晴耕シ 雨読書ク

農業と文章、大事にしたいです。この2つで友達できるのがうれしい。

神社参りかな5 おまけ

2024-12-10 22:06:17 | 日記

H君からさっそくフォローのラインが来た。ほぼそのまま、内容を伝える。

まちがいの第一は、スガ神社でなくて、ソガ神社である。素鵞神社と書く。

そしてこれは少し当たっていたが、武内宿祢はたぶん日本武尊(やまとたけるのみこと)だ。

そして、その日本武尊の父親が12代の景行天皇(たぶん3世紀卑弥呼の頃)だから、武武内宿禰の父親の武雄心命は、この景行天皇のことではないか。

さらに面白いのは。武内宿祢だけじゃなく、母親の影姫が近くの黒尾神社に祭られているところ。武雄全体でこういう手の込んだところを見せている。

影姫が武内の宿祢の母親ということは、武雄心命の嫁さん、つまり皇后さまだ。

ただ事ではない。

確かにその通り。佐賀でそういうことがあったのか。しかも卑弥呼の世界と同じ時代、同時代。これはどういうことか。当時の佐賀はなんだったのか。どういう存在だったのか。

少し難しいけど、文章でもらうとやっぱりわかりやすい。

卑弥呼に続くロマン。

歴史に詳しい友達に教えてもらう神社は、やっぱりいいなあ。


1208 幸せになるために…

2024-12-08 22:32:40 | 日記

次にくる言葉は、Yさんは描く。H君と私は、書く、だな、たぶん。

幸せになるために描く、または書くということができるのだろうか。

たぶんできるということなのだろう。なんとなくわかる気がするし、そうなっている気もする。少しだけど。

もっとわかりやすいのは、幸せになるために、読む。だ。これは多くの人が経験していると思うし、幸せを感じるから再び読むんだな。

「趣味は読書です」は、多くの人が言っている。その中には見栄や、カッコつけで言っている人もいるからたぶん読書は、いいことなんだ。いいことと皆が認めているんだな、きっと。

私が小学生の時に、先生や親から読書がいいぞ、と教えてもらったり、中学の時には好きな先生から読書を勧められ、図書室に通うようになったのもその一環だと思う。

でも、幸せになるために書くのがいいぞ、と言われたことは一度もなかった。もちろん描くのがいいぞとは決して言われたかった。こっちのほうは私には不可能と思うから。

でも書くのが、ひょっとしたら幸せにつながるのではないかと思うことはある。確かに。実際書いていて楽しいと感じることもあるし、自分で書いたのを読み返して、けっこういいんじゃない、とうぬぼれることも確かにある。それだけでいいんじゃないかな。

幸せになるために、書こう。


武雄神社

2024-12-05 21:19:44 | 日記

神社参りかな その4 二日目


そして、武雄神社である。

たぶん、ここがH君推薦のメイン神社である。主祭神の武内宿禰(たけうちのすくね)が主人公である。そしてその母()だったか、神功皇后が2番目だ。私は高校で日本史を選択しなかったので、いまいち理解ができなかったが、この武内宿禰が、だれかと同一人物であるというのが、面白い話だったが、いまいちわかっていないので今度H君にもう一度聞いてみよう。神功皇后との間柄も含めて。









そしてこの武雄神社で有名なのが、この樹齢3000年の楠の大木である。とにかく、でかい。素晴らしいいの一言、周りの竹林もまたいい。

さらに、すが神社である。漢字が難しい。写真撮ったがよく読めない。この神社と武雄神社との関係もまた難しくて理解していないが、親子関係にある神社ということではなかったかな??





そしてこの「すが」が、さが、つまり佐賀になったのではないのかという物語だったんじゃないか。これも、もう一度聞いてみよう。

たぶんまちがいだらけかもしれんが。

みんなで訪れた神社は、もっとあったのだけれど、これ以上書いても間違いだらけになりそうなので、今度、もっとわかってからにしよう。もっとわからなくなりそうな気もするけど。

いやあ、でも素晴らしい神社訪問、お参りになったのは間違いない。

おもしろかったあ~。


神社参りかな その3 玉垂宮、葛城神社…

2024-12-03 02:08:00 | 日記

籾神社を経て、次は玉垂宮に行った。ここは神仏集合の時代には三船山大善寺玉垂宮と称されていて、神功皇后の三船がこの地に着いたという伝承により御船山の山号になったという。筑後では一宮である高良神社と並ぶ有力な神社だったらしい。確かに立派な神社だった。








以前からすぐ近くの通りをたびたび通ったことがあり、一度は行ってみたいと思っていた神社。H君に感謝。

また、この宮には毎年1月7日夜行われる、追儺際の神事がある。日本三大火祭「鬼夜」という。圧巻。





次に行ったのは、葛城神社。とにかく参道が長い。矢俣八幡神社とともにここ矢俣郷の守り神であるらしい。H君の話では、もうちょっと面白い解説があったが、説明できない。

矢俣八幡神社

葛城神社といろいろ関係があるらしいが、ヤマタノオロチのゆかりの地ではないか?

話は半分聞いてというH君の解説で、私の頭に一番残ったこと。













千栗八幡宮

そして今回の最後はここだ。ちりくはちまん と読む。

通常であれば、ちくりはちまんだよね。

なんでだろう。神埼のサキがあげつちへんになったのと同じで、えらい人が間違ったのじゃないか?

さて、ここもいろいろあるらしいが、一番の聞きどころは、祭神に神功皇后、武内の宿祢が名を連ねていること。武雄神社と関係があるみたい。

でも私たちに一番のなじみは、昨年だったか、亡くなられたオリンピック柔道金メダリスト古賀稔彦さんが少年のころ毎日駆け上がった「栄光への階段」だ。

この日も少年3人が走ったり歩いたりの、登り降りを繰り返していた。

一日目終了。


卑弥呼の墓ー佐賀県大塚ケ里の「籾神社」ー

2024-12-01 19:45:38 | 日記

神社参りかな その2


次の訪問地は、以前から今回のメンバーに限らず、H君も私も皆さんに皆さんに紹介したいと思っていた場所だ。

籾神社という。




きっかけは野田利郎氏の著書

【「邪馬台国」と不弥国(ふみこく)の謎-倭人伝の国々の真実】

これに、にしっかり書いてある。

以下若干引用させていただく。

吉野ケ里遺跡の近くに大塚ケ里という地区がある。そこにある。

「籾神社」は卑弥呼の墓の条件に合致する。ただ未発掘のため、卑弥呼の墓と確定することができないが最有力候補と考えている。

〇倭人伝伝薄井「卑弥呼の墓の条件」

1.卑弥呼の墓の形 大きな塚である。

2,直径が「百余歩」の円形。一歩は」平均70cm。直径が7080m。

3.埋葬者百余人を同時に埋葬する形。

4.場所は「卑弥呼の都」の近辺











〇籾神社

1,場所:佐賀県神埼市吉野ヶ里町大曲

  吉野ケ里遺跡の北内郭から東北に1km

2.籾神社の由来

  祭神 日本武尊(やまとたけるのみこと)

 

  …以下略  出典本をご覧ください。kindleで購入可





これだけではよくわからないと思いますが、とにかく本を読んで現場に行っていただければ、納得すること確かに多いと思う。

今回は籾神社からすぐそこにある、あまりにも有名な吉野ケ里遺跡には行かなかったが、

こっちのほうは二度と見ることはないかもとおすすめした次第。

少し気になるのは祭神は日本武尊だということ、卑弥呼から日本武尊につながるものがありそうな。

内容が少し硬くなってごめんなさい。