梅雨明け以降は4時には東の空が白み始める。すると、白み始めるのを待ちかねていたヒグラシのカナカナ、カナカナという鳴き声が湧きおこり、繰り返す波のように届いてくるのだが、今は5時直前になっても、東の空が色彩を帯びてきても、かつての波のような勢いはなく、数少ないヒグラシの鳴き声がかすかに聞こえてくるだけである。
ヒグラシに限らず、真昼のアブラゼミやミンミンゼミの鳴き声もぐっと減ったような気がする。
わが家の庭でもナンキンハゼやカツラの茂みの間から、降るような蝉しぐれが聞こえてきていたのだが、それも“今は昔”になってしまった。
7月の初めから甘い実を提供し続けてくれた赤と黄色のミニトマトもさすがにくたびれてきたのか、強い日差しに光合成を続けてきた緑の葉は茶色く変色して見るも哀れな姿に変わりつつある。
まだ熟さずに残っている実は光合成の衰えを反映するのか、色づきは遅く、中身の味も今一つである。
盛りを過ぎてしまった、とはこのことかと、痛く実感するのである。
たくさんの実を成してくれたゴーヤも終わりだが、アサガオはまだまだ元気で、葉の変色もなく、花を咲かせ続けているから、もう少し元気でいてくれるはずである。
つるバラは来年まで花は咲かせてくれないが、つるバラ以外の四季咲きのバラはタフである。このギラつく太陽にもめげることなく、次から次へと花を咲かせてくれている。
もっとも、初夏の最盛期に比べると花自体の大きさはぐっと縮んでしまって、小ぶりになってしまってはいるものの、烈日に向かって咲くさまは健気としか言いようがない。
今月中に株を切り戻し、肥料をを与えてあげると、10月初旬過ぎからまた咲き始める。
「秋バラ」と称される秋に花開くバラは、初夏のバラと違って、成長が緩やかなのが特徴である。
ゆっくり育つというのが何を意味するのかと言えば、次から次へと咲きこぼれるほどに咲くというわけにはいかないが、そのかわり、一輪一輪の花が大きく、そのうえ香りが一層立つのである。
「熟成」という言葉が相応しいかどうかはともかく、ゆっくりじっくり育つ花にはそれなりの魅力があるのだ。
冬の到来を前にしたひと時、バラ好きは“熟成されたバラ”を楽しむのである。
横浜イングリッシュガーデンでも間もなく約2000本のバラの秋のせん定作業に着手する。
秋バラの見ごろは10月初旬から11月中旬にかけて、ということになる。
“真夏大好き人間”にとって、夏が過ぎ去ろうとしている正にこの時期は1年のうちでも最も寂しさが募る時期である。
かくして「戦争法案」しかり、俗世間も自然界も、振り返る素振りも見せず、一定の方向に向かってぐんぐん進み始めてしまっている。
世間では秋の物思いを言うが、私の場合は、去りかける夏を特別な感情で迎えているのである。
何処かはかなげな午前5時の東の空。ちょっと前まで、太陽が昇ってくる位置は丘が途切れて低くなっている画面の左端辺りだったのが、随分と南に寄って丘の裏側から昇るようになってきた。
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