ノルマンデイーをたずねてーシェルブール
2005年8月1-3日
ノルマンデイー、シェルブールを旅しての印象は、シェルブールのイメージは、わたしにとって、行く前は、雨、曇り空、そして、映画「シェルブールの雨傘」のイメージだった。
出かける前に、もっと、ほかのところへいったほうが、天気もいいし、といわれたが、しかし、私は、友人とシェルブールへ行くことに決めた。理由は、まだ言ったことがない場所だからだ。あまりひとがいないのでは、休養にいいかもしれないという理由もあった。
この11年滞在し、生きる中心の場所であるフランス。ノルマンデイーといえば、
エトルタ、デイエップ、オンフレール、ドービル、トルビル、ラ、ハーグにはいったことがある。ノルマンデイー上陸で有名な、オハマビーチにもいったことがあり記念館があった。とても美しい海岸で、戦争があったとは思えないところだった。
オハマビーチは、シェルブールのあるコタンチン半島の北に位置しているが、この半島東部にあたる。サンラザール駅から、3時間。カーンという大きな都市よりもっと先だ。コーラルという普通電車より早く、TGV(日本でいう新幹線)よりは、遅いが乗り換えなしで、あっという間だった。
シテ、ヂュ、メール、「海の街」と称する大きな博物館を見た。3時間の見物といわれたが、実際には、3時間半かかった。まず最初にみたのは、原子力潜水艦だった。リュヂュターブルという名前の潜水艦は、黒で、40,000人の住む、シェルブールの町全部のひとびとに供給電力の相当するちからをもっている。搭載するひとつの、ミサイルが、広島の、原子爆弾より大きな破壊力を持ち、それが16個あり、核抑止力、のフランス政策のために、使われ、発展し、つかわれってきたが、今は、船になかのミサイルの部分をはなして、そこを空洞にし、海に面するこの博物館の外に位置し、中にはいると、リモコンをわたされ、英語、フランス語、ポルトガル語、ドイツ語の各国語での説明がある。それをきき、ひとまわりした。
次は、アクアリウムだ。巨大な水族館。単なる水族館ではなく、33メートルに及ぶ、深さをもった、(ヨーロッパで最深の水槽がある)すいそうには、思うようにすいすい泳ぐ深海魚。青、黄色、黒、白、灰色、紅色、さまざまだ。竜の落とし子とよばれる海のそこにすむ魚を実際に見たのは、初めてだった。
一番興味深かったのは、いろいろな人間のトライの歴史だった。
どのように人間が、海のなかで、歩けるか、海のなかで、カメラを使えるか、電話ができるか、などについて、具体的にテレビやヴィデオの説明があり多の家族つれや、子供たちだった。海底の、船で、11000メートルまで沈むことにできるちからと技術を編み出した人間。アレクサンドリアというエジプトの古代文明は海に沈み、今は神秘なその世界と古代遺跡を海の海底にすずむ世界をヴィデオで楽しむことができるのには驚いた。
最初のトライは、海に住む、生物をもっと知り、同時に、船を修理するための仕事」でもあった、最初のトライは、海の探検のためには、樽を使って、人が、なかにはいり、たるの外にだした両手にひれを、つけて泳いだ。人間のほかの部分は、たるのなかにはいった、ぷかぷかと海の中を泳ぐわけだ。
みていると、ストレスのない世界のように見える。
今は、年に20万くらいの、訪問客。最初は、50万人が、この原子力潜水艦を訪れたということだ。
原子力発電所は、コタンチン半島の西にあったが、今はないということだ。
その後、カフェ、ドウ、パリという名前のカフェで一休み。太陽をあびて、夜9時半ごろまで、くつろぐ人々。
ヨーロッパの夏は、日がくれるのが、遅い。あっという間に、6時になり、6時半くらいまでお土産店を一巡り。
8月1日は、火曜日。曇り空で、少しはだ寒いくらいだった。ノルマンデイーにせーター、カーデガンをもっていくべきだっと、くやまれたくらい、夜はぐっと温度が下がる。
夜はホテルで着替えた後、レストランへいく。小さな港に面しているところ、はだ寒く、9時―11時半までの食事だった。海の、幸。がおいしい。
かに、いくいつかの、種類の、貝、ムール貝、えびの、もりあわせ、なんと食べるのが困難だった。いくつかのスプーンとフォークをつかうのだが、福井のえちぜんがに、ずわいがにをおもいだした。福井にいたころ、今日とりたての、かにをだれかがとどけてくれたか、両親が、もってきてくれて、家族で食べたときは、レストランのように、ナイフやフォークをつかってたべるわけではなく、むしりとってがぶりとあるいはむしゃむしゃとみんなでたべた経験がよみがえる。魚料理も、おいしく、白ワインはブルゴーニュワインの重くないのをえらんだ。デザートには、チョコレートケーキ。
港には道路沿いに青のライトがともり、きれいだった。
次の日の、遊覧船の、予約をとってから、11時30分出発、1人、10ユーロ、10人以上の予約が必要。駅へいき、もう1日滞在を延長する。
8月2日、水曜日、
朝9時半におきる。ホテルで取る朝食はおいしい。その後、港へ向かう。遊覧船にのって、1時間15分の旅。昔軍港だった、シェルブール。アメリカ、イギリスに近く、フランスの敵から守るための、軍事的に、重要な位置としての、軍港としての、歴史がある。
朝食は、タルテイーヌという、フランスパン、バゲットを半分にして、中を、半分にきり、中にバターとジャムをぬり、プラス、大きなクロワッサン、大きなコーフィポットにはいいた、たっぷりのカフェ、港に浮かぶ、いくつもの、ボートをみながら、たべる旅先での、朝食は格別においしい。
いつものコーフィとも違う。シェルブールでみた、博物館は、昔の、鉄道の列車の駅であり、そこから、アメリカ、イギリス、アイルランドへ出発する船が出発する駅であり、これらの国々からは、最初に降り立つヨーロッパの玄関である波止場だった。
中は写真撮影が禁止となっていて、できなかったが、昔は、列車で、ついたひとは、そのまま、手続きをして、港で待っている、乗船する。わたしがいるあいだに、みた、船は、3つだった。アイルランドいきと、イギリスいき2つだった。
遊覧船に乗る。乗客は23人くらいだった。いくつかの城壁と、軍の基地を船からみる。船の前にすわると、大きくゆれて、水しぶきが、服にかかった。ドイツ軍がせめてきて降伏する前に、爆弾で、爆発させた、基地もあり、破壊されたところもあるが、たいていはのこっていた。軍港だった昔の面影があった。
船のあとは、朝食、シードルと白ワインの、ソースのムール貝を食べる。おいしかった。デザートは、アイスクリーム、ラムレーザン、バニラ、チョコ、とカフェ。その後、古本屋へいく。古本屋で、本を3冊買う。新刊本屋で、2冊のシェルブールの歴史につての、本をみつけた。写真つきの、美しい本をみつけた。平たい靴を買う。黒ではきやすい。
教会をおとづれる。バジリック、ドウ、トリニテイ、という名前だ。オルガンの練習中だった。めったに、みられないが、ウェデイングマーチを弾いていた。次の結婚式の練習のようだ。教会のなかは、中世にみられた、絵模様の、柱が残っていた。その後、フランス革命時には、王政を倒し、教会の権威を、壊すために、政教分離、教会の、彫刻の、頭を切り落とした。教会、国王を倒す。権威あるものから、反抗することからはじまった、フランス革命の影響、傷跡がいたるところにのこっているのがフランスだ。
最後におとずれたのは、美術館、公園だ。シェルブール市長だった、エマニュエル、リエ、の名前がつけられた。日本のかつらと、つつじがあった。大きなつつじには、くもの巣がたくさんあった。
熱帯植物の、ガーデンには、バニラ、バナナの木があったが、17時すぎで、もうしまっていた。科学図書館もあり、ここも閉まっていた。公園には、いくつかのベンチがあり、噴水があり、岩の上に、水がおちるので、滝のような、音がする。アジサイの花もあり、非常に静かで、鎌倉のアジサイ寺をおもいだした。市民の憩いの場所のひつになっているようだ。
最後にあるいたのは、波止場。500-600くらいのボート(プレゼンスとよばれるのは、趣味のためのボート)が並んでいる。漁船もあったが、ボートの中には、すんでいるひともいた。
フランスの帆船(ブレム)がみえた。非常に美しい形の船だ。波止場のまわりには、つりをしているひちがいて、散歩も、楽しい。夜8時ごろまで、海をながめていると、ざわざわした心が落ちつく。
シェルブールは、ほかのノルマンデイ地方にある観光地で、日本人がよくおとずれる、モン、サン、ミシェル、(海になかにある山)、エトルタ、デイエップ、に比べると、日本人の観光客は少ない。立ち寄った本屋のマダムは、「日本人観光客はみかけますか」と聞くと、全然、いませんよ、という答えだったので驚いた。
観光地になるような大きな崖が、エトルタという北の地方にはあるが、、(日本の福井県の、東尋坊のようだ)少し、歩かないと、泳ぐことができないし、泳ぐのであれば、ほかの場所へいったほうがいいので、日本人が訪れることがすくないのかもしれない。砂浜がちかうにないし、でも、ヨットファンなら、喜びそうなところだ。水族館は、充実していて、先ほど紹介した。海の町は、海と人間の歴史を、まなぶには最適のところだと思った。
2005年8月1-3日
ノルマンデイー、シェルブールを旅しての印象は、シェルブールのイメージは、わたしにとって、行く前は、雨、曇り空、そして、映画「シェルブールの雨傘」のイメージだった。
出かける前に、もっと、ほかのところへいったほうが、天気もいいし、といわれたが、しかし、私は、友人とシェルブールへ行くことに決めた。理由は、まだ言ったことがない場所だからだ。あまりひとがいないのでは、休養にいいかもしれないという理由もあった。
この11年滞在し、生きる中心の場所であるフランス。ノルマンデイーといえば、
エトルタ、デイエップ、オンフレール、ドービル、トルビル、ラ、ハーグにはいったことがある。ノルマンデイー上陸で有名な、オハマビーチにもいったことがあり記念館があった。とても美しい海岸で、戦争があったとは思えないところだった。
オハマビーチは、シェルブールのあるコタンチン半島の北に位置しているが、この半島東部にあたる。サンラザール駅から、3時間。カーンという大きな都市よりもっと先だ。コーラルという普通電車より早く、TGV(日本でいう新幹線)よりは、遅いが乗り換えなしで、あっという間だった。
シテ、ヂュ、メール、「海の街」と称する大きな博物館を見た。3時間の見物といわれたが、実際には、3時間半かかった。まず最初にみたのは、原子力潜水艦だった。リュヂュターブルという名前の潜水艦は、黒で、40,000人の住む、シェルブールの町全部のひとびとに供給電力の相当するちからをもっている。搭載するひとつの、ミサイルが、広島の、原子爆弾より大きな破壊力を持ち、それが16個あり、核抑止力、のフランス政策のために、使われ、発展し、つかわれってきたが、今は、船になかのミサイルの部分をはなして、そこを空洞にし、海に面するこの博物館の外に位置し、中にはいると、リモコンをわたされ、英語、フランス語、ポルトガル語、ドイツ語の各国語での説明がある。それをきき、ひとまわりした。
次は、アクアリウムだ。巨大な水族館。単なる水族館ではなく、33メートルに及ぶ、深さをもった、(ヨーロッパで最深の水槽がある)すいそうには、思うようにすいすい泳ぐ深海魚。青、黄色、黒、白、灰色、紅色、さまざまだ。竜の落とし子とよばれる海のそこにすむ魚を実際に見たのは、初めてだった。
一番興味深かったのは、いろいろな人間のトライの歴史だった。
どのように人間が、海のなかで、歩けるか、海のなかで、カメラを使えるか、電話ができるか、などについて、具体的にテレビやヴィデオの説明があり多の家族つれや、子供たちだった。海底の、船で、11000メートルまで沈むことにできるちからと技術を編み出した人間。アレクサンドリアというエジプトの古代文明は海に沈み、今は神秘なその世界と古代遺跡を海の海底にすずむ世界をヴィデオで楽しむことができるのには驚いた。
最初のトライは、海に住む、生物をもっと知り、同時に、船を修理するための仕事」でもあった、最初のトライは、海の探検のためには、樽を使って、人が、なかにはいり、たるの外にだした両手にひれを、つけて泳いだ。人間のほかの部分は、たるのなかにはいった、ぷかぷかと海の中を泳ぐわけだ。
みていると、ストレスのない世界のように見える。
今は、年に20万くらいの、訪問客。最初は、50万人が、この原子力潜水艦を訪れたということだ。
原子力発電所は、コタンチン半島の西にあったが、今はないということだ。
その後、カフェ、ドウ、パリという名前のカフェで一休み。太陽をあびて、夜9時半ごろまで、くつろぐ人々。
ヨーロッパの夏は、日がくれるのが、遅い。あっという間に、6時になり、6時半くらいまでお土産店を一巡り。
8月1日は、火曜日。曇り空で、少しはだ寒いくらいだった。ノルマンデイーにせーター、カーデガンをもっていくべきだっと、くやまれたくらい、夜はぐっと温度が下がる。
夜はホテルで着替えた後、レストランへいく。小さな港に面しているところ、はだ寒く、9時―11時半までの食事だった。海の、幸。がおいしい。
かに、いくいつかの、種類の、貝、ムール貝、えびの、もりあわせ、なんと食べるのが困難だった。いくつかのスプーンとフォークをつかうのだが、福井のえちぜんがに、ずわいがにをおもいだした。福井にいたころ、今日とりたての、かにをだれかがとどけてくれたか、両親が、もってきてくれて、家族で食べたときは、レストランのように、ナイフやフォークをつかってたべるわけではなく、むしりとってがぶりとあるいはむしゃむしゃとみんなでたべた経験がよみがえる。魚料理も、おいしく、白ワインはブルゴーニュワインの重くないのをえらんだ。デザートには、チョコレートケーキ。
港には道路沿いに青のライトがともり、きれいだった。
次の日の、遊覧船の、予約をとってから、11時30分出発、1人、10ユーロ、10人以上の予約が必要。駅へいき、もう1日滞在を延長する。
8月2日、水曜日、
朝9時半におきる。ホテルで取る朝食はおいしい。その後、港へ向かう。遊覧船にのって、1時間15分の旅。昔軍港だった、シェルブール。アメリカ、イギリスに近く、フランスの敵から守るための、軍事的に、重要な位置としての、軍港としての、歴史がある。
朝食は、タルテイーヌという、フランスパン、バゲットを半分にして、中を、半分にきり、中にバターとジャムをぬり、プラス、大きなクロワッサン、大きなコーフィポットにはいいた、たっぷりのカフェ、港に浮かぶ、いくつもの、ボートをみながら、たべる旅先での、朝食は格別においしい。
いつものコーフィとも違う。シェルブールでみた、博物館は、昔の、鉄道の列車の駅であり、そこから、アメリカ、イギリス、アイルランドへ出発する船が出発する駅であり、これらの国々からは、最初に降り立つヨーロッパの玄関である波止場だった。
中は写真撮影が禁止となっていて、できなかったが、昔は、列車で、ついたひとは、そのまま、手続きをして、港で待っている、乗船する。わたしがいるあいだに、みた、船は、3つだった。アイルランドいきと、イギリスいき2つだった。
遊覧船に乗る。乗客は23人くらいだった。いくつかの城壁と、軍の基地を船からみる。船の前にすわると、大きくゆれて、水しぶきが、服にかかった。ドイツ軍がせめてきて降伏する前に、爆弾で、爆発させた、基地もあり、破壊されたところもあるが、たいていはのこっていた。軍港だった昔の面影があった。
船のあとは、朝食、シードルと白ワインの、ソースのムール貝を食べる。おいしかった。デザートは、アイスクリーム、ラムレーザン、バニラ、チョコ、とカフェ。その後、古本屋へいく。古本屋で、本を3冊買う。新刊本屋で、2冊のシェルブールの歴史につての、本をみつけた。写真つきの、美しい本をみつけた。平たい靴を買う。黒ではきやすい。
教会をおとづれる。バジリック、ドウ、トリニテイ、という名前だ。オルガンの練習中だった。めったに、みられないが、ウェデイングマーチを弾いていた。次の結婚式の練習のようだ。教会のなかは、中世にみられた、絵模様の、柱が残っていた。その後、フランス革命時には、王政を倒し、教会の権威を、壊すために、政教分離、教会の、彫刻の、頭を切り落とした。教会、国王を倒す。権威あるものから、反抗することからはじまった、フランス革命の影響、傷跡がいたるところにのこっているのがフランスだ。
最後におとずれたのは、美術館、公園だ。シェルブール市長だった、エマニュエル、リエ、の名前がつけられた。日本のかつらと、つつじがあった。大きなつつじには、くもの巣がたくさんあった。
熱帯植物の、ガーデンには、バニラ、バナナの木があったが、17時すぎで、もうしまっていた。科学図書館もあり、ここも閉まっていた。公園には、いくつかのベンチがあり、噴水があり、岩の上に、水がおちるので、滝のような、音がする。アジサイの花もあり、非常に静かで、鎌倉のアジサイ寺をおもいだした。市民の憩いの場所のひつになっているようだ。
最後にあるいたのは、波止場。500-600くらいのボート(プレゼンスとよばれるのは、趣味のためのボート)が並んでいる。漁船もあったが、ボートの中には、すんでいるひともいた。
フランスの帆船(ブレム)がみえた。非常に美しい形の船だ。波止場のまわりには、つりをしているひちがいて、散歩も、楽しい。夜8時ごろまで、海をながめていると、ざわざわした心が落ちつく。
シェルブールは、ほかのノルマンデイ地方にある観光地で、日本人がよくおとずれる、モン、サン、ミシェル、(海になかにある山)、エトルタ、デイエップ、に比べると、日本人の観光客は少ない。立ち寄った本屋のマダムは、「日本人観光客はみかけますか」と聞くと、全然、いませんよ、という答えだったので驚いた。
観光地になるような大きな崖が、エトルタという北の地方にはあるが、、(日本の福井県の、東尋坊のようだ)少し、歩かないと、泳ぐことができないし、泳ぐのであれば、ほかの場所へいったほうがいいので、日本人が訪れることがすくないのかもしれない。砂浜がちかうにないし、でも、ヨットファンなら、喜びそうなところだ。水族館は、充実していて、先ほど紹介した。海の町は、海と人間の歴史を、まなぶには最適のところだと思った。