MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

低血圧

2023-07-28 17:28:26 | 日記

いつもこの頃になると、午前中眠たいのか意識が朦朧としているのか分からないが、何も出来ないでいる。 今日は午前中錦織圭(一応ファン)のテニスの試合があってそれを見ていたが、頭がボーっとしていたのでアイスコーヒーを飲んだ。

数年前は同じような症状で、もっと酷い状態だったので血圧計を買い替えて測ったら上が70mmhgで驚いた。

低血圧は病気じゃないからと受診をためらっていたが、昇圧剤という薬があることを知り、治験の時にお世話になった循環器内科医に相談に行った。

そうしたら、ある薬を処方してくださり試していたが、血圧が安定しないのでもう一つの薬に変えてみた。 メトリジンという薬だが、それが奏功して上が100mmhgをキープして普通に動けるようになった。 それ以来ずっとその薬を朝晩飲んでいる。

先週訪問看護師さんが血圧を測ってくれた時、上が90mmhgで少し低いなぁと思ったが様子をみることにした。

夏は暑くて、血管が伸びて血圧が下がるのではないかと私は勝手に思っているが、恥ずかしくて人には言えない。 ここには書いているが… (笑)

血圧計を出してきて測ってみるが、機械で測ると高く出るのだ。 やはり触診で測るのが一番正しい。

こんな生活が続くと思うとウンザリするが、慣れていくしかないのだろうか?

        

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うずらちゃん事件

2023-07-25 21:02:25 | これまでのこと

研究室のようなところで働いていた時、検査室の人がウズラのつがいを上司に持ってきた。

ペットのような感じで飼うことになった。食堂で昼食の残りを少しナプキンに入れて持ち帰り、与えていた。多分専用のエサもあったのだろう。

ある朝出勤してみると、ざわざわと大騒ぎになっていた。婦長さんが、朝方首を絞められるような悲鳴を聞いて目が覚めたと騒いでいたのだ。

犯人はウズラだった。つがいだとばかり思っていたのが実は雄同士だった。覇権争いか知らないが喧嘩をして悲鳴をあげていたのだった。

研究室のような所の隣に小さな部屋があり、その隣にトイレがあり、その隣が婦長さんの当直室だった。

婦長さんに怒られて謝るしかないので取り敢えず謝り、ウズラは元の持ち主に返された。

何もあんなに大げさにしなくとも…とも思ったが、逆の立場だったら何事かと驚いたに違いない。ウズラは雄雌の区別が難しいらしい。可愛がったつもりだったが、それ以前の問題だった。

          ウズラ - 鳥 - ペット - Y!きっず図鑑

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薬が足りない!

2023-07-21 17:02:03 | 現在

プリミドン(抗てんかん薬)を0.03gずつ処方してもらってそれを3つに分け、少しずつ増やしながら飲んでみていた。

0.03gを1日3回、14日分処方してもらっていた。あくまでも調節用の薬なので。どこまで増えるか分からずに増やしていって0.04gを1日3回飲むと段々膝が伸び、姿勢がよくなっていった。最初のうちは少量増やしていっていたから足りると思っていたが、ある時薬が次回の受診まで足りないことに気付いた。

どうしよう。真剣に考えた。受診まで足りない量で、元の膝が曲がって姿勢の悪い状態で我慢することも一つの手だが、やはり今一番いい状態をキープすることの方が身体に大事だと思われた。

それで病院に電話して先生に相談したら、もし薬が欲しいなら受診したら出しますと言われた。受診日までは2週間以上あるので、自分のことなのだから受診して薬を処方してもらうことにした。効く薬があることは画期的なことだ。最初は手の動きだけに効くのかと思っていたら、何と膝や腰を伸ばす効果があるなんて目から鱗だった。

私は直ぐにタクシーを走らせた。

     

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研究室のような所

2023-07-16 16:57:30 | これまでのこと

究室のようなところで私は臨床検査技師兼研究助手として一人で働いていた。そこには一人のDr.がいて、その指示で動いていた。

部屋には細胞培養のためのふ卵器、冷蔵庫、細胞保存用の液体窒素、蛍光顕微鏡などが所狭しと置かれていた。

Dr.の下では秘書的なこともしていた。文献探しに図書室に行ったり、血液学の本の注文、整理をしたり、電話の応対もそうだった。

電話は恐怖だった。相手が簡単なことを伝えたい場合はいいが、一つでなく二つ、三つのことを言われると、頭がついて行かなくてせいぜい一つのことを覚えるので精一杯だった。今になって思うとそれでよく事無きを得たなぁと思う。

この地方は海岸線に近く、ATL(成人T細胞白血病)が多かったため、京大に検体を送ったり、京大の先生方が来られたりしていた。ATLは有名な高月先生が一つの疾患と提唱し、先生も来られたことがあった。

仕事はマイペースで出来たので、京大と同レベルの検査が出来た。特に染色体は分からない場合は京大に送り添削してもらい、染色体専門の先生(講師)に褒められたりして嬉しかった。

しかし、検査技師長から〇〇さんは黙っているから何考えているか分からないと皆が言ってたよ、と嫌味を言われたり、隣の化学検査室の次長から私が一人で一部屋を与えられているから妬まれたりと嫌な思いをした。喋れないから弁明することが出来なかった。

でも、これらは小さな世界ならどこででも起こりうる事で、今となってはどうでもいいことだと思っている。

           

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母との時間

2023-07-13 14:58:34 | 趣味

母と私の共通の趣味は旅行だった。

しかし、母は時刻表が読めないから私が計画を立て、宿をとっていた。計画を立てるのは得意だった。母とは行きたい所が同じなので私は自由に計画を立てた。

最初は四国の西半分、東尋坊と能登半島、松江と足立美術館、黒部峡谷、南紀、北海道、上高地、軽井沢など東北以外は結構行ったような気がする。

旅行に行くのはいいが、私は最初のうちは元気だが、日にちが経つにつれて段々疲れてきて記憶が曖昧になっていた。しかし母は鮮明に覚えていた。

実は大学受験に失敗したことから、母には悲しい思いをさせてしまったとの想いを私はずっと引きずっていた。そのことで後に泣きだしたら涙が止まらないという現象が現れたが。

だから、働き出してお給料をもらうようになってから、青春時代の無かった母のために忘年会と称して食事会をし、休暇が取れれば旅行に行った。ずっと罪滅ぼしをしていたのだ。

でも結果的には、母とそういう時間を持てたことは今になって幸せだと思っている。

  東尋坊】アクセス・営業時間・料金情報 - じゃらんnet 紅葉の黒部峡谷とトロッコ電車 | 株式会社ビバリー

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