私の小学時代
生い立ち
私が生まれたのは、戦後の昭和21年3月です。
団塊の世代前で、小学校は一番少ないクラスでした。
父が旧国鉄の広島鉄道管理局に勤めていた関係で、広島県の忠海町で生まれました。
その後、父が鹿児島鉄道管理局に転勤になったことから、宮崎県の田野町に引っ越してきました。
田野町
田野町で幼稚園から小学校4年生まで過ごしました。
田野町は、静かな農園の街で畑が広がり緑豊かな町でした。
たばこの栽培なども盛んで、たばこの葉っぱの香りがしていました。
大根の栽培でも有名です。
幼稚園がお寺の境内にあり、ジャングルジムで遊んだ記憶があります。
冬には幼稚園からの帰りに、小川の橋に氷柱が下がっていました。
住んだ家
住んだ家は、昔風の藁葺きの屋根でした。
家の前は、父の好きな盆栽、金魚のコンクリート池、また、カナリヤを飼っていました。
あるとき、カナリヤのかごの中を見たら、蛇がカナリヤを飲み込んでかごから出れなくなっていたことがありました。
父は怒って蛇を殺しました。
すぐ横には石造りの井戸がありました。
台風が来たときには、井戸の水が1番上まで上がり溢れていました。
家の中には、風呂場の横に水道ポンプがあり、ポンプで水を吸い上げて使っていました。
隣の家のおじさんは、庭でドラム缶を牧で燃やして風呂に入っていました。
家の周囲には畑が広がっていて、家の後ろには大きな木が数本ありました。
秋になると、周囲の畑ではトンボが無数に飛び回っていました。
家に通じる小道には、小さな池がありそこで蛙を取って遊びました。
隣の農家
家の別の隣には大きな農家がありました。
家の中には、竈、囲炉裏、五右衛門風呂などがあり、昔風の大きな農家でした。
また、足で付く餅つき器具もありました。
庭の横には豚舎があり、豚を数頭飼育していました。
冬になると、蒸した芋を干していました。
もらって食べましたが、その美味しさは今も忘れられません。
隣の農家には、私と同じ年の男の子がいまして一緒によく遊びました。
家から少し行った田野中学校前には、お店がありその前を通ると香ばしいパンの匂いがしていました。
私の小学時代には、今のようなケーキを食べる習慣は全くありませんでした。
そのパンが一番のごちそうに思えました。
小学校
田野小学校には、1年から4年まで通いました。
1年、2年の担任の先生は、若い女性の落合先生でした。
田野小学校は、昔の木造建築の一階建ての校舎でした。
田野小学校には4年まで通いましたが、その後、父の転勤で宮崎県都城市の大王小学校に転勤しました。
大王小学校では、野球に熱中していました。
あるとき、小学校の近くの線路がありましたが、昭和天皇陛下のお召列車が通過するというので旗を持って歓迎に行ったのを思い出します。
天皇陛下の顔が見えたのか記憶にないです。
田野町は田んぼに干す大根が有名ですよね! 田野町の漬物屋さんに漬物買いに行った思い出もあります。
都城市大王小学校は、ボーリング場でよくプレーしていました。魚市場もあったような?年末にバイトした思い出もあります(^^)
牟田町も近いですよね🍺
懐かしい時代を思い出しました!
ちなみに、実家は沖水小学校エリアの太郎坊町になります^ ^
同郷の人と出会い嬉しい思いました。
牟田町は、裁判所時代の勤務で良く飲みに行きました。
沖水にも何回か行きました。
昔を思い出して記事にしました。
これからもよろしくお願いします。