八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

通信365号をアップします。

2021年02月14日 | 八障連通信
通信365号をアップします。


通信365号【音声版】はこちらから


ここより通信本文です。

私は...自分自身の身体に障害があり、生活の中で電動車いすを用いて外出しながら、学校などの講演先にも向かいます。これを話すと、意外に思われる方も多いのですが...私は、自分の身体に障害はあるけれど、特に別して、『身体の不自由な人、病気の人に優しくしましょう。優しくしてください』とは...言ったことはありません。特に最近では...『誰かが、別の誰かに対して優し
くできない社会、他者に対して寛容ではない社会』の有り様が問題になったりしています。障害や病気の有無に関わらず...人と人との繋がりを大切にしていかなくてはならないという点においては...どなたにとっても変わりはないと思っています。私自身の境遇を語るなら、私は...身体的に重度な障害があ
ることを主な理由として、いわゆる賃労働による就労の道を断念して今に至りますが...それでも、今の私にできること...人前に出て、社会の中の『繋がり』について問いかけ問い直すという活動を通して、少しでもどなたかのお役に立つということを自分の目標にしています。
自分の周囲の環境に対して問いかけを行い、問い直す。これは必ずしも...『世の中みんな仲良く美しく』ということを意味しません。人間一人ひとり、別々の脳と心がある以上どうしても理解しえない、共感できない部分はあります。
つまりは、『仲良くする体験』をすることは大切だけれども、『仲良くできない体験』をするということも、同じように大切なのです。障害のある人は、障害のない人のことを、完全には理解できません。
また逆に、障害のない人も私たち障害者のことを理解するのは難しいことだと思います。障害者同士、健常者同士であっても、人と人とが繋がっていく...というのは、そもそもとても難しいことなんでしょう。しかし、難易度が高いから...ハナから理解なんか不可能だ...ということで、社会における他者との
交わりや日々の関わりを断ち切ってしまうと、人間は生きてはいけません。
つまりは...『完全な理解と、完全な共感は不可能ではあるけれど、それでも他者へ向ける興味と好奇心は、失うべきではない。誤解や摩擦は多くとも、人との繋がりを手放しては、誰も一人で生きることはできない』、これが私のいう『問い直す』という事なのです。男性と女性、高齢層と若年層、大人と子ども...世に様々な違いはあるけれど、それでも互いを受け入れながら、たくさんの人が同じ社会に暮らしています。『人に優しくする』ということは...すなわち、『わけの分からん他人(=自分とは別の誰か)のために行動する』ということに他なりません。
まさか他人が『自分の利益のために動いてくれる』などということが、いかに奇跡的で希有なことであるかを、より深く知らばこそ...『頭の中を覗いて、心の中を読んだ訳でもないのに、よくおれの望んでいることが理解できたな』と、そこに驚きと感謝が生じるのです。
またもし仮に、誰かの頭の中や心の動きが理解できたとして、その上で、自分が相手のために行動するか行動しないかは、一人ひとりの選択と行動の自由であります。相手のことを考えて行動するのも、大変な困難がついて回り
ます。だからこそ、なおのこと...『自分以外の誰かのために、率先して行動できる人』というのは、立派な人だとして見られるのであり...そもそも、他者との関わりは、基本的に誤解と摩擦を生じることが前提であるからこそ...その面倒くささを乗り越えて、なおも自分と繋がり、関わってくれた人にはきちんと感謝の意を表するべきと、私は考えています。
このことを踏まえたうえで...子どもさんなどには、『相手の気持ちを考えてみましょう』『相手に感謝を伝えましょう』『人に優しくするということを、恐れてはいけないのではないか』とお伝えしています。
中には『せっかく親切にしてあげた人から拒絶された』『親切にしたのに感謝されなかった』という人もいらっしゃいます。本来、この社会は、誤解や摩擦があるのが当たり前です。だからこそ、人と人とが助け合うことが意義あること、大切なことになってくるのです。より幼い小さな子どもさんに対しては...『学校の先生やお家の人に、どれだけ優しくしてもらっても、あなたの気持ちがイライラしていたり、落ち着いていなければ、なかなか...ありがとう、とは言いづらいですよね。』それと同じで、心の中に不安やイライラを抱えている人は、自分のまわりの様子を、落ち着いて見ることが出来なくなっているんです。もしかしたら、あなたの言葉も、よく聞き取れていないし、あなたの顔もよく見ていないかもしれない。そして...『誰でもそうですが、感謝の気持ちよりも、不安やイライラが大きい時は、人に感謝するということが難しくなるものなのです。親切にしてあげた人から感謝されなかったからといって、誰かに優しくするということを諦めないで欲しいです』と伝えています。
一時、イライラをぶつけられた人にも、いつか...何らかの形で、自分の思いが伝わるだろうと信じること。『みんなと仲良くできない』『仲良くするのは難しい』という現実があるからこそ...『仲良くなるにはどうしたらいいか』『仲良くなれない人とは、どうやって同じ場所で暮らしていくか』ということを、一生懸命考え続けるのが大切なんだよと話しています。


10月 22 日と 23 日に鉄道線路見学会が催され、私もそこに参加しました。それは都盲協(東京都盲人福祉協会)とJR東日本が共催して開かれたイベントです。毎年複数回繰り返されている視覚障害者の駅ホーム転落事故を重く見て、駅ホームの安全利用に関心を持ってもらうことを意図して特別に企画されたイベントでした。JR東日本の職員も立ち合う中、私たちが品川駅東京寄りの作業用階段を数段下りると、そこはまさに線路。その場所からほど遠くない場所では運行中の電車の走行音も聞こえましたし、私たちのすぐそばには数両編成の体験用の電車も置かれていて、その大きな鉄の塊の存在に、身もすくむ思いさえしました。
私たちはガイドのサポートを受けながら、足場の悪い砂利道をあちらこちら歩いて、線路の敷石や枕木、隣りの線路との幅などを確認しましたが、1 メートルぐらいの間隔で 2 台の電車がすれ違うこともあると聞いて、これまた、ゾッとしたほどです。線路の構造は駅ごとに違うそうですが、品川駅 7 番線のホームの真下は地面まで空洞になっていて、そこが転落者の退避場所になるのです。車両とはすれすれの状態ですが、体を横たえれば、何とか電車には、はねられずにむのかもしれません。しかし、そんなところにいるのでは、生きた心地はしないでしょう。また、線路からホームまでの高さは 130 センチぐらい、ちょうど私の肩の高さまでありました。
私は何とか自力で線路からホームに上がれないかと試みましたが、無理でした。線路とホームの床との間は、ほとんど空道になっていて、足をかけるところがなく、アウトでした。隣りの人が、2 段梯子が一台あると教えてくれたので、そこに足を掛けてホームに上がろうとしましたが、梯子は狭く、直立なので、1 段目に足を掛けると、2 段目の梯子に私のひざがぶつかって、動けませんでした。ひざを斜めにすると、私の体の重みを支えられず、バランスが崩れそうで、あきらめました。したがって、もし実際にホームから線路に落ちてしまったら、自力ではホームに戻れず、私の命はこの上ない危険にさらされるのだということを実感する貴重な機会になりました。
足元の床より上に何の手がかりのない鉄道駅のホームは「欄干のない橋」に例えられ、単独で行動する視覚障害者にとって最も危険な場所です。ある新聞記事によれば、1994 年以降四半世紀の間に、約 50 人の視覚障害者が駅のホームから落ちて、電車と接触して死亡したり、重傷を負ったりしたと伝えられています。今年に入ってからも、1 月・7 月・11 月と 3 回も死亡事故が起きて、視覚障害当事者の一人である私自身も機危感をひしひしと感じつつ
行動しています。
歩行訓練士や大学の研究者などの専門家の分析によると、これまでの駅ホームからの転落原因を推測すると、進むべき方向を間違えて通路と直角に歩き、向かい側のホームに落ちてしまった、階段や自販機、人混みを避けてジグザグに歩いているうちに方向がわからなくなり、下り階段と誤認してホームに落ちたという例も報告されています。目が見えない私たちは、白杖や手を出して触れてみるとか、誰かに声を出して教えてもらうなど、外からの特別な働きかけがない限り、目の前の変化や危険性を事前に知ることができません。そこに「見えないこと」による不自由さがあり、危険な目に遭うという事態につながるのです。
駅のホームからの転落を防ぐには、ホームドアを設置するのが最も有効ですが、費用がかかること、また、ドアが開く位置が JR の駅だけを考えると、全国約 9500 駅のうち、ホームドアが設置されているのは、2020 年 3 月末現在
で 850 駅、約 9%だそうです。視覚障害者が単独で駅ホームを歩く際の危険性を考えれば、駅員や通行人と一緒に歩くのが望ましいのですが、いつでもそれがかなうわけではありません。もし私たちが単独で駅ホームを歩かなけれ
ばいけないときは、最大限に注意深く、一歩いっぽ慎重に、ゆっくり歩く。何かおかしいと気付いたり、不安なことがあったら、すぐに立ち止まり、それ以上前には進まずにサポートを待つ。もちろん、近くに通行人がいたら、積極的にサポートを依頼するのが賢明でしょう。そこで、このコラムをお読みの皆さんにお願いがあります。もし、駅のホームで視覚障害者が一人で歩いているのを見かけたら、近くで見守り、危なそうなら、皆さんの側から声をかけて、必要な手伝いをしていただきたいのです。目が見えない私たちは、相手の人の存在を自分で察知できません。昨今コロナ騒ぎで、相手の人と距離感を保つように言われていますが、視覚障害者に対応するとき、その法則は度外視して、大切な命を守るために、ご協力くださるようにと切に願う昨今です。


通信 365 号をお届けいたします。2020 年も、はや 12 月半ばを過ぎました。今年はコロナウィルスにより世界的規模で不確実性にさらされた年でもありました。報道によるとワクチンの接種が始まっている国もあります
が、日本では早くて来年春以降といわれていますので、年末から 2021 年初頭にかけてはコロナ過の第 3 波の嵐が吹きあれそうです。引き続き予防策を徹底していきましょう。暗いトンネルの中を通過しているような感覚ですが、めげることなく活動を進めていきましょう。それでは皆さま、よいお年を!(Y)

院を何度も繰り返していたので、仕事など支障がある処以外には入院の事も癌の事も知らせていなかった。しかし、今回もいろんな方が見舞に来て下さったが、中心は臨床心理学会の運営委員の人達だ。学会の事務局を私が引き受けていたので、私がいない間のピンチヒッターを誰かに頼まなければならず、知らせない訳にはいかなかった。
矢張り癌の手術というのは特別の響きがあるのだろう。大学の先輩でもあるダンディーさんは、同級生など身近な人を相次いで去年から見送っているという事で、「貴方も見送るのは嫌だよ」と激励して下さったのだが、2 人して目が潤んでしまった。明治から昭和にかけて活躍した女性解放運動の先頭に立った人をお祖母さんに持つ品のあるジェントルマンである。
学会で知り合い親しくなったいぶし銀さんは退屈な時に聴いてとカセットテープと小さいカセットレコーダーを差し入れてくれた。私を含めた 3 人でよく学会発表などの企画をした。それ以来、年に 1~2 回(春と秋)は高尾山トレッキング後の飲み会、その合間に美味しい居酒屋で一杯という付き合いを続けている。
友人の中で最も話が合うのがこの 3 人組で、私にとっては最も楽しくお喋りができる仲間だ。いつも 3 人ともが時間一杯喋り尽くし、時間が足りなくなる。話題は政治、文学、芸術など幅広く、酒を飲みながらも、硬いお話ばかり。所謂世間話というのは殆どしない、というよりも恐らく 3 人とも世間話が苦手だ。本音トーク満開、私が珍しく饒舌になる時でもある。至福のひと時。
それぞれがいろんな処で話をするという時には都合が付けば、残りの 2 人も駆け付け、時にはその場のトークに参加もする。どんな人たちが集まって来るのだろう、どんな話が聴けるのだろう、良い出会いがあるだろうかといつも楽しみにしながら出掛ける。数十年ぶりの再会ということもたまにはある
。懐かしさがこみ上げるも、想定外の邂逅に感涙するという程の事はまだない。時間があれば、その後一杯となるが、昔話に花が咲くというのは我々の場合はあまりない。焦点は今に向けられ、明日に向かう。だから、いつも新鮮で、いつも面白い。
2003 年 9 月 5 日の運営委員会の後の飲み会で退院祝いをしてもらった。
関西人で、入院中に快癒を願うお守りを持って来て下さった根っからの関西さんがいる。
今も手元に持っているが、お守りをくれたのは先にも後にも彼だけである。その彼が、乾杯の段になって「飲んでもかまへんの?」と仰る。心配して下さっているのか、ツッコミを入れ場を盛り上げようとしているのか。彼の周りはいつも笑いが絶えない。ひとりでボケもツッコミもできる話し上手。ほんのりとした優しい関西弁も気持ち良い。「そら、あかんでしょ」と切り返しながら、その日は 4 合ほど飲んでしまった。美味しいお酒、楽しい語らい、まさしく人生のオアシスだ。
長い入院の疲れを癒すのに温泉に誘ってくれた友人もいた。9 月 12 日から 14 日まで秋保温泉に逗留している。2003 年の夏は天文ファンには堪らない出来事があった。火星と地球が 6 万年振りに最接近するという天体ショーが展開されたのだ。8 月 27 日に火星が地球に 21 世紀一番の大接近をした後、9 月 9 日に今度は火星と月が大接近したのだ。11 日に月は満月を迎えていた。カーテンも窓も開け放つと、目の前の漆黒の闇に月が段々昇って行き、その下後方から火星が追っかけて昇って来た。ような気がするが、逆かもしれない。ほぼ満月の月が明るく正面に鎮座し、その真下に火星が赤っぽく怪しく輝く姿は、窓枠が額縁となった一幅の絵のようでもあった。まさに世紀の一大ペ
ージェントである。
友達に言われるまま付き従ったので、何処に行くのかも聞いていなかったのだが、歴史も古く、日本の三大名湯のひとつであるとは帰京してから知った。周りを囲む山を眺めながらの露天風呂は私の最も好むところだ。米沢牛に地酒の美味しかった事。天体ショーを観ながらの一杯は、殿様になったような気分だった。もう~、おしまい!(次号に続く)

通信本文はここまで。



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