晴れの確率の高い特異日のひとつだそうで、まさに青い空が広がった。
建長寺の宝物風入れを見てみようと、北鎌倉散策に出かけた。
梶原の住宅地を抜けて葛原が岡~源氏山と辿り、寿福寺~亀ヶ谷坂を通って建長寺へ。
葛原が岡ではアマチュアの団体がベニヤ板で舞台を作りフラダンスの発表会を開いていた。
後醍醐天皇の廷臣で鎌倉幕府討伐の謀議に加わったとして葛原が岡で処刑された日野俊基を祀る葛原岡神社の前でのハワイアンの音楽と踊りには、いささか違和感を覚えた。そもそも、このあたりの雰囲気や空気が好きではないのである。しかし、何でこの場所でフラダンスなんだろう。
源氏山から建長寺に抜けるには二つルートがある。化粧坂を下って浄智寺に抜ける急坂と寿福寺を通って亀ヶ谷津坂を抜けて行くコース。
距離的には大差ないようだが、亀ヶ谷経由のほうが近いように感じてこちらの道を選択した。
寿福寺に下る道では誰にも出会わなかった。化粧坂ほど有名ではないからかもしれない。亀ヶ谷坂も結構な上り下りの坂である。
建長寺は鎌倉五山の第一だけあって、山門、仏殿、法堂、大庫裏、方丈と続く一直線の配置とそれぞれの建物は堂々としていて立派である。大きな屋根の重なりやリズムは見ごたえがある。境内も整備されていて大寺の貫禄が漂う。
坐禅の道場を広島県福山市の末寺に下げ渡し、新たな坐禅堂を建設しているという。中高一貫の男子校を経営しているだけに資金的にも余裕を感じさせるのである。
ここの宝物の風入れを目当てに出かけてきたのである。
昨日の円覚寺の風入れとの違いをひとつ。
宝物の公開は方丈で行われているが、お坊さんに加えて「建長寺」と刺しゅうされた事務服を着た職員が会場の随所で目を光らせている。人数が多いのだ。
事務員と同様お坊さんは椅子に腰かけていて、板の間に座布団を折りたたんで尻の下に敷き、座禅を組みながら身じろぎせずに座っている円覚寺とは趣を異にする。
おまけに中年の坊さんが所在なく展示物の前で声をあげて談笑などしているから観賞の邪魔である。
彼我の差を痛感した所以である。
気を取り直してけんちん汁を食べてきた。「建長寺の汁」がなまって付けられただけに、脂っ気は皆無だがさすがに美味しかった。“本場もの”を口にしたのは初めてである。
ちょっと奥まで歩こうと歩を進めたところ「回春院」という老人があこがれそうな標識につられて道をそれてみた。
谷戸の行きあたりで、大きな池が広がり、さらにその奥に田んぼがあり、尾根を越えて二階堂の住宅地に抜けられる山道へと続いている。
静寂が広がり、大寺院の一角とはとても思えない、ひなびた静寂な場所であった。春先など素晴らしそうである。
映画監督の大島渚の墓があった。
北鎌倉駅まで県道を戻り、駅前の「大陸」という小さな中華料理店で昼飯を食べた。
生半可な日本蕎麦など食べられないので、しからば、と寂れかけたような中華料理店にしたのである…
2時半ごろだというのに混んでいて、随分待たされた。
妻は「焼きそば」、小生は「満州ラーメン」。どんなものか聞きもしなかった。期待していなかったからである。
違いは麺の太さらしい。ラーメンの倍以上あるようである。太い麺は好みではないが、何と650円のこのそばが美味しかった。
焼きそばも美味しかった。
期待値が低かったせいなのだろうか。“隠れた名店”を発見した気分である。
足取りも軽く、山越えをして梶原を抜けて帰る。鎌倉の中心部の雑踏に近づくことなく、のんびり散策を楽しんだ1日であった。
ひと一人がすり抜けるのがやっとの、源氏山から寿福寺へ下る切通し。鎌倉の紅葉は12月上旬
寿福寺参道
横須賀線の線路方面から県道へ抜ける亀ヶ谷坂
亀ヶ谷坂を下りると建長寺は間近
右から仏殿、法堂、大庫裏と続く建長寺の伽藍
法堂の雲竜図。龍の爪が5本あるのは小泉淳作画伯の気概の表れ。日本に伝わった雲竜図の爪は3本である
回春院の奥に二階堂へ抜ける山道がある
池に面してたたずむ回春院
回春院奥の谷戸に広がる池と、さらにその奥には田んぼが続く
回春院の山門のたたずまい
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