「長屋の相撲好き、苦言を呈す」は2005年6月2日に書いた一文である。
まるで「光陰、相撲のごとし」である。
まだ私が三歳くらいの頃から、ラジオから流れる落語と相撲放送を、それはそれは楽しみにしていたものだ。
おそらくあの頃聞いた落語は、桂文楽や古今亭志ん生、三代目・三遊亭金馬らで、ちっちゃな子供ですから、文楽の遊女ことばの艶笑噺や人情噺、志ん生の聞きづらい語り口や間の江戸の古典なんざ分かっちゃいねえはずなんで。…
まあ、それでも何が可笑しかったのか、ラジオの前でよくケタケタと笑っていたもんでして。…え~まあそのくらい私は年季の入った相撲ファンだってえことを言いたいだけの枕でして。何で噺家の語り口になるかって不思議なもんですな。
ちなみに、千代ノ山や鏡里、吉葉山や栃錦が好きだった。
大鵬に破られるまで最年少横綱昇進二十三歳六ヶ月の記録は千代ノ山が持っていた。年二場所、三場所の時代だから、彼の出世がいかに破格だったか察せられよう。彼が九重部屋(出羽海部屋)を興し北の富士を育て、さらに故郷松前から千代の富士を見出した。
鏡里(時津風部屋)はまるで博多人形そのままの美しいアンコ型横綱だった。吉葉山(高島部屋)は最も生きの良い時期に出征し、五十キロにまで痩せて復員した。怪我に泣き悲劇の横綱と呼ばれた。土俵入りは不知火型であった。
彼が興した宮城野部屋に、かって陸奥嵐という基本を無視した超個性的な力士がいて、大好きだった。吉葉山は既に亡いが、いま宮城野部屋には白鵬という角界の宝がいる。彼が横綱になったら不知火型を継ぐだろうか。
…千代ノ山も鏡里も吉葉山も栃錦も、非常に柔和な人格者で、人望も厚かったと後々まで伝えられている。横綱とは品格がなければならないのだ。同時代の大関・三根山(高島部屋)も人格者として名高く、彼が戦争孤児たちの慰問を続け、子供たちを相撲見物に招待したりしているというニューズもよく聴いた。
さて年季の入った相撲ファンとしては、相撲界の行く末が心配である。それは二代目・貴乃花が引退後に父で師匠の二子山部屋をそのまま継承し、一代年寄「貴乃花部屋」を興し角界に残ったからである。その心配は二子山の死で予想通り露出した。
この貴乃花という男は、どうしようもなく困った存在、やがて角界全体の癌となるだろう。
先日「千田川は焼香できるか」というメールに対し、やはり大の相撲ファンである人形作家・石塚公昭から返信が来た。「全く完璧に同感です。あの了見、視野の狭さは病気の範疇と思えます。」…相撲ファンは皆心を痛め、貴乃花の思考と態度に怒りすら覚えているのだ。
TVのワイドショーを見たら、斎場に千田川の姿がありホッとした。貴乃花は「喪主は自分が務めるのが部屋の総意だ」と言ったが、部屋の中でそんな非常識を言う者はいないはずだ。いま残る部屋付き親方は初代・若乃花勝治が育てた三杉里や隆三杉と、二子山親方が育てた穏健な貴ノ浪である。兄・勝と喪主で揉めていたら、叔父の花田勝治が「喪主は勝だ!」と一喝してやっと貴乃花が折れたのが真相らしい。
現役時代から貴乃花が進もうとしているのは相撲の王道であり、それがために周囲と妥協を許さぬストイシズムとなっている、と一部の理解者は言うが、ただ聞く耳を持たず意固地なだけで、人格者でもなく人望もない。しんねりと、重く意味のあるかの如き発言をするが、その言葉をよく吟味すると、聞き心地はよいが全く空疎で意味のないガキの言葉であることが判明する。貴乃花は王道を気取り、懸命にその態度を演技しているかのようだ。
二子山親方が親友の大島親方(旭国)の処へよく顔を出し、彼に深い苦悩を曝していたと言う話しは涙が出る。王道を気取りストイシズムと大物ぶりと威厳を演技する故の、他者の無視、たえない周囲との軋轢の数々…。
力士生活の晩年が近づいたことを意識した貴闘力は、何かと声をかけてくれた一門の大鵬親方の部屋を継ぐ決意をし、将来の軋轢が予想された二子山部屋を出た。
予想通り、部屋隆盛の功労者であり部屋付き親方として残った兄弟子の安芸乃島は破門し、叔父が一喝するまで「喪主」は部屋を継いだ自分だと言い張る。
離婚し花田家を出た母親を葬儀に呼んだのは、兄の勝だったという。母親は貴乃花についてこう語った。「自分の姿勢を崩さないが、要領の悪さは光司らしいと思いました。一途に王道を突き進もうとするあまり、周りが見えなくなっている。十五歳という年齢から社会勉強を積まずに相撲だけをやってきた。三十歳を越えたのですから、自分を磨いて尊敬されるようになってほしい」
…貴乃花は相撲界の困りものである。