MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

もうちょっとで…。

2024-12-18 21:57:00 | この頃
HbA1C が高いので、ステロイドを1週間で1mgか0.5mgずつ減らしていた。

7.0mgから6.5mgになって4日目の夕方、下肢がピリピリ、チクチクと痛くなり、立とうとするにも立てず、何かにつかまって立てたと思うと足が前に進まない。
ハッと思ってステロイドを7.0mgに戻した。

その日はそんなに変化はなかったので絶望的な気持ちになって助けて〜と叫んだ。

翌日は少し動けた。配膳することが出来、食べることが出来た。

次の日は神経内科の診察日、もうパルスはしないぞ!と思っていた。

身障者の等級が15年前のままだったので、今の状態を診てもらって等級を上げてもらおうと思った。判定はリハビリの先生がするそうだ。可能なら電動車椅子の補助金をもらって作ってもらうつもりだ、上手くいくかは分からないけど。
ただ、身障者手帳の写真がムーンフェイスの顔になることを懸念している。

兎に角、再発にならなくてよかった。全く歩けないのと少し歩けるのは違う。ちょこちょこ歩きながらでも、出来ることをしていこう。







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にっちもさっちも

2024-12-05 20:59:00 | この頃
いろんな問題を山ほど抱え、生きていくのが辛くなった。
2、3週前に狭い所に前に転倒して、右肩を脱臼してしまった。身体を引き出そうとするが、肩が物凄く痛くて動けなくなった。何度も試みるが痛くてどうしようもない。救急車だ。

電話しようにもスマホは離れた所にある。充電器で充電していたのでそれを上手に手繰り寄せた。119番に電話出来た。あとは救急病院で治してもらった。三角巾は3週間しておかなければならない。近くの整形外科に行くと、数日後に来るように、その次は1週間後に来るように、と忙しかった。

梨状筋症候群は相変わらず続き、お尻が硬くなり歩行が困難になる。

直腸粘膜脱は手術しようと病院に行ったが、HbA1C が8.4だと伝えると、そんなに高いと手術出来ないと言われた。診察は恥ずかしめを受けたようで手術はしないと決めた。
骨盤底筋を鍛えて、よくなる場合があるからそれを目指すことにした。

多発性硬化症は、進行してペンギンのようにしか歩けない、よく観察すると下肢や大腿部や臀部にチクチクとした針で刺すような痛みがある。
本当はよく観察しなくても色んな痛みがごっちゃになって慢性的になっていた。動けば痛くてたまらないのでローソファーに寝てばかりいる。

チクチクした痛みは神経の痛みだと思えたから、リリカという薬を増やしてみることにした。最高量になるけど、以前も最高量使っていたことがあったから。

10分くらいで効くと確信できた。以前K大病院で、先生に身体が痛いんですけど…と言ったら、先生が考えあぐねていたから、神経が…と言ったらリリカを処方してくださった。

帰りの高速バスの中で早速飲んでみたら、少し眠って目を覚ましたら痛みが楽になっていた。効くか効かないか直ぐわかる。敏感なのだ。

色々問題があったが、ほんの少しだが…いや、あのチクチクした痛みが軽くなったことはかなりの進歩である。

問題は山積だが、ひとつひとつ解決に向けて進んでいけば、私の人生も何とかなるだろうか?





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158円の贅沢

2024-11-13 13:42:00 | この頃
スーパーで少し前まで138円と思っていたコーヒーが158円になっていた。
私の思い違いかも知れない。

私のプチ贅沢はマ◯◯◯というコーヒーのエスプレッソを飲むことだ。濃くて甘すぎず苦過ぎず、ちょうど良い味にはまっている。

ある時、コンビニで少し多めに買ってカートに入れていた。そのついでにデパートに寄って衣類を買って、カートの中に入れてもらう時、コーヒーを見つけられた。

その店員さんも自分のご褒美に同じコーヒーを飲むそうだ。ああ、同じ人がいた。何故か嬉しかった。

皆んな自分に小さなご褒美をあげながら働いているのだなぁと思った。
私の場合は働いている時、バーゲンがあると沢山お洋服を買っていたことかな?これは大きなご褒美ですね。



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蛙のごとく

2024-10-20 22:41:00 | この頃
美容院に行こうとして、バスに間に合わない…と思って、慌てていたのか、気がついたらバタンと右手右膝、顎、頬をついて倒れていた。
何が起こったのか?
アスファルトの上、横断歩道の端に倒れていた。

起きようにも起きれない。こんなに派手に倒れているのに、誰も助けてくれなないのだな。自分で何とかしなくちゃと、両手で地面を押して何とか立ち上がったと同時に、ある女性が「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれた。わざわざUターンして来てくれたらしい。

私が美容院に行くところです、と言うと病院に行かれたら?と冗談のように言葉を交わした。頭を動かすと少し痛かったので、様子を見て痛みが続いたら病院に行きますと言った。私がバスに乗り込むまで見守っていてくださった。世の中捨てたもんじゃない!

着いた美容院で手当てしてもらい、ズボンに滲み出た血もきれいに洗い落としてくれた。

お客さんは私だけ、オーナーも一人だけでゆったりとした時を過ごした。あれから3日だったが、まだ傷は治らない。

これからは歩き方が下手になったんだ、と自分に言い聞かせながら歩くことにした。

確かに一週間前は、身体が鎧に被われたように痛くて、トイレに行くのも苦痛だった。私らしくなく、もう歩きたくないと訪問看護師さんに泣きついた。
でもあるリハビリで痛みなく歩けるようになった。

でもそれは以前のような歩き方でなく、とても不器用な歩き方で、転ばないように転ばないようにと言い聞かせないといけないみたいだ。










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とてもショックなこと

2024-10-06 17:40:00 | この頃
(現在のこと)
一つのことを書こうと思っていたら、それよりも重大なことが起こった。

この間の月曜日に朝起きて立とうとしたら、全然立てない。ハイハイしてトイレに行った。
転がって戻って来て、今日は診察だと思い、服を見つけて何とか着る。上着を着て一休み、ズボンを着て一休みで、そのまま暫く寝ていた。

訪問看護師さんが来るまでは、と思い、シャッターを何とか開けた。
看護師さんが来てことの次第を話し、これからどうしようということを話した。玄関からのタクシーまで肩を貸してもらわないと動けない。

取り敢えずヘルパーさんの事務所に連絡してヘルパーさんを探して貰った。暫くして電話があり、来れるとという。助かった。

病院に着き、車椅子で診察室まで運んでもらい、診察室に入った。
先生は立ってみて、とも言わず相変わらず診察をしない。以前、先生診察はしないんですか?と尋ねたが、カルテに書いてあるからそれを参考にしてして、診察はしない、と言った。今までの先生は皆んな力比べをして診察をしました、と言ってもダメだった。

そして私がこの間質問したことに答えた。先生、ご飯も食べられないんです、と言ったら介護保険に相談することも勧められた。

とにかく家族と力を合わせて、と言われて…虚しく感じた。甥達は日勤、夜勤で働いている。姉も義兄の癌の世話で大変だ。ご飯の時だけ、介助に来れる筈がない。

また一からのやり直しになるが、決断した。パルスをしてください、と自分から言った。少し良くなって、その間に自分で役所に行こう。誰にも迷惑はかけたくない。

パルスをして、ご飯の配膳までは出来るようになったが、それ以来立ち上がるのが怖い。夜寝る時、またなったらどうしようと不安になる。朝起きるのが怖いから寝てばかりいる。

まだ1週間しか経っていないからしょうがないか?やはり2次進行型に入って歩行がよくない上に、再発するとこういうことになるのか?
初めての体験で、胸が締め付けられるような感じがずっと続いている。
















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