平方録

生きてゆく力がなくなる時

11日は午前9時から新年初めての日曜説教坐禅会。

暮の21日以来3週間ぶりの開催のためか、円覚寺大方丈は人であふれた。
15分前に行ったのだが、方丈の畳にスペースはなく、廊下にまで人はあふれていた。仕方なく廊下の片隅に座るが、人数はさらに増し、500人はゆうに超えていたんじゃあないだろうか。

こんなぎゅう詰は初めてで、大変な人気である。
顔ぶれを見れば、若い人と年寄りは少なく、中年以降の年格好ばかりが目立つ。ひつじ年の“迷える子羊”たちなんだろうか。
横田南嶺管長が4、50分法話を行い、その後坐禅か写経があるのだが、坐禅には3分の1位の人しか残らないから、大半は法話が目当てであるらしい。

横田管長は第1と第3日曜日にも登場するが、説教以外の日は経典の提唱を行う。現在は伝心法要という教えの解説が続いている。テキストが配られ、坐禅を組みながら聞くためか、参加者は100人に満たないことが多いだけに、椅子席まで用意される説教坐禅会の盛況ぶりは際立つ。

さて、今年初めての説教は2日早朝に行われたNHKのラジオ深夜便の話。
老師曰く「午前4時にどれくらいの人がラジオを聞いているのか質問してみましたところ、何と200万人という答えが返ってきてびっくりいたしました。いろいろ準備して行ったのですけれど、質問に答える方式だったため、言い残してしまったこともありますから」と、話が始まった。

適当に冗談やユーモアを交えながら、話はさすがに上手である。
老師が折に触れて引用する坂村真民という詩人の詩を交えながら「年の始めなので、生きてゆく上で大切なことは何か、ということを話したかったんですが、そのことを話す機会がなかったんです。それは『他人のために何かすること』なんですね」
「全身の関節がしびれてしまって寝たきりになってしまった女性が、寝ていることしかできない私でも何か役に立つことがしたいと、ある時、1本だけかろうじて動く手の指に点字を打つペンをくくりつけて、点字を刻み始めたんですね。そうして刻んでいくうちに、何カ月もたったころ、指が2本動くようになり、3本動くようになって行くんです。もちろん点字の本は数を増していきますから盲人の方にはとても喜ばれる。寝たきりですから、一見すると他人のために何かすることなんて不可能なように思えるんですが、そうじゃないんですね。誰にだってできるんですね」


「生きてゆく力がなくなる時」

死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなることがある
そんな時お寺を訪ね
わたしひとり
仏陀の前に坐ってくる
力わき明日を思う心が
出てくるまで坐ってくる


という真民の詩も紹介していた。
この詩の題名と同じ題名の著作があったのだが、出版社がつぶれ、別の出版社から出た本の題名は「めぐりあいのふしぎ」に代わってしまっているそうだ。前の題名のほうがよっぽど良かったんだが、と残念そうである。
ネットで注文したが2、3週間かかるという。のんびりしたことである。
だんだん老師の催眠術にかかってきたんだろうか…



居士林の脇から龍隠庵に登る道すがらの日だまりに石仏が3体、気持ちよさそうに陽を浴びている


居士林脇のロウバイは満開


選仏場(手前の茅葺屋根)と仏殿


居士林の屋根瓦と龍隠庵への階段
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