旧貴乃花部屋は、そもそも虐めや暴力体質がはびこっていたのではないか。
親方も女将さんも部屋には暮らさず、親方はご自宅のマンションから部屋に通っていた。女将さんは部屋で何かイベントや、雑誌や新聞、TVなどの取材予定があればいそいそと顔を出し、優しく、てきぱきとしたお女将さん像を演じた。
部屋には、元気な若い衆の行動や様子に目を配らせる舎監的な人がいなかったのではないか。
以前から、貴ノ岩を「粗暴」な力士と言う人は多かった。かつて付け人に暴力を振るったりエアガンで撃って遊んでいたという。錦糸町事件というものもあったらしい。本場所を休場中の力士が錦糸町の食堂で飲食をしていた際、そこにやって来た貴ノ岩がその力士をつかまえ、大声で、執拗に非難したという。見かねた一般のお客さんが、「まあまあ、休場中でも外で食事したってよいではないですか。部屋に引き籠っているより気分転換にもなるじゃないか」と言い、貴ノ岩を諭したという。すると貴ノ岩は激昂し、「うるせえ、てめえは黙っていろ」と怒鳴ったというのだ。一般のお客さんに対してである。彼らの周りは一般のお客さんが食事中だったのである。
貴公俊(貴ノ富士)の付け人への暴行は、公になったもので二回目である。これは旧貴乃花部屋の体質だったのではないか。そう思えてならない。
貴乃花親方は「改革派」だと言われてきた。親方夫妻が部屋と自宅を別にするというのも「改革」なのかもしれないが、そもそも、どんな改革なのか、その改革の中身を詳しく聴いた人は、ほとんどいないらしい。そもそも「改革派」というレッテルは誰が貼ったのだろうか。