釣り用の小さなゴムボートを持っていた)をした。目当てはヒメマス
なのだが、困ったことにこれが殆ど釣れないのだ。湖の中をあっちこっち移動して釣り糸を垂らすのだが、全く当たりすらなかった。飽きてしまった子供達は釣り竿を放ったらかして、水遊びを始めた。仕方なく私も泳ぎに加わった。平泳ぎなら1時間でも2時間でも体力の続く限り泳げたので、泳ぐことに苦はなかったが、青木湖の水は冷たくて余り気持ちの良いものではなかった。
ヒメマスを当てにしていた夕飯のおかずに変わるものを求めて近場のお店まで車を走らせた。そのお蔭で、途中に農家の直売所があるのが分かり、明くる日の午前に車を走らせ、傷み桃を沢山手に入れることが出来た。そのままでは市場には出せないものを安価で売りに出していたもので、あんなに美味しい桃をお腹一杯食べたのは後にも先にもない。桃は私と末の子供の大好物なのだ。捨てる神あれば、拾う神あり。ありが桃!!


通信本文はここまで。

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