八障連ブログ

八障連(八王子障害者団体連絡協議会)運営委員会より、情報提供を行っています。(「八障連について」カテゴリーを参照)

八障連通信372号をアップします。

2021年07月20日 | 八障連通信
八障連通信372号です。


音声版はこちら

ここからは通信本文です。



【事務局通信75】
梅雨のジメジメと蒸し暑い日が続くなか、熱中症対策・コロナ対策を取りな
がら、また、いろいろな縛りがある生活の中、皆様どのようにお過ごしで
しょうか。今年度は新たな報酬体系であったり、家賃補助も見直されたりと、いろいろと福祉サービス事業所としては打撃があったのではないでしょうか。ただ、まだ始まったばかりなので、これからどのように対策を取るかなど皆さんと考え、必要に応じて話し合いの場などの設定を考えていきたいと思います。どんな些細な事でも構いませんので、ご意見などお寄せいただきたいと思います。
話は変わりますが、今年も八障連の総会はリモートにて開催させていただきました。委任や書面にて参加をいただき、無事行うことができました。昨年八障連はコロナの影響もあり、予定していたものが中止や延期を繰り返し、皆様にもいろいろとご迷惑をおかけいたしました。
しかし、年度最後の福祉フォーラムについては昨年行うことのできなかった映画上映を、登壇してくださった方や、手話・パソコン通訳、You チューブ配信のお手伝いをしていただいた方々、販売品の持ち込みなどしてくださった団体様のご協力のもと開催することができました。当初は今年も無理か...と少し諦めていましたが、途中から「どうすれば開催できるのか」に変わった時、今まで考えたことのない方法で開催することになりました。知らないからできないではなく、知っている人たちから少しづつの知恵とお力をお借りし、試行錯誤をしながら実現できました。まだまだ改善しないとならない点は多いものの、一つの開催方法としてのモデルができたように思われます。今年度も「開催できない」ではなく、どのような対策を取れば、どのような形態であれば開催できるのかなど考えていきたいと思いますので、皆様からのお知恵をお貸しいただきたいと思います。
また、先に書かせていただいた通り、今年度は各事業形態により、利用される方1名の単価(あまり使いたくないのですが...)の見直しなどあり、皆様の事業所でも試行錯誤していると思います。できるだけ現状を発信できる場の
設定をしていきたいと思いますので、皆様からご意見を承り、問題・課題の提起や共有をしていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
また、八障連通信を使って皆様の現在の取り組みなどもお伝えできればと思いますので、よろしければ活動状況などもお寄せいただけると助かります。このような状況だからこそよりよい活動をできるように皆さんと考えていきたいと思いますので、前年度に引き続き今年度もご協力をお願いいたします。(文責/立川)


【編集後記】
八障連通信 372 号をお届けします。コロナ過はデルタ株(変異型)の影響で拡大したのか、ついに第 5 派に突入し東京には 4 度目の緊急事態宣言が発せられましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、2021年度の八障連の定期総会も 7 月 3 日に無事終了し、遅ればせながら 2021 年度もスタートを切りました。編集部におきましても、新たな気持ちで編集作業に取り組んでいく所存ですのでぜひ、会員諸団体の近況・問題意識などお寄せください。(編集部)


【2021定期総会を終えて 代表 杉浦 貢】
2021 年 7 月 3 日(土)の 10:30 より、2021 年度の八障連定期総会を開催させていただきました。
会場は特に設定せず、昨年度同様 新型コロナ感染症対策として、zoom によるリモート開催及び書面議決にて議事を進行させていただきました。
前年度の振り返りの際に、『来年度の総会こそは...みなさまと直接お会いできますことを』というようなこと書かせていただきましたが、結果としては2年続けてのリモート開催となり、とても残念に思っております。
総会開催前の、当日朝までの時点で正会員 59 団体のうち、委任:20 団体、書面議決:7 団体、出席:9 団体、合計:36 団体の確認が取れておりましたため、全ての議事が可決、承認となり、総会を無事に終えることができました。あり
がとうございました。詳しくは通信同封の総会議事録をご覧ください。
ネットを活用した遠隔開催というものは...効率的でスピーディな進行が可能になる反面で...、対面でやりとりする場合と比べると...どうしても、人と人との温かみに欠けてしまう弱点もあると思います。昨年の繰り返しになりますが...来年度こそは本当に...コロナ以前の従来通りの形で総会を開き、市内いずれかの会場で...加盟団体のみなさまと直にお会いできますことを、切に願っております。
総会の場で話された今後の課題としては...、やはり月一回の運営委員会の開催のみにては...広く加盟団体のみなさまと綿密にコミョニケーションを取っていくことが難しく...、従来から、主に市役所などから公募のある各種委員に、八障連の運営委員が集中して就任することが重なってしまっていること等があ
げられました。
また、対面の交わりには及ばぬ点があるとはいえど、場所と距離を問わず人が集える zoom の強みを活かして、八障連会員同士のネット座談会のようなものを開催してはどうか...という意見も出されました。
全体的な大きな流れとしての今年度の活動に、これといって特に目新しいものは見当たらないかもしれませんが、世の中がどう移り変わろうと、市内に暮らす、あるいは市内に通う障害のある人の営みを見守り...寄り添って支えるという従来からの活動方針は維持していくつもりでおります。


【連載コラム vol.28 『しっぽの秘密』 ハーネス八王子 鈴木 由紀子】
私の盲導犬レジーナのプレ盲導犬修業、つまり正式な盲導犬になるまでの日々は、かなりつらい道のりだったようです。私たちが初めて出会ったのは共同訓練のときですから、それ以前の様子を私は全く知らないのですが、訓練所でレジーナと出会ったばかりのころに、そのことを思わせる事実がいくつかありましたので、今回はそのことを書くことにします。 レジーナの不思議な行動ぶりの 1 点目は、突然鳴き叫ぶことでした。レジーナと同じ部屋で過ごし始めて 1 週間ほど経ったある夜のこと、その日の訓練で疲れて、すっかり寝入っていた私は、キャンキャン・キャンキャンというレジーナの突然の悲鳴に驚いて飛び起きました。レジーナはそのとき何か怖い夢を見ていたのかもしれませんが、彼女が何を訴えているのかわからないし、対処法も知りたかったので、指導員に質問メッセージを送りました。すると、いまの時点でキャンキャン鳴くとしたら、これがエスカレートすると吠えるようになります。もし次回同じように鳴き声をあげたら、それは絶対に駄目だからねという気持ちをこめて、思いっきり鼻先をたたいて、すぐに叱ってくださいという、厳しいアドバイスを受けました。しかし私としては、レジーナには彼女なりの何らかの理由があるはずだと思えましたから、その助言に従う気にはなれませんでした。
レジーナはその後も、真夜中や早朝に何度か急にキャンキャンと悲鳴をあげましたが、指導員には何も報告しないことにしました。私がそばに行って体をなでて声をかけると安心して、静かな寝息を立てていましたから、それで良しとしたのです。
共同訓練の期間中には、もう一つ不思議なことがありました。レジーナのしっぽが、時によって長くなったり短くなったりしたのです。犬は嬉しいとか怖いとかという感情を、しっぽの向きや振り方で表わすものだということは、以前から聞いていましたが、しっぽの長さまで微妙に変わるという事実は、厳しい訓練の道のりを経験した彼女が改めて教えてくれた事実です。概して、緊張したり怖がったりするときは太く、短くなり、逆にリラックスしているときは長くなるのです。レジーナのしっぽが短いと私が気付いたのは、共同訓練が始まって間もない朝のこと、彼女の体をブラッシングしてい
たときのことでした。先代犬のアーサのそれと比べて、とても短いことに気付いて、私は驚いたり、がっかりしたりしました。
見えない飼い主の思いとして、愛犬が長いしっぽを、風が起こるほどビュンビュン振って喜びを表現する感触を手で確かめるのがこの上なく楽しいのです。しっぽが短いのは、かわいいけれど物足りなくて、このしっぽとずっと付き合うのかと思ったら気分も沈みました。「あのぉ、しっぽがこれほど短い犬って、私は初めて会うんですけど、異常ではないのですか」と隣にいた指導員に尋ねると「しっぽの形は 1 頭ごとに違います」と、ごく一般的な答えが返ってきました。そして、レジーナのしっぽは、4 週間の共同訓練中、ずっと太く、短いままでした。
さて、訓練を卒業して八王子の我が屋に来た途端に、訓練中のぎこちなさが消えて、レジーナは、驚くほどスタスタと元気に歩いてくれるようになりました。そして、しばらく経った日の朝、やはりブラッシングのために、ふとしっぽを触ったら、なんと、それまでより 10 センチ以上も長く伸びていること、つまり私の理想どおりの姿になっていることを発見したのです。
犬が折りにふれて、しっぽの長さを変えられるというのが不思議で、私は改めてレジーナのしっぽを観察してみました。すると、途中に螺旋状に折れ曲っている部分があり、そこが伸びたり縮んだりして長さが変わるのだということがわかりました。それは、これまで 10 年間の盲導犬との濃密な生活の中でも知り得なかった、新たな大発見でした。
このまちに来たばかりのレジーナにとって、人も犬も、未知の存在です。だから、その人と初めて会うときは自然と緊張したり警戒したりするので、しっぽも縮めています。ところが、レジーナと私とが一緒にその人に向き合って「こんにちは、よろしくね!」とあいさつする、その儀式を何度か繰り返すうちに「あっ、この人はやさしい人なのね」とレジーナも安心して、しっぽを振って、甘えに行くようになるのです。
ただ、犬同士の関係は複雑です。おとなしい犬とは鼻先をくっつけ合って挨拶しますが、飛びつきそうな犬、吠えつきそうな犬は苦手で、この事実にどのように対処しようかと悩んでいます。
目が見えない私が段差でつまずかず、ホームや階段から落ちず、障害物にもぶつからずに歩けるようにする、そんな質の高い盲導犬になるために数 10 回、数百回も「ノー」と指導員に叱られ、怖い経験もしていたのだろうと推測できます。彼女のユーザーとして、そのことをしっかり受けとめたい、ハーネスを外しているときは、いとおしい愛犬として接したいと思う昨今です。


【連載コラム B 型肝炎闘病記 パオ 小濵 義久 その 55】
ハワイ、グアムに続いて、5 月に台湾、12 月末にイタリア、年が明けて 2006 年の 1 月から 2 月にかけて、コスタリカとドミニカ共和国へと出かけた。ドミニカ共和国にいる知り合いが 3 月末には日本へ引き上げるので、遊びに来るなら 2 月中旬までと期限が決まっていた。そう長くは生きられないかもと考えると、この機会を逃すと、カリブ海方面には一生出かけられないだろうと考え、旅程を立ててしまっていた。
そこへイタリア旅行の誘いを受け、やり過ぎだなと感じつつも誘惑に負けてしまった。まだ強力ミノファーゲン(以下強ミノ)注射をできるだけ数多く打ち、肝硬変の進行を遅くし、肝癌の発生を抑制するという、言わば療養中の身の上にもかかわらず、大胆な計画を立てたものだ。実はイタリアもカリブ
海も途中何度も止めようかと随分揺れ動いていた。体調良好でない旅行は楽しめないばかりか、一気に体調も崩しかねない。
2005 年は 1 年を通して GOT、GPT ともに正常値内に安定しており、仕事も減った上、余り遊びまわることもせず、随分ゆとりのある 1 年だったのだが、秋口から何となく心にうっすらとモヤが掛かったような感じになっていた。にもかかわらず、ずるずると成り行きに任せた結果、両方の旅行とも存分に楽しむことは結果的に叶わなかった。
2006 年 1 月 2 日にイタリアから戻ると、時差ボケから 5日間ほど寝込んでしまった。それ以降もボケだけが何となく残り、すっきりとしない毎日が続いた。カリブ海行きは直前まで迷いに迷った。イタリアはパック旅行だから、付いて行けば良いだけだが、コスタリカもドミニカ共和国も行き着けば知り
合いがいるものの、道中はひとり旅なのだ。無事にたどり着けるだろうかと心配になった。
うすらボケの上にイタリア旅行は 8 日間、コスタリカ・ドミニカ旅行は 17 日間の旅程だから、それぞれ 10 日前後と 20 日前後「強ミノ」の注射を打てなくなる影響は如何ばかりかという問題もあった。賢くなくても、普通の人なら止めておくだろう。知り合いに電話 1 本入れて、止めると告げさえすれば何の問題もないのだ。飛行機も、中継点であるニューヨークのホテルも安いものを確保していたから、それ程の損失にもならないのだが、、。To go or not to go.
2 月 14 日に「ほうほうの体」で日本へ帰りついた後も、23日から北海道旅行へ出掛けている。大学の劇団仲間で旭川に住む友達から、以前流氷の鳴き声は一度聴いておいた方が良いと勧められていたのだ。旅行を計画した時は、無理なく思えて旅行社にお金も払い込んでいた。もちろん流氷が接岸している時期を見計らったのだが、現実は厳しかった。甲板の上で背伸びしてみたがどこにも氷は見当たらなかったし、摩周湖は謎めいておらず、屈斜路湖畔で打ち上げられた花火は虚しげに響いた。花火をサービスと考える旅行精神
が分からない。それだけ歳を取ったということなのか。何かに追い立てられるように動き回った「つけ」は、3 月に入っていろんな不都合を心身にもたらした。朝ご飯の準備をしていていつものベーコンエッグを作ろうと、卵を割って黄身を三角コーナーに捨ててしまい、殻が手元に残った。やかんの中を確認せずに、ガスレンジを点火し、やかんが焦げた。
など、など。タイミングよく、強ミノの注射に向かった診療所で『明日の記憶』という題名の本を借りて帰ったら、自分のことが書かれているようだった。「若年性アルツハイマー」、57歳でも若年性と言うのかと疑問は浮かんだが、これに違いないとドツボにハマリ、これに違いないと言い張って山田 Dr を困らせた。
診療所に半日だけ来ている精神科医の診察を受けるも、単なる「ウツ」と言って引き下がらない。いや、引き下がらないのは「若年性アルツハイマーだ」と主張する私の方だった。処方された抗鬱剤が効かず、どんどんと増してもらい、限度量まで至った。疑いの目で見ているから、効くものも効かないのだ。その内寝入るのも難しくなってきた。最終的に睡眠薬は 5 種類になってしまったのに、眠れない。眠れない辛さというのは例えようもなくひどいものだと感じた。犯罪の取り調べで、眠れない状態に置くと大体落ちる。(次号に続く)


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