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昨日はテレビだったので今日は、小説にしよう。
そして明日は、たぶん百姓の話がいいかな。
ということで小説だけど、題名は「母の待つ里」。 書き手は浅田次郎さんだ。
表紙絵からして、たぶん長年家に帰らなかったサラリーマンが定年を機に、か、定年前ぐらいになって里心がついて母に甘えに帰るのだろうという、ノスタルジックな物語を想像した。
ところが、だ。 敵(今回は浅田さん)はそんな単純ではなかった。 さすが小説家、直木賞の大家だ。
当たり前の話だが、小説は嘘だ。 嘘の物語だ。 それをわかってて読者は楽しむんだ。
でも、小説ではなくてウソの里に帰る話だ。 ウソの母に甘える話だ。
なんでそんなことをするんだ。 「事実は小説よりも希なり」の真反対。 つまり小説がもともと求めることを地で行こうとしているのかな。
実は私もまだ全部を読んでいないから、最後がどうなるのかは楽しみ。
浅田さんはもちろん知る人ぞ知る、あの有名な作家。 … この表現はなんかおかしいけど、気持ちで読んでね。 ーぽっぽや(鉄道員)で超有名になった。
そのぽっぽやが映画化されるときには、主役の高倉健さんと初めて会い、例の「高倉健です」のあいさつを直に受けた。 とても興奮したと、書かれていた。 助演の女優と会ったことはなかったみたいだ。
ちなみに私はこの短編集では、「角筈にて」のほうに惹かれた。 どちらも幽霊が出てくる話だけど、こんな幽霊ならいつでも出てきて、と言いたくなる話だった。 ほかの話もそうだった。 少し大人向けの怖いのもあったけど。
さて、要は騙されることをわかっていて、楽しむのが小説であり、騙されることを承知で舞台に立つ現実もあるのが今回の物語だけれど、私たちの現実もこれに近いものがあるような気がする。 どうせなら楽しくだまされる人生もいいのではないか。 たぶん近い話は誰にでもあるし、どの場面でも出てくる気がする。 真実は人によって違うのだから。
自分が信じるのが真実だな。 たぶん。
わかったようでわからない話だけど、さて小説の終わりはどうなるのかな?
次、は百姓の話にしたい。 これが、今一番、難しいんだ。
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