平方録

“積極的”平和主義

かつて仕事で付き合いのあった東証一部上場の製造企業の重役と酒を飲みながら歓談していた時のことである。

「資源を外で得て、それを加工して輸出したり、海外で直接生産して販売している我が国は、軍事力によってそれを守っていくのは当然だし、そうでなければ安心して商売などできません」

こんな趣旨のことを真顔で言われた。
集団的自衛権の行使について、これまでの政府見解では「できない」とされていたものを、国会での十分な議論も国民への説明もロクにないまま閣議決定という手前勝手で安直な方法を使って行使容認を決めてしまうという、実に乱暴な行為がなされる前あたりの話である。
確かに、件の重役が言うように軍事力を背景に原料を買って、物を作り、それを売り歩くんだ、という考え方もあるだろう。そういう考えの存在することは認める。
しかし、武力を背景にしなければ安心できない、という考え方のストレートさにまず驚いた。
そこには相手がいるんだと云う観点が欠落してしまっていて、手前勝手な理屈が底流を流れているように思える。極めて貧困な考え方である。

武力と言うのは力ずく、ということであり、畢竟その関係は一方的なものでしかない。服従させるかさせられるか。
そうした関係ではお互いの関係に信頼や共感、尊敬と言った感情は生まれて来ないし、例え力ずくで屈伏させたとしても、服従させられる側には却って憎悪や恨みが増幅されるだけだと思っている。

重役も武力に頼らないものの考え方があることは十分に知っているはずである。しかし、その方法をとらず「頼るべきはやっぱり武力なんだ」という考えに傾いていくのはなぜなのだろう。
企業の利益のためといわれれば、目先だけ考えるならばその通りかもしれませんねと答える。すると、あなたの言われるような関係はいつになったら出来上がるんですか。どれだけコストをかけ、時間をかけたら実現しますか。利益を上げなければ企業は存立し得ません。そうしなければ日本は落ちぶれてしまいます、という答えが返ってくる。
これはもう価値観の違いなのだが、こうした思考のあり方は、どうやら一部上場の会社の幹部連中の最大公約数であるようだ。
一体、何に怯えているのだろうか。

国際関係にあって、信頼されるということ、尊敬されるということはどういうことか、もう一度考えてみた方が良いのではないか。
原子爆弾一発で屈伏させたとしても、その後に一体何が残るというのか。原子爆弾を使わないまでも、離れたところからミサイルを撃ち込んだり、爆弾の雨を降らせたとしても同じことである。
先の大戦の空襲で、一体どれくらいの日本人が殺されたのか。

あのパキスタンの少女マララさんの国連演説。「1人の子ども、1人の先生、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。エデュケーション ファースト」
こういうことの実現に力を惜しまず協力していくことが、憲法9条を掲げる日本の進むべき道なのだと思っている。

これまでの70年間に、そうした目立たないが、世界の国々の人びとの生活の中に分け入って、一緒になって問題の改善に取り組んできた歴史がある。
こうした積み重ねが、正直で、実直な国民性もあって、接してきた住民たちの間から、じわじわと信頼され、尊敬されるようになってきたんである。
かつて、何の役にも立たない無駄なODA、税金の無駄遣い、などという指摘がされたこともあったが、無責任な役人仕事のなせる技だが、現地に入りこんだ日本人は親身になって努力してきたんである。
武力を背景に世界を背負って立っているつもりになっている国が確かにあるが、信頼され、尊敬されているんだろうか。

そんな地道な積み重ねをケロッと忘れて、日本人は傲慢になってしまった。
一部上場の商売人を大勢引き連れて中東諸国を得意気に回っていたのはご愛敬だが、国を代表する身でイスラエル国旗の前でならず者を挑発したりするから、このありさまである。
2人の日本人がならず者に囚われているということなど、頭からすっかり消え失せていたんだろう。
ノー天気なことである。

これまた得意気に口にする「積極的平和主義」。平和主義に「消極的」も「積極的」もあるものか。「積極的」が指し示す先は「武力」であろう。仮に武力で実現する「平和」というものを想像してみたらよい。想像できるだろうか。「平和」と言うのは武力などという野蛮なものに頼らないで、静かに平穏に、心豊かに暮らしていくことであり、そのためには武力とは全く違った、様々な知恵や勤勉な働きを使って実現していくのである。それを実現していくのがマララさんの言う教育なんである。貧困や無知から抜け出す手助けをするのが教育であり、だれもが平穏で心豊かに安心して暮らして行けることを「平和」と名付けているんである。

形容詞付きの平和主義がどんなものであるか、今回よく分かった。
「平和」に形容詞など、どだい必要ないんである。



2月1日朝の円覚寺。妙香池も白鷺池もこの大方丈(右)裏の池もみな凍結していた。


仏殿脇の白梅は1週間前よりたくさん花を開いている
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