MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

患者会

2024-03-11 15:45:00 | 生き方
もう随分前になる。
仕事を辞めてから、何かしたくて最初は「難病よろず相談所」というのを始めた。
ところが広報の仕方が分からなくて、人が集まらなかった。
そこでMS(多発性硬化症)患者だけを対象の患者会を始めることにした。
市に相談すると、一年に一回だけ「市政だより」に掲載してもよいということで掲載させてもらった。
それで患者が集まり出した。広報誌の力はすごい。
3年くらい「市政だより」に載せてもらっていたが、それ以降は掲載は出来ないと言われてショックだった。
それでも3年で20人くらい集まっただろうか。
最初は事務所をわざわざ作って患者会を行っていたが、月一なので賃貸料が勿体無いと思い、自分の家でやることにした。
患者会は7〜8人くらい集まっただろうか…こんな場所があってよかった、と言われる患者さんの声を聞くと励みになった。
そんな感じで何年か続けていたが、ある時他県と合同の作品展をやることになった。
皆んなに作品を作って…と言ってもそんなの作れない、となかなか至難の技だった。
また会場探しが大変で、いいところあるをやっと見つけたが、展示をするのに手伝ってくれる人もいなくて一人でぼちぼちやっていた。
作品展があり、会場にずっと居て、作品展翌日には展示品を片付けなければならい。
夫婦で来てくれた人以外はいないので私は甥に手伝ってもらって片付けた。
その頃から、何でも一人でやる感じになっていった。
それでも講師(医師やOTさん、薬剤師など)を呼んで講演会をやることにした。
その企画は市が講師料や交通費を負担してくれる、市の事業の一環だった。
結局、これも広報から入場者の確保、講師とのやりとりなど、殆ど一人でやることになったので、私は倒れてしまうと思い、今後患者会をやることを諦めてしまわざるを得なかった。
それでもイベントの案内などは、メールで連絡していた。
最初の頃は行けなくても返事が返って来ていたが、最近は殆ど無くなった。
メールや電話で返事があった方は、最近別の病気で亡くなったとご主人から連絡があり、寂しい限りである。
私は患者会は辞めてしまった筈だったが、最近、2人の患者さんから同じ病気の人に会ってみたいとの電話を受け、小さな集まりでもその場を設定しようとする自分がいる。
お節介なのか、やりたがりなのか…自分でもわからないが、いいことならばやるべきだと思っている。






コメント
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