鎌倉宮を右に折れれば人気の高い瑞泉寺で、鎌倉宮ともども賑わっているが、左に折れた谷戸の奥にあるこの寺は、1時間おきに行われるお坊さんの案内でしか参拝できないためか、ひっそりしている。
禅宗ではなく、今は真言宗のお寺である。
正午からの案内に加わったが、外国人1人を含めて14人だった。
半世紀も前の1964年の高校生の時に、道に迷ってドスンと落っこちたのがこの寺の境内で、以来数度目、と言っても片手ほど、の訪問である。
直近がいつだったのかも良く覚えていないくらいだから、久しぶりであることは間違いない。
境内は写真撮影が禁じられているから、その分、すべては自分の記憶が頼りになる。そういうことも記憶がおぼろげになる一因であるかもしれない。
頼朝の妻正子の弟の第二代執権北条義時が1218年に建立した大倉薬師堂を起源としている古刹である。
本尊は薬師如来、日光菩薩、月光菩薩の薬師三尊。十二神将像を従えていて、運慶と快慶の作と伝えられたが1337年に焼失。現在の薬師堂は1354年に足利尊氏によって再建されたものだそうで、天井の梁に「征夷大将軍…尊氏」と書かれているのが薄っすらと読みとれる。
白龍の天井画も描かれた、茅葺の風格のある建物である。鎌倉では一番大きな茅葺屋根だそうだ。
確かに杉本寺や明王院に比べて格段に大きいのが分かる。
鎌倉時代以前の寺院では薬師如来と十二神将を祀る場合、薬師如来を一番大きく作り、次第に像を小さくして違いを際立たせる手法をとったらしいが、鎌倉の武家政権ではそうした方法を廃し、同じような大きさに作っているんだそうだ。
だから十二神将像は大きく力強い。
武家政権の武家政権たる所以だという。
黒地蔵と言うものも祀られている。
毎日、地獄とを往復していて、釜ゆでの釜の火の調節を鬼と替わって行い、ぬるくするようにしてあげているため、黒く煤けているんだそうだ。
8月10日には深夜のお参りができるという。
江戸時代に建てられた農家が移築されていて、往時をしのばせている。
手広にあった住宅で、端正な外観に機能美をたたえた美しい建物である。茅葺屋根を長持ちさせるために時々火を焚いているそうで、いぶされた煙のにおいが立ち込めている。
内部はとても薄暗く、外の明るさと好対照だが、秋は黒々と光った床板にモミジの葉が照り映えて息をのむ美しさ、だとは案内のお坊さんの言である。
境内では紅梅がチラホラ開き始めていて、薄暗い建物の中から見える紅梅は、外の降り注ぐ光の中で見るそれと違って見えるから不思議である。
陰翳礼讃…。光と影は日本人と日本の文化には切り離せないもののようである。
この寺の良いところは飾り気が余りなく、したがって境内も人工的な美しさは感じられないが、自然の景観をそのまま生かした山里の風情と言っても良く、素朴な味わいにあふれているところだろう。
人がぞろぞろ歩いていないから、谷戸の奥ということもあって静寂に包まれているところもまた良いのである。
ゆっくり座っていたい気がするが、それが出来ないのが残念である。二兎は追えないんである。
新月の夜には漆黒の闇になるそうで、見回りに出るときは懐中電灯の電池の残量を確かめながら巡るのだという。都会に漆黒の闇は存在しなくなっているから、貴重である。
久しぶりに良いものを見た。
二階堂の谷戸の奥まったところにある覺園寺の山門
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