晴耕シ 雨読書ク

農業と文章、大事にしたいです。この2つで友達できるのがうれしい。

畑正憲さんの話 250308

2025-03-08 21:51:07 | 日記

中学校時代からファンだった。

むつごろうシリーズたくさん読みました。

でも、最初に影響を受けたのは、もちろん「ムツゴロウの青春期」。

中学生の僕には、少なからぬあこがれと羨望と希望とがごちゃ混ぜになった模範の本になった。

小さいのにバスケットをしていたという唯一の共通点も、ファンになった一つの理由だったし、東京大学に、高校の授業はあまり受けずにほとんど独学で現役合格したという快挙にも憧れた。

ただ私自身はそんなに頭もよくなかったので、一所懸命勉強するしかなかったけれど、少しでも近づきたいという気持ちが勉強の糧になったのは確かだと思う。

 

そんな私も一浪の末、なんとか大学に入って、あっという間に4年生。研修旅行の時期が来た。研修と言っても半分は卒業祝いの意味もあって、遠く新潟と北海道のコースがメインになっていた。農業視察的なものだった。

このことは先輩からも聞いていたので、私はこの機会をしっかりと待っていた。

さあ、出発のどれくらい前だったかは忘れたが、あの憧れの畑さんの動物王国のある北海道へ行くんだ、そうしたら、訪ねるしかないだろう。

 

ということで、私は本の出版社である文芸春秋社(たぶん)へ、はがきを書いた。

「畑さんのファンです。ファンレターを書きたいので住所教えてください」と。

 

その後、教えられないから、同社経由で畑さんへ送ることになったと思うが、

「その時本人は上京していますが、私でよかったら対応します」

と、奥様、順子さんから返事が来た。しかも第2動物王国からだった。

それこそ天にも昇るような気持ち。みんなに宣伝しまくった。

その結果同級生のクラス全員20人が一緒に行きたいと。

しかも同伴の先生までついてくると。

 

研修中のある日に第2動物王国:馬牧場に押しかけたのでした。

馬牧場の様子は不思議なことに全く忘れてしまった。たぶん夜でよくわからなかったのかな。

畑さんと奥さんとのことを、お茶をいただきながら聞いた。私はもちろん奥様の隣の特等席に座りながら。

 

最後には、持っていたハンカチにサインまでしてもらったな。

もう話中身も、ほとんど忘れたが、この時のことはみんなの間では今でも話題になる。

若いときの一番いい話のひとつだ。

 

この話、方々で自慢しているので、たぶんこのブログでも書いたと思っていたが、イラストを描いてくれているYさんから「初めて聞いた、その話書いてよ」と言われ、嬉しくて2回目かもしれないけれど、書きました。


又吉さんのこと 25.0306

2025-03-08 21:26:12 | 日記

又吉直樹さんの「月と散文」を読んでいる。

賞を受けた花火も、おおっと思ったけど、やっぱり芥川賞は難しくてわからないところも少なくない。

それに比べると、今読んでいる月と散文は無条件に面白い。

又吉さんは自他ともに認める芸人。だからこそ、芥川賞を受賞したときには、色眼鏡で見られたらしい。

それはそうだろう。私だって芥川賞の人気取りじゃないかとか、話題性が欲しかったのでは、とか思った。ひいき目の点数ではなかったろうかとか。

本人もやはりいろいろ言われたらしい。

「芸人が小説を書いた」という側面だけで語られることが多かった、と言う。

あらゆる書き手がよいはずだと信じていたが、僕の作品は内容ではなく、

先ほどの「芸人が小説を書いた」というだけで語られた、というわけだ。

確かに。これには、私も猛反省。

そうですよね。

実際、又吉さんの文章はとてもうまい。魅力的だ。また話のもっていき方もさすがは芸人でもあると、思う。

情緒が深いとも思う。

中身は、触れないけれども、面白い章をあげてみると

あの声に憧れる理由は

夕暮れに鼻血

同じ月を見ていたいな

だるまさんが転んだ (坊さんが屁をこいた)

どこで間違って本なんか読むようになってしまったんや

存在しない物語の感想文

あの頃のように本を愛せなくなってしまった

(順不同)

などなど…

何よりも本をこよなく愛している人でありました。

当たり前だけど、人を外観や、偏見、思い込みで見ては、いけませんね。

あらためて肝に銘じよう。


僕と使用人の物語。

2025-03-06 19:01:30 | 日記

僕の名はコーン。

主人というか下部と呼んでいいのか。彼は僕をこの世に迎えた張本人だ。

その前、僕はじっとしていた。動くことも考えることも、なかった。ただじっとしていた。ただ生きていたのは確かなようだ。その時の僕を主人あるいは下部は、めんどくさいので下部にしよう、使用人と呼ぼう。

その使用人とその仲間たちは、僕を「種」と呼んでいたようだ。

赤い色をしていた。

目立つためになのかどうかは知らんが、赤い色だった。

鳥に食われないように、忌避剤を塗られているからだ、という説と植物が紫外線から身を守るために種子が成熟する過程で生成されるアントシアンインという成分が赤くしているという話の二つがあるみたいだが、よくわからん。

使用人がJAの担当者に聞いた。

色を付けているのが正解のようだ。

 

まあどっちでもいいが、2025年2月15日、僕は安心して眠っていた袋から急に外に出された。

使用人は最初手で袋を破ろうとしていたが、年を取って力が弱いせいか、ハサミを取り出した。そんなもの初めて見たし、大きな牙が、近くにくに迫って見えたので、僕らは大慌て。

もちろん僕らが直接バッサリ切られることはなかったが、怖かったあ~。

 

と、こんな物語を書いてみようかと思っております。

ときどきですが。

また気分変わるかもしれません。


一瞬の真実 250130

2025-02-01 22:06:04 | 日記

百姓の話の前に、この前の小説の終章。

 

永遠の真実はない。永遠の嘘もたぶんない。

でも、うその中にも一瞬の真実がある。これを信じる。これで生きる

 

ネタバレになったらご免なさい。間違っているかもしれないので、それもごめんなさい。でもこれが、私の感想だった。

おもしろかったー。いい小説です。ほんとに。

浅田さんの小説は難しいのも少なくないけど、短編がほんとにおもしろい。短編というより、つながっている短編集だ。

 

さて、百姓も難しく考えないで、短編集のつながりにしたらどうか。毎日という短編が7日で1週。

30日で一(ひと)月。12ヶ月で1年。

そんな気がしてきた。

わかりにくいと思うけど、結論を求めない、やるだけやるの毎日。それがいいのかも。

私の百姓研修期間(隣の亡くなったおじさんに言われた3年我慢… に納得。勝手にそう思っているだけだが)も一応終了した。1月から本チャンになっている。少しはわかったきたかな。もちろん少しだが、わかってきたこと、理解できてきた事も増えては、きた。

もちろん、まだまだ、だけど。

そして、ときどき、読み書きだ。

いい小説を読んだので、新たなスタート、の、自分なりの宣言にしよう。


小説のウソと、現実の噓 250129

2025-01-29 20:20:47 | 日記

昨日はテレビだったので今日は、小説にしよう。

そして明日は、たぶん百姓の話がいいかな。

ということで小説だけど、題名は「母の待つ里」。 書き手は浅田次郎さんだ。

表紙絵からして、たぶん長年家に帰らなかったサラリーマンが定年を機に、か、定年前ぐらいになって里心がついて母に甘えに帰るのだろうという、ノスタルジックな物語を想像した。

ところが、だ。 敵(今回は浅田さん)はそんな単純ではなかった。 さすが小説家、直木賞の大家だ。

当たり前の話だが、小説は嘘だ。 嘘の物語だ。 それをわかってて読者は楽しむんだ。

でも、小説ではなくてウソの里に帰る話だ。 ウソの母に甘える話だ。

なんでそんなことをするんだ。 「事実は小説よりも希なり」の真反対。 つまり小説がもともと求めることを地で行こうとしているのかな。

実は私もまだ全部を読んでいないから、最後がどうなるのかは楽しみ。

浅田さんはもちろん知る人ぞ知る、あの有名な作家。 … この表現はなんかおかしいけど、気持ちで読んでね。 ーぽっぽや(鉄道員)で超有名になった。

そのぽっぽやが映画化されるときには、主役の高倉健さんと初めて会い、例の「高倉健です」のあいさつを直に受けた。 とても興奮したと、書かれていた。 助演の女優と会ったことはなかったみたいだ。

ちなみに私はこの短編集では、「角筈にて」のほうに惹かれた。 どちらも幽霊が出てくる話だけど、こんな幽霊ならいつでも出てきて、と言いたくなる話だった。 ほかの話もそうだった。 少し大人向けの怖いのもあったけど。

さて、要は騙されることをわかっていて、楽しむのが小説であり、騙されることを承知で舞台に立つ現実もあるのが今回の物語だけれど、私たちの現実もこれに近いものがあるような気がする。 どうせなら楽しくだまされる人生もいいのではないか。 たぶん近い話は誰にでもあるし、どの場面でも出てくる気がする。 真実は人によって違うのだから。

自分が信じるのが真実だな。 たぶん。

わかったようでわからない話だけど、さて小説の終わりはどうなるのかな?

次、は百姓の話にしたい。 これが、今一番、難しいんだ。