田中康夫知事の敗北 8月7日

田中康夫氏の得票率は、46.58%。約78,000票と意外に差は拡がっていた。結果については、非常に残念だが、今回の選挙が教えてくれたことは、改革は、決して1人ではできないということだ。

田中県政は、信州が自主独立の自治を実現していくための土台をつくる6年間だった。田中氏の政治センスを語るとき、なくてはならないのが「脱ダム宣言」だ。図らずも今回の選挙戦では、長野県は豪雨による大水害に見舞われ、県民はあらためて治山治水について考えざるを得なかったはずだ。

田中氏の言う「脱ダム」は、わずか6年間で完結するようなテーマではない。広葉樹を植林し、大木に育てるまでには、少なくとも100年はかかる。森林の成長に奇策はない。やみくもに破壊した森林を江戸時代のように再生するには、300年以上かかるのだ。温暖化が進み、私たちの住処である陸地が急速に侵食され、大気が汚染される今の地球を、再び緑豊かな住みよい環境に再生するには、原点に返って、あらためて植林をして、地道に粘り強く森林を育てていくしかないことを、多くの有権者は認識していた。

自分さえ良ければ良いという現代人のエゴイズムは、間違いなく地球を滅亡の危機へと加速度的に誘うものだ。現代社会が抱えるゴーマニズムによる地球環境の破壊に、田中氏は信州の地で、1人闘いを挑んだのだ。田中氏の方向性は、間違いなかった。おそらく、今回田中氏に投票しなかった多くの人々も、次世代への思いは田中氏と変わらないものがあったはずだ。

田中氏が決定的に間違ったのは、改革の手法だ。独善的で強引な田中氏の政治姿勢に、反発を感じる人々があまりに多すぎたことが、田中氏の最大の敗因だ。改革は、個人プレーではできないことが、あらためて今回証明された。既成概念を180度転換し、一定程度の痛みを伴わざるを得ない改革を、多くの人々は受け入れる準備はできている。有権者は従来の県議中心の利権政治の復活を、決して望んではいない。

長野県民も、ダムは環境破壊であり、真の意味での治水機能を有しないことを承知はしていた。ただ、田中氏が取り組もうとしていた森林再生プロジェクトが道半ばであることを考慮しても余りある田中氏の唯我独尊ぶりに、「NO」をつきつけたのだ。

長野県民に、推進する改革の意義を十分に理解してもらうことのできなかった原因は、明らかに田中氏本人にある。改革はチームプレーでなければ前進しないし、困難な改革を推進していくためには、ムーブメントが必要だ。日増しに孤立していった田中氏の政治手法が、自らの改革への足かせとなってしまったのだ。社会を動かすには、社会のあらゆる人々の共感を得る必要がある。ともに改革を推進する仲間を増やし、敵(県議)を極小化していかなかったことが、田中氏敗北の最大の要因だ。

田中氏の落選は、真の改革を目指す人々に一瞬の失望を与えた。しかし、真の改革者は、立ち止まるわけにはいかない。たとえ周囲に矛盾や不満を感じても、「それでもなお」と思う人間にのみ、「改革」の資格がある。新たに誕生した滋賀県の嘉田由紀子知事が、チームプレーによってあらゆる困難を打ち破り、真の改革を着実に推進していくことに期待をかけたい。
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