Justice! 社会正義の実現!所得充実政策!ワクチンより検査を積極的に推奨! / 薬剤師・元参議院議員・消防団
ひらがな5文字の「はたともこ」ブログ
クリントンの人間力 2月27日
出来る限り毎日、日記をアップしたいのだけれど、例えばパソコンを前に爆睡してしまったりして、時々スキップしてしまう。昨夜は、ビール一杯飲んだだけで吐き気と胃痙攣に見舞われ、それどころではなくなった。すきっ腹だったからかもしれないが、よる年波には勝てないなあ。でも、一晩寝たら、すっきりした。
今日は、サンプロでの田原総一郎氏によるクリントン前大統領へのインタビューを見た。クリントンは、著書「マイライフ」の日本語版を出版した朝日新聞の招聘で来日し、読者1,000人が詰め掛ける中、フォーラムに参加しサイン会も行なったそうだ。
クリントンの話が、非常に説得力のあることに驚いた。4年後の大統領選挙には、妻ヒラリーの出番がやってくる!?この勢いなら、来るべき時には副大統領に就任!!ヒラリー大統領と至上最強のタッグを組めば、きっと歴史に残る功績を残すことも可能だろう。
クリントンは、党派は違ってもブッシュ大統領には協力すると明言している。政治家としてのイデオロギーの違いはあっても、人間ブッシュ大統領については、好きだと語っている。敵を非難することは非生産的であって、最大限、ブッシュ氏を理解することが、国民にとってプラスに作用することになる、と言いきるクリントンは、非常に人間力の豊かな人物だ。翻って、まず第一に自分自身、そして日本の与野党の党首。器が違うなあ・・・。一気にクリントンのステージに上り詰めることは出来ないが、クリントンの政敵を「非難しない、理解しようとする」姿勢は、見習わなければ私自身にも成長はないと痛感する。
北朝鮮については、終始核問題の重要性に言及した。中長期的スパンでは、拉致問題も重要だが何より核だと明言した。核は、日本にとっても脅威となると語り、拉致問題では、経済制裁が逆効果になることもあり得るので、その構えをみせている方が良いと慎重論だ。拉致問題も日本単独ではなく6カ国協議の場で取り上げていくべきだとするクリントンは、核問題については、十分な検証を義務づけることで、金正日との話し合いは可能だと断言している。ライス女史のクールに切り捨てるような表現と違って、クリントンなら金正日のハートを少しはつかむことができるかもしれない。話し合いが可能だと断言した以上、是非ともクリントン自らが行動に移して欲しいものだ。
著書「マイライフ」は、5cmを超える単行本が上下2冊の超大作だ。実は、早速購入!読めば、クリントンの人格形成の軌跡を追うことができる。黒人が多く居住していたアーカンソン州の片田舎の街で、人種差別が絶対の風潮にあって、分け隔てることなく黒人と付き合うことを本分とした祖父の背中を見て育ったクリントンは、昨夜のスピーチの中で、「箱を見るな、箱の中身を見よ」と語ったそうだ。人の意見に耳を傾け、理解する姿勢を持った政治家が日本でも増えれば、国会論戦も意義あるものになり、よどんだ政治に活力が戻ってくるかもしれない。
日本薬局方なみに分厚い「マイライフ」を、近日中に読破する予定だ。決して平坦ではなかった幼少時のクリントンを、周囲の人格者が支えこんにちのクリントンの礎をつくっていく。途方もなく分厚い本だが、クリントンの文章力が私の心をくすぐり、軽快に読み進むことができる。
宮里藍選手、残念!!
アニカ・ソレンスタム選手の教えに則って、全試合・全ホール、バーディを狙うはずの藍ちゃんが、1日目終了後に、「2日目以降、少し手を抜く???」と思わせるコメントを残していた。オーストラリアの女王・ウェブ選手に敬意を表した!?可愛さをアピール!!
今日は、サンプロでの田原総一郎氏によるクリントン前大統領へのインタビューを見た。クリントンは、著書「マイライフ」の日本語版を出版した朝日新聞の招聘で来日し、読者1,000人が詰め掛ける中、フォーラムに参加しサイン会も行なったそうだ。
クリントンの話が、非常に説得力のあることに驚いた。4年後の大統領選挙には、妻ヒラリーの出番がやってくる!?この勢いなら、来るべき時には副大統領に就任!!ヒラリー大統領と至上最強のタッグを組めば、きっと歴史に残る功績を残すことも可能だろう。
クリントンは、党派は違ってもブッシュ大統領には協力すると明言している。政治家としてのイデオロギーの違いはあっても、人間ブッシュ大統領については、好きだと語っている。敵を非難することは非生産的であって、最大限、ブッシュ氏を理解することが、国民にとってプラスに作用することになる、と言いきるクリントンは、非常に人間力の豊かな人物だ。翻って、まず第一に自分自身、そして日本の与野党の党首。器が違うなあ・・・。一気にクリントンのステージに上り詰めることは出来ないが、クリントンの政敵を「非難しない、理解しようとする」姿勢は、見習わなければ私自身にも成長はないと痛感する。
北朝鮮については、終始核問題の重要性に言及した。中長期的スパンでは、拉致問題も重要だが何より核だと明言した。核は、日本にとっても脅威となると語り、拉致問題では、経済制裁が逆効果になることもあり得るので、その構えをみせている方が良いと慎重論だ。拉致問題も日本単独ではなく6カ国協議の場で取り上げていくべきだとするクリントンは、核問題については、十分な検証を義務づけることで、金正日との話し合いは可能だと断言している。ライス女史のクールに切り捨てるような表現と違って、クリントンなら金正日のハートを少しはつかむことができるかもしれない。話し合いが可能だと断言した以上、是非ともクリントン自らが行動に移して欲しいものだ。
著書「マイライフ」は、5cmを超える単行本が上下2冊の超大作だ。実は、早速購入!読めば、クリントンの人格形成の軌跡を追うことができる。黒人が多く居住していたアーカンソン州の片田舎の街で、人種差別が絶対の風潮にあって、分け隔てることなく黒人と付き合うことを本分とした祖父の背中を見て育ったクリントンは、昨夜のスピーチの中で、「箱を見るな、箱の中身を見よ」と語ったそうだ。人の意見に耳を傾け、理解する姿勢を持った政治家が日本でも増えれば、国会論戦も意義あるものになり、よどんだ政治に活力が戻ってくるかもしれない。
日本薬局方なみに分厚い「マイライフ」を、近日中に読破する予定だ。決して平坦ではなかった幼少時のクリントンを、周囲の人格者が支えこんにちのクリントンの礎をつくっていく。途方もなく分厚い本だが、クリントンの文章力が私の心をくすぐり、軽快に読み進むことができる。
宮里藍選手、残念!!
アニカ・ソレンスタム選手の教えに則って、全試合・全ホール、バーディを狙うはずの藍ちゃんが、1日目終了後に、「2日目以降、少し手を抜く???」と思わせるコメントを残していた。オーストラリアの女王・ウェブ選手に敬意を表した!?可愛さをアピール!!
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スマトラ大津波のその後 2月25日
スマトラ大津波のその後の復興は、難題山積だ。日本や欧米諸国から見るとまだまだ復興の道筋すらついていないような状況なのに、諸外国の軍隊やNGOが、インドネシアから撤収しつつある。
1月末にようやくバンダアチェに到着した自衛隊の医療支援部隊は、ドイツ軍が既に手術もこなす大型医療テントをはって活動していたことに比較すると、完全に遅きに失した感を否めなかった。それでも、行かないよりは良く、自力復興が極めて困難であることが予測された現地においては、自衛隊の活躍の場は大いにあったはずだった。しかし、防衛庁は今日、バンダアチェの主力部隊を3月10日には撤退することを正式に決定した。インドネシア政府が、外国部隊の駐留は3ヶ月間としたことを受けてのことだ。
現地バンダアチェで取材を続ける日本人記者によると、寸断された道路網の復旧工事は、一向に進まず、運良く生き残った点在する村々への物資の供給は、ヘリに頼るしか術はなく、外国軍隊が撤退することは、現地住民にとっては死活問題ということだ。それでも、当初からインドネシア政府は、外国部隊の排除に躍起だ。インドネシア政府は、被災した自国民の立場には、立っていない。世界中から集まった63億ドルにものぼる善意の募金が、今どのように分配されているのか、考えるだけでも恐ろしい・・・。
アチェ州は、独立武装組織「自由アチェ運動(GAM)」が、インドネシアからの分離独立を目指して20年以上闘争を繰り広げている地域だ。インドネシア政府にとって、海外からの支援を受けるGAMの動きを封じ込めるには、復興がままならなくても1日も早く外国人部隊を撤収させることが最優先なのだ。そのようなインドネシア政府の事情に呼応して、まったく初動の鈍かった自衛隊が、僅かの期間でそそくさと撤収することが、真の人道支援と言えるだろうか。被災し苦しむ人たちを見殺しにできるほど、日本人は冷徹ではないはずだ。しかし、インドネシア当局の方針に逆らって、諸外国の部隊が援助を継続することは無理だ。
ここは、国連のリーダーシップが問われる時だ。津波の襲来を、内政統治の手段として、これ幸いと利用するインドネシア政府の誤った方針を、ただせるのは国連しかない。このままでは、インドネシア政府だけが、「TSUNAMI太り」するだけだ。日本政府も、目をそらすことなく、当局に対して言うべきことは言い、人道支援の真髄を極めて欲しいものだ。パフォーマンスだけの政治は、うんざりだ。
アナン事務総長の名すら挙がった、国連執行部の利権不正には、正直あいた口がふさがらないが、それでも腐っても国連は国連なのだ。国連はこのような事態にこそ、唯一無二の存在意義を発揮して、人命救助と最低限の社会生活を営むことができるまでの復興への道筋を、迷わず打ち立てていかなければならないのだ。日本政府も、拡大P5入りへの志をあらためてかみしめて、被災者に心を寄せ、国連への働きかけを惜しむことなく、果たすべき任務をしっかりとまっとうしてもらいたいと強く願う。
1月末にようやくバンダアチェに到着した自衛隊の医療支援部隊は、ドイツ軍が既に手術もこなす大型医療テントをはって活動していたことに比較すると、完全に遅きに失した感を否めなかった。それでも、行かないよりは良く、自力復興が極めて困難であることが予測された現地においては、自衛隊の活躍の場は大いにあったはずだった。しかし、防衛庁は今日、バンダアチェの主力部隊を3月10日には撤退することを正式に決定した。インドネシア政府が、外国部隊の駐留は3ヶ月間としたことを受けてのことだ。
現地バンダアチェで取材を続ける日本人記者によると、寸断された道路網の復旧工事は、一向に進まず、運良く生き残った点在する村々への物資の供給は、ヘリに頼るしか術はなく、外国軍隊が撤退することは、現地住民にとっては死活問題ということだ。それでも、当初からインドネシア政府は、外国部隊の排除に躍起だ。インドネシア政府は、被災した自国民の立場には、立っていない。世界中から集まった63億ドルにものぼる善意の募金が、今どのように分配されているのか、考えるだけでも恐ろしい・・・。
アチェ州は、独立武装組織「自由アチェ運動(GAM)」が、インドネシアからの分離独立を目指して20年以上闘争を繰り広げている地域だ。インドネシア政府にとって、海外からの支援を受けるGAMの動きを封じ込めるには、復興がままならなくても1日も早く外国人部隊を撤収させることが最優先なのだ。そのようなインドネシア政府の事情に呼応して、まったく初動の鈍かった自衛隊が、僅かの期間でそそくさと撤収することが、真の人道支援と言えるだろうか。被災し苦しむ人たちを見殺しにできるほど、日本人は冷徹ではないはずだ。しかし、インドネシア当局の方針に逆らって、諸外国の部隊が援助を継続することは無理だ。
ここは、国連のリーダーシップが問われる時だ。津波の襲来を、内政統治の手段として、これ幸いと利用するインドネシア政府の誤った方針を、ただせるのは国連しかない。このままでは、インドネシア政府だけが、「TSUNAMI太り」するだけだ。日本政府も、目をそらすことなく、当局に対して言うべきことは言い、人道支援の真髄を極めて欲しいものだ。パフォーマンスだけの政治は、うんざりだ。
アナン事務総長の名すら挙がった、国連執行部の利権不正には、正直あいた口がふさがらないが、それでも腐っても国連は国連なのだ。国連はこのような事態にこそ、唯一無二の存在意義を発揮して、人命救助と最低限の社会生活を営むことができるまでの復興への道筋を、迷わず打ち立てていかなければならないのだ。日本政府も、拡大P5入りへの志をあらためてかみしめて、被災者に心を寄せ、国連への働きかけを惜しむことなく、果たすべき任務をしっかりとまっとうしてもらいたいと強く願う。
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フジテレビVSライブドアの攻防 2月24日
雲行きが怪しいな・・・と思っていたら、いつの間にか雪が降っていた。職場で調剤に熱中していると、外の寒さに気付かない。良い環境で働かせていただけることは、本当にありがたいことだ。
ライブドアが、フジテレビに対するニッポン放送新株予約権発行の差し止め請求の仮処分を、東京地裁に申請した。司法の判断やいかに。
目には目を歯には歯をで、第三者割当増資という最終手段に打って出たフジもフジなら、ライブドアもライブドアだ。排他的な既成勢力が日本のメディア界を牛耳ることは、決して好ましいことではないが、一向に変わらない堀江氏の金権主義に、多くの人々が苦虫をかみつぶす。
堀江氏の「稼ぐが勝ち ゼロから100億 ボクのやり方」という著書に断言されているように、堀江氏の性質に染み込むものは、「おカネがすべて」という発想だ。オンナも含め欲しいものすべて、おカネで自由にならないものはないと言い切る。そんな堀江氏の人間性を、多くの人生の先達が疑問視し、堀江氏をメディアを支配する立場におくことに躊躇の念を抱かずにはおれないのだ。インターネットの世界では莫大な利用者を得ても、堀江氏は、なかなか世論を味方につけることができない。
お金は、人間の欲望を満たす為の交換媒体ではあるが、人の心までを買うことはできない。感情を一切無視し、おカネのやり取りだけで経済が成り立つのなら、それこそ株価の変動なんてあり得ない。一連の騒動によって、フジもニッポン放送もライブドアも株価下落を招いているのは、そこに「人心」が存在するからだ。堀江氏の辞書には存在しない言葉だ。
天下のNHKでさえ、海老ジョンイル体制のもと、公共放送の名が泣く専制支配、そして執行部による個人的な利益誘導など数々の悪行が横行していた。民放放送の体質も、推して知るべしではないだろうかと推測する。現に、フジテレビの日枝氏は、非常に保守的なタイプだ。「新しい歴史教科書をつくる会」の社会科の教科書を出版したのは、フジサンケイグループ傘下の扶桑社であることは記憶に新しい。フジサンケイグループの体質の改革には、まったく異論はないのだが、堀江氏が支配権を握った場合、改革が本当に実現するかどうかは疑問だ。「人心」をおカネで弄ぶ堀江氏の経営は、改悪に成り下がる危険をはらんでいる。
堀江氏は、学生時代から起業し、インターネットバブルの中で生き残り、大きな成果を挙げてきた人物だ。冷静な分析力と決断力に合わせて、人心の琴線に触れる志とウオ―ムハートを兼ね備えられれば、氏は類稀なる人間力を発揮する人物にもなり得る。今回の攻防について、堀江氏曰く、「始めから詰んでいる」。ならば、堀江氏に言いたい。いくらおカネを持っていても、愛され尊敬される人物にならなければ社会の中心には立てない。メディアによって、いまや社会の最大関心事にされてしまったフジVSライブドア問題。司法の判断に大注目だ。
ライブドアが、フジテレビに対するニッポン放送新株予約権発行の差し止め請求の仮処分を、東京地裁に申請した。司法の判断やいかに。
目には目を歯には歯をで、第三者割当増資という最終手段に打って出たフジもフジなら、ライブドアもライブドアだ。排他的な既成勢力が日本のメディア界を牛耳ることは、決して好ましいことではないが、一向に変わらない堀江氏の金権主義に、多くの人々が苦虫をかみつぶす。
堀江氏の「稼ぐが勝ち ゼロから100億 ボクのやり方」という著書に断言されているように、堀江氏の性質に染み込むものは、「おカネがすべて」という発想だ。オンナも含め欲しいものすべて、おカネで自由にならないものはないと言い切る。そんな堀江氏の人間性を、多くの人生の先達が疑問視し、堀江氏をメディアを支配する立場におくことに躊躇の念を抱かずにはおれないのだ。インターネットの世界では莫大な利用者を得ても、堀江氏は、なかなか世論を味方につけることができない。
お金は、人間の欲望を満たす為の交換媒体ではあるが、人の心までを買うことはできない。感情を一切無視し、おカネのやり取りだけで経済が成り立つのなら、それこそ株価の変動なんてあり得ない。一連の騒動によって、フジもニッポン放送もライブドアも株価下落を招いているのは、そこに「人心」が存在するからだ。堀江氏の辞書には存在しない言葉だ。
天下のNHKでさえ、海老ジョンイル体制のもと、公共放送の名が泣く専制支配、そして執行部による個人的な利益誘導など数々の悪行が横行していた。民放放送の体質も、推して知るべしではないだろうかと推測する。現に、フジテレビの日枝氏は、非常に保守的なタイプだ。「新しい歴史教科書をつくる会」の社会科の教科書を出版したのは、フジサンケイグループ傘下の扶桑社であることは記憶に新しい。フジサンケイグループの体質の改革には、まったく異論はないのだが、堀江氏が支配権を握った場合、改革が本当に実現するかどうかは疑問だ。「人心」をおカネで弄ぶ堀江氏の経営は、改悪に成り下がる危険をはらんでいる。
堀江氏は、学生時代から起業し、インターネットバブルの中で生き残り、大きな成果を挙げてきた人物だ。冷静な分析力と決断力に合わせて、人心の琴線に触れる志とウオ―ムハートを兼ね備えられれば、氏は類稀なる人間力を発揮する人物にもなり得る。今回の攻防について、堀江氏曰く、「始めから詰んでいる」。ならば、堀江氏に言いたい。いくらおカネを持っていても、愛され尊敬される人物にならなければ社会の中心には立てない。メディアによって、いまや社会の最大関心事にされてしまったフジVSライブドア問題。司法の判断に大注目だ。
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薬剤師勉強会とパパブッシュ 2月21日
今日は、夜遅くまで、地域の薬剤師会の勉強会があった。私の職場の薬局長がジェネリック医薬品の使用動向についてスピーチした。先発医薬品にするかジェネリック医薬品にするか、患者さんに選んでいただく形の処方箋の取り扱いは、全国的にみても取り組みは少なく、症例は少なくても、発表は非常に意義のあるものだった。参加者全員、興味津々に聴いて下さっていた。
大まかに言って、患者さん全体の7割の方が、薬価の安価なジェネリック医薬品を選択される。効能効果は同等であると厚生労働省が認める以上、安く手に入る医薬品を選択するのは当然だ。どちらを選択すれば良いか迷っておられる患者さんに対しては、「医療費抑制のために」と、こちらが発する言葉が決め手となり、ジェネリック医薬品が選択される。決して、どちらかに誘導しているわけではない。オールラウンドに平等に通用する説明に対する、患者さんの選択なのだ。
これから益々、ジェネリック医薬品の品目が増え、患者さんにとっては選択の幅が広がっていく。薬剤師の説明が物足りなかったら、遠慮なく申し出ていただきたい。患者さんの不利益にならぬよう、知り得た情報の提供に、私たち薬剤師は労を惜しまない覚悟だ。
さて、去る19日、パパブッシュ元大統領とクリントン前大統領が、インド洋大津波の被災地の視察に訪れた。この2人は、政治力学を応用して、よく一緒にパフォーマンスをする。悪いことではない。その前々日、鳩山由紀夫民主党ネクスト外務大臣も当地を訪れている。特に、パパブッシュとクリントンとの訪問が、更なる援助の契機となることはもとより、紛争の絶えないこれらの地域において、政治的に意義深いものになることを期待する。
タミル軍とスリランカ軍との武力紛争、またインドネシア独立運動を展開するアチェ州、いずれの地域においても、偏った支援活動は新たな軋轢を生みかねず、万難を排して支援の平等を期することが重要だ。諸外国が公平で公正な援助を行なうことで、紛争を抱えるスリランカとインドネシアが、この大津波を機に、和平への道を歩んで行くことができたら、得るものは大きい。
被災地の復興は、長期戦だ。日本が援助できることは沢山あるだろう。自衛隊も、憲法を気にすることなく、存分に復興支援に協力できる。出来ることは惜しみなく力を注いでこそ、国際社会の中での日本の役割も果たせるというものだ。
大まかに言って、患者さん全体の7割の方が、薬価の安価なジェネリック医薬品を選択される。効能効果は同等であると厚生労働省が認める以上、安く手に入る医薬品を選択するのは当然だ。どちらを選択すれば良いか迷っておられる患者さんに対しては、「医療費抑制のために」と、こちらが発する言葉が決め手となり、ジェネリック医薬品が選択される。決して、どちらかに誘導しているわけではない。オールラウンドに平等に通用する説明に対する、患者さんの選択なのだ。
これから益々、ジェネリック医薬品の品目が増え、患者さんにとっては選択の幅が広がっていく。薬剤師の説明が物足りなかったら、遠慮なく申し出ていただきたい。患者さんの不利益にならぬよう、知り得た情報の提供に、私たち薬剤師は労を惜しまない覚悟だ。
さて、去る19日、パパブッシュ元大統領とクリントン前大統領が、インド洋大津波の被災地の視察に訪れた。この2人は、政治力学を応用して、よく一緒にパフォーマンスをする。悪いことではない。その前々日、鳩山由紀夫民主党ネクスト外務大臣も当地を訪れている。特に、パパブッシュとクリントンとの訪問が、更なる援助の契機となることはもとより、紛争の絶えないこれらの地域において、政治的に意義深いものになることを期待する。
タミル軍とスリランカ軍との武力紛争、またインドネシア独立運動を展開するアチェ州、いずれの地域においても、偏った支援活動は新たな軋轢を生みかねず、万難を排して支援の平等を期することが重要だ。諸外国が公平で公正な援助を行なうことで、紛争を抱えるスリランカとインドネシアが、この大津波を機に、和平への道を歩んで行くことができたら、得るものは大きい。
被災地の復興は、長期戦だ。日本が援助できることは沢山あるだろう。自衛隊も、憲法を気にすることなく、存分に復興支援に協力できる。出来ることは惜しみなく力を注いでこそ、国際社会の中での日本の役割も果たせるというものだ。
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日米共同路線への危惧 2月20日
米軍のトランスフォーメーションの中に、ついに日本が巻き込まれそうだ。日米共同で基地を使用することを、ライス国務長官が提言した。朝鮮半島や中台問題はもとより、世界的規模での日米のパートナーシップを強化することを共通の戦略目標とし、自衛隊と米軍とが基地使用も含めて、歩調をそろえようというものだ。日米安全保障協議委員会後の共同声明だ。
小泉内閣が続く以上、米国追従路線は崩れないが、本当にそれで良いのだろうか。このままいくと、日本と米国とは、運命共同体ということになりかねない。そんなことを、日本国民は望んでいない。日本国内の米軍基地再編問題は、喫緊の課題だ。嘉手納の周辺住民は、騒音と治安が乱れることを理由に普天間が統合されることを拒絶している。嘉手納のみならず、殆どの国内の基地周辺の住民は、皆同じ気持ちだろう。日本各地の自衛隊の駐屯地に米軍が入り込み、米軍の戦術の一つである不安定の弧の拠点として、日本が利用されることは、まったく日本国民の望むところではないはずだ。また、それが国内の米軍基地の縮小につながるとは、とても思えない。
コンドリーザ・ライス女史の手玉にとられてはいけない。小泉内閣が、ライス女史の提言に歩み寄ることになれば、必然的に、「日米防衛協力のための指針」のみならず憲法9条の見直しは避けられなくなる。よもや、自衛隊の本来業務が、米軍の後方支援とメンテナンスということに成り下がりはしないだろうが・・・。戦後60年を迎え、思いやり予算の在り方も、そろそろ見直しの時期が来ている。国連の旗のもと、そろそろ日本も自立した外交防衛政策に取り組む時だ。
唯一の被爆国である日本は、だからこそ果たせる任務がある。フセイン大統領を捕まえても、その為に数万人の市民が犠牲になっている。開戦に踏み切らず兵糧攻めなどの経済制裁を継続したとすれば、約10万人のイラク人が死亡すると予測されていた。それを思えば、犠牲者の数は少ないといえるかもしれない。しかし、原爆を経験した日本の国民として、流血の惨事は、絶対にあってはならないことだと、強く思う。原爆の悲劇は最も象徴的だが、近代日本は、幾多の戦争を経験している。逆に、日本軍自らが、残虐な行為を行なったことからも、目を背けてはならないのだ。
このままでは、日本は米国に操られて、戦争まっしぐらだ。日本にとって最大の懸案である北朝鮮の脅威も、国際社会が一丸となって粘り強い交渉を続けることと経済制裁とで、乗り切っていくしかないのだ。テポドンやノドンが飛んできても、それを打ち落とし防御することはあっても、それが全面戦争の合図にはならない。戦後60年間、絶えることなく私たちは、戦争で犠牲になられた全ての人々の御霊に、そのご冥福と不戦の誓いをたててきた。日米両軍が一体となるということは、その誓いに堂々と背くことになるのだ。そしてそれは、日本人としての誇りを自ら捨て去ることを意味するのだということを、私たちは忘れてはならない。
小泉内閣が続く以上、米国追従路線は崩れないが、本当にそれで良いのだろうか。このままいくと、日本と米国とは、運命共同体ということになりかねない。そんなことを、日本国民は望んでいない。日本国内の米軍基地再編問題は、喫緊の課題だ。嘉手納の周辺住民は、騒音と治安が乱れることを理由に普天間が統合されることを拒絶している。嘉手納のみならず、殆どの国内の基地周辺の住民は、皆同じ気持ちだろう。日本各地の自衛隊の駐屯地に米軍が入り込み、米軍の戦術の一つである不安定の弧の拠点として、日本が利用されることは、まったく日本国民の望むところではないはずだ。また、それが国内の米軍基地の縮小につながるとは、とても思えない。
コンドリーザ・ライス女史の手玉にとられてはいけない。小泉内閣が、ライス女史の提言に歩み寄ることになれば、必然的に、「日米防衛協力のための指針」のみならず憲法9条の見直しは避けられなくなる。よもや、自衛隊の本来業務が、米軍の後方支援とメンテナンスということに成り下がりはしないだろうが・・・。戦後60年を迎え、思いやり予算の在り方も、そろそろ見直しの時期が来ている。国連の旗のもと、そろそろ日本も自立した外交防衛政策に取り組む時だ。
唯一の被爆国である日本は、だからこそ果たせる任務がある。フセイン大統領を捕まえても、その為に数万人の市民が犠牲になっている。開戦に踏み切らず兵糧攻めなどの経済制裁を継続したとすれば、約10万人のイラク人が死亡すると予測されていた。それを思えば、犠牲者の数は少ないといえるかもしれない。しかし、原爆を経験した日本の国民として、流血の惨事は、絶対にあってはならないことだと、強く思う。原爆の悲劇は最も象徴的だが、近代日本は、幾多の戦争を経験している。逆に、日本軍自らが、残虐な行為を行なったことからも、目を背けてはならないのだ。
このままでは、日本は米国に操られて、戦争まっしぐらだ。日本にとって最大の懸案である北朝鮮の脅威も、国際社会が一丸となって粘り強い交渉を続けることと経済制裁とで、乗り切っていくしかないのだ。テポドンやノドンが飛んできても、それを打ち落とし防御することはあっても、それが全面戦争の合図にはならない。戦後60年間、絶えることなく私たちは、戦争で犠牲になられた全ての人々の御霊に、そのご冥福と不戦の誓いをたててきた。日米両軍が一体となるということは、その誓いに堂々と背くことになるのだ。そしてそれは、日本人としての誇りを自ら捨て去ることを意味するのだということを、私たちは忘れてはならない。
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三共製薬の名も消える 2月19日
三共製薬と第一製薬が、10月にも経営統合するそうだ。
日本の製薬会社の数倍の売上げ高を誇る外資系企業は、当然、新薬開発にかける研究開発費も日本企業の数倍だ。米国ファイザーや英国グラクソ・スミスクラインなどが日本市場を席巻する中、日本の製薬会社も生き残りに必死だ。4月には、山之内製薬と藤沢薬品が合併して、明日を照らす「アステラス製薬」も発足する。
新薬が上梓されるまでには、数百億円の研究開発費と10年以上の期間がかかると言われている。複数の新薬の開発を進めるためには、事実上数千億円もの経費が必要になるということだ。現代医学でも太刀打ちできない病気は、まだまだ沢山存在する。医師そしてコーメディカルの能力の向上と合わせて、1人でも多くの患者さんの命を救うためには、新薬開発は医療の至上命題だ。人類はその大半を、民間の製薬会社に依存するしかないのだ。
約20年前、御巣鷹山に墜落したJAL123便東京発大阪行きの機内には、塩野義製薬の頭脳の中枢である研究者たちが勢ぞろいしていた。1985年の事故以降数年間、塩野義製薬にめぼしい新薬の発売はない。
製薬会社は、新薬の薬価を少しでも高く設定し、経費を回収しようとする。会社として当然のスタンスだ。しかし、20年~25年間の新薬の特許期間が過ぎてもなお、高い薬価が維持されることは、国民利益の観点からすると肯定できるものではない。そこで登場したのがジェネリック医薬品だ。特許期間終了後は、先発医薬品の1/2~1/3の薬価で使用できるジェネリック医薬品を、活用しないてはないのだ。超高齢化社会を迎え、国の重要課題の一つである医療費の抑制にも、ジェネリック医薬品は貢献する。
今年も続々と有力医薬品の特許がきれ、雨後のタケノコの如くジェネリック医薬品が登場する。先発メーカーにとっては、競争相手が現われることは、嬉しい話しではないだろう。しかし、国民には大きな利益をもたらすものだ。今後は、製薬会社の経営統合とあわせて、先発メーカー自体、分社化などの形態でジェネリック医薬品メーカーを創設するケースも出てくるだろう。既にエーザイ㈱が取り組んでいるように。
国民は皆平等に、医療の恩恵を受諾できるものでなければならない。医療は、金持ち優遇であっては、決してならない分野だ。特定療養費制度の拡充による混合診療の導入も、低所得者に不利に作用するのであれば意義が無い。自由診療の幅が広がり、風邪をひいても全額自己負担という事態を招くようでは、人々に平等に医療を享受する国家とはいえない。ジェネリック医薬品で薬価を抑制することは、非常に大切なことなのだ。
私が薬剤師になりたての頃は、武田・三共・山之内・第一・塩野義・大日本・中外・藤沢などなど、みな、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。時代は流れ、今年中にこれらの社名の殆どが消えてしまう。少し寂しい気もするけれど、外資に独占されないためにも、経営統合は残された唯一の手段だ。歴史に残る名医薬品を、次々と世に送り出してきた名だたる日本の製薬メーカーの今後の奮闘を、心から願う。
この季節、製薬会社にとって、花粉症の治療に用いられる抗アレルギー薬はドル箱医薬品だ。しかし、ワクチンや舌下減感作療法のほうが、花粉症対策としては断然有望であることが実証されたこんにち、これらの治療法が日本国内で1日も早く承認されることが、国民利益と医療の発展につながっていくというものだ。抗アレルギー薬を売りまくるために、製薬メーカーが承認を阻止すべく厚生労働省に圧力をかけることは、決してあってはならないことなのだ。
日本の製薬会社の数倍の売上げ高を誇る外資系企業は、当然、新薬開発にかける研究開発費も日本企業の数倍だ。米国ファイザーや英国グラクソ・スミスクラインなどが日本市場を席巻する中、日本の製薬会社も生き残りに必死だ。4月には、山之内製薬と藤沢薬品が合併して、明日を照らす「アステラス製薬」も発足する。
新薬が上梓されるまでには、数百億円の研究開発費と10年以上の期間がかかると言われている。複数の新薬の開発を進めるためには、事実上数千億円もの経費が必要になるということだ。現代医学でも太刀打ちできない病気は、まだまだ沢山存在する。医師そしてコーメディカルの能力の向上と合わせて、1人でも多くの患者さんの命を救うためには、新薬開発は医療の至上命題だ。人類はその大半を、民間の製薬会社に依存するしかないのだ。
約20年前、御巣鷹山に墜落したJAL123便東京発大阪行きの機内には、塩野義製薬の頭脳の中枢である研究者たちが勢ぞろいしていた。1985年の事故以降数年間、塩野義製薬にめぼしい新薬の発売はない。
製薬会社は、新薬の薬価を少しでも高く設定し、経費を回収しようとする。会社として当然のスタンスだ。しかし、20年~25年間の新薬の特許期間が過ぎてもなお、高い薬価が維持されることは、国民利益の観点からすると肯定できるものではない。そこで登場したのがジェネリック医薬品だ。特許期間終了後は、先発医薬品の1/2~1/3の薬価で使用できるジェネリック医薬品を、活用しないてはないのだ。超高齢化社会を迎え、国の重要課題の一つである医療費の抑制にも、ジェネリック医薬品は貢献する。
今年も続々と有力医薬品の特許がきれ、雨後のタケノコの如くジェネリック医薬品が登場する。先発メーカーにとっては、競争相手が現われることは、嬉しい話しではないだろう。しかし、国民には大きな利益をもたらすものだ。今後は、製薬会社の経営統合とあわせて、先発メーカー自体、分社化などの形態でジェネリック医薬品メーカーを創設するケースも出てくるだろう。既にエーザイ㈱が取り組んでいるように。
国民は皆平等に、医療の恩恵を受諾できるものでなければならない。医療は、金持ち優遇であっては、決してならない分野だ。特定療養費制度の拡充による混合診療の導入も、低所得者に不利に作用するのであれば意義が無い。自由診療の幅が広がり、風邪をひいても全額自己負担という事態を招くようでは、人々に平等に医療を享受する国家とはいえない。ジェネリック医薬品で薬価を抑制することは、非常に大切なことなのだ。
私が薬剤師になりたての頃は、武田・三共・山之内・第一・塩野義・大日本・中外・藤沢などなど、みな、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。時代は流れ、今年中にこれらの社名の殆どが消えてしまう。少し寂しい気もするけれど、外資に独占されないためにも、経営統合は残された唯一の手段だ。歴史に残る名医薬品を、次々と世に送り出してきた名だたる日本の製薬メーカーの今後の奮闘を、心から願う。
この季節、製薬会社にとって、花粉症の治療に用いられる抗アレルギー薬はドル箱医薬品だ。しかし、ワクチンや舌下減感作療法のほうが、花粉症対策としては断然有望であることが実証されたこんにち、これらの治療法が日本国内で1日も早く承認されることが、国民利益と医療の発展につながっていくというものだ。抗アレルギー薬を売りまくるために、製薬メーカーが承認を阻止すべく厚生労働省に圧力をかけることは、決してあってはならないことなのだ。
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涙で毒出し 2月18日
今日は患者さんから衝撃的な話を聴かされた。親友が、突然、失踪したというのだ。新幹線が停まる駅前に車が乗り捨ててあったので、「新幹線に乗って東に向かったんだろう、ソイツの知り合いは東にしか居ないはずだから」。そんな、極めてあやふやな推測のもと、その患者さんは親友が行きそうな土地を数日間探し周ったという。失踪した人は80歳に手が届く年齢なのだが、警察に捜索を依頼したくても、その費用たるや聴いて驚くような金額で、為す術がないということだ。心配で夜も眠れず、ここ数日、朝の収縮期血圧(上)が200近く。曰く「命がけじゃあ」。本当に・・・。
警察に捜索を依頼すると、相当額の費用がかかるそうだ。ちょっと信じられない金額だったのだが、本当なのだろうか。失踪者の年齢を考えると、安否が確認されるまでは警察の任務としてもらいたいものだが・・・。とにかく、1日も早く無事に帰還していただかないと、この患者さんがまいってしまう。心配だ。
「涙で毒出し」、耳慣れない新しい研究が進む。
笑いがストレスを解消し、体内の毒素を排出削減することは、近年、常識となっている。リウマチの患者さんを対象とした実験では、落語で大いに笑った直後、炎症を悪化させる「インターロイキン6」という体内物質や、「コルチゾール」と呼ばれるストレスホルモンの数値が、明らかに低下することが実証されている。
しかし、リウマチの患者さんの中には笑えないほど症状の重い方もいらっしゃり、研究者は、「笑い」ではなく「泣き」の感情発露による効果を分析した。その結果、「心を揺さぶられた際の涙」には、ストレスホルモン「コルチゾール」が多く含まれていることを発見。泣けば泣くほど、ストレスは解消されるということだ。泣いている時は、悲しみや喜びに没頭している。「没頭」することは、思考を一時停止し、脳のこわ張りをほぐす。その結果、新たな局面の打開につながるのだと、研究者は分析している。
新しい世紀に入り、次々と地球を不幸が襲い、薬剤師という仕事がらもあって、心から笑うことの少ない最近の私。そんな私は、「泣き」のストレス解消については、実は既に習得している。毒を出した翌朝は、シャキッと背筋を伸ばして上を向いて歩いている。切ないけれど、そんな朝は間違いなく上を向いている。何もかも思い通りにいき、幸せの絶頂を味わうことができたら、ラッキー。でも、その場合、踏み台にした人々の存在を、決して忘れてはならない。大概は、思い通りにいかず悲しくて切ない時を刻むのが、人生なのだと、私は思う。でも、その場合、精神は強く鍛えられ、いつか必ず心に鎧をまとう日がやってくる。そして、そうなったら、人間、恐いものなしなのだ。
警察に捜索を依頼すると、相当額の費用がかかるそうだ。ちょっと信じられない金額だったのだが、本当なのだろうか。失踪者の年齢を考えると、安否が確認されるまでは警察の任務としてもらいたいものだが・・・。とにかく、1日も早く無事に帰還していただかないと、この患者さんがまいってしまう。心配だ。
「涙で毒出し」、耳慣れない新しい研究が進む。
笑いがストレスを解消し、体内の毒素を排出削減することは、近年、常識となっている。リウマチの患者さんを対象とした実験では、落語で大いに笑った直後、炎症を悪化させる「インターロイキン6」という体内物質や、「コルチゾール」と呼ばれるストレスホルモンの数値が、明らかに低下することが実証されている。
しかし、リウマチの患者さんの中には笑えないほど症状の重い方もいらっしゃり、研究者は、「笑い」ではなく「泣き」の感情発露による効果を分析した。その結果、「心を揺さぶられた際の涙」には、ストレスホルモン「コルチゾール」が多く含まれていることを発見。泣けば泣くほど、ストレスは解消されるということだ。泣いている時は、悲しみや喜びに没頭している。「没頭」することは、思考を一時停止し、脳のこわ張りをほぐす。その結果、新たな局面の打開につながるのだと、研究者は分析している。
新しい世紀に入り、次々と地球を不幸が襲い、薬剤師という仕事がらもあって、心から笑うことの少ない最近の私。そんな私は、「泣き」のストレス解消については、実は既に習得している。毒を出した翌朝は、シャキッと背筋を伸ばして上を向いて歩いている。切ないけれど、そんな朝は間違いなく上を向いている。何もかも思い通りにいき、幸せの絶頂を味わうことができたら、ラッキー。でも、その場合、踏み台にした人々の存在を、決して忘れてはならない。大概は、思い通りにいかず悲しくて切ない時を刻むのが、人生なのだと、私は思う。でも、その場合、精神は強く鍛えられ、いつか必ず心に鎧をまとう日がやってくる。そして、そうなったら、人間、恐いものなしなのだ。
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インフルエンザと経産省のメール 2月17日
数日前に、周辺地域に「インフルエンザ注意報」が出された。今日は、この冬最多のインフルエンザの患者さんが来られ、いよいよ始まったな、という感じ。風邪様の症状で40度近く熱発したら、ほぼ間違いなくインフルエンザ。一刻も早く、インフルエンザウイルスの増殖を防ぐ抗インフルエンザ薬を服用ないしは吸入する必要がある。遅くとも発症から2日以内に使用すれば、今年のインフルエンザなら、これらの薬は極めて効果的だ。急げっ!
経済産業省が、所管する経済団体に対して、環境税阻止に動くよう、メールで呼びかけていたという事実が判明した。なんということ!と思うが、一事が万事で、役所から業界への圧力は、このように日常茶飯事なのだろう。経済産業省が環境税導入に反対する理由は、それが経済活動の足かせになるとの判断だ。つまり、経済産業省という役所は、経済産業分野にのみ猪突猛進、名実ともに経済産業最優先の役所なのだ。京都議定書の目標を達成しようがしまいが、自分たちには関係ないと考えているのだ。さすがの中川経済産業大臣も、このメールは「度を越え、不適切だった」とコメントしている。
自動車関連税の不当な取り立てを見直した上での環境税なら、理解できる。更に、環境税が豊かな緑を守る為、農林業の発展につながるものなら、非常に有意義だ。経済産業省のように、経済の足かせになるから環境税導入に反対などとは夢にも思わないが、ただ、導入されたはいいが、環境税が有機的に活用されず、増税の負担だけが国民の肩に重くのしかかるのでは無意味。
役所も含めて1人1人の人間に、危機感が乏しすぎるのだ。20世紀と同じことを繰り返していたのでは、近い将来、必ず人類は行き詰まる。霞ヶ関の役人も、上司にばかり気を遣うひらめ職員では、いくら優秀でも生きた化石も同然。自分の子どもや孫の未来に、今から自信を持てる大人がどれほど居るだろうか。目先の耽溺に溺れることなく、冷静に舵を取り、荒波をくぐり抜ける知恵と勇気が必要だ。間違っても、経済産業省のメールのような醜態は、あってはならないことなのだ。
中部国際空港が、今日、「離陸」した。規模は小さくても、利用者のアメニティは全国一だという。ツーリストやビジネスマンの拠点と同時に物流の拠点としても活用され、“できてしまった”空港が生産性の高いものになるように期待する。羽田空港と中部国際空港にはさまれて、静岡空港は見る影も無い。今からでも決して遅くは無い。静岡空港は断念して、例えば、地球に優しい燃料電池の供給基地へと大転換していくことのほうが、賢者の選択というものだ。京都議定書の発効を機に、国としての方針をより具体的に明示して、地方が方向転換しやすい環境をつくることも必要だ。中部国際空港がトヨタ空港なら、静岡空港は、スズキ燃料電池基地で、いいではないか。
経済産業省が、所管する経済団体に対して、環境税阻止に動くよう、メールで呼びかけていたという事実が判明した。なんということ!と思うが、一事が万事で、役所から業界への圧力は、このように日常茶飯事なのだろう。経済産業省が環境税導入に反対する理由は、それが経済活動の足かせになるとの判断だ。つまり、経済産業省という役所は、経済産業分野にのみ猪突猛進、名実ともに経済産業最優先の役所なのだ。京都議定書の目標を達成しようがしまいが、自分たちには関係ないと考えているのだ。さすがの中川経済産業大臣も、このメールは「度を越え、不適切だった」とコメントしている。
自動車関連税の不当な取り立てを見直した上での環境税なら、理解できる。更に、環境税が豊かな緑を守る為、農林業の発展につながるものなら、非常に有意義だ。経済産業省のように、経済の足かせになるから環境税導入に反対などとは夢にも思わないが、ただ、導入されたはいいが、環境税が有機的に活用されず、増税の負担だけが国民の肩に重くのしかかるのでは無意味。
役所も含めて1人1人の人間に、危機感が乏しすぎるのだ。20世紀と同じことを繰り返していたのでは、近い将来、必ず人類は行き詰まる。霞ヶ関の役人も、上司にばかり気を遣うひらめ職員では、いくら優秀でも生きた化石も同然。自分の子どもや孫の未来に、今から自信を持てる大人がどれほど居るだろうか。目先の耽溺に溺れることなく、冷静に舵を取り、荒波をくぐり抜ける知恵と勇気が必要だ。間違っても、経済産業省のメールのような醜態は、あってはならないことなのだ。
中部国際空港が、今日、「離陸」した。規模は小さくても、利用者のアメニティは全国一だという。ツーリストやビジネスマンの拠点と同時に物流の拠点としても活用され、“できてしまった”空港が生産性の高いものになるように期待する。羽田空港と中部国際空港にはさまれて、静岡空港は見る影も無い。今からでも決して遅くは無い。静岡空港は断念して、例えば、地球に優しい燃料電池の供給基地へと大転換していくことのほうが、賢者の選択というものだ。京都議定書の発効を機に、国としての方針をより具体的に明示して、地方が方向転換しやすい環境をつくることも必要だ。中部国際空港がトヨタ空港なら、静岡空港は、スズキ燃料電池基地で、いいではないか。
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京都議定書発効 2月16日
本日午後2時、京都議定書が発効した。以後、法的拘束力を持って、世界が地球温暖化防止に向けて取り組むことが約束された。小泉総理も、「発効を心から歓迎する」と述べ、批准しなかった米国の参加を、今後も求めていくと語っている。
今後3年~7年の間に、1990年と比較して約6%(現段階からみて約14%)のCO2削減が義務付けられたことになるのだが、ここまで進化した「使い捨て文化」と「利便性」を追求する時代背景から見ても、この削減目標が容易に達成できる数字でないことは、誰の目から見ても明らかだ。国会でも、何らかの役職に付けば必ず黒塗りの公用車と運転手が用意される。電車で移動したほうが早いし便利であっても、仕事を待っている運転手さんへの気遣いからか、どんなに近くても結局車を使用する。永田町でも、こんなことを繰り返しているのだから、CO2削減の目標が達成される日はほど遠く、達成以前に地球が亡びるほうが先かもしれないと、真剣に考えてしまう有様なのだ。
今日という日に合わせ日本を訪問中のパプアニューギニア首相は、「パプアの海岸線は、地球温暖化のため沈みつつある」と、国際社会に対して温室効果ガス削減を強く訴えた。南太平洋のツバルに至っては、今世紀中には国土のすべてが海底に沈んでしまうと、数年前に明言されているのである。危機はそこまで忍び寄ってきているのに、京都議定書が発効されたといっても、日本国内も含めて全体の盛り上がりには、いまひとつ欠けている。
電気やガスは、真っ先に必要とする現代の生活必需品だ。テレビも画面が動いていて当たり前。コンビニは生活の一部となり、ディスポーザブルのカップ麺や飲み物があふれている。ご飯を薪で炊く家なんて、特別の旅館や料理店でもない限りあり得ない。とにかく人の手をかけないように、何でもスイッチ一つで動かせるように、社会も家庭もオートメーション化されていく。
京都議定書が発効されたと言っても、特に先進国では、実生活と言ってることとが完全に矛盾している。米国が京都議定書を批准しないことは、ある意味正直だとも言えるのだ。日本は、「京都議定書」という名に恥じぬよう、真面目に温室効果ガス削減に経済界もあげて取り組んでいかなければならない。法的拘束力があると言っても、実行できなかった時のペナルティは存在しない。寒かったら、エアコンの設定温度を上げるのではなく、ひざ掛けを1枚はおってみる。1人1人の心掛けから全ては始まるのだ。ハイブリッドカーや燃料電池車・水素自動車の開発・普及も急がれる。環境税の負荷は、最終手段でなければ無意味なのだ。
2004年ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイ女史は、アフリカの地で植林と平和とを融合させた優れた活動家だ。来日中のマータイ女史は、日本語の「もったいない」という概念を世界に訴えたいと話したそうだ。私も同感だ。利便性や経済効率だけが、アメニティの追求ではない。超大型台風やハリケーンの襲来、大地震やTSUNAMI・・・ここ数年の地球は、あちこちで悲鳴をあげ、人類にサインを送っている。21世紀は、人類と地球環境との共存の時代なのだ。京都議定書発効を単なる通過点にすることなく、実のある行動を起すための「絶好のチャンス」としていかなければならないのだ。1人1人ができることから始めよう。省エネ・ゴミ削減・マイお箸などなど、僅かな心掛けが地球を救う。
ところで、奥田経団連会長ら経済財政諮問会議の民間議員4人が、増大する社会保障給付費を経済規模に合わせるため、今後も急激な伸びが予想される医療や介護給付を、名目国内総生産(GDP)の伸びの範囲内に抑えるべきだとする意見書を、諮問会議に提出した。中でも注目すべきは、風邪など軽微な疾病は、公的保険の適用からはずすと明言している点だ。ホラ来た!混合診療解禁の次は、風邪をひいても自由診療ということなのだ!社会保障費の抑制はやむを得ないが、その方法は他にいくらでもある。「金持ち優遇」が、私たちが求めている社会なのか???今後の推移を、しっかりと見守りたい。
今後3年~7年の間に、1990年と比較して約6%(現段階からみて約14%)のCO2削減が義務付けられたことになるのだが、ここまで進化した「使い捨て文化」と「利便性」を追求する時代背景から見ても、この削減目標が容易に達成できる数字でないことは、誰の目から見ても明らかだ。国会でも、何らかの役職に付けば必ず黒塗りの公用車と運転手が用意される。電車で移動したほうが早いし便利であっても、仕事を待っている運転手さんへの気遣いからか、どんなに近くても結局車を使用する。永田町でも、こんなことを繰り返しているのだから、CO2削減の目標が達成される日はほど遠く、達成以前に地球が亡びるほうが先かもしれないと、真剣に考えてしまう有様なのだ。
今日という日に合わせ日本を訪問中のパプアニューギニア首相は、「パプアの海岸線は、地球温暖化のため沈みつつある」と、国際社会に対して温室効果ガス削減を強く訴えた。南太平洋のツバルに至っては、今世紀中には国土のすべてが海底に沈んでしまうと、数年前に明言されているのである。危機はそこまで忍び寄ってきているのに、京都議定書が発効されたといっても、日本国内も含めて全体の盛り上がりには、いまひとつ欠けている。
電気やガスは、真っ先に必要とする現代の生活必需品だ。テレビも画面が動いていて当たり前。コンビニは生活の一部となり、ディスポーザブルのカップ麺や飲み物があふれている。ご飯を薪で炊く家なんて、特別の旅館や料理店でもない限りあり得ない。とにかく人の手をかけないように、何でもスイッチ一つで動かせるように、社会も家庭もオートメーション化されていく。
京都議定書が発効されたと言っても、特に先進国では、実生活と言ってることとが完全に矛盾している。米国が京都議定書を批准しないことは、ある意味正直だとも言えるのだ。日本は、「京都議定書」という名に恥じぬよう、真面目に温室効果ガス削減に経済界もあげて取り組んでいかなければならない。法的拘束力があると言っても、実行できなかった時のペナルティは存在しない。寒かったら、エアコンの設定温度を上げるのではなく、ひざ掛けを1枚はおってみる。1人1人の心掛けから全ては始まるのだ。ハイブリッドカーや燃料電池車・水素自動車の開発・普及も急がれる。環境税の負荷は、最終手段でなければ無意味なのだ。
2004年ノーベル平和賞を受賞したケニアのマータイ女史は、アフリカの地で植林と平和とを融合させた優れた活動家だ。来日中のマータイ女史は、日本語の「もったいない」という概念を世界に訴えたいと話したそうだ。私も同感だ。利便性や経済効率だけが、アメニティの追求ではない。超大型台風やハリケーンの襲来、大地震やTSUNAMI・・・ここ数年の地球は、あちこちで悲鳴をあげ、人類にサインを送っている。21世紀は、人類と地球環境との共存の時代なのだ。京都議定書発効を単なる通過点にすることなく、実のある行動を起すための「絶好のチャンス」としていかなければならないのだ。1人1人ができることから始めよう。省エネ・ゴミ削減・マイお箸などなど、僅かな心掛けが地球を救う。
ところで、奥田経団連会長ら経済財政諮問会議の民間議員4人が、増大する社会保障給付費を経済規模に合わせるため、今後も急激な伸びが予想される医療や介護給付を、名目国内総生産(GDP)の伸びの範囲内に抑えるべきだとする意見書を、諮問会議に提出した。中でも注目すべきは、風邪など軽微な疾病は、公的保険の適用からはずすと明言している点だ。ホラ来た!混合診療解禁の次は、風邪をひいても自由診療ということなのだ!社会保障費の抑制はやむを得ないが、その方法は他にいくらでもある。「金持ち優遇」が、私たちが求めている社会なのか???今後の推移を、しっかりと見守りたい。
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介護現場の矛盾 2月15日
石川県かほく市のグループホーム「たかまつ」で発生した、介護職員による入居者殺害事件は、介護現場のひずみをまたしても露呈する結果となった。犯行に及んだ28歳の男性介護職員は、「理想と現実とのギャップに爆発した」と供述しているそうだ。この言葉から察するに、犯行に及んだ介護職員には「理想」はあったのだ。
残念ながら、介護現場を支えるスタッフの劣悪な労働状態は、昨日今日始まったことではない。2000年4月の介護保険制度導入前後、ケアマネジャーとしても仕事をしていた私は、介護保険制度がいかに介護スタッフに過酷な労働を強いる制度かということを、嫌と言うほど味わっていた。以来、状況は一向に改善されず、現在もなお体調を崩しながらも任務に没頭する介護スタッフが、私の周りには大勢いる。
一方で、介護保険を利用する高齢者あるいはその家族にとっても、現在の介護保険制度は不十分な制度だ。以前からも指摘されているように、利用者の立場からみて現況の介護保険制度の最大の欠点は、認知症の高齢者介護に極めて不親切だという点だ。物忘れが激しくなると、その方の命そのものが危険にさらされることになる。火をつけたことさえ、忘れてしまいかねないのだから。当然、炊事やお風呂は、1人ではこなすことができない。持病に関する内服薬も、過剰に服用してしまう危険がある。とても1人暮らしなどさせられない、と家族は思う。当然だ。
しかし、その高齢者が、自分で歩いたり、手足を自由に動かすことが出来たり、排泄が可能であったりすると、要介護度は極めて低く認定され、実際に必要とする介護サービスやデイサービスを、必要十分に受けられないという矛盾に突き当たる。要介護度の認定において、最もやっかいな問題だ。誰が考えても、認知症が進んだ高齢者から、目を離すことなどできるわけがない。付きっきりでそばに居ることのできない家族にしてみれば、ヘルパーさんの時間を少しでも増やしたいし、デイサービスに行く日数が増えれば増えるほど安心もできるのに、例えば「要支援」の認定では、毎朝1回のヘルパーと週1回のデイサービスを受けるのがやっとなのだ。
ほどなく、家族の介護保険制度に対する怒りは、頂点に達する。日常、患者さんと接する中でも、そのようなケースはいくつも話題にのぼる。今度の改正介護保険制度では、「痴呆・うつ介護教室」あるいは「痴呆高齢者専用デイサービス」などの項目が挙げられてはいるが、現状打開にはほど遠く、家族が納得のいく内容には一歩も二歩も三歩も足りない。先日も、「子どもの学費がかかり始め働きに出たいのに、おじいちゃんから目が離せなくてホトホト困っている。介護保険は、本当に悪法よ!!」と、鼻息あらく1人の主婦から訴えられた。「行政に電話をしても、どうにもならないの一点張り。本当に腹が立つ!」と、剣幕は続く・・・。これが、現場の実態なのだ。
利用者が本当に求めているところに手が届かない。働く介護スタッフは、過酷な日常の繰り返し。この矛盾を解決しない限り、厚生労働省の理想とする「持続可能な介護保険制度」の構築は、ままならない。「痴呆」を認知症と呼び方を改めても、認知症の高齢者を抱える家族の負担が軽減されるわけではない。そして、グループホーム「たかまつ」での悲劇は、もしかしたら、どこの介護現場でも起こり得る身近な問題なのだ。劣悪な労働環境のもと、有機的な介護サービスは生まれない。仮にスタッフの精神がすさんでいた場合、高齢者に愛情を持って接することができるだろうか。介護保険制度の改正で最も重要なことは、スタッフが健全な精神で任務に没頭できる体制づくりなのだ。
知的障害者施設や介護施設では、躾と称する虐待が横行していると解説する専門家もいる。現場では虐待が当たり前のことになってはいないか。行政の責任で、1つ1つの施設をチェックするための評価機能の構築を急がなければならない。グループホーム「たかまつ」の28歳の介護職員は、介護保険制度の矛盾に耐えることができず、最悪の事態を起してしまった。勿論、大半の職員は耐え忍び、志高く任務に没頭している。しかし、人間はロボットではない。28歳の職員のように、いつか「爆発」する時が来るかもしれない。その前に、介護保険制度を作った国の責任として、1日も早く事前の対策を打たなければならないのだ。とにかく、現場を見、現場の声に耳を傾けることだ。それしかない。
残念ながら、介護現場を支えるスタッフの劣悪な労働状態は、昨日今日始まったことではない。2000年4月の介護保険制度導入前後、ケアマネジャーとしても仕事をしていた私は、介護保険制度がいかに介護スタッフに過酷な労働を強いる制度かということを、嫌と言うほど味わっていた。以来、状況は一向に改善されず、現在もなお体調を崩しながらも任務に没頭する介護スタッフが、私の周りには大勢いる。
一方で、介護保険を利用する高齢者あるいはその家族にとっても、現在の介護保険制度は不十分な制度だ。以前からも指摘されているように、利用者の立場からみて現況の介護保険制度の最大の欠点は、認知症の高齢者介護に極めて不親切だという点だ。物忘れが激しくなると、その方の命そのものが危険にさらされることになる。火をつけたことさえ、忘れてしまいかねないのだから。当然、炊事やお風呂は、1人ではこなすことができない。持病に関する内服薬も、過剰に服用してしまう危険がある。とても1人暮らしなどさせられない、と家族は思う。当然だ。
しかし、その高齢者が、自分で歩いたり、手足を自由に動かすことが出来たり、排泄が可能であったりすると、要介護度は極めて低く認定され、実際に必要とする介護サービスやデイサービスを、必要十分に受けられないという矛盾に突き当たる。要介護度の認定において、最もやっかいな問題だ。誰が考えても、認知症が進んだ高齢者から、目を離すことなどできるわけがない。付きっきりでそばに居ることのできない家族にしてみれば、ヘルパーさんの時間を少しでも増やしたいし、デイサービスに行く日数が増えれば増えるほど安心もできるのに、例えば「要支援」の認定では、毎朝1回のヘルパーと週1回のデイサービスを受けるのがやっとなのだ。
ほどなく、家族の介護保険制度に対する怒りは、頂点に達する。日常、患者さんと接する中でも、そのようなケースはいくつも話題にのぼる。今度の改正介護保険制度では、「痴呆・うつ介護教室」あるいは「痴呆高齢者専用デイサービス」などの項目が挙げられてはいるが、現状打開にはほど遠く、家族が納得のいく内容には一歩も二歩も三歩も足りない。先日も、「子どもの学費がかかり始め働きに出たいのに、おじいちゃんから目が離せなくてホトホト困っている。介護保険は、本当に悪法よ!!」と、鼻息あらく1人の主婦から訴えられた。「行政に電話をしても、どうにもならないの一点張り。本当に腹が立つ!」と、剣幕は続く・・・。これが、現場の実態なのだ。
利用者が本当に求めているところに手が届かない。働く介護スタッフは、過酷な日常の繰り返し。この矛盾を解決しない限り、厚生労働省の理想とする「持続可能な介護保険制度」の構築は、ままならない。「痴呆」を認知症と呼び方を改めても、認知症の高齢者を抱える家族の負担が軽減されるわけではない。そして、グループホーム「たかまつ」での悲劇は、もしかしたら、どこの介護現場でも起こり得る身近な問題なのだ。劣悪な労働環境のもと、有機的な介護サービスは生まれない。仮にスタッフの精神がすさんでいた場合、高齢者に愛情を持って接することができるだろうか。介護保険制度の改正で最も重要なことは、スタッフが健全な精神で任務に没頭できる体制づくりなのだ。
知的障害者施設や介護施設では、躾と称する虐待が横行していると解説する専門家もいる。現場では虐待が当たり前のことになってはいないか。行政の責任で、1つ1つの施設をチェックするための評価機能の構築を急がなければならない。グループホーム「たかまつ」の28歳の介護職員は、介護保険制度の矛盾に耐えることができず、最悪の事態を起してしまった。勿論、大半の職員は耐え忍び、志高く任務に没頭している。しかし、人間はロボットではない。28歳の職員のように、いつか「爆発」する時が来るかもしれない。その前に、介護保険制度を作った国の責任として、1日も早く事前の対策を打たなければならないのだ。とにかく、現場を見、現場の声に耳を傾けることだ。それしかない。
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