30数年在籍した編集局から離れたのをきっかけに、数年間書きためたコラムの中から何篇かをピックアップしたんだそうだ。
拾い読みして見ると喜怒哀楽に溢れていて、ある時はのびやかに故郷をうたい、ある時は筆先鋭く世相に迫っていて、笛の代わりにペンを携えた牛若丸の如く、なかなかの“身のこなし”である。
これは一見簡単なことのようだが、なかなか一筋縄でいくものではない。
個人が勝手気ままに書くのと違って、看板を背負い、行数の制約の中で多様な考え方を持つ読者に納得してもらうには、それなりの配慮・工夫が欠かせないからである。
余りに右顧左眄すれば書きたいことの意味合いがぼやけてしまって、いったい何が言いたいのか、ということになってしまう。
主張がなければ意味は無いし、かといって出過ぎるのも善し悪しであろう。ならば、と当たり障りを避けていては、新聞のコラムとしては書かない方がましである。
出版する気になったのは、壇ノ浦の戦いで「見るべきほどのことをば見つ」と言い残して海中に身を投じた平知盛の心境にも相通じるところがあるのか。様々な障壁、思いをかいくぐって、書きたいことは書いた、という自信の表れでもあるだろう。
さて、昨日の朝の最低気温は横浜で17.7度だった。鎌倉もさして違わないはずである。
朝起きると必ずベランダに出るのだが、まだ夜明けには少し間のある外気はひんやりしていて、おまけに雨まで降っていた。
最高気温も平年より9度も低い21度台。まだ8月だというのに、9月を通り越して10月下旬の気候だというから呆れる。
今朝だって余り変わらないようで、掛け布団なしには凍死していたかもしれぬ。
えぇ~い、短パンから一足飛びに越冬準備じゃ~。
汾上驚秋 初唐 蘇頲
汾上(ふんじょう)秋に驚く *汾上=汾河のほとり
北風吹白雲 北風(ほくふう)白雲を吹く
万里渡河汾 万里 河汾(かふん)を渡る
心緒逢揺落 心緒(しんしょ)揺落(ようらく)に逢い
秋声不可聞 秋声(しゅうせい)聞くべからず
北風が白い雲を吹き流している。
私は万里はるかな旅路をゆき、いま汾水を渡るところだ。
私の心は、木の葉が舞い散る眺めに出会い、
秋の物音を耳にするのも耐えがたい。
(訳・石川忠久)
長旅を続けるうち、いつの間にか秋を迎えてしまった悲しみを詠んでいる。
長旅とは人生そのもの。かく言う自分自身も秋を迎えてうろたえていることに気づく。
秋になっちゃったんだよなぁ~。
姫が学校から持ち帰って育てている青色のアサガオがいっぱい咲いた
異常な寒さにめげずに咲くわが家のアサガオ
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